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第二章

『約束は違わぬ! 結婚式は木曜日だ。よいな!』

 すがりつくジュリエットをキャピュレットは突き飛ばし、振り返りもせずに舞台袖に退場しようとしていた。が、退場する前に派手に何かを叩いた激しい音がして、そこで演技は中断された。

 演技を止めた原因である音のした方を見ると細川が怒りに目を血走らせていた。細川のいるすぐ隣のテーブルの上は激しい地震があったような惨状となっていた。局所地震の震源地が細川の手にある丸めた台本であることは誰の目にも明らかである。

「キャピュレット! お前は何者だ?」

 細川はずかずかとキャピュレットに向かって一直線に詰め寄っていった。

「お前はこの街、ヴェローナのなんだ?」

 キャピュレットまであと一歩のところで立ち止まり、丸めた台本でその胸を突いた。

「大公に次ぐ実力者。街を二分する有力者の一人。違うか?」

 台本で押され、少しよろめいたキャピュレットは、細川の迫力にも押され黙ってうなずくしかできなかった。

「じゃあ、考えろ! お前はキャピュレット。ヴェローナの支配階級。ヴェローナの政治だ。お前の行動はすべてがヴェローナの政治だ。お前が寝て、飯を食って、糞をするのも、全部が政治だ。よく考えろ! パリスとジュリエットの結婚の意味を。ティボルトの殺された翌日に決めた意味を。わかるまでどこかに行ってろ」

 細川は怒鳴るだけ怒鳴ると、解散といわんばかりに手を大きく横に振り抜いた。

 これは休憩というよりも自習である。怒鳴られたのはキャピュレットだが、それは一番目立つ失敗をしたからに過ぎない。休憩明けに無様な演技をすれば、どんな仕打ちが待っているか想像するのもはばかれる。

 役者たちはそれぞれに自分の役を深く考え、それを演技につなげる。その猶予期間を無駄にしないように各々の練習に励んでいた。

 いつの間にか倒れたジュリエットの側にやってきていたロミオは彼女をやさしく抱き起こした。ジュリエットは衣装の埃を軽くはたいて落とし怪訝な顔をした。

「ロミオ様はご自身のお稽古は大丈夫ですの?」

 ロミオもジュリエットの世話を焼いている暇はないはずである。ジュリエット自身も焼かれている暇はない。

「突き飛ばされて打ちひしがれるジュリエットを見ているのは痛快だよ。自分の稽古を忘れるほどにね」

「ロミオさまっ。私は怒られているロミオ様は見たくありませんわ」

 ジュリエットは不機嫌な目でロミオをにらみつけた。

「おお、そんな怖い顔をしないでおくれ、僕のジュリエット。『君の瞳は十の刃より恐ろしい』」

 ロミオは劇中の台詞を織り交ぜておどけた。

「ほほう、ロミオ様。ずいぶんと余裕だな。それで下手な演技でもしたときは覚悟ができているんだろうな」

 細川がいつの間にかロミオの背後に回って、蛇が蛙でも狙うようなじっとりとした声で彼を絡めとった。

「細川さん。わかってますよ。ちゃんと稽古はしますよ。つきましては、ジュリエットを少しお借りしようと参じたまでです」

 さすがにロミオも演出家の細川に正面切って大見得を切ることはしない。少し困惑気味に笑みを浮かべて、用件を伝えた。ちなみに、ジュリエットを練習に誘うのに演出家の許可など必要はない。ジュリエットの承諾があれば、自由に連れて行ってよいのである。

「それなら、とっとと連れて行け。開演のベルは待たないぞ」

 細川は不機嫌そうな顔で二人を追い払うように手を振った。

「それでは、お気に入りのジュリエット嬢をお借りいたします。失礼」

 ロミオは惚れ惚れするほど優雅で気品が漂い、どことなくユーモラスさも含んでいるお辞儀をした。

 “ロミオ”の機体も“ジュリエット”に負けず劣らず一級品で相当に癖のある機体なのだが、こうも完璧に操られると、細川は実は普通の機体なのではないかと疑いたくなった。

 細川は、ロミオがジュリエットの手を引いて稽古場の一角に向かう後姿を見て乱暴に頭をかいた。

「まったく。本当はマキューシオの方が向いているんじゃないか? 正直、あの機体じゃなければ、マキューシオをやらせたいな」

 ロミオの友人役で機知とユーモアに富んだマキューシオは殺されずに最後まで舞台にいれば、主役のロミオを食ってしまうだろうと評されたほど存在感があった。それだけに『ロミオとジュリエット』では難しい役としても知られていた。

「確かにあのセンスはそっちに向いているかもしれないな」

 細川は独り言に返事が返ってきて驚いて振り返った。そして、独り言に応じた人物を確認して思わず苦笑を浮かべた。

 細川の後ろにいたのは舞台監督の石山であった。

 石山は山のような巨体であるのに、ネコのように音もなく歩く。どんな古く痛んだ舞台でも石山は床がきしむ音も立てずに歩くと噂されているが、それは本当かもしれないと、細川はこういうことがある度に確信を深めていた。

「明日からの舞台稽古は問題ない。道具は仕上がっているから、あとは調整するだけだ。耐久性重視でできるだけ補強しておいたが、実際、使ってみての話だからな。しかし、お前にかかると『ロミオとジュリエット』もアクション活劇だな」

 石山は明日から行われる舞台稽古に使われる大道具小道具の進捗状況を報告に来たのであった。

「実際、アクションだよ。ロミオとジュリエットは。出会った瞬間に恋に落ちて数日で愛に死ぬ。若さゆえと言葉で言うのは簡単だ。若さはエネルギーだ。せっかくのマリオネットだ。生身ではできないほどパワフルなエネルギーを見せないでどうする」

 細川は昨年、公演された彼のライバル演出家である和田智明の『ロミオとジュリエット』を思い出して歯噛みした。

 和田智明の『ロミオとジュリエット』は斬新であった。台詞の部分に音楽をかぶせていくのである。台詞回しがシェイクスピアの売りであるのに音楽をかぶせては台無しになるはずであった。しかし、その音楽が感情を盛り立てて、音楽が流れていることを忘れるほど舞台から訴えかけるものを感じさせた。理屈ではなく惹き込まれた。

『日本語に訳したところでシェイクスピアの言葉は死んでいる』

 和田智明がインタビューで口にした台詞が細川の頭をめぐる。それは細川も同感だった。だが、生き返らせるのは音楽だけじゃない。和田智明とは違う、細川忠則の『ロミオとジュリエット』があることを見せたかった。

「死んだシェイクスピアを日本人としてよみがえらせてやる。だから、力だ。エネルギーが要る。箱をぶっ壊すぐらいにだ」

 細川は自分の方針を再確認するかのように拳を握った。

「これだから、お前さんとの舞台はやめられない」

 石山は細川のぎらついた言葉ににやりと笑ったが、すぐに表情を引き締めた。

「だが、気がかりがある」

 石山の言葉に細川は握り締めていた拳の力を緩めて、いつもの冷静な彼の表情に戻った。

「“ジュリエット”のアキレス腱か?」

 細川の言葉に石山はうなずいた。

「丸山の報告では今のところ、問題ないようだが、確実に負荷が溜まっていっているとのことだ。貸し出し元の技術者は公演が終わるまで持つだろうという見通しだが、楽観はできないというのが丸山の意見だ」

「わかった。――足首を細いのに戻したことがここで裏目に出るとはな」

 芸術品と言っていいほどの造形美にあふれる“ジュリエット”だが、マリオネットのレンタル企業に保管されていた時は、足首だけ違う機体のものに付け替えられていた。その不恰好で不自然に太くされた足首はそれだけで他の全ての造形美を台無しにしていた。

 しかし、細川がレンタル企業の社員がポツリと漏らした、本来ついていた足首は細く、魅力的なものであったという言葉を聞き、本当の足首を探させて元に戻させたのであった。

 換装の終わった機体を見て、細川は「完璧だ。ジュリエットの十四歳たらずという若さが表現された」と“ジュリエット”に惚れ込んだのであった。

 しかし、実際、付け替えてみるとバランスコントロールが難しくなり、並みの操者では演技どころか、まともに動くことすら危うかった。操縦には定評のある関根がオーディションで合格したのは、そういう事情もあった。

「まだ裏目と決まったわけじゃない。コインは回っている最中だ。あとは公演が終わるまで回り続けておいてくれるのを祈るだけだ」

「神頼みか……。好きじゃないな」

 細川は眉をひそめた。運や偶然などを嫌う細川に石山は苦笑を浮かべた。

「それなら、人事を尽くしておけばいいだけだよ。幸い、“ジュリエット”の操者は掘り出し物の一流だ。うまくやってくれる」

 もっとも、関根の技量が予想以上であったため、機体のポテンシャルを発揮して動き、その負荷が足首に溜まっていたのであるが。

 細川は稽古場の一角でロミオとなにやら盛り上がっているジュリエットをちらりと見やった。

「操縦だけの役者かと思ったが、それ以上だからな」

 操縦できれば多少、大根でも俺が料理すると考えていた細川にとって関根は大きな嬉しい誤算だった。

 オーディションでジュリエットの、あの繊細で大胆な演技を見たとき、細川は関根に対する評価を大幅に書き直した。正直、細川はこの舞台を成功させる自信はあったが、自分の満足いく演出ができるほど役者がついてこれるかについては不安があった。

「ロミオといい、ジュリエットといい、俺はついている」

「ああ。その点に関しては同感だ」

 細川は自分の頭の中で描く『ロミオとジュリエット』がその通り、ともすればそれ以上で形にされていくのに興奮した。演出家として、こんなに悔しく刺激的な舞台は久しぶりだった。それだけに役者などに負けられないと熱が入る。それは自然と他の出演者やスタッフにも伝染していった。

 まさに、これこそが細川の求めていたエネルギーであり、『ロミオとジュリエット』であった。

 だから、ジュリエットやロミオに感謝こそすれ、恨むなどとんでもなかった。それは石山の同じ気持ちであった。

「今のところ、操者から自覚症状の報告がないからまだ大丈夫だろう」

 石山は脱線した話を“ジュリエット”のアキレス腱に戻した。石山も雑談にふけるほどスケジュールの余裕はない。

「わかった。症状が出たら、早めに処置してくれ。だが――」

「わかってる。舞台の手は抜かないだろ? こっちも抜かれちゃ困る。安心しろ、細川。そんなことしたら俺がお前さんを殴り殺す」

 石山は、丸太のような腕を見せて握りこぶしを作りながらにっこりと笑った。笑っているが、本当にそうなれば石山は細川を殴り殺すだろう。石山は細川に負けず劣らず、熱い男であることは細川自身がよく知っていた。

 そして、石山は稽古場を来たとき同様、足音も立てずに自分の持ち場へと戻っていった。細川は、その後姿を苦笑しつつ見送った。

「これはますます手を抜けないな」

 細川は自分ものんびりしている暇はないと、自分の仕事に取り掛かった。


          *     *     *


 ジュリエットはロミオが確保していた稽古場の一角に連れてこられた。そこで待っていたロレンス神父に気づいて、二人っきりでないことに少し不服な表情を浮かべた。ロレンス神父はそんなジュリエットの表情に気づき、温和な笑顔を浮かべた。

「ジュリエット、申し訳ないね。君たち二人だけにしてあげられなくて」

「いえ、そういうわけではありませんわ」

 ジュリエットは思わず自分が表情に出していたことを知り、少し決まり悪く首を振った。

「僕たちの恋には絶えず障害がつきものなんだよ。ジュリエット、我慢しておくれ」

「障害にされてしまうのは不本意だな。私は君たちの協力者だというのに」

 ロレンス神父は心外だと肩をすくめた。劇中、ロレンス神父は二人のために色々とアドバイスしたり、協力したりしてくれる。もっとも、それがことごとく裏目になって悲劇が起こるのだが。

「そうでしたね。それじゃあ、善意ある障害ということで」

 ロミオはにこやかに切り返すと、神父も苦笑を浮かべるしかなかった。

「まったく。君には参るよ。で、相談というのは?」

「ええ。実は僕とジュリエットの結婚式のシーンです」

 冗談まじりの軽い表情だったロミオは、そこで引き締まった役者の顔になってロレンス神父に答えた。

「ふむ。華やかではないが、二人が最高に幸せなときだね」

 ロレンス神父がシーンを思い出しつつ、首をひねった。これといって変更するような所があまりないシーンである。

「はい。ジュリエットが教会にやってくる。僕を見つけて駆け寄る。二人は半日ぶりの再会を喜ぶ。神父は二人に挟まれ右往左往しながら、祭壇の前へと歩いていく」

 ロミオが確認するようにシーンを説明した。

「そのシーンで何か問題が?」

「喜び合う二人だけど、神父が邪魔で抱き合うことができない。それは運命と偶然の悪戯に翻弄されて、この世で結ばれない二人を暗示させる演出だと思うのです」

「だろうね」

 わかりやすい演出であるが、それだけに観客に伝わりやすい。

「でも、ただ単に巻き込まれているだけ神父というのは、どうも美しくないし、ロミオとジュリエットとしても納得もいかない」

「どうにも話が見えないのだが?」

 ロレンス神父はロミオの言いたいことがわからず、困った顔で同意を求めるようにジュリエットを見た。だが、ジュリエットは顔を明るくほころばせていた。

「私はわかりましたわ」

「さすがは、僕のジュリエット」

 ロミオはジュリエットの理解の早さに手を打って喜んだ。しかし、肝心のロレンス神父はその速さにまったくついて来れずにいた。

「どういうことか説明してくれないかい?」

 ロレンス神父は、役者として少し癪だが詳しい解説を二人に求めた。

「私たちはお互いに心通じ合う二人なんです。目を見れば、気持ちが通じている。二人は以心伝心でロレンス神父なんてないものとして、手を取り合うことも可能なはずですわね? でも、そこへ悪意のない偶然で神父の手や体が割り込んで邪魔をするのです。絶妙の偶然で」

「その通り。神父は二人が周囲も見えずに抱き合うことを多少はたしなめる気持ちはあっても、徹底的に邪魔するつもりはない。でも、何故か動きがはまってしまって、二人は手に触れることもできない」

「なるほど」

 ロレンス神父がやっと納得してうなずいた。うなずきはしたが、だから具体的にどうすればいいか想像もつかない。それを察したロミオが具体的な演技に話を進めた。

「ロレンス神父があまりキビキビ動かれてはイメージが違う。そこで、二人の間でもみくちゃにされている印象を残した感じで――」

 ロミオは何かにもみくちゃにされてふらつく男の踊りを踊って見せた。ちょっとしたパントマイムのようで、もみくちゃにしている人影が見えそうだった。

「悪いが、もう一度やってくれ。録画するから」

 ロレンス神父は視覚情報を録画モードに切り替えた。

 用意ができたロレンス神父の前で、ロミオは先ほどの踊りをして見せた。ロレンス神父はロミオの万能ぶりに羨望のため息が出そうになった。実際に出さなかったのは、役者としての意地だろう。

「しかし、君は何でもできるな」

「ロレンス神父ならもっとうまくやりますよ」

 ロミオが本気で嫌味を言っているわけではないことはロレンス神父もわかっているが、その言葉はロレンス神父の役者としてくすぶっていた意地に火をついた。

 ロレンス神父は、先ほど録画した映像を見ながらであったが、ほぼロミオのした通りに踊ってみせた。それにロミオは感心したように軽く驚きの声を上げた。

「いい感じですね。さすがはロレンス神父だ。じゃあ、ちょっとあわせてみましょう」

 ロミオはすでに立ち位置の確認をしようとしていた。たが、ロレンス神父はまだ肝心なことが終わっていないと慌てた。

「ちょっと待ちなさい。ジュリエットの動きはどうするのだね? 何も打ち合わせをしていないだろう?」

 この動きに合わせてジュリエットが動かなければダンスにはならない。ロミオは自分で考えたからよいが、何も知らないジュリエットが踊れるわけがない。

「大丈夫ですわ。わかりますもの」

 ジュリエットはさらりと答えると、ロミオと同じように立ち位置の間合いを計っていた。

「ダンスを始めるタイミングはジュリエットが今の位置ぐらいまで近づいて、ジュリエットが左手を前に伸ばした時です。ロレンス神父はそのあたりで入ってください。とりあえず細かいタイミングはこちらで合わせます」

 ロミオの言葉にロレンス神父がうなずいた。

「じゃあ、ジュリエットが教会に入ってきたところからいってみよう。――ジュリエット」

 ジュリエットがうなずき、二人から離れると教会の扉を勢いよく開けるしぐさをした。ロレンス神父は本当にジュリエットが踊れるのか半信半疑で、打ち合わせどおり二人に程よく挟まれたタイミングでダンスを始めた。

 驚いたことにロミオは当然として、ジュリエットもきれいにその動きに合わせて踊っている。しかも、手の取り合えないもどかしさに表情を曇らせ、あと少しで手を取り合えそうになると晴れやかな表情を浮かべ、それがかなわないとひどく悲しそうに表情を変える。もちろん、ロミオもジュリエットと同じで表情の演技を忘れない。

「まったく、この二人には役者魂に火をつけさせてくれる」

 ロレンス神父は内心で舌を巻きながらも、もみくちゃにされて困っている神父の表情を演じるように心がけた。

 ダンスを終えて、ロレンス神父は予想以上にこのダンスが大変なことを思い知らされた。だが、よりよい舞台を目指すベテランの役者として「できない」とは言えない。

「初めてにしてはいい感じだ。ジュリエットはもっとステップを大胆にしてもいいと思うな。ためらっているように見えるよ」

「ロミオ様こそ。体の開きが早すぎるので避けているように見えますわ。手が届きそうになるまでもう少し粘ってくださらない?」

 ロミオとジュリエットはお互いに改善すべき点を上げていった。

「ロレンス神父には、もっと戸惑う感じが欲しいですね。動きが明確すぎて、道化が目に付きますね」

「そうね。あと表情も硬いかしら。困惑しつつも結婚式ですもの。喜びの表情は混ぜていただかないと」

 ロレンス神父にももちろん、容赦なく注文をつけてきた。

「わかった。これは少し練習しておくよ。君たちに挟まれても遜色ないようにね」

 ロレンス神父はロミオとジュリエットに完敗とばかり素直に感心した。

「期待してますよ」

「それにしても、君たち二人は運命の恋人かのようだな。まったく、本当の恋人かと疑いたくなる」

 ロレンス神父の何気ない言葉に二人は一瞬硬直して、顔を赤く染めた。かりそめの身体とはいえ、その反応は操者のものである。

「すまない。変なことを言ってしまったようだね。それでは、私は他のシーンをもう少し詰めたいので失礼するよ」

 ロレンス神父は、少し心配するような表情を浮かべたが、すぐに首を振って自分の懸念を否定した。そして、ジュリエットたちと別れ、空いたスペースを探した。

「はい。それでは、また後で」

 ジュリエットたちに見送られ、少し離れてからロレンス神父はちらりと二人を振り返った。ロミオとジュリエットが、仲睦まじく稽古する姿が目に映った。

「二人を見ていると、本当に愛し合っているかのようにも見えてしまうな。それが演技であればいいんだが……。操者同士の恋なんて、ロミオとジュリエット以上に困難な恋だからな」

 ロレンス神父は息の合いすぎたロミオとジュリエットに暗い影を感じて、ほんの少し表情を曇らせた。

 人間、見た目ではないと言いつつも、見た目は大事なのである。マリオネットの姿を見慣れた二人には生身の再会は百年の恋が冷めるほどの衝撃になることが多い。だから、顔も知らない操者同士の恋はご法度というのがこの業界の暗黙の了解であった。

「最悪、同性同士で打ちのめされたりもすることもあるんだよな。それで、そっちの道に走る奴もいるんだが」

 ロレンス神父は自分の思い出したくはない過去が頭によぎり苦い表情を浮かべた。そして、苦い思い出を振り払うかのように稽古に没頭した。


劇中劇の台詞は『シェイクスピア全集――ロミオとジュリエット』小田島雄志訳(白水uブックス)を引用しました。


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