暗躍する者たち
「失敗か」
リードン火山を西に抜け、グランデ王国を目指して大鷲が飛翔する。背には灰色の髪の青年が忌々しげに空を睨んでいる。濁った瞳の青年は黒紫の甲冑を身に纏い、漆黒の片翼を撫でている。
失敗と呟き取り出したカードはまさしく召喚士が扱う封印術が仕込まれたカードであり、亀裂が走り力を失ったカードを青年は空から捨てる。
これこそがイフリート・バラヌスを歪めたカードであり、青年はバラヌスが正気を取り戻す光景を手鏡に投影してずっと見ていたのだ。
「忌々しい。なんなのだあの小娘は」
十字傷で潰れた左目を撫でながらバラヌスを元に戻した少女、エルルを思い出して憤慨する。
バラヌスに与えた黒の力は、青年が所属する組織が開発した人工的な黒の力である。
対象の性質を歪め、狂わせる禁断の力である。青年はこれを以てバラヌスを狂わせ、ウェリアティタンの荒野を死と灼熱の世界へと変えたのだ。
「忌々しい。忌々しくて今すぐにでも殺してやりたいわ」
ズキズキと痛む左目を抑えながらエルルがバラヌスへ施した処置を思い出す。
よりにもよって、純粋な黒の力を用いて青年が仕掛けた黒を破壊した。
相殺することも出来ず抵抗もままらなかった。あれが純粋な黒の力。
純正にして絶対の、青年が如何なる手段を用いても手に入らなかった力。
「疼く。疼くぞ……そうか。そうなのだろうな! 貴様はナナクスロイだな!?」
怒りに震えるあまり手鏡を握りつぶした青年は左目を掻きながら怨嗟の雄叫びをあげる。
「許さない、許さない、許さない」
傷をかきむしり血が流れようとも青年は傷を掻き続ける。思い出したくないものを思い出してしまい、過去の記憶を心の底から憎んでいるようだ。
「それ以上はやめておきなさい、テュポン」
「……ティオか」
テュポンと呼ばれた青年の大鷲に並ぶように大鷲が飛翔してくる。その背には全身を紫で仕立てた、テュポン同様片翼の女性が腰掛けており、妖艶な笑みを浮かべながらはテュポンの大鷲と並ぶ。
「イフリートは失敗したようね」
「……ふん。貴様はどうなんだ?」
「問題ないわよ」
ペロリと舌なめずりしてテュポンを嘲笑う女性――ティオは、彼が捨てたカードと同様のカードを胸の谷間から取り出した。テュポンのように亀裂が走っているわけではなく、カード全体に絡まるような真っ黒な鎖が浮かび上がっている。
「封印に成功したのか」
「魂だけよ。最初からそういう作戦でしょ?」
大鷲はより高度を上げる。魔法で強化された特殊な生物である大鷲は、皇帝竜であるバハムートよりもさらに高い空を飛ぶことが出来る。
違う。そうしなければ、彼らは居城に辿り着けない。
雲海を突き抜けてようやくそれが明らかになる。
それは雄大な空に昂然と浮かぶ城だった。
雲を土台に建てられた城は苔が生え所々が欠けてしまっている。廃墟と言ってもおかしくない城だが、塔のいくつかから漏れている光は人が居住していることを明示している。
二人を迎えるように城門がひとりでに開く。大鷲たちはそこを目指してゆっくりと着陸し、テュポンとティオは大鷲から飛び降りると同時に大鷲たちをそれぞれのカードへ封印した。
真紅の絨毯が敷かれた城門内を二人は歩き出す。到着を待っていたのだろう、目元を前髪で隠した少女が一輪の花を抱いて近づいていく。
「お帰りなさいませアワリティア様、ルクスリア様」
「ええ、ただいま」
少女が差し出した花を受け取りながら、ティオは優しく微笑む。途端に少女は頬を朱に染めてもじもじとうつむく。
少女の背にも、テュポンやティオほどではないが小さな片翼が存在している。
少女だけでは無い。テュポンを迎えるように姿を現したメイド服の女性も、ティオからローブを受け取るために出てきた女性も、誰も彼もが片翼を持っていた。
彼らは人間である。だが、普通の人間とは違う。天人と呼ばれる特別な種族である。
彼らは周辺諸国に知られることなく独自の発展を遂げてきた一族でもある。
「他の氏族長たちは?」
「はい、皆様すでに大広間でお待ちしています!」
「……出遅れたか」
「あなたがイフリートに失敗しなければもっと早かったでしょうねえ」
「っく……あそこまで精霊の抵抗が激しいとは予想外だった。そこについては潔く認めよう。だが……あの娘だけは絶対に許さない。よりにもよって“ナナクスロイ”だと?」
憤慨したテュポンの口から零れた言葉にティオが歩みを止める。
「……ナナクスロイ? 本当なの、それは」
「当たり前だッ! 我々の黒の力を一方的に破壊することなどナナクスロイの一族で無ければ不可能だ!」
いらだちを紛らわすようにテュポンは再び左目を掻き出す。
痒い、痒い、痒い痒い痒い痒い痒いッ!
「……なるほどね。それは緊急議題として上げるべきだわ」
メイドたちに見送られながら二人は階段を昇り、片翼の衛兵たちが守る大広間へと移動する。室内には七つの席が設けられた円卓が備えられており、そこにはすでに五人の片翼の天人たちが腰掛けていた。
二人は並ぶように空席に座り、ティオは卓上に黒の力で拘束されたカードを置いた。
「リヴァイアサンは無事終了したわ」
イフリートの失敗を告げる前にティオが言葉を続ける。それは彼を庇うわけではなく、ただただ本当に緊急を要する案件であるから。
「ナナクスロイの末裔が見つかったわ。名前はまだわからないけど間違いないでしょうね。その子はケーラの子供でしょう」
ティオが出した名前に天人たちはざわつきだす。感情を隠そうともしないテュポンを手で制して、ティオは続ける。
「そう。ケーラ・シン・ナナクスロイ。十八年前に我々を裏切り、我らが偉大なるハデス様を強奪した大罪人。見つけたわ。ええ、ええ。ようやく、見つけたわ……!」
ティオが円卓を叩き、天人たちの視線がティオに集中する。
彼らは天人をそれぞれ束ねる七人の長たちであり、彼らに上下は一切ない。
だが今この瞬間だけ、ティオは事実上氏族のトップとして振る舞い、号令を掛ける。
「調査を始めましょう。ようやく見つけたナナクスロイの末裔の。
そして取り戻しましょう。我らを創り、我らが捧げた片翼の主人を!」
円卓の中央に水晶が置かれ、先ほどまでテュポンが見ていた映像が投影される。
そこに浮かび上がるのは、ナナクスロイの末裔――エルル・ヌル・ナナクスロイ。