邪骨竜と黒い少女
「あらエルル、どうしたの?」
「ミリアちゃん大丈夫!?」
「え、ええ。何事もないわよ?」
邪骨竜が魔法学院に運ばれることは新聞記事にも載っていたから、ボクたちはまっすぐ学院へと向かった。時計台のある中庭にはすでに邪骨竜がその身体を横たわらせている。
気配は全くないけれど、ハムちゃんの言うことが本当だったらいつ邪骨竜が目覚めてしまうかわからない。
学院に所属している研究者さんたちがボクたちを見てこぞって表情を戸惑わせる。
ごめんなさい。でも今はそれどころじゃないんです。
「ミリアちゃん、邪骨竜は――」
「下がれナナクスロイ。女王陛下の前だぞ」
「っ……」
ミリアちゃんに駆け寄ろうとしたボクを遮るように炎が走った。怯んだボクを庇うようにハムちゃんが前に出て、ボクはハムちゃんの後ろで尻餅をついてしまった。
「バハムートか。何をしにきた?」
「警告、ですかね」
「はっ! 貴様らがいることの方がよほど危険性が高いわ!」
燃える炎のような赤髪。ギラリと鋭い眼光がハムちゃんを睨め付ける。色が抜けた白い髭を伸ばした初老の男性は、それでも衰えを感じさせない圧倒的な魔力を滾らせてハムちゃんと相対する。
トリスタン・イルンイラード――先代国王の頃から王国に使え続けている王国騎士隊大隊長の一人で、同時に『赤の一位』でもある、一位の人たちの中でも古株の人だ。
「トリスタン、何度言ったらわかるのよ。エルルは危険なんかじゃないわ」
「……お嬢様。戯言はよしてください。黒の力を操れる唯一の魔法使いにして、精霊と対話しあまつさえ使役すらできるその存在……そのようなものが脅威でなくて何を脅威と呼ぶのです?」
イルンイラードさんはボクの一挙手一投足を見逃さないとばかりに睨み続けながらミリアちゃんを言葉を交わしている。
わかっていた。危険な魔法生物に関わる以上、最も経験豊かなこの人がミリアちゃんの傍にいることくらいは。
怖い。この人は本当に怖い。ボクを人として見ていない。ボクを化け物として見ている。
赤の一位の実力に驕らず、その地位を長年保ち続けているのは伊達じゃない。
……でも。だけど!
「そ、それでも……この竜は危ない竜なんです!」
「ほう? お前のバハムートとどちらが?」
「お生憎様ですね。私は理性によってきちんと自らを律せています。感情のままに激しく拒絶する老人に比べればよっぽど私の方が危険性は薄いですよ?」
「馬鹿にしておるのか!?」
「おや、自覚があるのですね?」
「ストップストップ! 喧嘩しにきたわけじゃないでしょ!」
イルンイラードさんの恫喝にも怯むことなく挑発するハムちゃんを制していると、気付いてしまった。
僅かにだけど、邪骨竜に魔力が蓄積されていることに。
蓄積されるごとに高まっていく魔力。魔力が高まれば高まるほど、周囲から吸収する魔力も大きくなっていく。
そして最悪なのは、ミリアちゃんもイルンイラードさんもそれに気付いてないことだ。
「っ! ミリアちゃん、逃げ――」
『ガァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!』
地面が激しく揺れた。充分な魔力を蓄積して目覚めた邪骨竜がその巨体を起き上がらせる。長い首を持ち上げて重苦しい咆哮を学院中に響かせる。
大地を揺らしながら目覚めた邪骨竜は気だるげに身体を揺らす。巨大な体躯はそれだけで時計台を越えていて、いかに竜という存在が強大であるかを物語っている。
「な、なによこれ! 骨が動いた!?」
「むぅ……。魔法生物だったのか?」
しゃがみ込んで体勢を整えているミリアちゃんたちも邪骨竜を見上げている。
「目覚めてしまいましたか。なんとも都合のいい」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?」
これだけの巨体が暴れたらどれだけの被害が出てしまうか考えるだけでも恐ろしい。
時計台は壊れるだろうし校舎や寮まで破壊されたら大損害だ。
「エルル様、私が――」
「貴様らは黙っていろ。オレがやる」
変身しようとしたハムちゃんを制してイルンイラードさんが邪骨竜と対峙する。邪骨竜もまたイルンイラードさんを敵だと判断したのだろう。頭骨の窪んだ瞳に宿る光がイルンイラードさんを睨め付けた。
危ない、と警告する方が危険だと咄嗟に感じた。
忘れてはいけない。イルンイラードさんは『赤の一位』。それ以外にも『暴君』とも言われる、王国の中でも非常に危険で獰猛な魔法使いなんだ。
「来たれ我が僕! 司るは赤き炎。王国に伝わりし剣に宿りて我に力を!」
カードからあふれ出した炎が渦を巻き、イルンイラードさんはその中に手を突っ込み剣を引き抜いた。
柄に真紅の宝石を埋め込んだ大剣は、王国に伝説として語り継がれる赤い魔法を極限にまで高める礼装だ。
……え、イルンイラードさんって銀の魔法も使えるの?
あの剣は明らかに普通のものでは無い。どちらかというとデュラハンに近い感覚がする。
つまりただの剣ではないし精霊でもないし、魔物。王国に金属の魔物が仕えてるなんて。
「行くぞエクスタイトォ!」
『キィ―――――ッ』
呼び声に剣が鳴いて答えると、イルンイラードさんは腰を沈めて地面を蹴る。
大剣を担ぐような姿勢で構えたイルンイラードさんが邪骨竜目掛けて突貫する。
『ゴァァァァァァァァァ!!!』
邪骨竜はイルンイラードさんだけを脅威として捉え、迎撃のために身体中から骨を伸ばし触手のように大地目掛けて射出する。
けれどイルンイラードさんはそれを軽々と回避して、逆に骨を足場にして巨体な邪骨竜を登る。
困惑の声を上げる邪骨竜と、激しく鳴いて振動する宝剣エクスタイト。
主の声と鳴き声が重なると、白銀の刀身に灼熱を纏わせていく。灼熱こそが刀身と化し、その全長はおおよそ五メートルを容易に超えた。
あまりにも巨大な長剣となったエクスタイトを、イルンイラードさんは振り下ろす――。
「王国の地を、魔法生物ごときが荒らせると思うでないわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
灼熱のエクスタイトが邪骨竜の首を両断する。両断される最後まで暴れる邪骨竜だけど、完全に両断されると力を失い大地にその身体を沈めた。
「……すごい」
正直に言うと、ボクは甘く見ていた。
王国を守る騎士であろうと、【色彩の階位】に名を連ねようと、それでも戦うことに関してはその実力を低く見ていた。
「十年だ。十年掛かったのだ」
「……トリスタン?」
邪骨竜を背に直立するイルンイラードさんは、エクスタイトを空に掲げながら声を荒げる。
怪訝な表情のミリアちゃん。そしてボクも呆気に取られている。
「十年前の戦こそ、我らが敗北である。あの情けない戦より十年よ。十年掛けて、もう“ナナクスロイに助けて”もらわなくてよいのだ!」
……不意に、視界が滲んだ。
あれ。なんで。どうして。
どうしてボクは泣いているの? イルンイラードさんの言葉を、嬉しいと感じているのだろう。
わかる。その言葉が嘘じゃないって。その叫び声が、ボクの奥底にまで響いてきたから。
「先代陛下ァッ! 今ここに我々は誓います!
今度こそ、国防のために命を捧げると。
アルトリア聖王国の平和を守ると!
我々は立ち向かいます。
もう二度と、恐怖如きに屈して少女を犠牲にしないことをッ!!!」
声高らかに叫びイルンイラードさんを、誰もが呆然と見ている。女王であるミリアちゃんも、この国に恐怖を与え続けてきたボクも。立ち会ったものたち誰もがみんな、イルンイラードさんの勇姿をその目に焼き付けていた。
『ふーん。かっこいー』
「……え?」
誰もが呆然としている中で、誰かの声が聞こえた。その声は凄く近い場所から聞こえてきたのに、凄く遠い場所から聞こえてくるような感覚がする。
ミリアちゃんを向いても、何も聞こえてないのかボクを見て首を傾げる。
ハムちゃんも同様だ。何が起きたかボク自身にもわからない。
『でも残念残念ざんねんしょー。たとえエルルが許しても、私は許さないのだ!』
でろりと、ボクの手から血が零れた。ボク自身気付かないうちに付いた傷から零れた真っ赤な血が、地面に落ちる。
そこには、邪骨竜の骨が転がっていた。先ほどの衝撃でここまで飛んできたのだろう。
『あはっ。いやーいい魔力があるもんだねー』
「え、なに。これ、は――!?」
急速に身体から熱が引いていく。寒い。寒い、寒い、寒い寒い寒い寒い!
零れた僅かな血液が膨れ上がっていく。真っ赤な液体は徐々に闇をも飲み込む漆黒へと変化していく。
「なんだ! なにが起きたのだナナクスロイ!?」
「わかりません! なんなの、何が起きてるの!?」
漆黒の液体は肥大化し次々と飛び散った邪骨竜の破片を飲み込んでいく。両断された等部を飲み込む。活動を停止した胴体全てを飲み込んで。
練り上げ練り上げ練り上げられて――。
その中から、浅黒い肌の女の子が姿を現した。まっくろな髪、何も身につけていないからこそわかる、傷一つない肌。
「ボク……?」
その女の子は、酷くボクにそっくりで。
閉じられていた瞳がゆっくりと開かれると、その中から真紅の眼がボクたちを見下ろした。
「……あはっ」