禁断の黒
黒の力は、エルル・ヌル・ナナクスロイの象徴である。
全てを破壊し、あまねく全てを破壊に染める力はもはや御伽話の空論ではなくなった。
破壊の黒、消失の白。
白は未だ確認されていないが、黒が存在するとなれば白もまた存在するだろう。
ボクの力は、全てを壊してしまう力。ただの魔力として、エネルギーとして運用する分には困らないが、ボクが魔力を運用して魔法を行使する場合、そのほとんどに黒の力は混ざってしまう。
唯一の救いだったのは、攻撃、という括りに入らない目くらましや迷彩、そして封印といった補助的な魔法であれば影響を受けないこと。
黒の力は全てを破壊する。どんなに威力を抑えた属性の魔法でも、黒の力が混ざっていればそれはどんな威力でも必ず触れたものを壊してしまう。
これは呪われた力だ。
これは、ボクに世界を呪わせる力だ。
これは、世界にあってはならない禁忌の力だ。
十年前、ボクはハムちゃんとせるちゃんに頼んでグランデ王国軍を追い払った。
けれどその時のボクはまだ未熟すぎて――二人を手伝うために、黒の力を二人に与えてしまった。
結果的にボクは、グランデ王国軍のヒトを傷つけてしまった。
命を奪うほどではなかったけど、もう二度と戻ってこない深い傷を負わせてしまった。
二人に任せておけば大丈夫な戦況であったはずなのに、自分の力で皆を助けたいと欲を出してしまったから。
だからボクは全てを失った。
すぐにお母さんは病に倒れ、命を引き取った。
王国の人たちはボクの力を怖がって薬を売ってくれなかった。
ボクを守ってくれるっていったミリアちゃんは、ほとんどボクの前に現れなくなってしまった。
外に出れば石を投げられ。街を歩けば罵倒され。少しでも気を緩めれば殺されそうになった。
王国の人たちは皆、ボクの力を怖れた。
そしてボクは、そんな人たちが怖かった。
戦いが起きるまでは、皆ボクに、お母さんに優しくしてくれていたのに。
もう誰もボクに笑顔で接してくれなかった。もう誰も、ボクに優しい言葉をかけてくれなかった。
そして、お母さんが亡くなってから一週間ほど経って――ボクの家は燃やされた。
ハムちゃんたちが気付いてくれたおかげで逃げ出せたボクは、お母さんとの思い出が詰まった家が、ミリアちゃんと仲良く勉強した家が燃え尽きるのを呆然と見ていた。
『エルル、ごめん。ずっと抜け出せなくて!』
ミリアちゃんと再会できたのはその時だけで。
ごうごうと燃え続ける家を背に、視界が滲んでまっくらになったのを今でも覚えている。
『ミリアちゃんの、嘘つき』
守ってくれるって言ったのに。
わかっていた。わがままだって。
わかっていた。きっとなにか事情があるんだって。
頭の中で理解は出来ていても、家は燃やされてしまった。
ボクは感情の高ぶるままにミリアちゃんが傷つく言葉を吐いてしまった。
それが嫌で。それがそれがそれがそれがそれがどんなに酷い言葉であるか分かっていたくせにだからお前は呪われているんだお前に関われば全てが不幸になるんだお前に関わる全てが壊れる。
ボクたちは気付けば森の中にいた。
放棄された小屋で雨露を凌いで、森の恵みで生き長らえて。
ずっとずっと、なんで生きてるんだろうって考えて。
それでもずっと、残された家族がボクを支えて、守ってくれた。
だから死にたくなかった。けど、もう誰も人間を信じたくなかった。
黒い力は孤独を招く。ずっとずっと封印してきた。こんな力、消えてしまえばいいのに。
もう誰も、失いたくないから。
「あっぶないわねぇ」
「せるちゃん!」
放たれた灼熱の光線を防いだのは、何重にも張られた氷の盾。
おおよそ十層以上に重ねられた氷の盾だけど、灼熱の光線を防ぐのに九層まで溶かされてしまった。残る最後の一層も、ほとんどが溶けてもう役に立たないだろう。
ボクから常に魔力を供給しているせるちゃんが用意した氷の盾ですら、バラヌスの火力をかろうじて止めるだけで精一杯だ。
「どうしようどうしようどうしよう」
リフルちゃんを放っておくことは出来ないし、防御の手段も攻撃の手段も全部考えないと!
「エルル様、一度避難を!」
「ハムちゃんっ」
再び角を振り上げたバラヌスの顔へハムちゃんが跳び蹴りを決めると、バラヌスはよろけ、ハムちゃんを捉えて腕を振り下ろす。
地面を割るほど強烈なバラヌスの猛攻だけど、ハムちゃんならなんとか対応できる。
「エルル。イフリートがどうして黒い力に飲まれてるかはわからないわ。でも、現状黒の力に対抗できるとしたら!」
「わかってる。わかってるけど!」
黒の力は白の力で強引に消失させるか、同様の黒の力で相殺するしか対策がない。
そのほかの属性ではろくに軽減することができない。先ほどのあれだけ強固なせるちゃんの盾が壊されたのもそれを物語っている。
せるちゃんの言いたいこともわかっている。
ボクがまた、せるちゃんやハムちゃんに黒の力を渡せば事態を解決できる。
でも、それはもう嫌なんだ。あの力は意思を塗りつぶし破壊の衝動に飲み込んでしまう。
せるちゃんたちが誰かを傷つけるなんて、見たくない。
それにバラヌスを殺してしまうのは避けなければならない。
「っく、これでは――」
バラヌスの攻撃が激しさを増す。
眼前で翻弄するハムちゃんに業を煮やしたのか、周囲全てを巻き込んで暴れ出す。
「っ、しま――」
「――!」
ハムちゃんが回避のためにバラヌスの左へ回り込んだ時、バラヌスが笑った。
それは暴走しているバラヌスでは考えられないほど冷静な判断で。
ハムちゃんを無視して、ボクを狙って角を振り下ろした。
灼熱の光線が、迫る。
「だらっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
目の前に躍り出たせるちゃんが氷の盾を十二層に重ねて展開し光線を受け止めた。
「せるちゃん!」
「っ。エルル、私は負けない。あの日、エルルが沢山泣いたからこそ、次はもう、黒い力になんて負けないと。破壊の衝動なんかに負けないって誓ったのよっ! エルルのお母さんに。そして、エルルの家族である私自身にっ!」
「同感ですね。私たちはエルル様を守る存在。私たちはもう、何があろうとあなたを苛ませはしないと!」
氷の盾が壊れていく。ハムちゃんがいくら攻撃を加えても動じないバラヌス、再び角にエネルギーを集中させる。
あれをもう一度食らえば、絶対に保たない。
どうすればいい。どうすれば。
答えはわかっている。
ボクは、大切な家族を信じればいい。
「せるちゃん、ボクの血を!」
「おーけー!」
ボタンを外して首筋を露出すると、すぐにせるちゃんがボクの首筋に噛み付いた。
鋭い痛みと、傷口から身体がどんどん冷えていくのが手に取るようにわかる。
傷の奥底まで冷えていく。でも、この痛さは苦しい痛さじゃない。
「滅ビロォォォォォォ!!!」
「――悪いわね」
「ガ―――」
――間に合った。
咄嗟に思いついたのは、血液に含まれる魔力によってせるちゃんに黒の力を与えること。
それならば摂取する血の量を減らせば黒い衝動を抑え込めると判断して。
おそらくは時間的制限もある。それでも、十分なんだ。
だって、バラヌスの光線が凍り付いているから。
どうやらバラヌスの黒の力と、ボクの黒い力は――ボクのほうが、よっぽど質が悪い。
「覚醒深化」
立ち上がったせるちゃんの背中に浮かぶ、漆黒に染まった氷のリング。
リングの周囲に浮かぶ攻防一体の機能を持った十二枚の氷柱。
せるちゃんの瞳が黒く染まる。でも、せるちゃんはかろうじて意識を保っている。
「……エルル。すぐに終わらせてくるわ」
「うん。お願い、せるちゃん」