第六章 全ての答え(第三部)
花びらの向こうに、白い十字架が一本立っていた。
オパール邸は勿論、遠くにグリーシュの本邸や、さらには遠く離れた皇宮まで望める場所に。
まるで、彼らの訪れを待っていたかのように。
「ニリがオパールで働き出したのは、そのすぐ後。もともとグリーシュの墓地ってのは、第二別邸のアメジストにあるんだけど、旦那と奥方に頼み込んで、ここに作ってもらったんだ。この花、あいつ好きだったからさ」
スウィングは何かにとりつかれたような足取りで十字架に走り寄った。
十字架の下の石に刻まれた故人の名前と歳。
「【エルレア・ド・グリーシュ 十歳 ここに眠る】……」
これだけ確かな証拠を見せられても、スウィングには信じる事ができなかった。
「見えるかい? あいつの居る場所が」
ここは、空に一番近い場所。
けれどどれだけ近くても、空に触れる事はできない。
「“エルレア”……っ」
もう一度剣を交えてみたいと、そう思っていた少女はもういない。
いつしか少女はスウィングの中で、剣を交えてみたいと願う以上の存在になっていた。
従妹のシャルローナとの婚約の話を父王に話された時。
脳裏をかすめたのは、遠い日の笑顔。
誰と剣を合わせても、誰と話をしていても、彼女ほど自分を強く惹きつける人間はいなかった。
彼女はずっとここで眠っていた。
そしてもう二度と、その眠りが覚める事はない。
「“エルレア”……!」
涙より先に空虚感に襲われて、スウィングは地面に膝をついた。
☆☆☆
「“エルレア”が死んだその年の冬、お嬢が来た。奥方があいつの代わりを探したんだ。旦那は娘のかわりに養女をもらうなんて、って反対してたけど、奥方はあいつが死んでからずっと塞ぎこんでたし、何よりグリーシュ家には“エルレア・ド・グリーシュ”という名前の娘が必要だった」
黒髪の少女のスカートがはためいた。
「“エルレア”と第二皇子の婚約話がまとまってたからだ」
『許してなんて言わないわ、貴方を巻き込んでしまったこと……けれど、それは私自身の勝手な望みでもあった……』
そう言ったハーモニアを、金色の髪の少女は思い出した。
「僕と“エルレア”が……? そんな事、聞いた覚えもないよ」
信じられない、というような表情のスウィングに、クィーゼルは真面目な表情で告げる。
「嘘じゃないよ。皇帝さんが本邸に来たとき接待に当たったの、うちの母親でね。何でも、皇帝さんがどうしてもって、ほとんど一方的に決められたらしいんだけど。で、何故か……養女を貰ってまで、グリーシュはその婚約を維持しなきゃいけなかったんだ」
金髪の少女は、何かにひっかかったような表情を浮かべた。
「しかし、私が平民の娘だという事は……」
「知らないよ。誰も。……初耳だろ? 皇子」
スウィングは少し驚いた様子で頷く。
「完璧にお嬢を、実子の“エルレア・ド・グリーシュ”に見せかけようとしたんだ。旦那はやっぱり、お嬢をあいつだと思い込む事に抵抗があったみたいだけどな。『自分の娘は一人しかいない』って」
『宴では決して、自分が養女だなんて言ってはだめよ』
それは、宴に呼ばれた自分に対してかけられた養母ハーモニアの言葉。
「何にしても解せないのは、皇帝さんは何でグリーシュと縁を結びたがったのかと、身代わりを立ててまで世間を欺き続けるグリーシュの理由。ただ皇族に近づきたいだけじゃないんだ。それならなんで最初に皇帝さんから婚約の申し込みがあった時に喜んで受けなかったのかが分からない。確かなのは、“エルレア・ド・グリーシュ”はもうこの世にいないって事と、そうやってグリーシュが苦労して継続している第二皇子との婚約も、今回の失踪事件で第一皇子が見つかんなかったら白紙に戻るって事。あたしが知ってるのは、これだけだ」
クィーゼルは髪を梳くように、こめかみに手を当てる。
ニリウスは何も言わなかった。
知っていたのだな、と金髪の少女は思う。
“エルレア・ド・グリーシュ”———山頂の白い十字架。
それが全ての答えだった。