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ギャップ's  作者: ヴルド
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第二章 回帰倶楽部

 第二章 回帰(かいき)倶楽部(くらぶ)


 文紀は今日もまた、退屈な学校生活を過ごしていた。

 文紀にとって、自分の生活で一番の楽しみは学校の授業が終わった後である。

 なぜならその時間から、いつものあの四人で集まる時間が始まるのだから。

 高校が同じと言っても、学年が上である礼香。それに、下の学年である音貴。学校生活で彼らと常に共に居ることは難しいものだった。

 同学年の響歌とも、文紀は同じクラスではない。

 だから、自然と文紀はいつもの面子で集まることが出来る放課後をなによりの楽しみにしていた。

 あごに手を当て、ただ時間が過ぎ去るのを待つ文紀。

「では、これで終わります。日直」

「きりーつ、礼……」

 退屈なホームルームが終わる声。その声を聞いて、文紀はかばんを引っつかんで立ち上がる。

「なぁなぁ、今日どこ行く?」

「ねぇ、カラオケ行かない?」

 教室は、教師が出た途端に騒がしくなる。その雑音を意に返さず、一人外へと歩き、文紀は左右を見渡す。

「あいつは……っと」

 案の定、といった所だろう。

 自分と同じように教室から真っ先に出てきた人物。

 人ごみに隠れてその全体像を見ることは出来なかったが、ぴょこんと飛び出す一房の髪の毛を見て、文紀はその人物が響歌なのだろうと確信する。

 響歌へと歩み寄る文紀。そんな文紀を誘うかのように、人ごみの中で響歌の髪だけが揺れ動いていた。

 人ごみの中を抜け、ようやく文紀は響歌の全身を見ることが出来る場所まで近づき、まゆをひそめた。

 響歌の前に、一人の男が立ちふさがっていた。

 恐らく礼香と同じ年、自分たちの先輩だろうということは、男が付けているネクタイの色でわかった。

 しかし、その男は自分たちの一学年上とは思えないほどに小さかった。

 なんとか響歌の身長を超えてはいるが、それでも文紀の胸と腹の間ぐらいまでしか身長がない。

 顔は童顔で、荒事など一度も経験したこともなさそうな穏和な顔立ちをしている。

 音貴とある意味では似通っているのだろう、中性的な顔立ちと言うよりは成長期を迎えていないのかと思うほど歳を感じさせない雰囲気が、その一学年上の先輩にはあった。

 その男に声をかけられ、響歌はその男の後について行く。

 いつもの呼び出しだろう、そう文紀は予想する。

 紺を基調とした、この学園の制服。

 学生であるために学校内にいる間、響歌はその制服を着なければならない。

 それが学生として守らなければならない当たり前の規則だ。

 けれどそれは、響歌自身が秘めておきたいと思っている本人の魅力をさらけ出すものでもある。

 あか抜けない、普段黒を基調とした服やジャージを着込んでいる彼女は、その身体のラインを押し隠し、服装もどこかやぼったく、その美しさをかすませている。

 だが、紺を基調にしたこの学園の制服は、そうしたやぼったさをぬぐい去り、響歌の美しさをさらけ出させるのだ。

 その証拠に響歌のすぐそばを通る男たちは皆、響歌の姿を目で追っていた。

 その中には少年らしい無遠慮さで、小柄な体には不釣り合いな胸元を見る者もいる。

 そうした視線を向けられる度、響歌は不愉快そうに体を丸めた。

 制服はそうした視線から、響歌の恵まれたプロポーションを隠すには向いていない服装だった。

 普段、分厚い服を好んで響歌が着込んでいるのは、こうした視線を避けるためでもあるのだろうと文紀は知っていた。

 そんな無遠慮な視線が横行する中、文紀はただ静かに二人の後を追った。

 響歌に嫌らしい視線を向けた人間の顔を覚えながら、文紀は歩く。

 どうやら、響歌と一学年上の先輩は、体育館裏に向かっているようだった。

 ベタと言えば、あまりにもベタな場所だと、文紀は内心苦笑しながらそう思う。

 その場所に着いて、一学年上の先輩が振り返り、響歌に声をかけた。

「ねぇ、響歌さん……」

 遠慮なんていらなさそうだな、と文紀は心の中でつぶやいた。

 にやりと笑みを浮かべるその顔に、文紀は覚えがあった。

 確か家が金持ちで、それなりに整った顔立ちをしていることを鼻にかけていると有名な男。自分で何一つ勝ち取ったものではないもので、多くの勝利を手に入れてきた男がそこにいた。

 周囲に視線をさ迷わせると、ご丁寧なことに下っ端を二人連れてきているようだ。

 響歌の位置と身長からは見えないだろうが、はた目から見るとわかりやすい位置に荒事の得意そうな男たちがいた。

「ボク、キミのこと……好きになっちゃったんだ。だからぁ、付き合ってくれない?」

 断られるなんてことは微塵にも思ってないような、自信に満ちた態度とセリフ。

「嫌です」

 その高くなった鼻をたたき折るかのように毅然とした態度で、響歌は一学年上の先輩からの告白を断った。

「へぇ……」

 不愉快そうにまゆをゆがめ、口元をつり上げる一学年上の先輩。

 その手はいら立ちを収めるためだろうか、ゆっくりと揺れ動いている。

「嫌、です……と言ったんです」

 そんな先輩に物おじせず、真っすぐに意見を言う響歌。

「ああ……そう……」

 先輩の目が、じろりと響歌をにらむ。揺れ動いていた手の動きが大きくなり、その動きはまるで暴力を振るうために行う事前準備のようにも見える。

 そんな先輩の顔を見て、響歌がぎゅっと体に力を込めるのが文紀には見えた。

――ひとつ。

 文紀は、その響歌のおびえる態度を心の中でカウントする。

「ねぇ……そんなつれないこと言わないでさ、少しは考えてみたらぁ? 自分でも、ボクはお買い得な人間だと思うよ?」

 下手なセールスだと、文紀は一学年上の先輩をあざ笑いたくなった。

「ボクってさ……これでも空手やってるから強いし、それなりにイケてる自信はあるし……キミみたいな奇麗でかわいい女の子に釣り合うよう、努力はしてるつもりだよ?」

 なれなれしく男の手が、響歌の手をつかむ。

 その手に触れられた瞬間、響歌の体がびくんと震えるのを文紀は見て取った。

――ふたーつ。

 そして、カウントを進める。

 響歌のおびえをその汚い手で感じて、一学年上の先輩は笑みを強めた。

 響歌の事情を一学年上の先輩は知らないのだろう。

 一学年上の先輩が握る響歌の手は震えているはずだ。

 そんな響歌のおびえを一顧だにせず、一学年上の先輩は言葉をまくし立てようとしている。

 その小汚い思考がかいま見えた瞬間に、文紀は半ば覚悟を決めていた。

 荒事は得意な方ではない。けれど、しかし、友人を見捨てていくような卑怯者にはなりたくなかった。

「離してください……わたし、皆の所に帰りたいんです」

「皆? 皆って…………ああ。そういえば……」

 ぴくり、と響歌の体が動く。

 その動きはおびえから来る震えではなかった。

 一学年上の先輩が響歌の言葉に対して、見せた嘲笑が響歌の怒りに触れたらしい。

「君って……あの回帰倶楽部の一員だったよね」

 回帰倶楽部、それは文紀たちのグループを揶揄する言葉であった。

 それぞれがこの街に二つしかない中学で、人間関係の構築に失敗し、事件を起こした。

 名門私立の学園にいる場違いな不良、来乃宮礼香。

 学園のマドンナ的存在でありながら、何かから逃げ隠れるようにやぼったい服を着る美女、静森響歌。

 そして最後に、まるで女のような顔を持つ支倉音貴。

 それに真木文紀を加えた四人のグルーブはかつて同じ小学校の人間であり、同じグループに所属していた。

 しかし、学区の違いや引っ越しでこの街に二つしかない中学校に、二人ずつ別れて入る事になる。

 そして、この街には小、中、高校がそれぞれ二つずつしかなく、大抵の人間関係がもう小学校の時代に作り上げられているものだった。

 そして、そんなすでに作り上げられたコミュニティに入り込めず、中学での人間関係に失敗して、高校では小学校と同じグループに所属している。

 そんな、中学時代の失敗を小学校の時のお友達で挽回しようとしている。

 無様な自分たちをあざ笑うかのように、付けられた文紀たちグループのあだ名が回帰倶楽部だった。

「キミもさ、あんな連中と付き合うのを辞めて、ボクたちと一緒に騒げばいいのに。キミは奇麗だし、スタイルもいい。きっと、ボクたちのグループの中に入っても、やっていけるよ」

「い、や……」

 スタイルのことについて、一学年上の先輩が口にした時、その視線が響歌の体にまとわりついた。

 その視線に、響歌が小さく悲鳴を漏らす。

 その言葉を聞いて、文紀は最後のカウントをする。

――みっつ。

 回帰倶楽部と呼ばれる自分の仲間。それを笑われ、怒る気持ちは響歌も文紀も同じだ。

「それで、あなたたちに付き合うことで、響歌を体よく利用しようと?」

 そう言って、いかにも余裕たっぷりに見えるようにして、文紀は体育館の影から出る。

 その瞬間、一学年上の先輩はびくりと体をひるませた後にこちらを見た。

「やっぱり……居てくれた……」

 静かに響歌がつぶやいた声。その言葉を聞き取って、文紀は笑みを浮かべた。

「いるに決まってんだろ?」

「うん……!」

 響歌が文紀の言葉にうなずき、満面の笑顔でこちらに駆け寄ってくる。

「ちっ……お前ら、来い!」

 一学年上の先輩は舌打ちし、その手で響歌の肩をつかんで引き留める。

 一学年上の先輩が発した号令に合わせて木々のすき間に隠れていた二人の男が、文紀に手を伸ばす。

 その手が触れる前に、文紀は一歩踏み込んで拳を振った。

「ぐっ!」

 痛みにうめく取り巻き。

「もういっちょ!」

 文紀は凄惨に笑いながら、もう一人の取り巻きにことさら酷薄に聞こえるようにささやく。

 文紀の顔を見ておびえるもう一人の取り巻きに、文紀は遠慮無く拳を打ち込んだ。

 ある出来事があって以来、ずっとずっと鍛え続けていた拳が一学年上の先輩に付き従って甘い汁をすすっていたのだろう取り巻きの戦意をへし折る。

「……キミには、関係ないだろう」

 一瞬で取り巻き二人が戦意を失ったことによって、おびえる一学年上の先輩。

 しかし、そのおびえを振り払うかのように一学年上の先輩はそう言って、更に言葉を続けた。

「その子は、キミの彼女でもなんでもないんだよね? だったら、すっこんでいなよ。他人の色恋に口を出すもんじゃないよ」

「いやまぁ……確かに色恋沙汰だったら、干渉するのは主義じゃないんですけどね……」

 女一人相手に男三人で取り囲むような相手のざれ言を、文紀は聞くつもりはなかった。

「だけど、あんたは……そういうんじゃないだろう?」

「んん?」

 何を言われているのかわからないという表情を浮かべる先輩。

 その顔にただ淡々と文紀は事実を突きつける。

「自己顕示欲。自分の女がいわゆる高めの女だったら自慢できる。そんな思いで、響歌に告白したんだろう?」

 その証拠は、ここに来るまでに通った廊下での態度だ。

 この男は響歌に視線が集まる度に、にやにやと自慢げに笑っているように文紀には見えた。 

 自分が人目を引く女を連れ歩いていることに、どうしようもなく悦楽を感じている男の醜悪さを、ずっと文紀は見続けてきたのだ。

「そんな男が…………友人を連れて行ったのなら、心配して当然だろう?」

「あっそ……じゃあ、聞くけどさ。美人の女が欲しいって思うことのどこが悪いんだい?」

 悪びれもせず、一学年上の先輩は言葉を続ける。

「この子だって、ボクと付き合った方が得をすると思うよ?」

 文紀がこの目の前にいる男に抱いていた嫌悪感。それはあながち間違ったものではなかったらしい。

 目の前にいる一学年上の先輩は言葉を続ける。

「ボクはさっきも言った通り、彼氏にするにはお買い得な人間だと思うよ? それなりに強いし、お金だってあるし」

 まるで悪びれない態度でそう言ってくる一学年上の先輩に、文紀と同じように響歌がまゆをひそめて嫌悪感を表す。

「それに、回帰倶楽部なんて不名誉な呼ばれ方もされなくなる。普通の人間だったら……ボクと付き合っていた方が得だって、わかるよね」

 そう言って、一学年上の先輩はじっと響歌のことを見た。

「それは……」

 なにかを言いかける響歌。その言葉を遮るように、文紀は響歌の前に出る。

「どんな形でも人と付き合うということを……取引にするな。卑しさが目に見えるぞ!」

 その言葉を聞いて、一学年上の先輩の顔がゆがむ。

「君が……それを、言うのかい?」

 能面のような無表情の上に表面だけ嘲笑を浮かべながら、一学年上の先輩はそう言った。

「ふふ、はは、はーっははははは!」

「なにを、いって……」

 まるで狂ったかのように笑い出す目の前の男に、文紀は恐怖すら抱いた。

 なにを考えているのかわからない。気味の悪い醜悪な生き物を見たかのような感覚に、文紀は身震いする。

 目の前にいる男の、悪意に凝り固まった言葉。

 それを聞いてはならない。それがどれだけ文紀自身の行動を悪意で見たゆがんだものであっても、その言葉を聞けば、今まで大切にしてきたものが汚される。

 そんな直感に突き動かされ、文紀は一歩足を踏み出す。

 その瞬間、目の前にいる一学年上の先輩は握っていた響歌の肩を離し、文紀の方へと突き飛ばした。

「っと」

 慌てて響歌のきゃしゃな体を受け止める文紀。

 そんな文紀に今までとはけた違いに悪意で塗り固まった笑みを浮かべて、一学年上の先輩がこちらを指差す。

「ああ、キミが自分のことを気付いてないなら…………いいよ」

 その楽しげな表情を浮かべたまま、一学年上の先輩は響歌に視線を向ける。

「つまり……そういうことなんだろうし」

 そして、一学年上の先輩は静かにその視線を響歌へと向ける。

「な、おい」

 その視線の意味を知ろうと先輩に声をかける文紀にこたえず、一学年上の先輩は今まで響歌に向けていた執着心を毛ほども感じさせない態度で歩み去った。

「ま、待ってくださいよ!」

 その後ろを追う取り巻き。

 そいつらに対してもまた少しも興味を示さず、一学年上の先輩は去っていく。

「思い知らせてあげるよ…………」

 ぼそりと一学年上の先輩はそうつぶやき、その言葉だけが風に乗って、文紀の耳元まで届いた。

「…………なん、だったんだ、あいつは」

 一学年上の先輩が見せた、一連の奇妙な行動に戸惑い、文紀は頭を振る。

 今すぐに今日、この日この場所で起こったすべての出来事を忘れてしまいたい。

 そう願った。けれど、それは出来ない相談だ。なぜなら、一学年上の先輩は明らかに明確な悪意を文紀にぶつけてきていたのだから。

「別に、気にしなくてもいいんじゃない? 文紀」

 そう思い、気を引き締めようとする文紀に響歌が話しかけてくる。

「でも、なぁ……」

 ああも思わせぶりな態度を取られたら、だれだって気になるだろう。

 そう言いたくて、文紀は響歌に向き直る。

「え?」

 ただ真っすぐに背筋を伸ばして立つ響歌の姿に、文紀は驚いた。

 その目が真っすぐに、文紀を見ていたからだ。

 まるで、なにかを観察しているかのような透明で感情をうかがわせない瞳。

 そんな瞳で響歌が自分を見ているような気がして、文紀は体を硬くしてしまっていた。

「…………ふふっ」

 そんな文紀を見て、響歌は笑った。

「文紀……また、今日も助けられちゃったね」

 そう言って笑う響歌はもう、文紀の見知った響歌の姿だった。

「あ、ああ……」

 今のは、見間違いだったのだろうか。

 文紀がそう思うほどに、先程の響歌の瞳は、まるで人間味を感じさせないものだった。

「……あー、まぁ、お前はいつもああいう人間にばかり好かれるからな……さすがに心配になる」

 文紀の言葉に、響歌はとてもうれしそうに笑った。

「わたしのこと、そう言って面倒を見てくれるのは、文紀だけだよ……」

 その顔を見ていると、文紀は胸が高鳴るのを感じた。

 やはり、美人というのは得だ。

 ただ笑顔を向けられるだけで、男の心を刺激することが出来るのだから。

「文紀は……今日、どうする? いつもの場所に集まるの?」

 大抵の場合、文紀たち回帰倶楽部の人間が集まるのは音貴の家だった。

 音貴の家族は音楽一家で、家の地下にスタジオが作られている。

 そのスタジオは適度な広さがあり、集まるには都合のいい場所になっていた。

「ああ。いつも通り、音貴の家に集まろう。それで今日もわいわい騒ごうや」

 そう言って文紀は体育館裏から場所を移そうと、響歌から背を向けた。

「…………には、わからないよ」

 文紀の背中に、どこからか声がかけられる。

「響歌、なにか言ったのか?」

 その声が響歌のものだと思い、文紀はそう問い掛ける。

「ううん……なにも言ってないよ」

 返事と共に首を振る響歌。

「そうか? なにか聞こえたような気がしたんだけど……」

「聞き間違いじゃない? ここ、グラウンドが近いから、色々な声が聞こえるし」

 確かに響歌の言葉通り、ここからグラウンドまでの距離は短く、今もなおだれのどんな言葉ともわからないような声が聞こえてくる。

 けれど、確かに。

 文紀は響歌がなにかを言ったように、聞こえたのだ。

 文紀が、響歌の声を聞き間違えるはずがない。

 それだけ、長い付き合いなのだ。でも、響歌は自分ではないと言う。

 肩をすくめ、文紀はこの疑問に対して考えるのを止めた。

 もし、響歌がなにか自分に伝えることがあるのなら、その時はきちんとそれを伝えようとするだろう。

 言わないということは、言いたくないことなのかもしれない。

 それに、何度も根掘り葉掘り秘密を聞き出そうとするというのも、文紀にはあまり良い行いだとは思えなかった。

 秘密にしたいことを、秘密にさせておく。

 それもまた、人間関係を維持するための秘訣だと文紀は思っていた。

 

 文紀は響歌と共に、学校の中を歩く。

 放課後、それも少し時間がたった校舎内は人気が少なく、多くの生徒たちは皆、校舎から離れた街中か部活動に熱中していることだろう。

 だからこそ、滅多に人が来ない特別な場所が発生する。

 部活動に使われることもなく、人が集まることもない。

 理科室などの特殊な部屋が立ち並ぶ校舎の中で、回帰倶楽部の面々が集まるために良く使っているのが、そういった特殊な部屋が集まる階の踊り場だった。

 窓に寄りかかり、立つ礼香。

 その立ち姿はやけに格好が良く、少し日焼けして色の抜けた髪が淡く光を透過して輝いていた。

 そして、その手にはその外見からは似合わない教科書が握られていた。

 こう見えて、礼香はこの学園で上位に入る成績の持ち主であり、響歌と同じく特進クラスに在籍している。

「よっ」

「ああ」

 礼香は少し目が悪く、なにかを読むときは眼鏡をかける。

 その眼鏡はいつもファッションに気を遣っている礼香にしては珍しく無骨で、実用性と耐久性に富んだ黒縁の眼鏡だ。

 それが大人っぽく切れ長な瞳を持つ礼香が付けると、礼香を見慣れている文紀ですらどきっとするほどの色気を見せる。

 その目に引き寄せられ、文紀が礼香に視線を向ける。すると、文紀は礼香の目が不機嫌そうに伏せられているのに気付いた。

「……また教師のやつが、あたしに絡んできてね。タバコなんて趣味じゃないし、髪だって染めているわけじゃないってのにさ」

 その視線に気付いたのだろう。礼香が肩をすくめながら、そう答える。

 不満げにそうぼやきながらも、その顔にはあきらめの色が濃い。

 元々、外見と一匹狼な性格のために不良と勘違いされることが多い礼香は、日焼けで自然と色が抜けた髪を染めていると勘違いされ、生活指導の先生にはにらまれ、同じ理由でこうした人気のない場所にいると、タバコでも吸っているのではないかと疑われる。

 それらの不利益を知っていながらも、髪も染めず、好きな場所をうろうろとし、たまに一人静かな場所でたたずもうとするのは、礼香の意地であり、性格だ。

 環境によって変化することは仕方ないことだとしても、生来のものである髪の色を別の色に染め上げることに、礼香は強い拒否感を抱いている。

 一人でいる、静かな場所でたたずむのはただそうした場所が好きで落ち着くから。

 例え偏見の目を向けられようと、自分のやりたいことをやろうとする礼香。

 そうした彼女の意地っ張りな部分を見る度に、文紀はそんな礼香を尊敬する音貴の気持ちがわかるような気がしていた。

 いつも礼香と一緒に居る印象が強い音貴はどこにいるのかと、文紀が視線をさまよわせると、階段に座り、にこにこと笑いながらイヤホンを付けて、学校では禁止されている携帯ゲームで遊んでいる音貴に気付いた。

 その肩に触れ、軽く揺らして自分が来たことを伝える文紀。

「……せんぱい、こんにちは」

 そんな文紀に、にっこりと笑いかけながら、耳元の髪をかき分けて、イヤホンを外す音貴。

 その姿に、男には感じてならない女性らしさを感じて、文紀は音貴から視線を外す。

 音貴はどうしても中性的な外見から、周りの男たちを変な気持ちにさせてしまう。

 それは最初、ただの違和感で収まっている。

 女性ではないのに女性のような、音貴の外見に対する違和感。その違和感が次第に膨らんでいき、嫌悪か、あるいは好意に変わるかは人それぞれ。だが、結局、音貴の印象はその外見によって左右される。

「ふふん、ふん、ふふーん」

 音貴が今日やっているゲームは機械同士が戦うゲームのようだった。

 確かに人の形をしているロボットが、自らの腕に取り付けられた銃から発射される弾丸の反動によって体勢を崩し、倒れ込む。その動作を使って、音貴の操るロボットは同じような形のロボットが撃った弾を避け、相手のロボットは音貴の操るロボットが放った弾を当てられて体勢を崩す。

「よいしょーっと」

 弾を食らって体勢を崩した敵と自ら倒れ込む音貴が操るロボット。

 先に行動を始めたのは、音貴のロボットだった。

 体勢を崩した敵のロボットに近づき、その体勢が整う前に腕から生やした刃で敵を貫く。

「クリアーっと」

 その瞬間、ゲーム画面には大きく「Mission complete」という文字が浮かんだ。

 人のいい性格と女っぽい外見とは反して荒々しいロボットや銃撃戦などを好む趣味嗜好をしている音貴だが、彼に男の友達は少ない。

 その原因が、そうした容姿による偏見なのだと文紀は知っている。 

 男子と女子ごとのグループではない回帰倶楽部なら、そうした外見による違和感も中和される。

 それが、音貴がこの回帰倶楽部にこだわる理由であると文紀は知っていた。

 回帰倶楽部の各自に事情がある中、文紀はというと、文紀もまた回帰倶楽部にこだわる事情があった。

 しかし、文紀は特に、友達付き合いに関して失敗などしていない。

 多くの事情があって、回帰倶楽部の面々でしか集まれない響歌や礼香、それに音貴とは違い、普通にクラスメイトと話すことだってある。

 だがしかし、文紀はなによりもこの回帰倶楽部とあだ名される集まりに所属している人々を愛していた。

 この回帰倶楽部に集う三人の男女。そのすべてに文紀は深い関わりを持っていたし、多少の学校生活での不都合を飲み込むくらい訳がないほどにこの集まりを居心地のいいものだと思っていた。

 ピンポーンという間の抜けた、しかし聞き慣れた校内放送の音。

 その後に続けて聞こえてきた声に、文紀はまゆをひそめる。

「あー、真木文紀、真木文紀。まだ学園内にいるのなら、至急、職員室まで来なさい」

 放送から聞こえてきた声は、この学園の名物教師と名高い教師のものだった。

 だみ声で、かったるいと主張してやまない声。

 その声は文紀が教室から出ていく前に、ホームルームで聞こえていた声と同じものだ。

「真木。あんた、なにしたの?」

 そんな文紀に、礼香が声をかけてくる。

「ああ……いや、別に。少しもめ事があっただけさ」

 文紀は自らのクラスを担任する教師の言葉を感慨もなく聞き流し、動くつもりはなかった。恐らく、あの体育館裏でのもめ事が、少し大袈裟に教師へと伝わっているのだろう。

 そして、そのことに対して敏感に反応した教師が文紀の担任教師を動かし、放送で自分を呼び出そうとしている。

 そう文紀は推測した。

 なら、そのもめ事からすでに数十分はたっている今、呼び出しを無視しても、すでに帰っているのだろうと判断される可能性が高い。

 事実、担任の教師は気を回してまだ学園内にいるのなら、と条件を付け加えている。

「行かないの? 文紀」

「ああ。多分、いつものやつだからな。それに、行かなくても特に問題はないはずだ」

「いつものって……ああ、そういうこと」

 視線を響歌に向ける礼香。

 その視線を受けて、響歌は申し訳なさそうに体を縮こまらせる。

「ま、気にしないでいいだろ。さ、行こうぜ」

「はぁ……」

 文紀の言葉にため息を吐きながら目頭を押さえる礼香をしり目に、文紀は音貴に手でこっちに来いと合図をする。

 その合図に従順に従う音貴。

「じゃ、行くか」

 そして、背後にいる響歌に声をかけて、文紀たちは下校を始めた。

 いつの間にか日は傾き、真横になった日差しを受けながら階段を下りる。

 その度に、影の形が変わるのが面白かった。

 情緒があるというのだろうか。

 四人である、ということ。

 それが実感できるその影が、文紀は好きだった。

 最後の数段を飛び降り、一気に振り返る。

 その視線の先で、のんびりと歩く響歌と礼香。そして、少し遅れた位置でゲームをやりながら器用に歩く音貴の姿が見えた。

 彼らの姿を見て、気分が高揚する。

 悪くない。

 文紀はそう思った。

「とりあえず、音貴。そろそろゲーム機隠せ。バレたらうるさい」

 そう言って、音貴にゲーム機をしまわせる。

 謳祖学園では制服のほかに学業で使うかばんも指定されている。

 そのかばんの中に音貴は携帯ゲーム機を入れ、その後に礼香に近づく。

 連れ添う音貴をうざったそうに見ながらも、何も言わずに受け入れる礼香。

 そして、四人で学園の外に出るため、げた箱にたどり着いたときだった。

「文紀」

「なんだ?」

 突然聞こえてきた響歌の声に答える文紀。

「あれ……」

 淡々と指で文紀に方向を指し示す響歌。

 その方向に目線を向け、文紀はため息を吐き出した。

「姉さん……か」

「文紀ちゃん、やっぱりいたー!」 

 にこにこと笑いながらそう言ってくる制服姿の女性こそ文紀の姉である()()(ひめ)()だった。

 癖っ毛の髪を両端でまとめた短いツインテール。

 小さな体つきに見合った、日本人女性らしい慎ましやかな体。

 美人というほどでもなく、かわいらしいと特筆するほどではない。だがしかし、親しみやすい愛らしさを感じさせる顔付き。

 そして、そんな容姿をした女性が笑顔のままに肩を怒らせて、文紀の目の前に立った。

 その姿を見て、怖いと感じる人間はいないだろう。

 しかし、なんというか、どこか罰の悪い感じを対峙する者に抱かせる何かが姫子にはあった。

「はやっ?」

 上履きと下履きを履き替える時のために敷かれたすの子に足を引っかけ、倒れそうになる姫子。

「ったく……」

 その姫子を咄嗟に支えながら、文紀は頭をかく。

 姉である姫子は怒らせると、どこかばつが悪いと感じてしまう。丁度、それは小さな子供が母親に怒られているような感じだった。

 こうして抱きしめてみると、その髪から干したばかりの布団のような匂いがすることを文紀は知っていた。

 日だまりで丸まり、寝ている猫のような女性。

 それが、文紀が姫子に抱くイメージだった。

「文紀ちゃん、ありがとう」

「この歳の弟に、ちゃんなんて付けるな」

 にこやかに笑ってお礼を言う姫子に、文紀は素っ気なく返事をする。

「文紀ちゃん、ひどいよぅ……」

 その言葉を聞いて、目じりに涙を浮かばせる姫子。

「あっ……はぁ……」

 その様子を見て、咄嗟に口から心配そうな声が出てしまったことに後悔する。

 その声を聞いただけで、にこーっと姫子の顔に笑顔が戻ったからだ。

「文紀ちゃん、素直じゃないよねー。そういう所」

 したり顔でそう言ってくる姫子。

 その顔に半ばうんざりとした気持ちになる文紀。

 思い返してみれば、昔から姫子は皆に好かれていた。

 だから、だろう。

 子供の頃から、姫子を泣かせるとろくでもないことばかりが起こるのだ。

 両親に叱られるのはまだしも、街の知らないおじさんに怒られたり、普段はしかめっ面でいつも機嫌が悪そうな近所のおばあさんににらまれたり、とにもかくにもそうした出来事が繰り返されたことによって、文紀の体には姫子を泣かせてはいけないという事実が細胞レベルにまで刻み込まれているのである。

 そのことを知ってか知らずか、自分を甘やかしてくれる文紀のことを姫子は好いている。

 倒れ込んだまま、ぎゅーっと自分の体を抱きしめてくる姫子を離すことが出来ずに、文紀は困り果ててしまっていた。

「あの……」

 文紀の困惑を見かねてだろうか、響歌が一歩前に出て、姫子に声をかける。

「んー、文紀ちゃーん」

 しかし、そんな声など聞こえないと言わんばかりに、姫子はついに文紀の腹に顔をなすりつけるようにして甘え出した。

「おい……」

「あ……」

 文紀は体に染みついた習慣から、姫子を引きはがすことが出来ず、響歌は自分の声が無視されたことで意気消沈していた。

 そんな中、姫子の首根っこをつかみ、まるで猫を持ち上げるかのようにして、礼香は姫子を立たせる。

「あんま、そうやって真木に甘えるんじゃないの、姫子。困ってんの、わかってやってんでしょ?」

「ぶー、礼香ちゃーん」

 冷静に諭す礼香に、うめきを漏らす姫子。

 そんな姫子に、礼香はびしっと指を突きつける。

「ほおを膨らませない。ねだらない。歳を考えな、歳を」

 そう言って立ち上がらせた後、姫子の制服についたシワを軽く叩いて伸ばす礼香。

「ありがとっ」

 そのことに礼を言いながら、姫子は頭を下げる。

「で、あんた、真木になにか用があったのかい?」

 姉御肌の礼香と甘えたがりの姫子。

 彼女たちはクラスメイトだ。

 回帰倶楽部という頭の痛い名前で呼ばれている文紀たちのグループを心配してか、姫子は同じクラスで回帰倶楽部のメンバーでもある礼香と接触し、それなりに意気投合したらしい。

 その結果、彼女たちはお互いに名前を呼び合う程度には友好関係を結んだ。

 とはいえ、生徒会で忙しく、ほかの友達も多い姫子に気を遣ってか、礼香は普段はあまり姫子と接触しないように心がけているらしい。

「うん! 先生が呼び出していたのに、文紀ちゃんがいつまで待っても来ないから、もしかしたらもう帰っているのかなと思って……」

 学校に生徒がまだいるかいないかを簡単に調べる方法として、思い付くのはやはりげた箱を確認することだろう。

 上履きがないか、下履きがないか。それを調べるだけで、簡単にその生徒がいるかいないかを調べることが出来るのだから。

「文紀ちゃーん。呼び出し、ちゃんと来てくれないと困るんですよー?」

 語尾を伸ばすな、と礼香のように口を出したい所だが、それを文紀がやると姫子は泣き出すだろう。

「はぁ…………わかったわかった。話なら今聞くよ。どうせ、いつもの説教なんだろ?」

 文紀の言葉に、姫子は文紀へと見せつけるように大きくほおを膨らませる。

「文紀ちゃん。私は前にも話を聞いているから、事情はわかっていますし、先生たちに擁護もします。けど……」

 そう言って、響歌の方を見やる姫子。

 その視線を受けて、響歌が小さく頭を下げる。

「むー……」

 ほおを膨らませたまま、姫子は腕を組む。

「でも、こうも頻度が多いと……」

「……もしかして、先生になにか言われたのか?」

 ふと思い付いて、文紀は姫子の言葉を遮るように口を出す。

「……………………ええ」

 蚊の鳴くような声で、文紀の言葉にうなずく姫子。

 恐らく度重なる暴力問題に気を悪くした教師陣が、半ば文紀の動きを食い止めるために姫子へと声をかけたのだろう。

 そして、その行為はある意味で有効だった。

 次は両親にまで話が伝わるかもしれない。

 そのことを思うと、文紀は気が重くなる。

「姉さん……面倒をかけたな」

「ぜんぜん! 私は文紀ちゃんのこと、応援するよ。でも、あんまり怖いことしちゃ、駄目だよ……文紀ちゃんだって、怪我がしたいわけじゃないでしょう?」

 そう言って、謝る文紀に申し訳なさそうに顔を背けて姫子は答えた。

 自然と各自が持つ問題から、教師陣ににらまれることが多い回帰倶楽部の面々。

 彼ら、彼女らが黙り込んでいるのを感じて、文紀はあえて明るい声を出した。

「さ、難しい話は終わりだ。さっさと行こうぜ。明日の問題は明日、片づければいい。今日は今日、しっかりと楽しもうや」

 どれだけ教師陣に厄介者扱いされても、それは学校でのことだ。

 放課後、学校の外で思い悩ませられるようなことではない。

 だから、気分を変えて遊ぼうと文紀は提案した。

 その言葉を聞いて、少しだけ明るい顔を浮かべる回帰倶楽部の面々。

 その面々の顔を見つつ、文紀は姫子に目を向けた。

「ちょ……ちょっと……」

「姉さんは悪いけど、俺はもうすでに帰ったって教師陣に伝えておいてくれよ」

 姫子と別れ、文紀たちは歩き出す。

 その足取りは自然といつも集まる場所、音貴の家へと向かっていた。

 しかし、その先で少年たちはまたも嫌な事実に出くわすことになる。

「あ……」

 音貴の口から、小さく声が漏れ出す。

 音貴が驚いたものを見て、文紀は頭を抱えたくなった。

 この時間ならいつもいないはずの音貴の父親。それに母親。

 恐らく、どちらかが帰っているのだろう。

 いつもは閉まっているガレージの扉が開いて、そこに一台の車が止まっていた。

 音貴の両親がいる場合、回帰倶楽部の面々は音貴の家に入ることが出来ない。

 音貴と回帰倶楽部との付き合いは、音貴の両親にとって頭の痛い問題であるらしい。

 だから、確実に両親がいるときに音貴の家にお邪魔すれば、家族会議が発生し、音貴は言い訳に四苦八苦することになるらしい。

「せんぱい……」

 ただ一言、声をかけ、そのまま頭を下げようとする音貴。

 その顔に悲痛な色が浮かんでいるのを見て取って、文紀は音貴の肩をつかんだ。

「ごめん……って、言葉だけは勘弁してくれよ?」

 音貴は涙目になりながらうなずき、そのまま走って家に戻る。

 そんな出来事があって、遊ぶ雰囲気でもなくなった文紀たち回帰倶楽部一同は、そのまま解散した。

 一人、家路へと道を進む文紀は口元を緩ませて、言葉を発する。

「回帰倶楽部……か」

 今まではなんとも思ってなかった、自分たちに向けられた不名誉なあだ名。

 その名前をつぶやき、文紀は拳を握りしめた。

 小さく、けれど固く握りしめられた拳。

 そこに秘めた決意をぐっと胸の中に押し込むように、文紀は拳を胸に押しつけた。


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