攻略完了!
大地が、マグマが、世界が、凍り付いていく。
明らかにバラヌスは動揺し、何度も何度も灼熱を吐く。
それでもせるちゃんは止まらない。一歩一歩ゆっくりと、バラヌスへ接近していく。
「ゴアァァァァ!」
怯えている。明らかにバラヌスは今のせるちゃんに怯えている。
幾度となく吐かれる灼熱はせるちゃんが手をかざすだけで凍り付く。灼熱すら凍てつかせる、黒の力を得たせるちゃん。
苦悶の表情を浮かべているから完全に制御できたわけじゃなさそうだけど――それでも、せるちゃんは歯を食いしばって耐えている。
「う、うぅぅ……え、エルル。あれはなんなのじゃ……」
目を覚ましたリフルちゃんが辛そうに身体を起こす。外傷を負っているわけじゃないけど、精霊状態を強引に引き戻されたショックは身体に相当負担を与えるようだ。
「リフルちゃん。バラヌスは呪われてたんじゃなくて、黒の属性に染められて暴走していたんだ」
「黒……じゃと。そんなもの、千年以上昔に消え失せたはずの力ではないのか!?」
どうやらリフルちゃんも黒の力について知識はあるようだ。
千年、か。そんなにも長い間黒の力は存在していなかった。そりゃ御伽話の中でしか語られなくなるわけだ。
でもこうして、黒の力は蘇った。
バラヌスを犯し、せるちゃんを苛ましている。
「ボクは、千年の時を超えて黒の力を宿して生まれた魔法使いなんだ」
「なん、じゃと」
「今、せるちゃんはボクの血を飲んでああして黒の力を纏って戦ってくれている。だから、多分バラヌスも……ボクじゃない誰かに、黒の力を与えられたんだ」
少量の魔力であれば制御できるのはせるちゃんが今まさに実証してくれている。
だからバラヌスがああも変質してしまったということは、それだけ黒の力に染まったエネルギーを与えられてしまったから。
「ねえリフルちゃん、バラヌスがおかしくなってしまう前に誰かと会ったりしなかった?」
「……わからぬ。誰と会ったかなどわからぬ。わかっているのは……おかしくなる数日前に、何者かが火山に侵入したくらいじゃ」
「うん、じゃあその人が黒の力を持っている……はずだよ」
間違いないだろう。その人はボクと同じ、黒の力を持っている魔法使いだ。
おかしいのは、この大陸に存在している四つの国で生まれる魔法使いは皆魔法学院に属性が申告されるはずなのにその目をかいくぐっていること。
ボクの力の危険性を理解されているからこそ、その力を解析することは魔法学院にとって急務であるはずなのに。
「そやつが、父上を!」
「落ち着いて。今はバラヌスを止めないとっ」
その人がまだリードン火山一帯に滞在しているとは思えないし、今はとにもかくにもバラヌスを正常に戻さなければならない。
「せるちゃん、全力で手加減してねっ!」
「わか、ってるわ!」
悠然とバラヌスに迫っていたせるちゃんが、駆け出す。
触れたものを、本来凍ることは有り得ない炎でさえ凍らせてしまうせるちゃんだ。
どういうわけかバラヌスの黒の力はせるちゃんに通用していない。
黒の力は、ボクが知らない未知の部分があるってこと?
「さっさと終わらせるわよッ!」
せるちゃんが踏み締めた地面が凍り付く。大気はみるみる内に冷えていき、火山の支配者であるイフリート・バラヌスが健在であるというのに火山はどんどん熱量を失っていく。
圧倒的な黒の力が火山を、ウェリアティタンの荒野すらも冷やしていく。
雪が、降り始めてきた。しんしんと降り注ぐ雪は静かに、けれどもの凄い速度で積もっていく。
「クルエル・フリージング!」
「ゴォォォォォォォ!?」
放たれた凍気がバラヌスを足下から凍らせていく。必死にもがくバラヌスだけど、いくらもがいてもせるちゃんの氷から逃れることは出来ない。
「ガァ! ガァ! ガァァァァァァ……」
バラヌスが次第に弱っていく。首から上を残して身体を全て凍てつかされ、バラヌスは完全に抵抗をやめた。
「エルル、今よっ!」
「うんっ! ネイティブチェーンよ、バラヌスへ!」
膝を突いたせるちゃんの声と同時にボクも一歩を踏み出して、デッキから引き抜いたカードの封印を解く。カードから飛び出した四本の鎖は瞬く間にバラヌスの身体に巻き付いて拘束する。
これであとは封印すればバラヌスの脅威を取り除くことが出来る。
でも今回は違うんだ。バラヌスを封印するのではなく、黒の力を排除してバラヌスをもとに戻さなくちゃいけない。
動きは完全に封じこめた。
だからあとは、上手くいくかどうか。
完全に動きを止めたバラヌスの前に立つ。世界が凍り付いても、バラヌスが吐く息はまだ熱を持っている。
今バラヌスが灼熱のブレスを吐けば、ボクは抵抗も出来ず塵となるだろう。
だからせるちゃんとハムちゃんはバラヌスの動向を警戒しながら、ボクを見届ける。
両手をバラヌスに向けて突き出し、魔力を集中させる。
ボクの黒の魔力で、バラヌスを犯している黒の魔力を相殺する。
成功するかわからない。失敗すれば――きっと、バラヌスは死んでしまう。
「黒の魔力を注入……!」
攻撃の魔法じゃなくても、ボクの意思一つで黒の魔力を魔法に込めることは出来る。
ゆっくりと、じっくりと。鎖に黒の魔力を浸透させていく。
バラヌスが声にならない叫び声を上げながら悶えている。
両手に鋭い痛みが走る。黒の魔力に抗おうとする、バラヌスの力だ。
熱くて、力強い脈動を感じる。
(――お前は、誰だ)
不意に頭に聞こえてくる低い声は、きっとバラヌスのもの。
手の平に熱を感じながら、ボクは瞳を閉じて声に応じる。
『ボクはエルル。エルル・ヌル・ナナクスロイ。あなたを助けに来ました』
(ナナクスロイ? ……ふむ。そうか、貴様は奴の子孫か)
『奴……?』
(千年前、黒の力を持っていた少女のことよ)
意識の中で、ボクとバラヌスは深い水底のような場所で向かい合った。
手の平に感じていた熱は痛みを伴ってきたけど、それでもボクは止めるわけにはいかない。
『あなたをこんな状態にしたのは、誰なんですか?』
(わからぬ。素性も知らぬ。見たこともない奴らだ。片翼の人間など、見たことがない)
片翼の人間に、バラヌスは黒の力を強引に埋め込まれたと語る。
見たこともない種族。見たこともない魔法。得体の知れない人たちを前に、バラヌスは利用されたと憤慨する。
(エルルよ。お前はどうして我を治そうとする)
『どうして、って』
(我にはもう跡継ぎであるリフルがいる。我が死のうとも、リフルならば問題なくイフリートとして生きていける)
『リフルちゃんが、望んだからです』
リフルちゃんが父であるバラヌスを助けたいと願った。子として父を思う気持ちを見て、ボクは助けたいと感じた。
理由なんて、それくらいでいいじゃない。
(……そうか。三百年も生きているくせに、まだまだ父離れが出来ぬのう)
そういうバラヌスの声はとても優しくて、リフルちゃんを心から愛しているのが理解できる。子は父を想い、父もまた子を思う。
素敵な家族だなぁ。
(ならばエルルよ、リフルのために我を引き上げてくれるか?)
『はいっ!』
バラヌスがゆっくり伸ばしてきた手をボクは両手で包み込む。
世界が広がっていく感覚だ。
浮いていく。ゆっくりと、意識が浮上していく。
「エルルっ!」
「……あれ?」
目が覚めると真っ先に青空が見えた。次に泣きじゃくるせるちゃんと、不安げな表情のハムちゃんとリフルちゃん。
起き上がろうと地面に手を突くと、激痛が走って思わず泣きそうになる。
「あいたっ。な、なに……?」
見るまでもなく両手が酷い火傷だった。ハムちゃんが服を裂いて作った簡易的な包帯でぐるぐる巻きにされている。
「どうやら我を救うためにずいぶん無茶をしたようだな」
「あ……えーと、バラヌス……さん?」
「バラヌスでよい。貴様は恩人だ」
「父上ーっ!」
いつの間にか氷と鎖から解放されていたバラヌスは飛びついてきたリフルちゃんを頭に乗せながらボクを見下ろしている。周囲は再び熱を取り戻し、先ほどまで積もっていた雪はみるみる溶けていく。
「血による限定的な覚醒深化は成功よ。制御できたのよエルル!」
「わわっ」
ぎゅ、と抱きついてくるせるちゃんは感極まっている。
……せるちゃんもハムちゃんも、十年前の出来事があってずっと悩んでいたはずだから。
だから今回、黒の力を制御できたことが嬉しかったんだろう。
「もう一度礼を言うぞ、エルル。勇敢な小さき召喚士よ」
「……えへへ。バラヌスも無事でよかったよ」
すっかり元通りになったバラヌスはどこにも怪我はないようで、せるちゃんに凍らされた後遺症もないみたいだ。
よかったー。これでバラヌスが犠牲になっちゃ大問題だしね。
「火山も荒野も元通りになるだろう。少し時間は掛かるが、このエリアを守る精霊として尽力しよう」
「ありがとうございます!」
頭を下げてくるバラヌスと、そんなバラヌスの頭の上でにこにこと笑顔でいるリフルちゃん。本当にお父さんが大好きなんだなー。
「そして厚かましいようだが、一つ頼みたいことがあるのだが」
「ぼ、ボクに出来ることなら」
改まってバラヌスが空を見上げる。雲が浮かぶ空をしばらく見上げると、気まずそうにぽつりと呟いた。
「……リフルを連れていって貰えるか?」
「父上ぇーっ!?」
……え? 父離れさせろってこと?




