第十章 大好きだよ(第三部)
長い長い夢を。
見ていたのかな、あたし。
約束を守らなかったのは、もしかして自分かもしれない。
寝過ごしたのかな、あの朝。
いや……今?
違う、と、青空を背に自分をのぞき込んだ彼女は、かすかに笑って言った。
言われてみればここは山の頂上だし、目の前の少女はどう見ても十代後半だ。
ただこの世界が、彼女のいる世界があんまり綺麗なものだから、もう少しこのままでいたかった。
「ごめんね、クィーゼル」
「ああ? 絶対許さない」
身を起こして、クィーゼルは不機嫌に言った。
「何が、と訊かないあたりがクィーゼルらしいね」
「許さないに決まってるだろ。ニリと二人でコソコソしやがって。いーよ、どーせあたしは仲間外れだよ」
「何だ、その事」
「何だじゃないよ! あたしはそういうのが一番嫌いなんだ。反省してんのかよ、お前は」
「してるよ。でもクィーゼルが居たら止めてたでしょ?」
「ったり前だ」
「だから。クィーゼルにだって譲れないものはあるでしょ?」
「……知るかよ」
そっぽを向いたクィーゼルの背中に、少女は問いかけた。
「ニリの事……怒ってる?」
「別に……もうどうでもいいよ。今はそれより、あたしってそんなに頼りなかったのかって、自分に腹が立ってる」
「何が頼りなかったって思うの?」
クィーゼルはうつむいたまま、言葉を探すようにしばらく黙っていた。
「ニリ、はさ……お前が死んでから十年近く、お前との事を誰にも言わなかったんだよな。奥方や旦那は知ってるだろうけど、誰にも話さず、相談もしないで……それってさ、ニリにとっては多分、誰かに話してそれを知られる事より辛い事なんだよ。そう考えると、あたしってニリの一番近くにいたつもりだったのに、全然信頼されてなかったんだなぁ……ってさ」
「そんな事ないよ。ニリはクィーゼルにすごく助けられてる」
クィーゼルの横に座って、少女は言った。
「ニリに“クィーゼルに話しちゃダメ”って言ったの、僕だし」
「え……」
「それがニリの為だと思ったんだ。責任感からクィーゼルに話さないように。でも違ったみたいだ。僕の言葉は、確かにニリを苦しめただけだった」
「ちょ、ちょっと待て。じゃああたしは、こんなに悩まなくていいんじゃないか?」
「だね」
「“だね”じゃねぇぇぇぇっ!!」
山びこで、クィーゼルの声が何度か返ってくる。だぁもう何やってんだあたし、とかわめいているクィーゼルの傍らで、少女はこらえきれずに吹き出した。
「昼はニリを殴るし、ここに来てから元気ないみたいだったから気になってたけど、もう大丈夫そうだ」
「言っとくが、ニリには謝んないからな」
「意地っぱり。手当てくらいしてあげなよ?」
「さぁね。気が向いたらしてやるよ」
「クィーゼルがそう言う時は、大抵してくれるんだよね」
「なっ…勝手な事言うな! あたしは…」
「はいはい、分かってるよ。さ、立ってクィーゼル。朝が近い。もっと話したいけど、そろそろ帰らなきゃ」
上には青空が広がっている。
「朝って……ああ、ここは夢だったな……」
「よし、オパールまでダッシュで行こー!!」
「走って帰るのか!? って言うかそれで帰れるのか!?」
「冗談だよ。坂道に入れば目が覚める」
パンパン、とスカートについた土を払って、クィーゼルは立ち上がる。
「なぁ、エルレア」
「ん?」
「また会えるか?」
少女は一瞬だけ目を見開いたが、
「さぁ、どうだろ?」と言った。
「実は僕にも、何で今になってクィーゼルに会う事ができたのか分からないんだ。多分、僕に凄く気がかりな事があったからだと思うけど」
「気がかりな事って?」
キョトンとしたクィーゼルに、少女は意地悪そうに笑んで答えた。
「君」
クィーゼルはヘッと言うと、不敵な笑みを浮かべた。
「心配しなくても、あたしはちゃんと生きてくよ。今までしてきたように」
じゃあな、とクィーゼルは背中で親友に別れを告げた。
そういう別れ方が自分と彼女にはふさわしいと思った。
これからは、自分の後姿を見ていてほしい。
どれほど弱気になっても、無様に泣き顔をさらしても、凛と背筋だけは伸ばして、生き抜いていくから。