16 恋は盲目
「何だアレ」
部屋に入って開口一番のオレの科白だが、多分間違ってない。
小さなテーブルと2脚のイス、そこを囲むように電気が円状に走っていて、浮幽霊をガンガン弾いている。その中で、儚げな雰囲気の女性が優雅にお茶を飲んでいた。
周りを気にしている様子は皆無だ。
…何、このカオス。
「月乃様」
横から聞こえた安堵の声に視線を巡らすと、ドアの横に控えるように佇む、カッチリとした黒スーツに身を包んだ初老の紳士が柔和に微笑んでいた。
「気にしてないのね」
「はい…。慣れとは恐ろしいものです。そちらの方が?」
「そうなの。後で紹介することにはなっていたと思うけれど、このタイミングとは思わなかったわ」
「…何事も万事上手くはいかないものですな」
「本当ね」
「そちらで2人で内緒話はズルいわよ」
球体の中からほんわかと声がかかる。気にしてないにもほどがあるだろ…。
「ジョンソンがいけないから、椅子には座らないよ」
「そう…。なら仕方ないわね。もう一人は誰かしら、月乃ちゃんの彼氏?」
「お父さんの弟子かな?」
「そうなの? 残念。初めまして、井上玲子と言います。宜しくお願いしますね」
ころころと笑う。
「……あ、本条十郎太です。宜しくお願いします」
つられてぺこりと頭を下げ、あげたら白けた顔の月乃と目が合った。
いやいや、名乗られたら名乗るが礼儀だろーよ! オレ何か間違ったことしてるか!?
「………玲子さん、後ろの人は誰?」
「木下さんとおっしゃるそうよ」
「うん。誰?」
「学生さん、みたいね…?」
ことり、と首を傾げる。………見た目はしっかりした妙齢の女性のはずなのに、何故だろう。月乃の方が年上のような気になってくる。
ピリっと、空気が変わったのがわかった。
月乃が何かしようとしてる、と思った瞬間、ぱんっと破裂音が響き渡る。
「んなっ…!?」
ヘンに渦巻いていた円状のナニカが四散して、「あら」なんて呟いてる女性――玲子さんと、呆然とした顔の青年が見える。
「不法侵入、不法滞在」
悠然と月乃が歩み寄る。ヘンなプレッシャーをかけているのがその背からでもわかった。幼い外見からは有り得ないレベルの威圧感、流石は悪魔。
向けられている青年は顔が真っ青だ。無理もないが。
しかしそれを一番前で目にしているはずなのに、玲子さんには気にしたそぶりがゼロなのは、天然なのか大物なのか。………多分、ものっすごく気にしてないんだろうが。
「器物損壊、脅迫、強要」
見た目に反した威圧感とプレッシャーで、青年が今にも消え去りそうな勢いでガクブルしているのがここからでもわかった。いっそ逃走すればいいのに、それをしないでとどまっているのは何でなのか。
「監禁」
玲子さんの横にならんで、青年を睨み上げる悪魔。きっと下からなのに、激しく上から目線に違いない。アレは。
「オ、オレは…、ただ」
「今すぐ消えるのと、永遠に消滅するのと、どっちがいい?」
さきほどまでとは打って変わった穏やかな声だった。内容が物騒だが…。
「嫌だ、オレ、守りた…か、ったんだ」
「死んでまでストーカーか。変態、残す価値なし、永遠に消滅すればいい。そもそも私の可愛いジョンソンに何してくれてるのかしらね」
それが本音かコラ!! 最後のは完全に私情だろうがっ!
「待って、月乃ちゃん。木下さんも悪気はないのよ、ただ、ちょっと上手くできないみたいで」
「順応しすぎです、玲子さん」
「追い払ってくれるから、静かにお茶が飲めるのよ。それに、ジョンソンがちょっと休憩できるわ。いつも大変そうだから、たまにはゆっくり…前みたいに、ここで伏せてごろごろしたりできるかなって」
「……近づけられないから、駄目じゃないですか」
「そうね。そこが問題なの。慣れてないから上手くできないらしくて」
ふぅ、と肩で息を付くと、カップを片手にお茶を飲み干す。
………大物だ。きっと心臓は鋼鉄、いや、オリハルコンで出来ているに違いない。
「ねぇ、月乃ちゃん」
「何ですか?」
ちらりと月乃は横目で青年――木下を睨む。
「彼も上手にできるようにできないかしら?」
………は?
場が静まった。
あ。執事っぽい人が頭をかかえた。
敵意むき出しにしてたジョンソンすら、主(?)の発言にぽかんとした顔をしている。犬(?)なのに。
「玲子さん。それって、まさか…」
「駄目かしら?」
「うぅん、余り進めたくないというか。人って雑念が多いから、普通の人がいきなり…ってちょっと後で問題になりそうな気が。本人の実力で長年構築されたものがってのとは違うことになるから…」
「でも、自分が死んだって自覚があって、死んだばかりなのにこの状態ってすごいわよねぇ」
暢気に告げた玲子に、再び場が沈黙する。
月乃が額をもみ出した。気持ちはわかるが、………中学生のする行動じゃないぞ、それ。
「ねぇ、木下さん?」
「は、はいっ!」
「あなたからも月乃ちゃんにお願いしてみて」
「え、は…え、えぇ!?」
命乞いをほのぼのと勧められる心境ってどんなだろうか、と軽く同情してみる。
「玲子さん、ちょっと、借りてもいい?」
「ええ、勿論よ」
にっこりと、穏やかに微笑む。すでに精神が壊れてこの状態なんだろうーかと思わないでもないが、しっかり受け答えしてるし、そんな状態のまま保護化に置くわけないだろうし、何なんだろうか、このヒト…。てか、変わったヒトが多い土地柄なんだろーか。
ゆっくりと立ち上がった玲子にびっくりする木下。
「大丈夫、月乃ちゃんにまかせて」
「で、でも、危険が…」
「ジョンソンがいるから平気。というか私がいるのに手なんか出させないわよ、誰にも」
「そうなの、月乃ちゃんってとっても強いのよ。木下さんも、上手になれるといいわね」
擦り寄ってきたジョンソンの頭を一撫ですると伴ってこちらへ向かってくる。
「本条さん、また後ほど。お仕事が終わったら、皆でゆっくりお茶でもしましょうね」
ぺこりと一礼。
執事さんが開いた扉から退出していった。………そういや、あの人は何ていう名前なんだろーか。自己紹介の間もなかった。玲子さんは無理やり突っ込んだ感があったが。
「玲子さんは、とても危険にさらされてる。あんな状態で放っておくなんてどうかしてる」
「あなたに言われるまでもない、それはわかってる。でも玲子さんの希望でこうなっているのだから、どうしようもない」
「希望って、だからってこんな状態で!」
「そもそも、あなた誰?」
月乃の声音が半音下がった。
「玲子さんが外出してどこかで変に目を付けられたとしても、念が付くからすぐにわかるのよ。それなのに、あなたの気配なんて微塵もなかった。どこから沸いて出てきたの?」
射殺すような気配が背中越しに伝わった。OK、その状態と向き合ってて口が聞けたらオレはお前を尊敬する。
ゆっくりとその背に近づく。迂闊に月乃が実力行使に出ないためだ。
勿論、月乃が本気でやったらオレにはとめられないがな!!
「そんな状態で、どうして玲子さんのところなの? 自分が死んだってわかってても普通なら体に縛られて離れられない時期の筈なのに、あなた………まだ、繋がってるのに離れてるわね」
………は?
繋がってるのに、離れてるって、まて、それって…。
「月乃! そいつって、まさか」
「そうよ。瀕死、もしくは仮死状態。蘇生の可能性あり、けれど本人が体から完全に離れてて、死んだと認識して別行動してる」
「え、オレまだ生きてんの!?」
本人が一番驚いていた。
「………どうしよう、殴りたい」
「待て。落ち着け。そんなことしたら消滅する。さっき頼まれたんだから、もう少しこらえろ」
意外と短気だ。冷静に見えて、実はそうじゃない月乃。熱血とも違うようだが。
「あんたさ、えっと、木下って言ったっけ? 何で死んだと思ったわけ?」
「あ、はい。木下陣です。実は昨日、予備校の帰り道で玲子さんをかけて」
「昨日は生きてたのか」
「はい。いえ、違います」
「はぁ? でも学校の帰りなら生きてたんだろ」
「え、そうだけど…。その、玲子さんを見かけて」
もじもじしながら、顔を真っ赤にする。霊なのに、何で顔色変わるんだ。意味わかんねぇ。
「一目惚れでした」
………。
うん、何とコメントすればいいんだこういう時は。つーかそういう話は苦手だ!!
「それで見とれていたら、トラックに跳ねられて」
!?
「電柱に激突して……こう」
恥ずかしそうにそう語った。女だったら、てへ、とかつけてたかもしれない程度に。
横に並んでいた月乃を見ると呆れ返った顔をしていて、若干頬が引き攣っていた。気持ちはわかる。
「そうしたら玲子さんの周りに気持ち悪いのがたくさん見えて、これはマズイと思って。守りたいって思ったら、何だか力が沸いてきて、バリアーが使えるようになってたから、安心して」
「………今すぐ、体に戻れ。馬鹿」
地の底から響くような声だった。
「え、でも…」
「…月乃?」
うわ、何か普段と違うスイッチ入ってる。怒りゲージが何か違っ!? 普段のが怖いけど、コレはコレで心臓に悪い。
「繋がってるから間に合う可能性がある。早く帰れ、ふざけるな。生きたいと願っていても生きられない人だってたくさんいるし、生きて欲しいと願っていても残される人がいるってこと、忘れないでくれる。一人で生まれてきて、一人で育ったわけじゃないんだから、そんな勝手許されると思わないで」
「……オレ、ただ、玲子さんを」
「あなたの死因、知ったら玲子さん哀しむでしょうね。好きな人を泣かせるような男なんだね、最低だ」
ぐっと言葉を詰まらせる。
二十歳前後の青年を恋バナ(?)で言い負かす見た目小学生。アンバランスすぎておかしいが、月乃の、怒りの気配もそんな感じで何か怖い。
顔は無表情なのに、科白は相手を馬鹿にしてるような声音なのに。
どうしてか悲鳴をあげてるように感じるのはオレの気のせいなんだろうか。
「そんなに玲子さんが好きなら、きちんと生身にしなよ。今だけそばにいられればいいとでも思ってるの? そのうち玲子さんに彼氏ができたらどうするわけ? 諦めて身を引ける?」
「それ、は…。嫌かも、でも、オレは、こんなだし」
「確かに、生身できたからといってお友達以上になれる保障はナイけど。そのまま死んだら、永遠にジョンソン以下だね」
それ私的な意見じゃね!? ってかさっきまでの雰囲気どこ行った! オレの気のせいか?
「早く帰れ。それから自分の足できちんと歩いてここへ来ればいい。門からチャイム鳴らして、客としてね」
何か説得してるつもりなんだろうけど、何だろうなー。
相手が悪いのか、月乃だからなのか、緊張感にかけるというか、何というか。
「わかった、戻る……」
ぽつりと呟いて反転して背中を向けた木下に、少しだけ安堵したように口元に笑みを浮かべた月乃をオレ見なかったことにした。
………。
……………。
…………………って、おい!!!!
「どうやって帰ればいいんだ?」
肩越しに振り返った。
月乃が小刻みに体を揺らしている。うん、怒ってるのがわかる。これは危険だ。
そっと、半歩後退した。オレは悪くない。
「糸を辿ってさっさと帰れ!」
バチッと音を立てて展開されたのは、以前、身にしみて痛い目を体感させてくれた、“壁”だ。
無事に生きて戻れるといいな、と内心手を合わせる。
でっかいハリセンのように展開されたそれに背中を強打されて、木下陣という名の珍妙な訪問者は飛んで行った。
意外と優しいところがあるんだと思ったらこの仕打ちだ。よくわからん。
他人の生死なんかどうでもいいだろうと思ってたのに、そうでもないよーだ。
それにさっきの気配、どう考えても…。
「十郎太」
「ぁい!?」
「………。玲子さんに片付いたって話をして、お茶飲んだら帰るよ」
「あ、ああ」
最初の間は何だったんだろうか。睨みかけて視線を逸らされるなんて、珍しいことこの上ない。
「なぁ、月乃」
「何?」
きびすを返した背を追いかけて、
「お前、好きな男でもいんの?」
「は? いきなり何?」
「いや、さっきの話の流れから。オレには考えも付かなかった科白だから」
「………十郎太って、本当に私より年上なの? いまどき、小学生でもあの程度の話するから」
「え、まぢで?」
「………どれだけ」
ぼそりと呟いて、思案するように科白をとめると額に手を当てる。
「何を言いかけたんだよ?」
「いい、気にしないで。玲子さんに事情説明しないといけないしね」
そそくさと先立って扉を開くとオレを待つでもなく部屋を出て行く。
いや待て。お前が道案内しねーとオレ右も左もわかんねぇからね! この家!!
「十郎太、遅い」
廊下に出て右手に曲がったところで待っていてくれたが、そんな科白を投げられた。
いや、突然小走りになったのお前だろ! 意図的に置いてっただろ!!
「………何?」
流石に不穏な空気だけは敏感に感じ取る悪魔だ。
「いや、何でもない…」
何でもないが、一つだけ気になってる事はある。
恐ろしくて聞けないが。
なぁ、月乃。何でさっき、泣きそうだったんだ? とか。
馬鹿にされて終わりそうだから聞かないがね!!
自嘲の叫びをあげた瞬間、くるりと月乃が振り返り、
「多分、2階のバルコニーにいるから、迷子にならないよう付いてきてよね」
短く告げて先導するその背に、小さく息を吐き出した。