序章
随分と変わった起動音だな、と少年は眉を顰めた。ごく短時間の間に、それは不定期に重く、時に低く、耳障りな音が鳴り響く。
強く目を瞑り、数度大きく深呼吸をすると、その音は僅かながらだが小さくなった。少年はその事実に気付き、苦笑を浮かべた。どうやら不快なあの異音は起動音などではなく、自身の心臓の鼓動であったようだ。
今度は深呼吸ではなく、ため息が意識せずに漏れる。緊張している、と強く認識する。
それも当然だと、ほとんど真っ白になっている頭の片隅で、必死に冷静になろうとしている自分がそう判断した。
この状況でリラックス出来るのだとしたら、それこそ真の英雄か、只の阿呆だろう。どうしようもなく凡人の自分であれば、気絶だの失禁だのと醜態を晒さないだけでも十分に勇者の資質はあるのではないかと思う。
そんな益体もない、だが当人には非常に重要な心の揺らぎをどうにか抑え、とりあえず、といった感覚で目の前に突き出た操縦桿をともすれば震えだしそうな両手を伸ばし、掴む。
すると今度は自身の鼓動とは違う、小さな電子的な音が耳に届き、ほとんど真っ暗だった視界が一気に色を付けた。
――OOA-WA-モニター起動──
脳内に直接届いたのか、目に映ったのかは自分でも分からなかったが、その一文を「見た」瞬間、全方位に視界が開けた。
円偏光すら認識し、紫外線や赤外線を知覚するシャコ類の目を応用した、オプトエレクトロニクスの集大成ともいえるその「目」に少年は息を飲んだ。
世界とはこんなにも眩く、華やかなものであったのかと、わずかな時間ではあったが自身の置かれている状況を忘れ、陶然としてその景色に酔いしれる。
再度の小さな電子音が響く。目に映る美しい光景の一部が切り取られ、小さな「窓」が表示された。
そこに映し出されたのは世界と同等の、少年にとってはそれ以上の美しさを持った一人の少女の姿。
ほんの数時間前に出会ったばかりの、世間知らずでおっちょこちょいで、少しばかり我儘で、そして花の様な笑顔をくれた──
少年が命を懸けて守ろうと誓ったその小さな身体は今、軽く俯き視線を落とした姿でモニターの端に映っていた。
少女は、そのまま少年と目を合わせることなく、声を紡ぎだした。それは……
「ごめんなさい……ごめんなさい、タカシ」
慙愧に堪えない、謝罪の言葉。少年はそんなものを求めてはいなかった。自分は望んでここに居るのだ。謝ってほしくなどない。恥ずべきことなどない。
少年は小さく笑った。大丈夫だよ、と優しく少女に声を送る。
はっ、と少女が顔が跳ね上がり、僅かに涙で濡れた澄んだ空色の瞳が少年の笑顔に向けられた。
視線が絡み合う。
再度、少年は大丈夫だから、と目を逸らさずに言葉を紡いだ。
ちゃんと守るから、帰ってくるから、と半ば自分に言い聞かせるかのように言葉を重ねていく。
だから、信じて──
その声に少女の瞳がわずかに揺らいだ。
あぁ、そうだ、と心が囁いた。きっと守ってくれる、帰ってきてくれる。
ほんの僅かな時間一緒に居ただけの自分を守るために、救うために彼は選択してくれた。
ならば信じよう。見つめていよう。祈り続けよう。
今、自分に出来ることは、それだけなのだから。
だから、少女は微笑みを浮かべた。
「いってらっしゃい」
少女の声に、少年は強く頷いた。
操縦桿を握る手に、もう迷いはない。
──さあ、往こう。
少年、天宮鷹士は声を上げた。
「奏星機グランセリオン、出撃します!」