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憧れのキャンパスライフ.

作者: 希罪

春。淡い桜色に染められた花びらが舞い散り、新しい年度の訪れを知らせている。空も青く澄み渡り、誰かが仰ぎ見るのを今か今かと待ち侘びているようだ。その空を軽やかに飛ぶ鳥たちの鳴き声は生き生きとしたものだ。

私はもう五十を過ぎている。もうすっかり肌にハリはないし、それどころか皺がびっしり畳まれている。認めたくない認めたくないと思いつつ、私はもう立派におばあさんへの道を歩んできているようだ。私は半世紀、様々なことが起こりゆる中で、自分なりに強く生きてきた。今の様に携帯電話なんてなくて、人との繋がる手段が難しい時代から。或いはその以前から、私は私として生まれ今日まで生きてきた。

結婚して、子供を育てて、家事を熟して。そんな極一般的な専業主婦として二十年間過ごしてきた私とって、子供が巣立ったとき、何もかも目的を失った。只々、夜遅く帰ってくる主人のために家を整えておくだけの生活だった。

春には出会いがあり、夏には恋があり、秋にはイベントがあり、冬には別れが近づく。学生の頃はそんな風に春夏秋冬、全ての季節に胸を高ぶらせる何かがあった。それももう、前世に近い、遠い昔の記憶となってしまった。だから私は無理だと分かっていながらも、もう一度あの頃に戻りたいと思っていた。


転機は突然訪れた。

それは主人が定年を迎え、年金暮らしに変わりかけたとき。何時ものように皿洗いをしていると、主人がこんなことを言い出したのだ。

「どうだ、久々に仕事に出たら」

驚いて振り返ると、主人は何ら変わらない平常心で新聞を広げて、お茶を飲んでいた。目線も新聞の方へ向けられている。

「どうしたんですか、急に」

私がそう問うと、主人は新聞を閉じ私の方を見た。

「お前最近つまらなさそうな顔ばかりしているからな。外の空気でも吸ってみたらどうだ」

「でも……、家事の方は」

「そんなこと、私が何とかするよ。仕事辞めてからなんだか体が鈍ったような気がするしな」

主人は微笑んだ。私は少し、若返った気がした。


私は兼ねて仕事に戻った。結婚が早かった私は約二十五年振りに、社会へ行くことになる。なんだか新社会人のようで心が高揚した。

といっても、このご時世。お金の殆どが数字上で動くデジタルな世界だ。パソコンワークの一つ、外国語の一つもできなければ就職は困難な筈だ。しかし私には思い当たる職場がたった一つだけあった。何十年間、主婦として生きてきた私の力が存分に発揮できるところ。パソコンばかりに向かって仕事している人には、決してできないであろうことがーー。

そして私はパートとして仕事を得ることができた。今日から私は、只々の専業主婦ではなくなる。とある私立高校の清掃員。所謂‘‘掃除のおばちゃん”になったのである。

掃除のおばちゃんの仕事は本当に楽しい。設備の整った校舎は、私の行きたかったけれど経済的に断念した大学にそっくりだった。ここの生徒さんは本当にいい子ばかりで、私とすれ違う度に「こんにちは!」と心地よい挨拶をしてくれる。紺色にチェック罹った制服は、私が憧れていた高校の制服にそっくりだった。その上、幼い頃の将来の夢であった学校の先生の気分になれてとても嬉しかった。昼休みには同年代の仲間との会話が弾んだ。みんな見た目は輝きを失ったおばあさんばかりだけれども、その笑顔は女学生そのものだった。しはしば揉め事もあったが、それもまた女子らしくて懐かしかった。

此処は、私の憧れていた青春そのものだった。



あれから三年間が経って、再び春な来た。淡い桜色に染められた花びらが舞い散り、新しい年度の訪れを知らせている。空も青く澄み渡り、誰かが仰ぎ見るのを今か今かと待ち侘びているようだ。その空を軽やかに飛ぶ鳥たちの鳴き声は生き生きとしたものだ。清々しい風は竹箒は揺らす。

私は春が大好きだ。四季の始まりを告げるこの時期が。

もう退屈なんかではない。生徒たちの新学期に対する輝いた笑顔を見れば、私まで心が踊る。

そして何よりも私が好きなのは、真新しい制服にぎこちなさを感じさせる新入生の、不安と希望をかの備えたなんともいえない表情。そしてーー

「おはようございます!」

新入生とこの挨拶を交わすことで、 「ああ、また一年が始まる」と実感するのだ。

桜色の日々が明日も、待っている。


end.



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