空の旅路
「バナナはお菓子に含まれますか」
「規定はありませんよ」
「やった」
小さなポーチにお菓子を詰め込んでいく。カードではなくリュックに簡易的な封印魔法を仕掛けておけば、いつでもお菓子を好きなだけ詰め込んでおける。
バナナをはじめとして果物をたくさん。手でつまめる砂糖菓子も。そしてあまり手に入らないニトゥールから伝わった、おせんべいというお菓子。
甘いお菓子も塩っ辛いお菓子も用意して、いよいよ冒険の準備が終わる。
「遠足よね」
「遠足にしか思えませんね」
「いやいや。冒険だよ冒険」
確かにお菓子ばっかり用意してるけど、ボクたちが王国から受けた依頼で旅をするときはいつもこうである。
必要なのは魔法を封印したカードとある程度の食料。
そしてボクの好きなお菓子。ボクたちの冒険はそれだけで始められるし完了できる。
封印魔法を仕掛けた鞄はいくらでも詰め込めるし、いくら詰め込んでも重くならない。
まるで中に何も入ってないと感じるほど軽いリュックをボクは肩から下げる。
これでいつでもお菓子を取り出せる。いやー封印魔法って快適だね!
家の裏手にある大きめの泉は、この森の中で唯一大きく開けた空間である。
天気は快晴。ところどころ空には綿菓子のような雲が浮かんではいるが、それくらいなら問題はないよね。
いつもの魔法服と、ボクの肩にはミニマムせるちゃん。どうしても顕現化したままついてきたいらしい。
せるちゃんは楽しそうにボクの頬をつついてくる。ちょっとうっとおしかった。
久々の冒険でせるちゃんも最初からついてくるから、きっと嬉しいんだろう。
改めてホルダーに仕込んだデッキも確認しておく。
これから向かうのは不可解な事件が起きているウェリアティタンの荒野。
何が起きてもいいように。何が起きても対処できるように念入りに準備しておく。
本来召喚士のデッキは召喚できる魔物を十五枚近くは用意するんだけど、ボクはせるちゃんやハムちゃんといった特別な存在と共に戦っている。
そのためボクが用意しているカードは閃光や迷彩といったサポート系の魔法が大半である。
回復の魔法カードを大目に入れておくことにする。あまり数を持っていってもかさばって咄嗟に使えなくては意味が無いし。
ずっとせるちゃんやハムちゃんに戦ってもらってばっかりじゃ疲れちゃうからね。
「エルル、もう大丈夫?」
「……うん。問題ない、かな」
必要なものは全て揃えた。
これまでに何度もボクを助けてくれたせるちゃんやハムちゃんたちとこれまでに培ってきた魔法の知識。何が起きたとしても、超えられないものは無い。
「行ってきます」
少しの間だけお別れするお家に挨拶をすると、ハムちゃんが声をかけてきた。
いつもの執事服とは少し違う、動き易さを優先させて作った執事服。
執事服と言ってもノースリーブだし半袖だし薄着だし。これから熱い地方に行くのだから構わないんだけども。
鍛え上げられたハムちゃんの腕は筋骨粒々ではないが引き締まっている。マフラーのように巻かれた白布が風にたなびく。
「エルル様、準備はいいですね?」
「うん。ハムちゃんは?」
「問題ないですよ。久々の再顕現も問題ないでしょう」
「じゃ、いこうか」
ハムちゃんから少し離れて目を閉じる。閉ざされた世界に伸びる二筋の光の糸は、ハムちゃんやせるちゃんとの魔力の繋がり。
袖から取り出した紫に染まったカードをハムちゃんに向けて、言霊を紡ぐ。
「――呼び掛けに応じよ。汝の咆哮は世界を揺らし秤を砕く。汝が瞳は世界樹の理を見出す。我に力を捧げよ。我が一部喰らいて世界に示せ」
目を閉じて、おへその辺りに力を込める感じで、魔力が集中する。
イメージに六芒星が浮かび上がる。紫色の光が立ち上り、その中心にハムちゃんが立っている。
光に包まれたハムちゃんの身体が、粒子となって消えていく。紫の光に変わっていく。
「今再び、その姿を世界に知らしめよ――再召喚・バハムート!」
イメージは現実となる。粒子となったハムちゃんの身体が再構成される。
光が集い、その強大なる体躯が世界へ姿を晒す。余分なものを一切そぎ落とし、引き締まった細身の身体と、ゆっくりと広げても突風が巻き起こる雄々しい翼。
零れたため息から魔力が漏れて、獰猛な目つきがボクを見据える。巨体を支える二本の足も細身とはいえしっかりと引き締まっている。
皇帝竜バハムート――遠い世界の、一つの都市を一夜にして滅ぼしたと言われている強大なドラゴンこそ、ハムちゃんの真の姿である。
今のハムちゃんから見ればボクなんて赤ん坊同然の、とてもとても小さく脆い存在。
ハムちゃんがゆっくりと三本爪の手を地面に付いて頭を下げてくれる。
必死に背伸びをして、懸命にジャンプしてボクはハムちゃんの頭の上に乗れた。腰を下ろして、はー、と落ち着く。
ゆっくりとハムちゃんが頭を上げると、景色が広がっていく。
ラングルスの闘技場の最上階より、さらに高い。それだけでハムちゃんの身体がどれだけ巨大かがよくわかる。
翼が羽ばたき、皇帝竜の身体が宙に浮く。
しばらくは翼の羽ばたきの音だけが聞こえて、ゆっくりと上昇する。
ボクの家が手の平に乗せれそうなくらいの小ささにまで見えたところで、ハムちゃんはゆっくりと前進し始めた。
『異常はありませんか?』
「うん、大丈夫だよー」
聞こえてくるハムちゃんからの魔力を介しての念話は直接ボクの脳内に響く。ボクも念じるだけで会話は出来るんだけど、ついつい口を開いてしまう。
その声はせるちゃんにも聞こえている。心なしか嬉しそうだ。
穏やかとはいえない強烈な風がをかき分けるように、徐々にスピードを上げていく。
ウェリアティタンの荒野へは本来であればラングルスから王都アルトリアを経由して馬車で行くのが普通だろう。
でもボクは人間と関わりたくないし、馬車代ももったいない。それに早く依頼を済ませたいからこうやってハムちゃんのお世話になる。
人ではたどり着けない高度は空気が薄くなり息苦しくなる。ボクくらいしか知らない情報だ。
雲の上を飛んでいけるなんて、ボクだけしか味わえない。
流れてくる雲を掴もうとしても掴めない。ボクしか知らない。
空の上はボクしか知らない情報に満ちている。ボクの研究室だ。
……少し、息苦しいのが難点だけど。
空の世界は地上と違って強風に塗れている。吹き飛ばされないように帽子をしっかり押さえながら、風の魔法で強風を和らげる。
いつしか風は落ち着き、柔らかい風が肌を撫でる。
「ほわー……いい風」
身体を倒して、寝転がる。いつもより高いところにいるのに、空は何処までも高く、遠い。どこまでも果ての無い青空がどこまでも広がっている。
太陽の日差しはきついけれど、この空にはボクたちしかいない。のんびりまったり旅をしよう。
悠然と進むハムちゃんだけど、あっさりとラングルスを越えてしまった。目的地にもあっという間に到着するだろう。
「エルル、眠いの?」
「ん~……少し」
ハムちゃんなら、ボクを安全に目的地まで連れて行ってくれる。
だからこそ安心して、気が抜けて睡魔が押し寄せてくる。瞼をごしごしとこすりながらも、欠伸は出続ける。
ウェリアティタンの荒野にたどり着くまでに、あと小一時間はかかるだろう。
カードを取り出して封印から解き放つ。ぼん、と煙を吐き出しながら出てきたのは、大きめの毛布。
上空は夏の季節でもほんのり肌寒いから、毛布くらいがちょうどいい。
「着いたら起こしてね~」
『……仕方ないですね。移動中暇なのは事実ですし』
「あ、私も寝るっ。添い寝添い寝っ!」
「……むにゃ」
「って寝付きはやっ!?」
そよ風が気持ちいい。少しごつごつするけど、ハムちゃんの頭の上はそれはそれで寝心地がいい。
次に目が覚めたときは、王都を越えて荒れた荒野の目の前だろう。
大丈夫。ボクたちなら何も問題なく解決できる。
そしてお金を稼いで豪遊するんだー。あっははー。
……ぐぅ。