第五章 回帰パレード
第五章 回帰パレード
「で、おめぇは一体、次になにをするつもりなんだ?」
庵からの言葉に、文紀は肩をすくめる。
「もう言ったはずですけど……」
「確かに。おめぇから地道にイメージアップするために、様々なボランティアで活動に参加するってことは聞いている。だが、具体的にいつ、なにをするのかは聞いていない」
「そうでしたっけ?」
軽い口調でとぼける文紀に、庵の目が鋭くなる。
「おめぇ……まさか……」
厄介事を起こすつもりか、という視線に文紀は得意げな笑みを浮かべて見せた。
この謳祖学園では、部活動が盛んである。
といっても、全国大会に出たりなどして結果を出しているわけではない。
運動系の部活でもガチガチに生徒を締め付けるのではなく、学生生活の充実を図るために積極的な部活動を、という学校方針があるためだ。
そのため、新入生歓迎会の後から始まる部活動の勧誘。通称「新歓」は、部活動が中心となって楽しむ文化祭のようなものになっていた。
各運動部によるパフォーマンス。文化部は受験や卒業を間近に控えた三年生を主体に、一年間の成果を見せる二年生の作品を交えての発表会が行われる。
そんな中、文紀たち回帰倶楽部の面々は、いまだ部活の勧誘に動いてはいなかった。
部活設立を許可してもらう申請書を提出してから、あまりにも時間が足らなかったのだ。
やはり、この学園の問題児たちが集まっているということが、問題になったのか、回帰倶楽部という部活を認めるかどうか今、職員会議が開かれている。
まだ部活として認められていない部活動の勧誘を許すわけにはいかない。そんな名目で、文紀たちは回帰倶楽部として、新入生歓迎会に参加することが出来なかった。
「ねえ、文紀……」
文紀に声をかけてくる響歌。
制服姿の響歌はやはり中学時代と似通っていて、文紀はどきりとしてしまう。
自らへと注がれる視線に、首をかしげる響歌。
気にするな、と肩をすくめて、文紀は周囲を見渡す。
周りにはいつもの回帰倶楽部の面々と、姫子の姿もあった。
「ま、しばらくは待つさ」
文紀はその言葉の後、頭の後ろで手を組み、机に足を乗せて目をつぶる。
「めっ!」
行儀の悪い文紀を叱る姫子の声に、文紀は薄目を開く。
「別にいいだろ、姉さん。ほかの連中はほとんど部活の勧誘に行っているんだからさ」
「もう……他人の目とは関係なく、そういうマナーはしっかりしなきゃ……」
肩を怒らせながらも、どこか呆れたように笑う姫子に、文紀も笑みを返す。
「ところで、せんぱい」
音貴の声に、文紀は顔を声の聞こえてきた方向へと向ける。
礼香の手を握りながら声を掛けてきた音貴のそばで、礼香が手持ちぶさたに髪の毛を弄くっているのが文紀には見えた。
「礼香さんが退屈しているみたいですから、新歓、回ってきていいですか?」
音貴の言葉に、文紀はうなずきを返すと共に立ち上がる。
「あれ? せんぱいも行くんですか?」
笑顔でこちらに問いかけてくる音貴。
「ああ。悪いが、回帰倶楽部の宣伝をするためにも、一度見て回る必要があるしな」
立ち上がった文紀のすぐそばにたたっと駆け寄り、まるで張り合うかのように姫子と響歌が並んだ。
「なんだよ?」
競争でもしているかのように、走り寄ってきた二人に声をかける文紀。
「んーん?」
「なんでもないわ、文紀」
文紀のどうしたのかという問いかけを否定する返事が被り合い、響歌と姫子の間に漂う空気がまたなんとも言えないものになる。
「はぁ……」
文紀はため息を吐き出し、頭をかく。
姫子が共に行動するようになってからずっと、この二人はこうしてなにかと張り合っているようだった。
その事実に気付いていながらも、文紀はなにもすることが出来ないでいた。
響歌はあくまで契約を文紀に守らせるために一緒にいるだけであり、姉である姫子が心配するようなことはなにもない。
けれど、その事情を話さなかったために、姫子にとって響歌は、文紀を不良行為に駆り立てる悪女かなにかに見えるのだろう。
「なぁ、響歌」
「……なに?」
文紀は響歌の耳元に口元を寄せる。
目を伏せて、少し赤らんだ顔を、前髪を伸ばしてくるくると回すことで隠そうとする響歌の姿に、文紀は苦笑しながらささやいた。
「姉さんが迷惑をかけて……悪いな」
文紀の謝罪に、響歌はため息を返す。
「……別にいいけど、それはあなたが謝ることなの? 文紀」
文紀が姫子の非礼をわびるのが気に入らないとでも言うように、不機嫌そうに触覚のような髪をいじくる響歌。
「姉の不始末を弟が謝るのは、普通のことだろ、なに苛ついているんだよ、お前は」
そんな反応を響歌が返したのは初めてで、文紀はつい、なにがそうまで響歌を意固地にさせるのかを聞いてしまう。
「……別に。随分と仲が良いのねと思ってね」
文紀に響歌は冷たい視線と言葉を返す。
「たった一人の姉だし…………ああいう姉さんだからな。見ての通り、監視してないとなにやらかすか心配になる」
首を振り、ため息を吐き出す文紀。
そのまま先頭を進む文紀は気付かなかった。
「礼香ちゃーん……」
「はいはい、よしよし……っと」
いつのまにか、背後で文紀と響歌に割って入ることが出来ずに、礼香に構ってもらっている姫子を見て、響歌がつぶやいた言葉を。
「…………だけでいいのに」
回帰倶楽部の全員を見つめて、響歌がつぶやく。
「ん?」
響歌が何かつぶやいたように聞こえた文紀は、なにを言ったのかと響歌へ視線を向ける。
「…………別に、気にしないで」
顔を伏せ、目を隠そうとする響歌。
その顔立ちにかすかに感じるいら立ちに、文紀はまゆをひそませた後、フォローが足りなかったのかと頭をかく。
文紀たち回帰倶楽部に新しい人間が加わったことで、多様に変化する人間関係に文紀は頭を悩ませながら、文紀たちは校舎の外に出る。
その先には、新歓が謳祖学園もう一つの文化祭と呼ばれるにふさわしい光景が広がっていた。立ち並ぶテント。その中にある数多くの椅子や机。その椅子には各部活の部長などが座り、周りの部員たちに指示を飛ばしていた。
校庭には新歓のために特別なステージが作られ、舞台を必要とするパフォーマンスがスケジュールを立てて、喧噪と共に行われている。
今はどうやら、演劇部の演技が行われているようだった。
タイムスケジュールには演目、美女と野獣。協力、手芸部と書かれている。
そして、文紀は視界の端に映る手芸部の展示に目をやった。
恐らく、演劇部との協力で作ったのだろうと推測されるような、華美な衣装がそこには並べられていた。
手芸部は、自分たちが作り出した衣装を貸し出す貸衣装屋を行っているらしい。
「へぇ……」
中には着ぐるみすらあるその衣装の充実具合と、そしてステージのそばに作られたスケジュール表に書き出されたある演目に、文紀はつぶやきを漏らす。
「これなら……イケるかもな」
「あ、あたしがこれを着るのか!」
礼香のつぶやきに、にやにやと笑いながら、文紀はある衣装を差し出す。
それはいわゆる、着ぐるみというものだった。
手芸部の貸衣装屋から借りたその着ぐるみは、かわいらしい黒猫のものだ。
口元が大きく開いており、そこから顔を出せるようになっている。
かわいらしい着ぐるみといっても、男装の麗人というのをモチーフにしているのか、猫の着ぐるみは吊り目で顔は凛々しく、胸元には気障な緑色のスカーフがかけられている。
手元には、銀色に輝く笛が縫い付けられていた。
「似合うと思いますよ、礼香さん」
礼香の隣には、緑色のワンピースを適当に切り裂いて、扇情的なドレスにした音貴の姿があった。
普通、女性がしているのならば、はしたないと思うような格好でも、それを着るのが男ならば問題はないはずだ。
文紀はそう口先で運営委員会を丸め込み、その格好を音貴にさせていた。
文紀たち回帰倶楽部の面々がいるのは、舞台袖に作られた仮設の更衣室だ。
次の舞台で行われる演目は、手芸部によって数多く作られた貸衣装による仮装大会。
仮装大会と言っても、なにか演目をするわけではない。
あくまで新歓ということであるために、主に各部活動がそれぞれテーマを決めて仮装をし、学校内を練り歩くのだ。
そういう意味では、仮装大会というより、仮装パレードと言うのが正しいのかもしれない。
もちろん部活での参加以外でも、一般参加で友人との思い出作りのために参加する人々もたくさんいる。
その中に入り込むことによって、文紀たち回帰倶楽部の面々は、この仮装大会に出場していた。
仮装ということで、多くの生徒が様々な格好をしていることから、その様子はまるで遊園地のパレードのようにも見える。そのパレードによって、仮装をアピールし、新入生、在校生でアンケートをとり、最優秀賞を決める。
この最優秀賞には、学園に建設された食堂での食券が一定数プレゼントされるという景品もあった。
そのため、特に育ち盛りの運動部が張り切っており、いつも開催が楽しみにされている伝統の種目である。
主に部活動で補欠の選手や人付き合いの下手な人間が、それでも部員を募集できるように配慮された種目がこの仮装大会だった。
その種目に出ようとしている、文紀たちの仮装におけるテーマはずばり、ピーターパンだ。
それは回帰倶楽部というあだ名に対する文紀が考えた反逆の第一歩でもあった。
ピーターパン。だれもが知る童話。
成長を拒み、閉鎖的な過去の集まりに固執していると思われている自分たち。
それらが姫子や庵を加えて部活を作ったことによって変わったこと、そして今も変わろうとしていることを示すために、文紀はこの仮装のテーマをピーターパンにしたいと思ったのだ。
そのために音貴はまるでやんちゃに飛び回る妖精の少女ティンカー・ベルをモチーフにした格好をし、礼香はその友人であり、主人公のピーターパン自身をイメージさせるような着ぐるみに身を包んでいるのだ。
もちろん文紀や響歌、姫子もまた同じように仮装している。
だがしかし、結局は手芸部の貸衣装屋を見て思い付いた突発的な思いつきであったためかほとんどが、無理矢理こじつけた仮装だった。
その最たる例は先程の礼香の着ぐるみだろう。
学校の行事ということもあり、この仮装では過度の露出は禁止されている。
礼香の着ぐるみは女性である礼香がピーターパンの格好をすると露出が多くなることを避けるためと、元々怖がられていた不良である礼香がかわいらしい猫の着ぐるみを着ていることで観客に驚いてもらい、観客の心をつかむためだ。
「文紀……似合う?」
髪を下ろしてウェーブをかけることによって、水色のナイトドレスを見事に色っぽく着込んだ響歌が口を開く。
その仮装のモチーフはもちろん、ピーターパンのヒロインであるウェンディだ。
「ああ、悪くないぜ」
「文紀、あなたも……悪くないわね」
「そうか? 俺の服装はなんか……気取ってて……俺には似合わない気がするよ」
つぶやきを漏らす響歌に、文紀は苦笑しながら、自分が着た衣装を見る。
まるで海賊のような衣装、派手な帽子。右手には銀色に輝く拳銃が握られている。
歩む度に靴底の硬い、つま先が尖った靴が音を立てる。
その音は、タップダンスが出来そうなくらいにいい音だった。
腰元には銀の拳銃を入れるために付けられたホルスターがつり下げられている。
文紀の仮装、そのモチーフは言わずと知れたフック船長だった。
「文紀ちゃーん……わたしはどうかな!」
今、文紀に話しかけてきた姫子が着ているのは、輝く白色のドレスだった。
光を照り返す素材によって作られており、その胸元には体を一周する白い毛と背中には翼のような飾りが取り付けられ、なぜかその手には金づちが握られている。
仮装が出来るような特徴的な主要人物がいなかったために、姫子はティンカー・ベルが持つ妖精として一面。信じる心を持てば空を飛べる妖精の粉。そして、金物修理の妖精であるということを強調するドレスを身にまとっていた。
「似合うと思うよ、姉さん。あと、その金づち……持ってきて欲しいとは言ったけど、どこから持ってきたんだい?」
「なんかそこに置いてあったからー」
「やっぱ無断で持ってきたのか……」
あきれた顔をしながらも文紀は、臆面もなく舞台袖に置かれた工具を勝手に持ち出したと言う姫子にしっかりと実行委員から借り受けたいということを伝えるように言いつけた後、考え込む。
文紀の頭の中を支配しているのは、この後に始まる仮装チームごとのテーマ発表だった。
チームで出てくる仮装した数多くの人間。周りにいる彼らもまた、同じようにあるテーマに沿って仮装をしているはずだった。
一目でわかるものならいいが、文紀たちのような急造の仮装や象徴的なテーマをベースに決めた仮装では、口で説明しなければテーマを理解しづらい。だからこそ、仮装大会ではテーマを発表するために、そのチームの代表者にマイクが渡される。
マイクを管理する運営委員会の人間にテーマの発表を任せてもいいのだが、その時以外には、仮装を通じてしか新入生に部活動をアピールできないため、多くの参加者が部員募集と自分が所属する部活を伝えるためにマイクを握る。
そして、文紀もまたほかの部員たちと同じようにマイクを握るつもりだった。
その目的はもちろん、ほかの部員たちと同じく自分の部活である回帰倶楽部を紹介するためだ。
設立されていない部活の宣伝。
普通、そんなことは起こりえないだろう。
だがしかし、ただでさえうわさになりやすい人間が集まっている部活だ。
今はまだ存在しないとしても、宣伝してしまえば生徒のうわさに上る可能性もあった。
そして、生徒のうわさに上れば、それは今、職員室で会議をしている教師たちにも伝わるはずだ。
そして、教師たちがなにか行動を起こせば、それもまた生徒たちに噂される。
文紀たち回帰倶楽部の評判が更に悪くなったとしても、どのような形でも一度起こったこと、一度そうと認識されたことを覆すことは難しい。
それは部活の設立においてもそうだろうと文紀は判断した。
偏見の目というものも、一度決まれば覆したがいものの筆頭だろう。
だからこそ、その偏見からの脱却を目的とする、回帰倶楽部を設立しようとしている文紀には、それがよくわかっていた。
文紀は今、この仮装大会を何よりも、回帰倶楽部の宣伝に用いるべきだと思っていた。
理由としては幸いにして、回帰倶楽部の面々には校内でも有名な美人が揃っている。
先日も告白されていた響歌。生徒会の才媛で、且つ癒やし系として有名な姫子。
男とは思えないほどの、かわいらしい顔を持つ音貴。それに、校内で随一の不良として有名な礼香がかわいらしい着ぐるみを着ている姿など、校内の生徒ならだれもが目を奪われるだろう。
回帰倶楽部の面々によって、仮装でのアピールは充分と言える。
だがしかし、友人たちとは違って、文紀は一際周囲の目を引く人間ではない。
なら、文紀の役割はなにか。それは、周囲の人間が人目を集めてくれるのなら、文紀はその目を逃がさないようにすることと言えた。
そして、それを可能にするのがスピーチだ。
そう、文紀は思っていた。だからこそ、文紀はマイクを持って語るべき内容を吟味していたのである。
しかし、ああでもないこうでもないと考え込む文紀の背中に小さくもたれかかる重みがあった。
「……響歌?」
いつも、自分が守ってきた小さな体。その体を自分に託すように、軽く体重を預けてくる響歌。
「あまり、自分だけで考え込まないで。文紀」
小さくつぶやかれるその言葉に、文紀は肩の荷を下ろす。
「ああ、悪い……もしとちったら、フォロー頼むわ」
自然とプレッシャーから解放された頭がしっかりと回転し、さっきよりはまともに考えられるようになったと文紀は思う。
「…………ふふ」
その事実を文紀の顔色から確認したのだろう響歌が、こぼれるように小さく笑う。
「文紀、あなたは私を守ってくれているけど……私もまた、あなたを守ると誓ったこと、忘れないで」
「……ああ」
響歌の言葉。その言葉に、最近よく思い出す契約の内容を思い出し、文紀は苦笑する。
「……なに?」
文紀が浮かべた苦笑の意味を問いただそうとする響歌の視線に、文紀はより一層笑みを濃くする。
「いや……最近、お前のことを考えることが多いと思ってな」
絶句し、少しの間、顔を俯かせる響歌。
「…………そう」
耳まで赤くなった響歌が小さくそうつぶやくのを、文紀は聞いた。
「文紀ちゃーん、なにやってるのー?」
「……姉さん」
半ば抱きつくようにタックルしてきた、姫子の小さな体を受け止め、文紀は眉間をもみほぐす。
「あんまり……はしたないことはしないでくださいよ」
「んー……でも、文紀ちゃんにそろそろ出番だっていうことを教えないといけなかったから!」
「知らせてくれたことはありがたいですけど…………それと抱きつくことになんの因果関係が……って、姉さんがそんなことを気にするわけがないですよねー」
文紀に抱きついたまま、首をかしげる姫子。
そんな姫子の行動の理由を聞こうとすることに、意味などないだろう。
はぁ、とため息を吐きながら、文紀は姫子が落ちないように気をつけて歩く。
「えへへ、文紀ちゃんと礼香ちゃんって、こういう所、似てるよねー」
姫子の言葉を聞いて、文紀は体を強ばらせた。
似ている訳がない。自分がこうして様々な手を使うのは、結局強攻策で押し切るようなことが出来ない、自信の無さの現れだろうと文紀は思っていた。
礼香なら、こんなことはしないだろう。ただ真っすぐに変わるために、声を上げ、行動をし、黙々と人の意識が変わることを待つような力強い行動をするはずだ。
けれど、自分はそんなことは出来ない。出来るわけがないと思っていた。
「もう、文紀ちゃん。いきなり動きを止めないでよー」
考えこんでしまった頭を後ろから、姫子の声が叩く。
「ん、ああ……ごめん」
その声を聞いて、文紀は謝った後に再び歩き出した。
「よろしい!」
おざなりな自分の返事に、それでも満足そうにうなずく姫子の動きを文紀は感じる。
「じゃ、遅れないように、ほかの連中にも出番を伝えないとな……」
「うん! ってなわけで、ゴーゴー!」
文紀の言葉に同調し、楽しそうにおんぶの状態で腕を突き上げる姫子。
「ああ、そうだ……」
その姫子が教えてくれる方向に歩き出しながらも、文紀はあることを思い出して、くるりと回転した。
「きゃ!」
再び悲鳴を上げる姫子。そんな姫子の悲鳴を無視して、文紀は響歌に向き直る。
「ありがとうな、響歌。お前の助言、助かったぜ」
「…………そ」
姫子を背負ったままの文紀の謝礼に、響歌はなんとも言えない複雑な表情を浮かべた後、前髪をいじりながらそう答えた。
「音貴、礼香。そろそろみたいだぜ」
「みったいだよー」
楽しそうに文紀の言葉をこだまさせるように繰り返す姫子。そんな姫子がずり落ちないように気をつけながら、文紀は二人に声をかける。
「ああ」
「はい、せんぱい」
文紀が後ろを振り返ると、響歌がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「じゃ……行くとするか」
「うん」
「はい」
「ああ」
「はーい」
全員が集まったのを確認して、文紀は号令を出すと、全員が一様にそれぞれの返事を返した。
「おう! とか、一応言う内容そろえて言った方が格好良かったかね……」
文紀は思わず、そうボヤいてしまった。
「次に紹介してもらうチームは……回帰、倶楽部? こんな部活、うちにあったっけ?」
仮装大会の宣伝をしているのであろう、実行委員会の生徒が、不思議そうにそう呟くのを聞きながら文紀は前に出た。
仮装パレードに参加する人間が、自分たちの所属するコミュニティごとに立ち並ぶ舞台の上。自然と出来てしまった列をかき分け、最後尾から出てきた文紀の姿を見て、観客の生徒たちがざわざわとどよめいた。
「マイク、もらえるかな?」
その前に立って、文紀は壇上に立った実行委員の少女からマイクをもらう。
「ありがとう」
お礼を言って、文紀は観客の視線を一斉に浴びる位置まで舞台を歩く。
「皆さん。先程紹介してもらった通り、回帰倶楽部の真木文紀といいます」
静かに、文紀は息を吸い込む。
「回帰倶楽部という部活は……今は存在しません」
その言葉に、恐らく新入生のものだろうと思われる戸惑いに満ちたざわめきが溢れる。
「ですが、自分たち回帰倶楽部に所属する一同は皆……よりよい学校生活を送るための部活動という、この学園の、部活動に対する理念を元にこの部活を設立したいと思っています」
今度は在校生のものだろう。
小さく、ひそひそと、回帰倶楽部というあだ名をもつグループを知る者同士で語り合う声が聞こえる。
回帰倶楽部というあだ名に込められた悪意。その悪意に気付いているだろう、文紀がなぜそんな名前を付けた部活を作り出そうとしているのかわからずに、彼らは戸惑っているのだろう。
それは宣戦布告なのだ、と文紀は観客の視線を受けながら、胸を張る。
「活動目標は原点回帰を主題に、多くの物事に対して、原点に戻って、様々なことを判断出来るようになろうということ」
これは庵と部活の設立について話していた時に出た案だった。
「自分たちはこれから大学に行ったり、就職したり……様々な新しい環境に挑戦していきます」
それは絶対に訪れる環境の変化だ。成長、歳を取ることは絶対に回避することが出来ない変化ゆえに。
そして、その変化がもたらすものは学生である自分たちにとって、大きなものだった。
「しかし、そうした変化の中で、自分の中にある原点。それを見失わなければ、自ずと自分の歩きたい道を見つけることが出来るはずでず。そのために、自分の中にある原点に回帰する」
自分探し。そんな言い方も出来るかも知れない。
人間が自らの性格を形成するまでの間に、様々な出来事があったのであろうということは変わる事のない事実であろう。
ならば、その事実を基に自分がなぜこう考えるのか。こう感じるのか。こう変わったのか。
それを知れば、より自分を知り、自分に見合った行動が出来るはずだ。
「さしあたっての活動内容は、この地域で行われていた子供の遊び。あるいはおとぎ話などを集め、私たちが生まれた原点でもある、この街に対する理解を深めようと活動する予定です」
いかにも教師受けの良さそうな言葉を最後に口にして、文紀はスピーチを終わらせるために、最後の挨拶をする。
「どうぞ……よろしくお願いします」
その言葉を最後に、文紀は頭を下げた。
そして、そのまま文紀は回帰倶楽部の元へ戻ろうとする。
そんな文紀の足をパチ、という音が止める。
その音が何度も何度も連なって、文紀の背中を打った。
拍手。小さく打ち鳴らされたその音が一体だれからのものだったのか。
文紀にはわからない。
けれど、しかし、その音は確かに鳴り響いていたのだ。
「…………格好良かったよ、文紀」
自分を迎えに来てくれる響歌。
その姿に、文紀はやりとげた笑みを浮かべる。
「お前が緊張するなって言ってくれたからな……適当にやってきたよ」
事実、文紀はスピーチの内容を特に考えてはいなかった。
だがしかし、元々、この回帰倶楽部に対して考えていたこと。
庵が考えてくれた回帰倶楽部という名前に対して、教師受けがいい理由。
そうしたことすべてを、きちんとまとめて伝えられた。
そのことに関しては文紀は感慨深い思いすら抱いていた。
「ふぅ……」
そんな万感の思いを込めたため息が、文紀の口から漏れる。
「ふふっ……」
そんな文紀を見て、響歌が小さく笑う。
「ん? なんだよ、響歌」
「ううん……あなたは知らなくていいことだから」
響歌はその言葉と共にはにかんだ。
「なんだよ……わけわかんねぇな」
つぶやき、しかし悪い気分はしないと文紀は思う。
「真木」
「礼香、どうした?」
仮装のための着ぐるみを、不承不承に着た礼香がこちらに近づいてくる。
そして、そのまま礼香は、着ぐるみに包まれたままの手を伸ばしてきた。
「ん?」
ぺち、という音。
礼香は着ぐるみに包まれたその指で、文紀の頭にデコピンを食らわせた。
デコピンをしたその指が、もふもふと毛皮に包まれていたためか、文紀は特に痛いとは思わなかった。
「って……なにするんだよ、礼香」
「あんた、かっこつけすぎ」
文紀のそんな姿が気に入らないのか、ふて腐れたような態度で腕を組み、顔を背けながら礼香がつぶやいた。
「それに、もうすぐ行進も始まるから……用意しときなさいよ」
昔のように口うるさく忠告する礼香に、文紀は目を丸くした。
「最近はそうでもなかったけど……」
「ア?」
文紀のつぶやきに、礼香がすごむ。
「やっぱり、お前はそうしていた方が良く似合うよ」
その視線を受け止めながら、文紀はそう語った。
文紀の言葉に、礼香は今までの自分がまるで、過去に戻ったかのように振る舞っていたことに気付いていら立ち、足を踏み鳴らす。
礼香は今でこそ昔の不良、ヤンキーのような立ち振る舞いをしているが、少し前、文紀が高校一年生の頃はクラスの学級委員を務めていた。
例えどんなに小さなことでも、理不尽なことがあれば怒り、人のために生きていた。
そんな礼香が不良になったのは、なにか訳があるはずだ。
そう思っていたからこそ、文紀はそのことについてなにも言わなかった。
「…………ふん」
ため息をつくように息を吐き出す礼香。
そんな礼香に対して、文紀は昔、自分と会った時と変わらない部分を見る事が出来て、安心していた。
たとえ、回帰倶楽部という言葉が揶揄する意味そのままの行動であったとしても、礼香が以前のままであったことに文紀は安心していたのだった。
「…………文紀」
小さく響歌の方から声が聞こえてくる。
その声に、文紀は最初、気付く事が出来なかった。
「文紀……」
二度目の呼びかけ。今度は少し強くなったその口調に、ようやく文紀は響歌の呼びかけに気付く。
「ん、ああ……なにかあったのか?」
振り返り、響歌の言葉を聞く文紀。
「なんでも……けど、折角、礼香さんが時間を教えてくれたのだから、遅れるのもなにかなと思っただけよ」
少し、ふくれっ面をした響歌がそう言った。
「なんだよ。随分、素っ気ない言い方だな」
「そう? なら、そう思うあなたに、なにか非があるんじゃない?」
普段はこんな風に噛みついてくることなどない響歌の変化に、文紀は戸惑いを隠せない。
「ふふっ……相変わらず、乙女だよな。響歌は」
苦笑しながら、楽しそうに響歌の体に手を這わせる礼香。
「れ、礼香さん……やめ……」
礼香の手から逃れようともがく響歌。
「礼香。響歌の言う通りだ。折角、お前が教えてくれたんだから、時間には遅れないように行こうぜ?」
そんな響歌を助けるために、文紀は含み笑いをしながら礼香を止めた。
「じゃ、行くか」
適当に号令を掛けて、学校の中を練り歩くパレードに入り込む。
文紀のスピーチが功を奏したのか、回帰倶楽部の面々は、学校のどこに行っても周りの人間によく見られた。