学院での再会
『セル、学院に向けることは可能ですか?』
「オーケー任せて! フリージング・サインっ!」
皇帝竜へと姿を変えたハムちゃんが可能な限り速度を出して王都へ向けて飛行する。ミニマムモードのせるちゃんはハムちゃんの言うとおりに上空へ向けて氷を大量に放出していく。
上空に舞い上がった氷は規則正しく並び、遠くから見ればしっかり言語として確認できるだろう。
氷を遠くから観測すれば、
“ケガ人あり 治療求む”
と氷で書かれているはずだ。せるちゃんが扱っているんだから間違いないだろう。
とはいえハムちゃん――バハムートが王都付近を飛行しているってかなり大問題になりそうな気がするんだけどね。
「ハム、もっと速度出しなさい!」
「これ以上出したら落ちるよ!?」
なにしろ今のボクは魔法すら使えない役立たずだ。ハムちゃんが気遣ってくれてバランスを崩さない限界の速度で飛行してくれている。これ以上の速度を出されたら、ハムちゃんを掴むことも出来ないボクは真っ先に落ちてしまうだろう。
「大変じゃのう。あむあむ」
せるちゃん同様ミニマムモードとなったリフルちゃんはのんびりとお煎餅を齧っている。ミニマムモードを教えた時は渋っていたけど、小さくなったおかげでお煎餅抱きつきながら食べれることに気付いてからは満面の笑みでミニマムモードになった。
「大変だよねえ」
「エルルのことじゃろ?」
「うん。そーだけどね」
二人とも心配しすぎな気がしないでもない。別に手が使えなくても二人がいれば日常生活になんの問題も無いし、せるちゃんの氷で冷やしてもらえばカード魔法を使うことも出来るだろう。
長くても一週間も休めば完治させられる火傷だ。少なくとも、昔木から落ちて骨折した時よりも軽傷だと思うんだけどな。
「ハムもせるもエルルのことが大切なんじゃな」
「……そうだね。ボクも大好きだよ」
二人の気持ちがわかるから、ボクも激しく抵抗しなかった。王都には行きたくないけれど、それ以上に二人に心配をかけたくなかった。
ただでさえずっと迷惑を掛けているのだ。これ以上迷惑を掛けたら、二人はきっとボクを見捨てるだろう。
……いっそ、その方がよかったかもしれない。二人とも大切な家族だけど、ボクなんかに構ってないでもっと自由に生きて欲しい気持ちもある。
あ、でも二人に見捨てられたらきっとボクは一週間も持たずに野垂れ死ぬ。惨めに餓死か無残に処刑あたりでこの世を去るだろう。まあボクみたいな存在はいなければ世界は平和だろうし、そうなったらそれでいいかな。
「はぁ~……」
「何ため息なんか吐いておるか。父上と離ればなれとなった妾の方がよっぽど落ち込んでるわ!」
「お煎餅美味しい?」
「うまーっ! なのじゃ!」
お煎餅を齧っているリフルちゃんは見た目相応に幼く見える。や、ミニマムモードだから見た目相応もないか。
ちっちゃいリフルちゃんをぷにぷにしたいけど、指も動かないから出来やしない。
うーん、確かに不便。
『見えてきました。学院の時計台です』
「こっちも見えてきたわ! 学院の敷地内に高魔力反応多数よ! 先生もいるわ!」
……え、先生もいるの? ま、まあ先生がいてくれたほうがハムちゃんも話を通しやすいだろうから、いて困ることはないけれど。
『着陸します。セルとリフルはしっかりエルル様に捕まっててください』
「待てまだ妾は煎餅食べ終わって――」
『急降下します!』
「のじゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
ハムちゃんの言葉に合わせてボクの帽子にしがみつくせるちゃん。一方リフルちゃんはお煎餅を強引に頬張ってからしがみついた。
うわ、ほっぺ凄い伸びてるよ!?
「ケガ人です。症状は重度の火傷、迅速な治療をお願いします!」
「ってハムちゃん歩けるからね!?」
「やかましいです黙っててください」
「酷くない!?」
変身を解除したハムちゃんがボクを横向きに抱きかかえて地面に着地する。すぐさま駆け寄ってきた先生に事情を話し、先生の一声ですぐさま生徒である魔法使いが掛けだした。
「エルルさん、大丈夫なんですか!?」
「あ、は、はい。大丈夫、です」
「大丈夫じゃないでしょ! 早く治しなさい!」
せるちゃんにまで怒られた。
ハムちゃんに下ろしてもらってようやく落ち着ける。痛む手を背中に隠しながら、十年ぶりに訪れた魔法学院を見上げる。
……まさか、また来るなんてなぁ。
四階建ての建物は、魔法学院が誇る大図書館。隣には学生寮が建てられていて、学院に所属する生徒の九割近くは寮に住んでいる。
寮に住まなくてもいいのは王都近郊に住んでいる生徒くらいだったかな。
図書館・寮のエリアを西に抜けると三階建ての魔法学院の校舎がある。
校舎は時計台を中心として北東、南東、南西、北西に建造されており、それぞれの棟からは二階に渡り廊下が設けられている。
ボクたちは時計台のふもとに着地した。ここを真っ直ぐ東に抜ければ、そこはもう王都アルトリアだ。
……ボクが昔住んでいた家は、ここからそう遠くはない。
お母さんのお墓も、そこにある。せっかくだからお墓参りでもしていこうかな。
もちろん全部何事無く終われば、だけど。
「おい、あれ見てみろよ」
「お? あれって――」
「……皇帝竜バハムート、の人間体。多分隣に立っているのは」
――あ、これ無理だ。
多分学院の生徒たちだろう。遠目にハムちゃんを、そしてボクに視線を向けている。
心臓が苦しいほど脈打つ。手で押さえられないのがもどかしい。
せめて顔を見られないように背を向けて小さく縮こまる。
「どうかしたのか、エルル」
「ひっ――」
リフルちゃんに名前を呼ばれてドキリとする。そうだ。せるちゃんやハムちゃんだったらこういう場で“コハク”って呼んでくれる。
でも出会ったばかりのリフルちゃんはコハクって偽名も知らないし、ボクの過去の子とも知らない。
「あー、あれがエルル・ヌル・ナナクスロイ!? 俺たちと同じくらいの女の子じゃん!」
「っ!」
遠巻きに聞こえてきた声が心底怖くて、走り出す。
「どうしたのじゃ!?」
「この馬鹿リフル煎餅没収よ!!!」
「なんでじゃー!?」
嫌だ。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!
視界が歪む。世界が色褪せていく。頭がぐるぐるぐるぐる。
足取りもおぼつかない。早く、逃げたい。どこかに。早く。森に、帰りたい。
ここじゃなければどこでもいい。ここは嫌だ。ここは嫌いだ。ここには嫌な記憶しか無い。
息が乱れる。どれくらい走ったかもわからない。痛む手を気にしながら、気付けばボクは図書館の中に逃げ込んでいた。
ここは、好きな場所だ。本に囲まれていれば、他の誰も気にならないから。本に埋もれてしまえば、誰からも見られないから。
学院に通うようになったボクの安息の場所でもあった大図書館の片隅。の机の下。
こわい。咄嗟にここまで逃げてしまったけど、ハムちゃんはどうしてるだろうか。
せるちゃんは心配してるだろうか。リフルちゃんにちゃんと説明しないと。
治癒の魔法使いを手配してくれているであろう先生にどう謝ればいいのか。
ボクがここに来たことが知られて、なにをされてしまうか。
どれくらい時間が経ったのだろうか。長いのか、短いのかもわからない。
ずっとずっと、ボクの心は怖さに負けてしまっている。
こわい。こわい。こわい……っ。
「あ、やっぱりここにいたっ!」
「っ!」
……やっぱり?
ボクが昔よくここに潜り込んだことを知っている人なんて、一人しかいない。
ボクの大切な友達で、ボクが傷つけてしまった人。
「エルル。ほら、出ましょ?」
「……みりあ、ちゃん?」
机を覗き込みながら、ミリアちゃんがボクに手を伸ばしていた。