おはようとばいばいと
「ん……ふぁ~あ……」
起き抜けはいつもだるかったんだけど、今日に限っては何故か凄くすっきりした目覚めだ。久しぶりに超熟睡した感じ。今ならさらに三十時間くらい眠れそうなくらい身体が快適だ。
「ってあれ、ミリアちゃん?」
身体をんー、と伸ばしてもう一度ベッドに身体を沈めると、寝る前までは確かにいたはずのミリアちゃんがいなくなっている。
あれ、もしかしてボクの寝相が悪くて嫌われた?!
「三十分ほど前に王国の使いとかいうのが来て急いで帰ってたのじゃ」
「あ、おはようリフルちゃん」
「おはようなのじゃ。せるはまだ寝てるようなのじゃ」
カードの上でリフルちゃんがぺたんと座りながらお煎餅をかじっていた。朝ご飯の代わりなのだろう。あんまりにも美味しそうに食べてるから、ボクもお腹が空いてきた。
「どうしたんだろ、ミリアちゃん」
とりあえず制服に着替えて起きるとしよう。起きるにはちょっと遅いくらいだけど、別にボクの生活はこういうものだから気にしない。
授業を告げる鐘の音が時計台から聞こえてくると、時計台のあたりからちょうど魔力を感じた。
朝一番目の授業から魔力運用だなんて精が出るなあーって思いつつ、ボクはハムちゃんと合流するために部屋を後にする。
「あ、ハムちゃんおはよー」
「おはようございますエルル様。ご気分はどうですか?」
「うん、なんだかすっごくすっきりしてるよ」
「それは良かったです」
にこにこと微笑んでくれたハムちゃんはどうやらかなり上機嫌のようだ。
「マトウさんも女王陛下に付き添ってつい先ほど発ちました。それでこちらを預かっております」
「わ、わわわ! 依頼料だー!」
どうやらウェリアティタンの荒野における問題解決の達成報酬はハムちゃんが受け取っていたようで、すでに大きめの金貨袋を三つほど担いでいた。
ボクだったら一つでも持てば潰れてしまいそうなのを軽々と肩に担いでいる。
「やったね。これでしばらくちょっと贅沢できるね!」
ドーナツとかチョコとかお煎餅とかたくさん買えるね!
新しい魔道書とかペンギンのぬいぐるみも増やせそう!
「ねーハムちゃん、そのお金でさ――」
「魔道書は図書館で借りればいいですしペンギンを増やす理由は特にないですよね?」
「心を読まれた!?」
「エルル様がわかりやすすぎるのですよ」
にこにことボクの言葉を遮ってくる。うぅ、ハムちゃんのいじわるー!
リフルちゃんを頭に乗せて三人で廊下を歩く。ほとんど誰もいない寮は思った以上に静かで少し物寂しい。
一部屋一部屋を横目に流しながらもしもを考える。
もしボクが臆病じゃなくて。普通の魔法しか使えなくて。この寮で暮らしていたら。
それはきっとボクであってボクじゃないような日常を送っていただろう。級友と他愛のない話で盛り上がり、日々魔道を極めるために研鑽していただろう。
ここは魔法を学ぶとしてはどこよりも優れている場所だ。図書館には秘蔵の魔道書がいくつも内蔵されているし、学院長にはこの国で唯一女王と対等の立場を与えられている。
王国の歴史も、余所の国の歴史も、たくさんの知識がこの学院には収められている。
「どうかしましたか?」
表に出て寮を見上げているとハムちゃんが声をかけてくる。
「んーん。なんでもない」
もしここがボクの家だったら。
少しだけ考えることはあるけれど、そしたらボクはこの素敵な家族には出会えなかっただろう。辛いことも悲しいこともあったけど、ハムちゃんとせるちゃんがいてくれたからボクは今日まで生きてこれた。
お母さんが残してくれた言葉はまだ実感はわかないけど、ミリアちゃんとも一応仲直りできたし、王国の依頼を達成してしばらく生活に困ることもない。
……うん。ボクは幸せだ。
でも、なんだろうか。胸にぽっかりと穴が空いたような漠然とした不安がボクの思考を暗くする。
「ハムちゃん、帰ろっか」
「女王陛下に挨拶をされていかなくていいのですか?」
「慌てて出て行ったってことは、多分仕事に追われてるってことだろうから」
これからはいつでも会えるわけだし、焦る必要もない。
仕事に忙殺されているミリアちゃんを思い浮かべて苦笑いを零したハムちゃんは、学院の敷地から外に出るとすぐに変身してボクを乗せて飛び立った。
王都から森まではそんなに時間はかからないし、帰ったらゆっくりしよう。
あの森で、相変わらず変化のない暮らしを続けよう。
「はー、ちょっと、疲れた」
『しばらくは家で静養しましょう。エルル様には時間が必要です』
「………………ハムちゃん、気付いてたの?」
ボクは、嘘つきだ。
誰にも言わないでおいた。誰にも悟られないでいた。ミリアちゃんもマトウさんも先生もボクの存在に気付いた学生の誰も、気付かなかった。
黒の力には、デメリットが存在する。
その破壊の力は全てを壊す。壊して壊して壊して壊して壊して――最後に残るのは死の荒野だけ。
偽りの黒を壊し尽くした黒い力は、ボクの精神まで壊そうとした。
せるちゃんに取り込まれた黒の力は、多分今もせるちゃんを蝕んでいる。
辛くて怖くて全てを拒絶してしまえと、心の底から不安を押し広げて語りかけてくる。
ボク自身を黒へと染める。狂わせる言葉。
じわりじわりと、漠然と感じた不安すら巻き込んでボクを侵そうとする。
その言葉に屈してはならない。屈してしまえば、それは事実上王国の崩壊を示しているから。
「ごめんね、ミリアちゃん」
ミリアちゃんのことは、大好きだ。大切な友達だ。失いたくない親友だ。
「それでもボクは……この国が、嫌いだ」
幼い頃からボクの根底に張り付いた、王国への恨み辛み。
お母さんを助けてくれなかった。ボクを拒絶した。ボクを研究対象としか見ていない。
言葉にして、少しだけすっきりする。この気持ちはボク自身のもので、黒の力はそれを溢れさせてくるだけってのが憎たらしい。
……本当は、別の国にでも言った方がいいのだろう。知らない場所で、知らない人たちと出会えば少しは晴れるのだろう。
まあ、今更なんだけど。森に家を構えた以上、あそこがボクの居場所で、あそこで暮らしていれば王国への感情も少しは落ち着く。静かな世界で引きこもり、万歳。
『あの森でゆっくりしましょう。その言葉が薄れるように。エルル様の人生に影を落とさないためにも』
「ごめんね、ハムちゃん」
『大丈夫です。私は――私とセルは、あなたの傍にずっといますので』
優しい言葉にほんの少しだけ救われる。心を見たそうとしていた黒い感覚が少しだけ薄れていく。
ボクにはこんなにも優しい家族がいる。だから、この悪い心には屈しない。もう誰も、黒い力で不幸にはしない。もう誰も、黒い力で傷つけない。
「……寒いなあ」
「妾が暖めてやろうか?」
「ぎゅー」
「早いわ!」
ボクたちの会話は筒抜けだったけどリフルちゃんは何事もなかったかのように振る舞っている。表情を見て繋がった魔力の感覚からして多分理解してないんだろう。
……リフルちゃん、本当に次世代のイフリートとして精進する気あるのかな。
「はぁ、リフルちゃんあったかいぃ~……」
「すりすりするでない!」
「えへへ~」
ミニマムなリフルちゃんは暖かくて柔らかくて小さいからついついぬいぐるみのように扱ってしまう。せるちゃんは冷たすぎてこういうスキンシップ出来ないから、余計に。
『ちょっと待ってちょっと待ってちょっと起きてみたら何してるのよリフルあんた私のエルルに頬ずりしてるんじゃないわよ!?』
「なんでせるちゃんカードの状態で飛んだり跳ねたりしてるの!?」
ショッキングな光景過ぎる。え、精霊ってこんなこともできたの?!
空を飛びながら和気藹々(?)と家に帰る。
さ、ゆっくりするぞー!