第四章
『ロミオ、ロミオ、おお、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの。あなたが名前を捨ててくだされば、私の全てをあなたにあげるというのに』
ジュリエットはバルコニーで月に向かって狂おしい、身を焦がすような恋心を告白した。
『それならば、名前は捨てよう』
突然、庭から声がした。ジュリエットは秘めた恋を聞かれたことに恥ずかしくなり、声を荒げて誰何した。
『庭にいるのはどなた! 名乗りなさい』
『名乗ろうにも、もう名前は捨ててしまった。そう、私のことは“恋人”と呼んでください』
彼女は屋敷の中へと逃げ込もうとしたが、謎の男の声に聞き覚えがあった。足を止めて、バルコニーの下を覗き込む。そこには豪華なブロンドの太陽が落ちていた。
『その声は、わずか少ししか言葉をかわさなかったけれど、ロミオ様?』
『ああ、その名はもう捨てました。あなたのために』
ジュリエットの胸が早鐘のように高鳴る。顔が紅潮するのが自分でもわかるほど。
『ああ、なんということでしょう』
『さあ。私はロミオという名を捨てました。あなたもジュリエットという名をお捨てになってください』
ロミオはバルコニーの傍に生えている木に登り、彼女の目の前に現れた。
『それは……』
ジュリエットは戸惑った。何か訳のわからない不安が心の中に広がってきて言葉が出なかった。
『私はロミオという名を捨てて、村上信二という名を取り戻しました。あなたの真実の名を教えてください』
ロミオの台詞にジュリエットは硬直した。見ると、ブロンズの美青年は茶髪の浅黒い顔の美男子、村上信二に変わっていた。
『あ、ああ……』
ジュリエットの美しい身体が徐々に関根義孝の身体に変わっていく。姿を隠そうにも身体が動かない。
『さあ、あなたの真実の名を!』
村上信二の顔がアップに迫ってきた。
「うわぁっ!」
関根はワンルームマンションのベッドの上で叫び声とともに目を覚ました。
しばらく状況が理解できずにあたりを見渡した。ここが見慣れた自分の家で、さっきのことは夢とわかるまで数分を費やした。
時計を見ると目覚ましをセットした時間の一時間も前であった。昨日の晩は結局、終電ぎりぎりまで飲んでいたので、四時間ほどしか寝ていないことになる。眠気やだるさはないが、まだ寝ていられたと思うともったいなく感じた。
関根は少し落ち着くと、さっきまで見ていた夢を思い出した。『ロミオとジュリエット』の超がつくほど有名なバルコニーのシーンである。
「なんて夢だ……ぜんぜん、台詞が違うだろう」
夢の中のシーンは筋が違うのはもちろん、台詞が最初からかなり端折っていたことに文句を言った。関根は精神的だけでなく、肉体的にも不快を感じた。見ると寝汗をかなりかいたらしく、シャツが肌に張り付いていた。
「これじゃあ、風邪を引いてしまうな」
ワンルームマンションの狭いユニットバスだが、マリオネット調整室のシャワーよりか広い。シャワーの温度を熱めに調整して、頭からシャワーを浴びた。寝ぼけた頭と身体が目覚めてくるのが実感できた。
目覚めてくると普通は夢の内容が曖昧になるが、今日に限っては逆に明確になってきた。
ジュリエットの身体が醜く変わっていく様を思い出し、熱いシャワーを浴びていても背筋に寒いものが走った。そして、その醜く変わった身体は紛れもない今の自分の身体であった。
確かに関根の身体は鍛え上げられた筋骨隆々ではないし、スマートでもない。しかし、関根の年齢でいえば、ごく平均的な身体である。
大体、ジュリエットを基準に考えるのが間違っていた。その基準で醜くないといえるのはモデルでも至難の業である。
しかし、関根にとっては、今の身体も自分なら“ジュリエット”の身体も自分という二つの身体は比較の対象であった。
今、鏡を見れば、ますます落ち込むことになるだろうと関根は洗面所の鏡をなるべく見ないようにそちらに背を向けた。
「ちょっと重症だな」
昨日のようにマリオネットを降りてからすぐは自分の本当の身体に不快感を覚えることはあった。特に新人の時は毎回といってよいほど感じていた。だが、一晩経ってからも感じるなど、新人の時でもほとんどなかった。
「まいったな。新人のときより悪いなんて」
新人の時、そうなったのは彼女にふられた後だったり、何か大きな失敗した後だったりと、わかりやすい理由があった。しかし、今回は少し事情が違っていた。
「ロミオ様がムラシンとわかったから? だから、あんな夢を見て動揺している? ばかばかしい」
関根はシャワーを上がって、朝の身支度を始めた。
マリオネットはマリオネット。かりそめの身体。所詮は人形。ロボット。一皮向けば、炭素フレームと人工筋肉の寄せ集め。道具に過ぎない。
マリオネットと自分の身体のギャップで自己嫌悪に陥るマリオネット操者は少なくない。特に新人のころには誰もが一度は通る道ともいわれている。
重症になるとマリオネットから降りるのを嫌がり暴れるものもいる。そのために調整室の制御装置から緊急停止と強制リンク解除ができるようになっていた。
「マリオネットに乗っ取られる」
操者の間ではそう呼ばれて、軽蔑される症状であった。もっとも、誰もが「気持ちはわかるが」と心の中で付け加えているが。
関根も乗っ取られそうになったことは何度かあった。それも経験を積んで割り切れるようになってきた。今回も同じことと自分に言い聞かせた。
だが、その度にあの夢が脳裏でリピートされる。今まで以上に聞き分けのない自分に手を焼いた。
「ああ、くそっ! 余計な夢を見るからだ! ムラシンの馬鹿ヤロウッ!」
関根はテレビで見たことはあっても会ったこともないムラシンに八つ当たりした。
冷凍していたご飯を解凍し、インスタントの味噌汁を添えた質素の朝食を胃に押し込むと、家でムラムラしているよりはと、かなり早かったが劇場に向かうことにした。
最初から稽古の開始時間よりもかなり早く行くつもりでセットした目覚ましであった。その一時間前に起きてしまったのだから、劇場に着いたのは関根自身も笑いそうになるぐらい早かった。
一応、劇場のマリオネット調整室に顔を出したが、丸山が徹夜明けの疲れた顔で最後の追い込みをかけている修羅場であった。
「早く来すぎだ、芝居馬鹿! あと一時間、どこかで時間潰して来い」
温和な丸山が関根を怒鳴りつけて追い出すほどであった。関根は仕方なく、劇場を出て公園の一角にあるオープンカフェで台本のチェックでもすることにした。
カフェは劇場に近いこともあり、台本をチェックしている役者にさりげなく気を使ってくれる。一般の客とは席を離してくれたり、お冷のおかわりを黙って注いでくれたりと、落ち着いて台本をチェックできる劇場出演者お気に入りのカフェであった。
昨日の稽古で気になったポイントに付箋を貼って、台本の空白部に書き込みをしていく。既に色々と書き込んでいるので、ずいぶんと混沌とした台本になっていた。
関根は台本を一通りチェックを終えると台本から目を上げて軽く伸びをした。時計を見ると、調整室を追い出されてから三十分ぐらいしか経っていなかった。
もう既に台詞は全部はいっている。あとは細かな解釈や動きと表情の再確認ぐらいで、チェックするなら実際に演じてチェックしたいと思っていた。
「とはいえ、全体を改めて見直すのは何度でもやっておいて損は無いからな」
「何がです、関根さん?」
関根の独り言に、白地に薄いブルーと濃いブルーのチェックの生地で作ったメイド風のエプロンドレスを着たウェートレスが尋ねた。まだ若い、大学生ぐらいで、いかにも元気そうな印象のある女の子である。
関根は今回のロミオとジュリエット以外でも何度かこの劇場の舞台に立っており、そのときから利用しているために人懐っこい彼女とは少なからず面識があった。
「おはよう、佐代子ちゃん。今度の舞台の話だよ」
関根は笑顔で答えて、台本のタイトルを見せた。
「へぇ。今度はロミオとジュリエットなんだ。前は何かのミュージカルだったのに色々出演するんですね」
「そうだよ。ギャラが安いからたくさん出演ないと稼げないんだよ」
関根は貧乏暇なしと肩をすくめた。
「マリオネットの役者さんも大変なんですね。友達にも役者目指している子がいるけど、むちゃくちゃ貧乏だって言ってた」
「そうだね。僕なんかはまだ出演があるだけマシな方なんだよ。チケットが売れないと赤字で次の興行がなくなるし。というわけだから、よかったら舞台、観に来てね」
チケットの売れ行きは順調らしいが、まだ完売はしていないと関根は聞いていた。細川演出ならすぐに完売もありえるのだが、少し高めの値段設定が売れ行きに影響しているらしいと言われていた。
「残念。あたし、公演の間は友達と海外旅行に行く予定なんだ。ごめんね」
佐代子は手を合わして愛嬌たっぷりに謝った。
「それは残念。自分で言うのもなんだけど、結構、面白い舞台になると思うのに」
関根の言葉に謝っている佐代子が首を傾げ始めた。その様子に関根は怪訝な表情を浮かべた。
佐代子は関根の表情に気づいて困ったような、恥ずかしいような微妙な笑顔を浮かべた。
「あのね、関根さん。ロミオとジュリエット……あれって、『おおロミオ、どうしてあなたはロミオなの』ってやつでしょ?」
「そうだけど?」
関根は佐代子の質問の本意が見えずに少し戸惑いながら答えた。
「よく考えたら、あたし、ロミオとジュリエット以外の登場人物知らないし、犬猿の仲の家同士で恋人になって、最後はどうなるかも知らないのよ。こんなに有名な話なのに」
「ああ、なるほど」
関根は佐代子の言葉にやっと合点した。
「そうだね。『ロミオとジュリエット』は有名だけど、意外に細かい話は知られていないことでも有名だね」
「そうなんだ。よかったー。あたしがお馬鹿なのかって心配しちゃった」
佐代子は胸をなでおろして安心した。
「ねえ、関根さん。もしよかったら、『ロミオとジュリエット』のあらすじ、教えてくれないかな?」
「あ! あたしも聞きたい」
「わたしも」
ウェートレス数人が関根のところに集まってきた。カウンターにいる店長が苦笑を浮かべていたが、お客も少ないので「別にいいよ」という仕草で許可してくれた。ウェートレスだけではなく、何人か他のお客もいつの間にか席を移動して集まってきていた。
そこまで盛り上がって話さないわけにはいかないと関根は仕方なく『ロミオとジュリエット』のダイジェスト版を話し始めた。
「ロミオとジュリエットの舞台はイタリア。花の都といわれたヴェローナという大きな街なんだ。そこの領主は大公なんだけど、有力貴族のモンタギュー家とキャピュレット家。この二つの大きな貴族がいた」
「その二つの家が仲が悪かったのね?」
佐代子が相槌に少し驚きつつ、関根はうなずいた。
一人しゃべりは苦痛に思っていた関根は彼女の天然のアシストに正直、感謝した。
「二つの家はいつのころからか、ことあるごとに喧嘩をして、騒ぎを起こしていた。互いの家の使用人同士も仲が悪いほどだったんだ。それで領主の大公はずいぶんと頭を悩ましていたんだ」
「でも、領主ってことは一番偉いのにどうして言うこと聞かせられないの?」
当然ともいえる疑問が投げかけられた。『ロミオとジュリエット』の書かれた時代はかなり古いために、現代とは感覚が違うところも多いし、海外のこともあり日本人には事情もわかりにくいところもあった。
「まあ、大人の事情――というのは冗談で、二つの家とも街の有力者だからね。領主といっても簡単に言うことを聞かせることはできないんだ。へたすると内戦になるからね」
「ふーん。それで、どっちがロミオの家で、どっちがジュリエット?」
権力の構図には興味ないらしく、佐代子が先を促した。
「ロミオはモンタギュー家。彼はそこの一人息子で跡取りだ。しかも、彼はヴェローナの誰もが礼儀正しくて紳士的だと誉めるほどすばらしい青年だった。一方、ジュリエットはキャピュレット家。こちらも一人娘で、歳は十四歳の誕生日まであと二週間の美しい乙女だった」
「えー! ジュリエットってそんなに子供なの? 十四って言えば、まだ中学生じゃない」
佐代子は「ロミオってロリコン?」という言葉は何とか飲み込んだが、その表情にありありと書いていた。関根はそれがわかって苦笑した。
「その当時、十四歳といえば、少し早くはあったけど、結婚してもおかしくはない歳だったんだよ。なにしろ、この話が書かれたのは日本で言えば、戦国時代の終わり、関が原の戦いのころだからね」
「そんな昔の話なの?」
『ロミオとジュリエット』の正確な創作年はわかっていない。というのも、ちゃんと出版されたわけではなく、出演した役者たちが台詞などを思い出して本にまとめたのである。そのため、シェークスピアが書き上げたはっきりした年数がわからないのであった。
ただ、それでも成立は一五九一年から一五九七年までの間と言われているので、研究者でない一般人にしてみれば同年代の『関が原の戦いのころ』で充分であった。
「ごめん。話の腰ばっかり折っちゃって」
佐代子は申し訳なさそうに謝ったが、関根は首を振ってやさしく笑って見せた。
「いや、いいよ。それで、最初、ロミオは実はジュリエットとは別の女性に夢中だったんだよ。だけど、相手に振り回されてなかなかうまくいかないで、かなり落ち込んでいたんだ」
「なんだか、驚きの事実が次から次に出てくるわね」
ロミオがジュリエット一筋と思っている人が多いらしく、佐代子以外のギャラリーにも意外そうな顔が見えた。
「ロミオの恋の病を心配して、ロミオの親友で、大公の親戚でもあるマキューシオという青年が彼をとある舞踏会に誘うんだよ。その舞踏会で初めてロミオとジュリエットは出会ったんだよ」
「同じ街に住んでるのよね? それまで会ったことないの?」
一般市民ならいざ知らず、貴族なら舞踏会で会っていても不思議じゃないと佐代子は思ったまま疑問を口にした。
「二つの家は犬猿の仲なんだから、交流はほとんどなかった。だいたい、かわいい一人娘を敵の家の舞踏会に出す親はいないよ。ロミオも敵の家の舞踏会に乗り込んでいくほど酔狂じゃないしね」
「それじゃあ、どうして二人はその舞踏会で出会ったの? 特別な舞踏会だったの?」
「いや、ごく普通の舞踏会だったよ。ただ、マキューシオがロミオをキャピュレット家の主催する舞踏会に連れ出したからだよ」
「なんで? 敵の家なんでしょ?」
先ほどの説明と矛盾した理由に佐代子は目をしばたたかせた。
「まあ、ロミオは仮面をかぶっていたから、正体がばれずに入れたんだろうね。キャピュレット自身が仮面を被ったロミオを歓迎して迎え入れているからね」
「いい加減よね」
確かにセキュリティのうるさい現代では考えられない杜撰さである。
「実は途中で仮面の男がロミオとばれるんだ。でも、ロミオをたたき出そうと言い出したティボルトという青年をキャピュレットが押しとどめているから、案外、知っていたのかもね」
佐代子たちは自分たちが思い描く舞踏会のイメージとのギャップに不服そうな顔を見せた。しかし、実際、昔の舞踏会とはそういものだった。関根は彼女たちの不満はしょうがないと話を続けた。
「ロミオはさっきも言ったように紳士的な素晴らしい青年だったからね。ヴェローナ市民からも愛されていた。そのロミオをたかが舞踏会に紛れ込んだようなかわいい悪戯に過剰に反応しては、有力者としての名が廃るってところじゃないかな? 舞踏会をめちゃくちゃにするつもりなら話は別だけど、ただ踊りに来ただけなら大目に見ようって寛大な対応をしたんだろう」
「でも、ロミオはどうして敵の家の舞踏会になんて行ったの? そんなの紳士的とは思えないけど」
佐代子はまだ不満顔で関根に訊いた。他の観客も同感だったらしく何人かが黙ってうなずいていた。
「誘ったのは親友のマキューシオだよ。ロミオは寸前まで乗り気じゃなかった。彼は真面目で誠実な青年だからね。でも、その友達のマキューシオは、伊達と酔狂に生きるユーモアと機知に富んだ青年だった」
「知ってる! そういう人、カブキモノっていうのよね」
佐代子は『ロミオとジュリエット』が戦国時代のころの話と聞いて、そのころにいたという傾奇者を思い出したのだろう。佐代子は得意満面であった。
「それはともかく、モンタギュー家の息のかかった家での舞踏会じゃ、ロミオは下にもおかれない歓迎を受けて、踊りを楽しむ暇もないだろうからね。そのあたりも考えてマキューシオは敵方の家の舞踏会に誘ったんだろう。しかも、仮面を被るね」
「ああ、そうか。ロミオって次期当主様だもんね」
佐代子の言葉に関根はうなずいた。
「ともあれ、ロミオとジュリエットはそこで初めて出会った。そして、お互い名も知らぬまま一目惚れした。そこは知っている人には有名なシーンで、ロミオはジュリエットの手を取り、彼女の手を聖地と呼んで、無礼を働いた手の所業を謝罪するために彼女の手にキスさせてほしいとお願いするんだ」
「キザー!」
引き気味に佐代子は悲鳴を上げたが、その悲鳴にはどこか羨望の香りが漂っていた。
「そういうやり取りを楽しむのがその頃の社交界なんだよ。やがて舞踏会が終わり、二人は相手の名前を知ることになり、その運命を嘆くことになる」
「悲恋の始まりね。それでどうなるの?」
「ロミオはジュリエットが忘れられない。せめて彼女をもう一度見たいと、舞踏会の帰りにマキューシオたちからこっそりと離れて引き返した。そして、一人だけでキャピュレットの家に忍び込むんだ。ロミオはどこにいるかわからないジュリエットを探して庭をさまよっていた。そして、偶然、バルコニーにいたジュリエットを見つけるんだよ」
「あっ。そこで、あのシーンね」
佐代子がやっと知っているシーンになったと顔をほころばした。
「そうだよ。だけど、みんな勘違いしているかもしれないけど、ジュリエットは庭にロミオがいることを知らずに彼への愛を告白するんだよ」
関根が少し得意顔になって豆知識を披露した。
「えっ? どういう意味?」
「言ってみれば、自分の家で好きな人への告白の練習していたら、それをうっかり通りがかった告白する相手に聞かれちゃったようなものだね」
「そ、それは恥ずかしいわね」
佐代子は自分がジュリエットと同じことになったらと想像して、顔を引きつらせた。
「ジュリエットも相当恥ずかしかったようだよ。その後のロミオとのやり取りでかなり恥ずかしがっていたからね」
時代は変わっても乙女心は変わらないと関根は微笑ましい表情を浮かべた。かくいう関根もそのシーンを演じている時は乙女気分で本気で恥ずかしくなってくる。
「ロミオとジュリエットはそれから一晩中、愛をささやきあった。そして、日が昇ろうかとする時間になる。ロミオは帰らなければ見つかってしまう。離れたくないのはロミオもジュリエットも同じ」
関根の言葉に恋人と別れる時の気分を思い出してか、佐代子は真剣にうなずいていた。
「ジュリエットは、ロミオに向かって、もしこの恋に本気なら私が出す使者に結婚の約束を伝えてと訴えた。そして、ロミオはジュリエットと別れた後、その足でロレンス神父を訪ね、ジュリエットとの結婚を取り持ってくれるようにお願いしにいった」
「出会って半日で? ずいぶんと電撃ね」
佐代子は感心するやら呆れるやらという表情を浮かべていた。
「それだけ情熱的だったんだよ。さて一方、ジュリエットは乳母にロミオとのことを打ち明けた。乳母はジュリエットの一番の味方だからね。そして、乳母が使者になり、ロミオは結婚の意志を伝えて婚約は成立した」
「それで成立しなかったら、ロミオって最低男よ」
佐代子の言葉に関根は苦笑で応えた。実際、一夜明けたら頭が冷えて約束が反故になることもあったらしいことは黙っておいた。
「ジュリエットは乳母から婚約成立を聞いて、急いでロミオの待つ教会に行った。そこでロレンス神父立会いの下に結婚式を挙げて、二人は正式に夫婦になった。幸せいっぱいのロミオとジュリエット。だけど、この幸せは長くは続かない」
関根は少しためを作った。観客たちが先を促すように身を乗り出すのを見てから、関根は続きを話し始めた。
「結婚したとはいえ、家同士は不仲のまま、二人が一緒にいるのが見つかれば、大変な騒ぎになることはわかっていた。二人は別々に自分の家へと帰るしかなかった。そして、その帰り道、ロミオは友人のマキューシオがキャピュレット家のティボルト――ジュリエットの従兄と決闘しているところに出くわすんだ」
「なんで決闘なんて?」
「きっかけは些細なことだった。喧嘩なんてそんなもんだよ。ともかく、ロミオは二人の決闘を止めようとした。だけど、ロミオが割って入った時に運悪くティボルトの剣がロミオの影に隠れて、マキューシオは剣を避けきれず刺されてしまうんだ」
関根は剣で刺されるマキューシオをパントマイムで入れて見せた。
「運悪く剣は急所を貫いていた。それでマキューシオは死んでしまった。ロミオは親友を殺されて黙っている薄情な青年ではない。ティボルトに決闘を申し込んだ。その決闘でロミオはティボルトを殺してしまう」
ロマンチックな話と思っていた『ロミオとジュリエット』の血生臭いシーンに話を聞いていた人たちは息を呑んだ。
「決闘で死人が出た。これは今も昔も変わらず大事件だ。領主の大公は少し前にあった騒ぎの時に、今度諍いがあったら、そのものを極刑にするといっていたんだ。マキューシオを殺したティボルト。ティボルトを殺したロミオ。ロミオは死刑になるはずだった」
関根はそこで話を区切ると勿体をつけるようにコーヒーをゆっくりと一口飲んだ。
「だけど、ロミオはモンタギュー家の跡取りだ。彼を処刑すればモンタギュー家は黙っていない。それに、見方を変えればロミオは、諍いを起こしたティボルトの処刑を代行したともいえなくもない」
「強引な話ね」
佐代子は汚い詭弁に若者特有の反感を覚えて眉をしかめた。
「それが政治というものなんだな。ともあれ、ロミオは死刑を減刑され、ヴェローナを追放という判決がその日のうちに下されたんだ」
「そういえば、ジュリエットは? ロミオは従兄を殺したんでしょ?」
「ティボルトとジュリエットは仲が良かった。だから、ジュリエットはロミオの蛮行を怒った。けど、それ以上にジュリエットはロミオを愛していたんだろうね。ロミオを嫌うことはできなかった」
恋する乙女はかくも自分勝手だと関根は肩をすくめて見せた。
「ところで、ロミオは追放されて、どうなったの?」
「ロミオは判決が出るまでロレンス神父のところに幽閉されていた。そして、追放という判決を知って、ジュリエットのそばから離れるぐらいなら、いっそ殺してくれと泣き出してしまった」
「ロミオ、ちょっと情けないわね。追放されるのは自分のせいじゃない」
佐代子はロミオの不甲斐なさに厳しい表情を浮かべた。
「それほどロミオはジュリエットを愛していたんだよ」
関根は佐代子の怒りはもっともだと思いながらも、男は純情なのだと苦笑で誤魔化した。
「いくらロミオが泣き叫ぼうと、明日の朝までに街を出なければ、今度こそ本当にロミオは死刑になってしまう。あまりにも不憫に思ったロレンス神父と乳母が、ロミオとジュリエットに一夜限りの逢瀬を手引きした。嬉しい初夜にして悲しい終夜」
関根はやや芝居がかった抑揚で言うと、目を閉じてそこで少し間を置いた。そして、夜明けがやってくるように目を開けて続きを語り始めた。
「翌朝、ひばりの声に追われるようにロミオはヴェローナから少し離れたマンチュアの街へと旅立った。悲しみにくれるロミオとジュリエット。しかし、不幸はそれでは終わらない。ジュリエットの父親――キャピュレットはパリス伯爵にジュリエットを嫁がせることを決めたんだ。しかも結婚式は三日後」
「これもまた急な話ね。三日後なんて」
佐代子が女性の立場から、勝手過ぎる男たちに憤慨して鼻息を荒くした。
「当時は貴族の結婚といえばほぼ政略結婚だったからね。キャピュレットには政治的な計算あったんだろう。物語にははっきりとは書かれていないけどね」
佐代子だけではなく、他のギャラリーも苦い顔をした。今の時代は自由恋愛が普通なので、当然といえば当然の反応であったが。
「ロミオと結婚しているジュリエットは、パリスと結婚してしまったら重婚になる。それは神を冒涜する行為で恐ろしいことと考えるのがキリスト教徒としては普通だった。なにより、ロミオ以外と結婚なんてジュリエットにとってはありえない話だ」
「当然よ」
佐代子が少し怒ったように言った。ジュリエットに同情して感情移入しているようであった。
「だけど、ロミオと結婚していることは誰にも秘密だよね。ジュリエットは理由は話せない。ただ結婚できないというだけしかできない。だけど、それを聞き入れるような父親じゃない。結婚しないのなら勘当だと言われた。ジュリエットは困り果ててロレンス神父に相談した。そこでロレンス神父に薬を渡され、結婚式の前夜にそれを飲んで仮死状態になるように言われるんだ」
関根は周りに集まってきていた観客を見渡した。中にはエンディングが見えたという表情をしている人がちらほらいた。
「ロレンス神父は、その薬でジュリエットが仮死状態の間にロミオをマンチュアから呼び戻すつもりだった。そして、ロミオに仮死状態から覚めたジュリエットをマンチュアに連れて行かせる。後はロレンス神父がロミオとジュリエットの家を説得するという作戦を立てるんだ」
「なんだか、行き当たりばったりね」
佐代子は杜撰な作戦に苦笑してみせた。関根も同感だが、それは口にせずに話を進めた。
「ジュリエットは薬が本当に仮死状態になるだけのものか不安に怯えた。でも、ロミオと一緒になりたい一心で薬を飲んで仮死状態になった」
一途なジュリエットに佐代子は何度も頷いた。同じ女性として感じるところがあるのだろう。
「当然、キャピュレット家は大騒ぎになった。ジュリエットは墓所に葬られた。この頃は死体を室のようなところに安置する方法だったから、焼かれたり埋められたりはしなかったんだ」
「それで、ロミオは?」
佐代子が薀蓄よりも続きが気になると関根を急かした。
「ここまでは計画通りだった。だけど、ロレンス神父が出した使いはロミオに会えなかった」
「そんな……」
「ロレンス神父の計画を知らないロミオはジュリエットが死んだという知らせだけを知ってしまった。ロミオは追放の身を省みずヴェローナに急いで戻った」
関根は知らずに熱が入っていたのだろう喉の渇きを覚えた。目の前のコーヒーを飲もうとしたが、既に飲み干している。しかたなく代わりに手を伸ばし、テーブルの奥においていた水を引き寄せて口に含んだ。
その間中、続きをせがむギャラリーの視線が関根に集まっていた。関根は生身でこれほど注目を集めるのは久々と少し緊張した。
「ロミオは墓所に安置されている仮死状態のジュリエットに再会した。そして、愛しい人の死に絶望して本物の毒を飲んで自殺した」
「本当にジュリエットを愛していたんだ」
佐代子はロミオをダメ男と思っていたが、その情熱的な意気に感じてかポツリと呟いた。
「それからはご想像通り。仮死状態から覚めたジュリエットは自分の隣で死んでいるロミオを見つけた。それで計画が失敗したことを悟った。ジュリエットもまた愛しき人の死に絶望して、ロミオの剣を自分の胸に突き立てて死んだ」
関根は自分の胸に剣を突き立てる仕草をして、間をおいた。話を聞いていた周囲の人間は押し黙って悲しい結末に浸っていた。
「ロミオとジュリエットが死んだ後、真相がロレンス神父より語られた。それを大いに悲しんだ二つの家は仲違いをやめてヴェローナの町は平和になった。これが『ロミオとジュリエット』のあらすじだよ」
関根はあらすじを語り終わり、周囲を見渡した。よく見ると語り始めたときよりも増えている人間に少し驚き、照れくさそうな笑顔を浮かべた。
「なんだか、悲しい話ね……」
佐代子は有名な話がこれほど悲しい話だったとはと驚いていた。そして、今までそれを知らずに、有名なシーンをパロディに使っていたことが恥ずかしく思えてきた。
「『ロミオとジュリエット』はシェイクスピアの四大悲劇の一つという人もいる。詳しいところは、今度、そこの劇場で上演する舞台を見てくださいね」
関根は茶目っ気たっぷりに舞台の宣伝を入れると、沈んでいた空気が少しだけ明るくなった。
「うー……なんだか見たくなっちゃったじゃない。聞かなきゃよかった」
佐代子は口を尖らせて文句を言った。
「それは光栄だね。本当は舞台を見て欲しいけど、映画化もされているし、詳しい話を知りたければ、そっちを見てもいいと思うよ」
『ロミオとジュリエット』は何度となく映画化されている。現代風にアレンジしたパロディーのようなものもあるが、しっかりと作られたものもあり、舞台の演出を映画にしたものをある。
「帰りにレンタルに寄ってみようかな?」
佐代子は早速、DVDを借りるつもりで思いをめぐらしていた。関根はお薦めの映画化作品をコースターにメモ書きして佐代子に渡した。
佐代子はうれしそうにそれを受け取ると、少し気恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「ねえ、関根さん。今度、他の有名な舞台のお話――『生きるべきか死ぬべきか。それが問題だ』とかのあらすじも教えてくれないかな? ちょっと、興味がでちゃった」
「『ハムレット』だね。それもシェークスピアなんだよ。シェークスピアの舞台は名台詞が多いんだよね」
関根は舞台に興味を持ってくれる人が増えるのはうれしいと顔をほころばせた。
「へえ、そうなんだ。あの、あたしのバイトが休みの日にどこかでご飯食べながらそのシェークスピアの話を聞かせてくれません?」
「別にいいよ。でも、この舞台が終わるまではあんまり時間が取れないと思うから、終わってからでいいかい?」
関根は手帳を開いてスケジュールを確認しながら軽く承諾した。
「やった! それじゃあ、今回の舞台のギャラでおいしいものご馳走してくださいね」
「あっ! それが目当てか。まあ、しょうがない。ご馳走するよ」
喜ぶ佐代子に関根は姪っ子にねだられた叔父の気分を味わいながら苦笑した。
「ありがとう、関根さん。あ、コーヒーが空ですね。お替り持ってきます。ちょっと待っててくださいね」
佐代子はスキップするように弾む足取りでバックヤードに戻っていった。関根はその様子を微笑ましく見送った。
関根はコーヒーが来るまで、手持ち無沙汰で何気なく公園の方に視線を移した。
何気に見た視線の先に、演出家の細川が若い男と何か言い合いながら劇場に向かって歩いているのを見つけた。
「一緒にいる若いの、どこかで見たような?」
関根は細川と一緒にいる若い男の名前を思い出せずに首を捻った。
コーヒーのお替りを持って戻ってきた佐代子は、首を捻って考えている関根を怪訝に思い、関根の視線を辿っていった。そして、関根の見つめる二人の男たちに辿り着くと、手に持っていたコーヒーポットを落としかけた。
「マジ? あれって、もしかして、ムラシンじゃない!」
佐代子の言葉に関根の心臓が跳ね上がった。
「え~、見間違いじゃないの? ……って、本物じゃん!」
佐代子の声に他のウェートレスも注目して、黄色い声を上げて喜んだ。
「……ああ、劇場に入っちゃった。おしいなぁ。もうちょっと早く気がついてたら、サイン貰いにいけたのに」
佐代子が心底悔しそうに地団太を踏んでいたが、同僚のウェートレスたちは苦笑を漏らしていた。
「佐代子、その格好で行くつもり?」
同僚の一人が放っておくとウェートレスの制服姿でサインを貰いに走るなんてみっともないことをしかねない佐代子に一応、釘を刺しておいた。。
「いいじゃない。この制服、かわいいし」
佐代子はスカートを少し摘み上げてポーズを取った。確かにここのオープンカフェの制服はマスターの趣味が存分に入っていてかなり可愛いかった。
「こういう格好で、『萌えてます、あたし?』って聞いたら、もしかして『萌えてるね、君』とか言われちゃって、サインくれるかも」
「それ、ムラシンの新曲タイトルでしょ?」
同僚のウェイトレスが呆れてため息を吐いた。
「そういうシャレを入れたほうが印象いいじゃない」
ナイスアイデアを呆れられ、佐代子は少しむくれて反論した。
「関西人か、あんたは。だけど、とりあえず――」
「とりあえず?」
「休憩時間に色紙とサインペンを買いに行こう♪ 帰り際を狙うのよ」
「あ、ずるーい。あたしもー」
佐代子たち、ウェイトレスは村上信二からサインをもらう計画に盛り上がっていた。
「あ、関根さん。劇場の関係者に知り合いいません? できたら、何時ごろにムラシンが帰るか聞いてきて欲しいんですけど……」
ウェイトレスの一人が劇場にコネのある関根にずうずうしいお願いをしにきたことで、それまで呆然としていた関根は我に返った。
「悪い」
関根は代金をテーブルに置くと台本をかばんに突っ込み、村上信二が入っていた劇場の入り口を目指して走った。
「せ、関根さん!」
佐代子は、自分たちのずうずうしいお願いに関根が腹を立てているのだと勘違いして、席を立って店を出て行く関根に謝っていたが、その声は彼の耳には届いていなかった。
関根は駆け出したはいいが、日ごろからの運度不足が祟って、スピードなどすぐに早歩きと変わらない速度まで落ちていた。それでも走るのをやめず、息も絶え絶えになって劇場のエントランスホールにたどり着くころには、だらしなく口を開けて、わき腹を押さえて、足元もおぼつかないほどであった。
そんな想いまでして必死で走ってきたが、ホールを見渡しても、そこには細川もムラシンの姿もなかった。人影といえば、見かけない二十歳前半ぐらいの若い女性だけがいるだけだった。
その若い女性はただならない様子で駆け込んできた関根に驚いていて、駆け寄ってきた。
「どうかしたの? 何事?」
「こ、ここに、いまさっき、細川さんと、ムラシンが……」
関根は呼吸も整わないままに彼女の問いに答えた。それでますます呼吸が苦しくなって、本当に倒れそうになった。
「お兄さん、見かけによらず、ミーハーね」
若い女性はくすっと笑うと関根の手を引いて、エントランスホールのベンチに座らせた。
「確かに、今、演出家の細川忠則さんと村上信二が中に入って行ったわよ」
彼女がおかしそうに笑って関根の質問に答えた。その間になんとか呼吸を整えて、椅子から立ち上がった。
「どっちにいった――行きましたか?」
関根はこんなところでじっとしているわけには行かないと、二人の行方を尋ねた。
「サインだったら、やめておいた方がいいわよ。村上信二はすごくサイン嫌いで有名だから。気に入った人しかサインあげないらしいって話よ」
若い女性は苦笑いをして肩をすくめた。
村上信二のサイン嫌いは関根も知っていた。そして、村上信二はメンクイでも有名である。サインをするのは村上信二が気に入った美人だけと言われていた。文字通り、サインがもらえれば、村上信二のお墨付き美人である。貰ったサインを持ってタレント事務所に行き、デビューした女性アイドルもいるほどである。
デビューまでは考えていないだろうが、カフェの女の子たちは美人のお墨付きを貰うためにサイン獲得のチャレンジするつもりだったのだろう。
関根は、彼女はおおかた村上信二にサインを断られて、その愚痴を自分にぶつけるつもりなのだろうと想像して苦い顔をした。
「それは残念だったね。でも、僕はサインを貰うんじゃないんだ」
関根は目的が違うと首を振った。
「残念?」
彼女は関根の言葉に整った眉をぴくんと跳ね上げた。
関根は、その反応で今まで彼女の顔をちゃんと見ていなかったことに気が付き、改めてよく顔を見た。
目鼻立ちのすっきりとした凛々しい顔立ちをしたかなりの美人である。艶のある栗色のショートカットがよく似合っていて、少し勝気で活発そうな印象も感じられた。今は少し不機嫌な表情をしているので子供っぽく見えるが、それもまた可愛らしい。
「こんな美女でもサインがもらえないって、どんだけハードルが高いんだ」
関根は村上信二の審美眼の厳しさに心の中で呆れながらも、彼女も自分の容姿に自信があったからなおさら愚痴りたいのだろうと勝手に想像を加速させた。
「悪いけど、急いでいるんだ。どっちに行ったか教えてくれないか?」
関根の言葉は丁寧であったが、「関わっていられない」という苛立ち紛れであるのは誰が聞いても明らかだった。
「スタッフルームに入って行ったわよ。細川さんはすごく不機嫌そうだったけどね。ちなみに、サインをもらえなかったんじゃなくて、もらいにも行かなかったのよ」
彼女は冷たく関根の質問に答えると踵を返し、関根を残してエントランスホールから出て行った。
関根は細川が不機嫌と聞いて、頭に昇っていた血が一気に冷えた。
「細川さんも一緒だったこと忘れてた。……そうだよな。行ったところでどうしようもないしな……」
冷静さを取り戻した関根は、同時に先程の若い女性に対して随分と失礼な態度を取ったことを思い出した。
関根は失礼を詫びようと劇場を出て探したが、彼女の姿を見つけることはできなかった。
「申し訳ない事をしたな」
関根は反省しつつ、時計を見ると、丸山の言っていた一時間がそろそろ過ぎようとしていた。稽古をするために早く来ているのだから時間は無駄にできないと、捜索を打ち切って調整室に向かうことにした。
劇中劇の台詞は『シェイクスピア全集――ロミオとジュリエット』小田島雄志訳(白水uブックス)を引用しました。