第七章 懺悔の花びら(第二部)
「……な、んだって……」
クィーゼルは、ニリウスを大きく見開いた黒い瞳で見つめる。
「今、何て言ったんだよ……?」
「俺が殺したんだ、この手で!!」
いつものニリウスからは想像もできない吐き捨てるような口調で、悲痛な声で。
「嘘だ」
「嘘じゃねぇ」
三人は自分の耳を疑った。
誰もが信じられない事だった。
ニリウス・ジャグラムが、“エルレア・ド・グリーシュ”を殺したなど。
「どうして……そんな事を」
スウィングが立ち上がって呟くように言った。
その瞳には、困惑の色。
ニリウスは視線を落として答える。
「あいつが、殺してくれって……言ったんだよ」
一つの影がスウィングの横を風を起こしてすり抜けた、その直後。
心臓に響くような鈍い低い音がした。
拳を作ったクィーゼルの腕は激しく震え、それを受けたニリウスの口の端からは血が出ていた。
それでも何とか立っているニリウスの胸元を、更にクィーゼルは掴む。
「だから殺したってのかよ? だから……っ」
「それがあいつの望みだったんだ」
ニリウスを睨んで、クィーゼルは言葉を噛み締めるように口にした。
ニリウスはただ痛みをこらえるような顔をする。こちらが何も言えなくなるようなその顔がクィーゼルの癪に触った。
「………の、クズがぁぁぁぁあ!!」
☆☆☆
(俺に、裁きを)
山の木々がざわざわと鳴る程の強い空気の流れが、二人を包む。
二度目の拳を覚悟して目を閉じたニリウスの頬に、冷たく柔らかい何かがそっと触れる。
驚いて、ゆっくりと目を開ける。
ひらひらと堕ちていく黄色い花びら。
寸止めされた拳。
歯を食いしばったままのクィーゼルの顔。
「……何で……」
クィーゼルは力無く地面に膝を着くと、地面に向かって拳を叩きつけた。
「“クズなんかじゃない”って、何で、こんな奴のこと庇うんだよ」
ボロボロとクィーゼルの瞳から涙が溢れる。
「何でだよ!! こんな、最低な人間を……!」
いつかの“エルレア”の言葉が、時を越えて再びクィーゼルを制している。
ニリウスは気付いた。
「最初から、話すよ……」
痛みを堪えるような顔をした後、ニリウスはゆっくりと話しだした。
☆☆☆
「用って何だ?」
エルレアが昼までで帰ってしまったその日の夕方、エルレアから突然クィーゼルに内緒で呼び出され、ニリウスは本邸にある彼女の部屋に向かった。
天蓋付きの大きなベッドと、金の縁取りがなされた優雅な鏡台。
扉の向かい側にあるバルコニーに続く大きな窓から見えるのは、幻想的とも言える空の芸術。
薄紫から金への雲の色の変化、落ちる太陽。
「うん。ニリってさ、いっつも勝負でクィーゼルに負けてばかりでしょ? だから、今日は特別に僕の剣を教えてあげようかなって思って。はい」
はい、と手渡された剣は、ずしりと重かった。
「これって、本物の剣じゃねぇか?」
鈍い光を放つ刀身。
試しに刃に指を当ててなぞってみると、鋭い痛みと共に血が滲んで来たのでニリウスは慌てた。
しかしそれを渡した当の本人は、飄々と、
「そうだよ」
と答えた。
「そうだよって……危ねえよ、こんなの使うと」
「いいんだ。今日が最後だから。クィーゼルには言っちゃダメだよ」
少女の言葉に引っかかりを覚える。
「最後?」
「君にしか頼めないんだ。僕を……殺してくれる?」
「え……?」
「そうしなきゃ、僕はセレンを殺さなきゃいけなくなる……」
そう言って、哀しげに微笑った。
ただ、ただ。
悪い冗談だと思った。