第1話 奏星機 Bパート
ライヒ・エンパイア帝国皇帝の居城、シャトーキャッスルブルグは帝国本土の中心部にその優美な姿を見せていた。
その城内の奥深く<黒薔薇の間>に、唯一無二の存在である皇帝の玉座が鎮座している。
「揃ったか、我が腹心たる八神将よ──」
黒薔薇の間に響くその声は玲瓏にして艶やかなテノールであり、また聴く者全てを平伏させるほどの威厳を兼ね備えていた。
だが、その声には僅かな異音が混ざっている。
ゴボリ、と水中で空気が漏れるような音。その音は一定のリズムで黒薔薇の間を静寂という孤独から解放させていた。
百人程度ならば余裕で会議が出来るであろう広さの室内の中央、天井と床を貫通する巨大な円筒形の培養槽が存在している。
黄金の液体で満たされたその中に、いくつものチューブや電極に繋がれた人間の脳が浮かんでいる。
──それこそが帝国の皇帝エンペラーカイザーの真の姿であった。
皇帝は<視線>を目前の長机に思い思いの姿で座る八神将に送る。
こうして八神将全てが集まるのはいつ以来か。
北米方面軍司令官<剛腕パンツェーセン>
南米方面司令官<絢爛舞踏クロエ>
極東方面軍司令官<紅の破軍>
アジア方面軍司令官<傾城娘々>
欧州方面司令官<魔導機姫アンネロッテ>
アフリカ方面軍司令官<華焔候アインヴァルト>
帝都防衛司令官<極光のシルバリオ>
技術開発局長<大賢者イグナーツ>
いずれもが万夫不当、人知を超えた力を誇る魔人たちである。
皇帝は、その魔人たちがこれから目の当たりにする現実を前に、どのような醜態を見せてくれるのか、いささか意地の悪い気持ちを隠し声を紡いだ。
「卿等に集まってもらったのは他でもない。実は、まさに今この時、驚くべき事態が起こっている」
なんとももったい付けた皇帝の言葉に、八神将は軽いざわめきを持ってそれに応える。
唯一、既に事情を知る<紅の破軍>だけはそれに混ざらず、静寂の中に身を浸していた。・・・・・・もっとも良く見れば、テーブルの上で組んだ指は落ち着きなく動き回り、足は小刻みに震えている。
他の八神将がそれに気付かなかったのは、地球人が彼を語る時に欠かせない、顔の上半分を隠す黒い仮面のお陰であろう。
──仮面よりも二つ名の由来である、その身を包む派手な真紅の紳士服の方が地球人の語り草になっているのだが。
場が静かになるのを、あえて時間をかけて待つと皇帝は言葉を続けた。
「では、卿等に伝えよう──」
満を持して、とはこのような時に使うのであろう。皇帝は昂る心を声とともに解き放つ──!
「少々、お待ちいただけますか、陛下?」
美しく、透徹とした声に見事に水を差された。
皇帝は拍子抜けして発言の主に眼を向ける。その先には椅子から立ち上がる一人の麗人の姿が映った。
八神将<魔導機姫アンネロッテ>。
異世界の魔法技術と、地球の科学技術という二つの世界のテクノロジーの結晶。人の手により創られた美と破壊の女神。
輝く白金の髪と豪奢な白いドレスが彩るその姿は、正に文字通り<造形美>の極みといえる。
惜しむらくは、その顔に感情と呼べるものが一切浮かんでいないことか。
魔導機姫は静かな足取りで皇帝の玉座である培養槽に近づいていく。
その途中、レースの手袋に包まれた繊手を目の前の空間に伸ばし、指先を軽く下に振る。
すると、振るった指の線に沿って一筋の黒い線が生まれた。
空間を切り裂いたことを皇帝は無論理解していたが、その理由となると見当もつかなかった。
魔導機姫は躊躇いなくその空間に手を突き入れると、何かを掴み取るような動きを見せる。
──よもや武器でも取り出して予を打ち倒し、下剋上でも狙っているのではあるまいな。
だが、それもまた良し。反逆は臣下に与えられた特権である。
皇帝は大きな疑問と小さな期待を覚えながら、美しき八神将の動きを注視した。
そして、魔導機姫が切り裂いた空間から手にしたそれは──
キンキンに冷えた八つのビールジョッキであった。
「……ん?」
思わず声が漏れる皇帝を他所に、魔導機姫は<玉座>の真下に辿り着くと、いくつかのスイッチを弾く。すると、無駄に複雑な動きで玉座の下部が展開し、一本のレバーが現れた。
「んー……??」
再び皇帝の声が響くが魔導機姫は無視。
彼女はジョッキをレバーの下にセットすると、レバーを前に倒した。
──レバー下の抽出口から勢い良く黄金色の液体が放出され、ジョッキに注ぎ込まれていく!
「え、ちょ?ええ?」
無視。
なみなみと満たされたジョッキの置き場を求め視線を左右に走らせた麗人の姿を、最も玉座に近い場所に座っていた<極光のシルバリオ>が見かねたのか、手伝いましょう、と立ち上がった。
いくつかのジョッキを受け取ると、他の八神将に配っていく。
「えー、あー……」
頑なに皇帝をスルーし続ける魔導機姫は、八神将全員にジョッキが行き渡ったのを確認すると、それでは、と声を上げた。
──そして。
「「「「「「「「かんぱーーーーーーーーーーい!」」」」」」」」
ジョッキを高々と掲げ、打ち合わせる。ガラスがぶつかり合う心地よい音が響く。
八神将は一気に黄金の液体を飲み干すと、大きく息を吐いた。
強いアルコール分が喉と胃を熱く燃やし、爽快な果実のような香りとキレの良い後味が八神将の身体を駆け巡る!
「ぷはぁ!飲んだぜ!」
「話半分に聞いておったが、確かにこれは絶品じゃのう。此の為だけでもわざわざ来た甲斐はあったかの」
「まいうー」
好き勝手な感想を述べ、それぞれのジョッキが空くとすかさず魔導機姫がおかわりを差し出す。
紅の破軍も美味に目が眩んだのか、集合した理由を忘れ幸せそうにジョッキを傾けている。
「あー……我が腹心八神将よ」
「なんすか?」
漆黒の騎士甲冑を纏う青年<華焔将アインヴァルト>が四杯目のジョッキを空けながら胡乱げな目で皇帝に返答する。
「なんすかもなにも……何してんの?いや、何してくれてんの?」
皇帝の尤も過ぎる疑問に、アルコールが回ったのか、頬を朱く染めた魔導機姫が表情を浮かべずに応える。
「それにつきましては、私から説明させていただきましょう」
「是非ともしてもらおうか」
Ja、と小さく頷くと魔導機姫は淡々と続けた。
「先日のことです。私は身体に少々の不調を覚え、調整の為に研究所へと足を運びました。いえいえご心配には及びません。調整自体はすぐに済みまして、今は元気いっぱい夢いっぱいの身体です」
一息。
「さて、いざ調整が終わってみますと、丸一日かかるかと思っていましたので、少々暇を持て余してしまいました。そこで私は研究所を見学することにしたのです」
魔導機姫はそこで一度言葉を切り、玉座を見る。皇帝は無言であったが、どうやら続きを催促している雰囲気を感じたので続けることにした。無論、催促されずとも続けたが。
「愉快なものから珍妙なものまで、色々と開発、研究している様を見学するのは実に有意義でありました。そし、ある一室を覘いたとき、私は発見したのです」
何を、と今更聞く必要もなさそうではあったが、とりあえず続けさせる。魔導機姫はジョッキを高く掲げた。
「ええ、そこで発見したものこそ、精製中のこの黄金の培養液でした。ふと好奇心を刺激された私は、ついついその培養液を口に含んでしまったのです」
軽く首を振る。
「するとなんと驚き。極上の美酒ではありませんか。これは一人で味わうのは申し訳ないと、こうして皆様に振る舞うことにしたのです。」
「……皆に対する心遣いや良し。だがなぜわざわざ玉座の培養液を使うのだ?」
「やはりこういったものは淹れたてが美味しいかと思いまして。ちょっとしたアクセントも御座いますし」
「アクセントというのは予の身体のことか、コラ」
コクリと頭を下げる魔導機姫。皇帝は重く<息>を吐く。
「それにだな……卿等が遠慮なく飲んでくれたお陰で培養液の嵩が減りまくって我が肉体の天辺が空気に晒されているのだが」
「それは由々しき事態ですね」
少しの間、魔導機姫は口元に指を当てて思案する。
「──補充するのはレッ〇ブルでよろしいでしょうか?」
「良いわけなかろ」