17 必要とする者
ゆっくりとお茶を飲んでいる。
広い南向きの庭―――庭園と呼んでも遜色ないそこで楽しそうに戯れる少女と犬。
「アレって他の人に目撃されたら、月乃が痛い人にしか見えないんじゃ…」
幽霊のジョンソンと戯れるなんて、一般人から見たら一人で遊んでいるようにしか見えないんだから。壁塀や生垣で覆われているでもなく、格子状だ。隙間から丸見えである。
「2人とも今は見えてないから大丈夫よ」
にこやかに告げた玲子さんがコクリとお茶を飲み干した。
そもそも報告して帰る予定だったのに、何故くつろいでいたり、遊んでいたりするのかというと。
「………流石」
「規格外の面白い人よね。私の付けた注文をソツなくこなしてくれているもの」
ちらりと視線を敷地の角へと走らせる。オレもその視線の先を追って、
「鼻歌交じりっ!?」
思わず叫んだ。でもオレは悪くない。
何でこんな特殊な結界編みなおしてて、鼻歌交じりに作業できるんだよ!! しかも外からは中の人の動きは見えないようになっているとか、どんな機能付き!?
「この結界って対人の加工もしてあるらしいの。詳しくは知らないけれど、防犯って言ってたわ」
執事と家人だけで護衛もいないから、付けてくれたらしい。
うん、最早よくわからない世界だ。
結界とか無理やり教えられた基礎中の基礎くらいしかわかんねーんだけど、普通、そんな色んなコトができるもんなんだろうか。それともあの人が特殊だからだろーか。
流石SSクラスというべきなのか。
でもそうすると、オヤジもそれだけすごいってコトに………認めなたくはないがな!!
「―――十郎太君?」
「え、は、はい!?」
恭一さんが来てから色々あって、オレの呼び名が本条さんから十郎太さんに変わった。けれど時々兄貴が来てるのが判明して“さん”から“君”に落ち着いた。
「それで恭一さんには何を教わる予定なの? お弟子さんなんでしょう?」
「………そのあたりも、これからな感じです。多分、全般………………た、たたきこまれそうな気が」
くるりと振り返った恭一さんが、ものっすごくいい笑顔で手を振ってきた。アレは多分、ここでの会話が聞こえているとみるべきだろう。
その様子に、視界の隅で月乃があきれたように頭を振っているのも見えた。
「そう。でもよかったわ。月乃ちゃん楽しそうだもの」
「そりゃぁ楽しいでしょう」
オモチャが出来て。
「十郎太君に会ったの、いつ頃かしら? 私の予想では9月下旬から10月上旬だと思うのだけれど」
「………月乃が何か言ってました?」
「月乃ちゃんは、お父さんのお弟子さんにお世話になってる人のお孫さんがなることになった、という事しか聞いてないわ。あってるのね?」
「えぇ、まぁ。初対面は」
思えばアレが人生の分かれ目だったのだ。親父がオレを行かせた理由も、形はどうあれ月乃に合わせるのが目的だったんだろうと今ならわかる。
この、外見が。
意味合いは違えど、似て非なる色を持つ月乃と。
月乃はこの世界にただ一人残された“霊喰い”で、同じ特徴の外見の同種はいない。同種がいないって事はそれだけで、その存在自体が異端だということ。
オレも人狼としては異端だ。例外なく銀髪である人狼は多種族の血が混じった場合、人狼なら銀髪に、多種族の血に習うならその髪色になる。だがオレは、白髪なのに人狼だ。
なりそこない。
それがオレに向けられる最たる嘲笑の言葉。
銀髪と白髪って似てるよーで似てねーんだよなぁ、などと思いながら頭をかく。
「やっぱり。月乃ちゃんね、その頃から変わったのよ。前より明るくなったし、笑うようになったわ」
「よく笑ってましたが…」
主にバカにする、という意味で。
「少し微笑むとかはあったけれど、年相応の笑顔なんてなかったのよ。達観してたもの。諦めてたのかもしれないけれど」
「諦める?」
あいつが? 何をどうしてでも、どんな手段を講じてでも生きようとしていた月乃が?
「そうよ。他者に何かを求めること、何かをして欲しいと思うこと。そういうの、なかったのよね。自分は色々してあげるくせに。月乃ちゃんにとって、周りにいたたくさんの人達、きっと大切に思う人は少なくなくいる筈なの。意外とお人よしだし」
え゛!?
思わず引き攣った顔で玲子さんを見たオレは悪くない。
「けれど、違うから。大切には思っても、自分が大切に思われているとわかっていても、心のどこかで、一線を引いてたんだと思う」
初対面の時から土足でヅカヅカ入り込んできてましたが。
「会ったばかりの頃にね、同じ人なんていない、仲間なんていないって。月乃ちゃんそう言ってたのよ」
「それは…。まぁ、事実、ですよね?」
「6歳の女の子の科白じゃないわ」
ろくっ…!? そんな小さい頃から?
「本当に最初の頃だけで、その後は言わなくなってたけれど。心の中では変わってなかったと思うわ。けれど、アナタにあった。同じじゃなくても、同じ人」
っ?!
まっすぐに自分を見据える玲子さんに、ヘンな汗が流れ出す。このパターンは、もしや、まさか。
「み、見えてます?」
「ええ。少し瞳の色は違うけれど、同じよね」
「割と強力な封印してるんですが…」
「この体質になってから、色々と」
にっこりと笑う玲子さんに、初めて恐怖を覚える。ほわほわしてるけど、この人は間違いなく月乃の友人だ。
「だから月乃ちゃんが変わったの、アナタに会ったからだと思ったの。アナタにとっては、どうだった? 初めて月乃ちゃんを見たとき」
「見たときって…」
その色は“霊喰い”の色だと知っていた。
人族の中に残る“呪い”だと揶揄するヤツもいることも。出会い、命を狙われたら生きては戻れないと、かつて恐れられた最強にして最弱の者達。
それでも。
綺麗だと思った。かつて、出会ったら死を覚悟する者がいたという話が納得できた。あの存在は見事なまでに美しい死神だ。
死にたくはなかったが、オレを見た時の驚いた顔と、その後のうれ…―――
「いやいや待て待て。落ち着けオレ。何を言ってる」
「え? なぁに?」
「………何でもないです。全くなんでも!!」
幻だ。今まで全然記憶になかったし! 気のせい!!
「何かあったとしか思えないのだけれど?」
「ないです!!」
全力で否定するオレに何やら微笑ましい眼差しが返った。
え、何それ? わかってます的な。何が? 何がわかった!? もしや心の内まで視えてる!?
「とにかく幸いだったのよ。必要とする者に、出会えた事が」
お互いに、と小さく呟いた玲子さんの言葉を、人のそれよりよーく聞こえるオレの耳はしっかりと拾ってしまったワケで。その意味を反芻し、思わず頭を抱えた。
この人、絶対、元一般人じゃない。
「気付いてなかったのね」
聞こえていた事が当たり前としての科白。というか聞かせるつもりだったんだな、最初から。
勝てない大人がどんどん増える。
今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいになるが、それはそれで怖いのでここを離れられない。
「十郎太君。耳まで真っ赤よ」
「……っ! そ、そういうことは、思ってても言わないでください」
「そういう反応されると月乃ちゃんが好きなのかと勘違いしちゃうわ。してもいい?」
「そ、それはっ、カンベン! オレまだ死にたくない…」
頭を隠していたのも忘れて庭の隅へ視線を走らせると、ビーム光線でも出てきそうな眼でこっちを睨んでいる恭一さんがいた。
殺気がビンビンきてます。
怖いけれど、おかげで一気に頭が冷えました。だからそろそろ、その眼をやめてください。殺気も。
泣きそうです。
「恭一さんって本当、月乃ちゃんがカラむと、他のコより過剰反応なのよね。今はいいけれど、そのうち嫌われるんじゃないかと心配だわ」
溜息交じりの科白に玲子さんの命の危機を感じたのだが、全身を包んでいた殺気がなくなり、おもむろにしゃがんだ恭一さんは、そのまま地面に“の”の字書き出した。
………え、SSクラスの、イメージが…。おかしいのは絶対親父だけだと思ってたのに。アレか。強くなればなっただけ、それだけ性格破綻してくのか?
修行するのがちょっとだけ嫌になった瞬間だった。
「そういう事だから、十郎太君。がんばって強くなってね」
「え、それどういうことですか?」
「簡単に死なれたら、月乃ちゃんがまた独りぼっちになってしまうでしょう」
ゆるゆると優しい声で告げられた科白の、本当の意味、その重さに、返事もできずに黙り込んだ。