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義娘を大事にしなさいと女神さまがおっしゃるので

掲載日:2026/10/17

「クロエ。君のことを愛してしまったんだ。僕と一緒になってくれないか。君のことを全力で幸せにするから」


 クロエ、二十歳の夏のこと。

 

 私の前で片膝をおって愛を懇願してきたのは、ここ数か月間、私が勤めるカフェに通い詰めた常連さんのアレク。

 本名はアレキサンダー・ゾルフェレス伯爵。

 この街を治める領主様である。


 見た目は「美麗」の一言。

 すらりとした長身にいい顔をのせているので、通りを歩けば男女を問わず道行く人に振り返られること必須。店の席に座って足を組み、コーヒーのカップを傾けるときの物憂げな表情は、いつも女性客の注目の的である。

 

 彼は品よくハンサムで、とにかく目立つ。

 艶やかな銀髪は光に透けるようにきらめき、まつげはけぶるように長い。その知性的なエメラルドの瞳で見つめられると、彼から目が離せなくなる。そういう魅力をもつ人だ。


 けれど、私は倍率が高いものが昔からとにかく苦手なのだ。競争の中に飛び込んで気力を削られるよりも、落ち着いた平凡な幸せを好むタイプともいえる。

 平凡男爵家五人兄妹のちょうど真ん中に生まれ、上にも下にも気をつかって生きてきた。

 夕ご飯は決まって大皿料理だったから四方から伸ばされる腕と戦う勇気もなく、一番人気のない菜っ葉炒めをついばんでいた。


 成長してからもそれは同じで。


 可愛いお嬢さんが友人たちと「新発売のこれが欲しかったのに」と、店の空になった棚を睨みながら嘆いているのを横目に、自分はたくさん在庫がある定番商品に手を伸ばす。

 近所の服飾店でセールをしていても、混んでいる時間帯をさけて来店し、残り物を買うことが常。

 人気のある男性には、あえて近寄らないようにしていた。だって周囲の女子のけん制度合いが本気で怖いから。


 こんな私が珍しく、倍率だけじゃなく何もかにも高そうな彼に手を伸ばしたのは、人生最大の気の迷いだったのかもしれない。

 それでも、この常連さんのことを、私もすごく気に入っていたのだと思う。


「はい。私もお慕いしています」

 たったそれだけ返すのが精一杯だったけれど。

 私の返事をきいたとき、彼はものすごく嬉しそうな顔をして、私を強く抱きしめたのだ。


♢ ♢


「ここが僕の家だ。今日から君の家でもある。家令を紹介しよう――ケイランド、ここへ」

「奥様、ようこそいらっしゃいました。ケイランドと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

 

 公衆面前でのプロポーズからひと月で、あれよあれよと言う間に挙式を済ませ、本日お屋敷入り。

 急展開に、当然クロエの両親は驚いた。貴族の結婚には、婚約期間を設けるのが通例だからだ。

 だが、たかが男爵家にアレクは日を置かず通いつめ、クロエのもつすばらしさやアレクがどんなにクロエを愛しているか熱弁するものだから、父も折れるしかなかった。アレクの誠実なくどきに、ノックアウトされていた私はいうまでもない。

 だいたい、ドレスを始めとした何もかにもが、既に私のサイズで作られていたのだから仕方がない、と苦笑したものだ。


 式までの日程がタイトなので疲れはしたが、彼から降り注ぐ愛と家族からの祝福を受け、幸福に包まれていたおかげだろうか。

 精神的な疲労はないままに結婚式当日を迎えた。きっと私も彼のことがかなり好きなのだろう。この家で、私はきっと幸せになる。

 そんな決意をもって私は今、ポーチに立っている。


「クロエです。お世話になるわ」

 クロエは精一杯、華やかに見えるように笑った。

 それに応えるように、ケイランドは人好きのする笑みを浮かべ、きれいなお辞儀をした。そしてアレクに耳打ちする。

「旦那様はお客様の対応をお願いします。奥様のことは私どもが」

「分かった。クロエを頼む。――クロエ、ここからはケイランドが案内する。ゆっくりくつろいで」

 どうやら来客があったらしい。

 振り返りざまに甘い笑みをふりまいて。アレクは応接室に向かった。


「たしか、お嬢様がいらっしゃるのよね? お会いできるかしら」

「はい。お部屋でお待ちです。奥様にお会いできるのを、楽しみにしていらっしゃいましたよ?」


 歩きながらケイランドとそんな会話をする。

――――『実は、僕には六歳になる娘がいるんだ。……娘とも仲良くしてほしい、と言ったらだめだろうか』

 アレクには死別した前妻との間に娘がいる。互いに砕けた話もするようになった彼との初めてのデート。

 そのときに打ち明けられた。


 友人にそのときのことを話したら「せっかくの初デートでウキウキドキドキしたいのに、コブ付きが分かったら冷めるわぁ」とアレクのことを非難していたが、私は最初の段階で義娘のことを伝えてくれた彼は、むしろ誠実だと感じていた。

 

 そのお嬢さんに会うのは、今日が初めてなのだ。

 少しの緊張と可愛い義娘に会えるワクワク感。

 クロエは子どもが大好きだ。


 もうすぐ子ども部屋に着くというとき、ケイランドが振り返り声をひそめた。


 お会いすればわかることですが、お嬢様は少々個性的でございます。あの方のありのままを受け入れていただければ、じいやとしては嬉しく思います、と。

 それはどういうことなのか問いかけようとしたところで、部屋の前に到着してしまった。


「キャロラインお嬢様。クロエ様が来てくださいましたよ」

 ノックの後、ケイランドは扉を開け、穏やかな声で室内に向けて呼びかける。


「あ! お義母さまね? 初めまして!」

 幼い少女が奥の間から顔をのぞかせた。

 自室への訪問者がケイランドと新しく来た義母だとわかると、彼女はタタタ、と無邪気に駆け寄ってきた。そして淡いピンク色のデイドレスのスカートをつまみ、子どもらしいカーテシーを披露する。

 

 父譲りの見事な銀髪はクセッ毛なのか毛先がくるんとカールしている。ぴょこんと起き上がった際にこちらを向いたくりくりの瞳はアクアマリン。とっても愛嬌のあるお嬢さんだ。

 クロエは思わず笑顔になった。


「初めまして、クロエです。キャロラインお嬢様に会えるのをとても楽しみにしていたのですよ? 今日からよろしくお願いいたします」

 クロエがそういうと、キャロラインは顔全体でニコーっと笑った。


♢ ♢


「お義母様! きのうお話しした設計図ができあがりましたの。みてくださる?」

 

 クロエがこの屋敷に来てから、もう三か月になる。

 

 クロエのもとにキャロラインが駆けてきたのは、朝食後すぐのことだ。

 彼女はいつも元気いっぱいで、クロエを見つけると小走りになる。美少女が自分を見て笑みを浮かべて近寄ってくる。なんと可愛いことだろう。

 

 しかも結婚式以来夫の愛は増していく一方で、今日も身支度はメイドたちによって整えられたが、体にはアレクに愛された後のけだるさがまだ残っている。

 

 クロエは毎日義娘と夫の存在によって満たされていた。

 

 幸せを噛みしめるクロエの手を、キャロラインは甘えるように握る。


「ええ、もちろん。キャロライン、今度はどんな発明をしたのかしら? 楽しみね」

 そう言うと、彼女ははにかんだように笑う。

 とっても可愛い。義娘の可愛さに心底癒される。


「私はこれから執務だよ。がんばってくる僕には何もないのかい?」

 かがんで娘と視線を合わせたアレクはわざと悲しそうな顔をして見せ、娘からの返答を期待して待っている。

 アレクはキャロラインのことを溺愛しているのだ。

「お父様、行ってらっしゃい! お義母様とのお茶の時間に間に合えば、仲間に入れてさしあげますね」

 もちろんキャロラインも父のことが大好きだ。けれど、父親の愛ほど彼女のそれは重くない。


 キャロラインは父親をじゃあね、と手を振ってあっさり送り出す。その直後に何事もなかったかのようにクロエに向き直って楽しそうにおしゃべりを始める娘の姿を、伯爵は恨めし気に眺めてから仕事へと旅立っていった。


♢ ♢


「これは絞り器なの! ここにくだものを入れてね――――」

 クロエはいつも通り、子ども部屋の奥に案内されキャロラインの説明を聞くのだ。


 彼女が「けんきゅう室」とよぶここは、大きな作業台が一つと紙とペンが常備されている。それに子ども用にあつらえた、サイズの小さな工具も揃えられている。

 ここは、伯爵家の使用人でも限られた者しか入ることができない、特別な場所なのだ。


 キャロラインは周囲が予想していた以上にすぐ、クロエに懐いた。


 それはクロエが、キャロラインの大切にしているものをバカにしなかったことが大きい。

 出会って一週間後、この部屋の存在を打ち明け、初めてとある試作品を見せられた際、


「へえ! すごいわね。これはお肉をミンチ状にするものよね? レストランでも重宝されるだろうし、量産して価格を下げたら領民たちもつかえるわね」

 

 とクロエは言った。義娘の発想が素晴らしいと心から思ったからだ。

 クロエが興味を持って聞き、その物の良さを分かってくれようとしたのが嬉しかった、と後にキャロラインは話した。


 キャロラインはもっと小さい時に、自分のアイディアを紙に書き留め、父や使用人に見せたことがあるのだという。

 家令でありキャロラインの「じいや」でもあるケイランドや、ものつくりが趣味の事務官は、彼女が作ろうとしたものを理解して相談相手になってくれた。

 庭師は植物の虫よけの方法を教えたら実践してくれて、物知りだと褒めてくれた。

 

 だが、その他の使用人からは「訳の分からないものを作る、奇妙な子ども」として見られ、気味悪がられていた。

 

 アレクがキャロラインのことを想って交流会を開き、歳の近い友だちをつくらせようとしたことがあったそうだ。が、子どもたちとは話が合わない上、その母親たちに好奇の目で見られたことが彼女の心の傷となった。

 そこからキャロラインは「けんきゅう室」にこもりがちになり、周りの人たちに分かってもらうことをあきらめたようだ。


 因みに父親のアレクは「キャロラインはすごいなぁ」と褒めてくれたが、それは内容を分かって認めてくれたというよりは、ただの親バカの類だったとキャロラインは言う。


「だからね、キャロのことをこんなに分かってくれるのがお義母様で、とっても嬉しいの!」

 

 そう話したときの義娘は、本当に可愛かった。


 しかし、クロエは自分がズルをしているように思えてならない。


 なぜなら――――自分は転生者だからだ。


 クロエはこの伯爵家に嫁いでキャロラインと出会った時、雷が全身に走ったかのような衝撃をうけた。次いで前世の記憶の一部を思い出した。


 クロエは前の生を終えた時、一度雲の上の世界に舞い降りている。そこで天界におわすとされている女神さまにお会いした。

 茶会に招待され、女神さまと世間話をした。内容はよく思い出せないが、最後にこう言われたのだ。


――――だから、義娘を大事にしなさいね。それがあなた自身を幸せにする方法よ。


 それを思い出した時「だから」の前が肝心じゃないか、とクロエはうなだれた。

 かと言ってキャロラインは文句なく良い子だし、大事にすることに異議はない。


 それからもクロエはキャロラインのことを全力で可愛がった。


♢ ♢


「キャロライン、そろそろドレスを新調したらどうかな? 父に着飾った姿を見せておくれ」

 

 クロエがこの屋敷に来てそろそろ一年になろうとしていたころ。仕事をやりくりし、妻と娘のお茶の時間に間に合ったアレクがそんな話をした。

 クロエはキラキラの美少女なのに、ドレスにお金をかけないし、滅多にいろんなものをねだらない。

 着飾ったらもっと可愛いのに。

 そう思ったからクロエもアレクに加勢してみたのだが、「嫌です!」と珍しくけんもほろろに断られる。

 そのあとハッとしたように、義娘は笑ってこう付け加えた。


「お父様、お義母様。私はこれで十分なの。動きやすいから気に入っているし。それに――――幼いころから贅沢をおぼえちゃダメですよ。小さい子なんてすぐ、服のサイズは変わるのに」


 ゾルフェレス伯爵家は商会を所有していて、その運営は順調である。加えて、治めている土地からの税収も安定しているため、同格の家と比べても裕福だ。

 おカネの心配をする必要はない。

 それにすぐに大きくなるからこそ、アレクはその一瞬を見逃すことなく可愛い時期を着飾らせたいのだろう。

 クロエは親バカの域に片足を踏み入れていたので、アレクの気持ちがよく理解できた。けれど、それ以上は黙っていた。

 

 なぜかというと、そう言ったときのキャロラインの瞳が、いつもと違うように見えたからだ。

 まるで自分と同年代、或いはもっと年上の人のような。なぜか老成した人間のそれに思えた。

 普段は無邪気な彼女が、ここまでの拒絶を見せるのは、何かしら理由があるのかもしれない、とも思った。


「キャロライン、あなたのワンピースドレスを私が作ってみてもいいかしら? 私、裁縫が得意なの」

 クロエは俯いてしまった義娘の顔を上げさせたくて、思いついたことを言ってみた。すると、キャロラインは瞳を輝かせる。

「お義母様、ホント? ほんとに作ってくださるの?」

「ええ。アレク、私と一緒に生地を選んでもらえないかしら? キャロラインがとびきり可愛く見えるものを」

「ああ! ありがとう、クロエ。キャロラインを大事にしてくれて、僕にも優しくしてくれるなんて、君は素敵だ! 女神のようだと毎日思っているんだよ」

 娘からのノーにしょぼくれていたアレクは、クロエの申し出に途端に復活して甘い笑みを見せる。

 そんな父を見て、キャロラインがほっとしていたことをクロエは見逃さなかった。


♢ ♢


 大きくなるにつれて、キャロラインはますます活動的になっていった。行動範囲も広くなり、わずか九歳にして父の領地視察についていき、その聡明さを遺憾なく発揮し始めた。


「お父様、ハイジェ村は泥炭地ですから、麦は育ちにくいです。東の国にある稲という植物ならあの土地に合うと思いますよ?」

「キランレヴェの町は収入が乏しく、若者が職を求めて都会に出て行くのを止められないと町長が嘆いていました。郊外に生えていた赤い花をウリにしてみたらいいのでは? あれは加工すれば香料として使えます。それに――」

「今年の予算が少し余ったというなら、冒険者ギルドに仕事を依頼してください。内容はゴミ拾いと下水道掃除。鼻と口をおおう布を伯爵家の針子たちで準備しましょう」


 彼女が行動した結果、領民の生活向上につながってゆくことが目に見えて感じられるようになってから、周囲の人がキャロラインを見る目は確実に変わった。


 「理解できないことを言う変わった子ども」ではなく、「次期領主の自覚をもった聡明な継嗣」として認識されるようになったのだ。


「我が子は天使だと常々思っていたが、天才でもあった。しかも人格者かもしれない。僕には考え付かないようなことを次々に提案してくれるんだ」


  夜の寝室にて。

 すやすやと眠る幼子を抱いて、アレクは穏やかに笑んでいる。彼の腕の中にいるのはエドワード。一年前に生まれた長男である。

 エドワードは寝つきが良く、人見知りをしない。誰に抱かれても機嫌よく笑うし、乳もよく飲む。けれど好きな人には序列をつけている。

 

 エドワードの一番は、おそらく姉のキャロラインである。

 

 毎朝キャロラインが来て「おはよう」と挨拶をすれば、満面の笑みでタックルし、かよわいハグを試みる。お昼寝から目覚めたときに姉が見当たらないと、彼女を探してハイハイの旅に出る。

 キャロラインもじっとしていないタイプだから、当然その後を追いかけるエドワードも館の中を這いずり回り、そしてなぜか毎回探し当ててしまう。

 その後をメイドたちが血相を変えて追いかける。這いずるエドワードの安全と衛生のために、掃除も前より丁寧になった。

 クロエは我が子の犬並みの嗅覚に感心するばかりだ。なによりエドワードの行動に、父アレクと同様、愛する人への執念を感じて爆笑していた。

 

 エドワード、お前もか、と。

 伯爵家男性陣の愛はきっと大きく、深いのだ。


「そうね。私もそう思う。あれほどの才能をもっているのに、あの子は慢心することがない。他人にも優しいし。あの歳で、少々できすぎだと感じるくらいだわ。だから、私は可愛いあの子が安らげる場所を作ってあげたい」

「クロエ……君のような慈愛の人を妻に迎えられた僕は、なんて幸運なんだろう。キャロに愛情を注いでくれて、エドワードまでこの世にもたらしてくれて。職場では奥さんを次第に女性として見られなくなった、とかいう部下や同僚の軽口も聞いたことがあったが、そんなことは僕には生涯おこらないだろう。僕は――――」

「ありがとう、あなた。私も愛しているわ。今夜はキャロラインと寝るわね。理由はさっき言った通りよ?」

 放っておけばいつまでも続きそうな愛あふれる賛辞。クロエは、それを今日はぶったぎることにした。

 アレクからの愛を疑ったことはないし、結婚して数年たっても毎晩のように降り注ぐ愛も十二分に堪能している。彼といるのは心地よい。

 しかし、今はキャロラインを優先したいのだ。

 なぜなら、最近のキャロラインは、どこか思いつめたようなところがあるから。


 クロエはベッドに座っているアレクの頭にキスを落とすと、「エドワードをお願いね」と言いおいて、キャロラインの部屋に向かった。


 彼女の部屋の前に行き、扉をノックしようとしたメイドを短く止める。少し開いていた扉の隙間から、部屋の明かりと義娘の声が漏れて来ていたからだ。


「こうしたら……ううん、ダメよ。これではお父様が……あ、で……誰に……言ってもらって……こうしたら……ジュリ――――」

 ブツブツと言いながら机に向かっている義娘の姿が見える。カリカリとかすかに音もするから、ノートに何かしら書きつけているのだろう。

 メイドと二人、隙間から室内を覗き、聞こえ来る声に顔を見合わせる。


 この光景は他から見たらきっと不審者極まりないが、義娘の本心をさぐるには、彼女が独り言つこの場面が大事なところ。

 壁に張りついてしばらく聞いていたが、「ジュリ」とつぶやいたところでメイドを遠ざけ、自分だけ部屋の中に入る。

 

 その「ジュリ」には心当たりがあった。


「それは、ジュリアーヌ様のこと?」

 そろそろと近づき、後ろから彼女のノートをのぞき込む。

 そこには、「事件のあらまし」、「お父様に近づく人たち」、「没落原因撲滅」などの文字が散見していた。

 キャロラインは慌ててノートの上に伏せ、自分の体で覆って見せないようにした。

 が、少しの間の後。


「見えた? お義母様、見えちゃったの?」

 伏せた状態のままで顔だけちらりとこちらへ向けて、私の様子を窺ってきた。

「ちょっと見えちゃった。それに聞こえちゃったの」

 そう言うと、ふうとため息をついてキャロラインは観念したように起き上がる。

 

 彼女はノートを胸のところに抱え込んで、視線をウロウロさせた。


 なにか言いにくいことがあるのだろう。

 だから、この際クロエの方からぶっちゃけることにした。自分史上、最大の秘密を。


「私ね、どうやら転生者みたいなの」

「え⁈」

「一度死んで、この世界に生まれ変わった。前世のことは何も覚えてはいないのだけれど、女神さまにあなたを大事にするように言われたの」

「ええっ⁈」

「誤解しないでね? 女神様に言われたから、ここに嫁いだわけではないわよ? アレクのことは愛しているし、貴方のことは最初から可愛いと思っているわ。もちろん、あなたのことも愛しているの。あなたの義母になれて嬉しい。だから私は、この幸せを壊す敵がいるのなら、いつでも立ち向かうつもり」

「ほ、ほぅ」


 相手の反応を待たずに一気にぶちまけたものだから、キャロラインがパンク寸前である。


 「ほ、ほぅ」ってフクロウか、と可笑しくなり、クロエはブハッと吹き出した。

 自分の口から出た音の滑稽さに、つられて笑うキャロライン。


 ひとしきり笑いあった後、キャロラインはノートのメモについて、ぽつりぽつりと話し始めた。


「私、物心がついた瞬間から、繰り返し見る夢があるの。その夢では、この屋敷が領民たちに襲撃を受けていたの。お父様は首を斬られて……私は磔にされたわ。石をぶつけられたり、暴言をはかれたり……そのときの感触とかが、あまりにも実に迫っていて。もしかしたら、これは未来に起こることなのかもって思ったの」


 確信はなかった、という。

 けれど、何度も夢に出てくるキャロラインは今よりもう少し成長していて、日常的にわがまま放題に振る舞っていた。そして、宝飾品にお金をかけていた。

 父アレクは知り合いに騙されて大金を持ち逃げされており、その数年後に起こる領地の飢饉に対応できなかった。

 それらのことが原因で、ゾルフェレス家は没落した。


 その夢がずっと頭からはなれなかったのだ、という。


「どうにかしなくちゃって思って。でも、子どもの言うことをどれだけの人が聞いてくれるんだろうって不安になっていて」


 これこそが、幼いキャロラインを「けんきゅう室」に引き籠らせた理由だった。


 彼女は周囲の目を気にしていたのではなく、起こりうる未来を回避しようと人知れず努力していたのだ。


 父の視察に無邪気を装ってついていっては、領地を潤す方法を考え、飢饉や疫病が発生しないように予防していたらしい。


「だからドレスをなかなか作ろうとしないのね」

 キャロラインのドレスは年に一度、誕生日に合わせて数枚作るだけ。それ以上は彼女がかたくなに拒否したため、ずっとそれで通してきた。

 疑問に思っていたことの謎が解けた。


「そんなことでは、この伯爵家の身代が揺らがないのは知っているの。お父様からの愛情を拒否しているみたいで、断るたびに申し訳なくて。でも、あの夢の通りになったら嫌だから――」

 

 キャロラインは話しているうちに、涙交じりの声になっていく。そんな彼女を、クロエはそっと抱き寄せた。


「あなたは頑張ったわ。ずっと走り続けてきた。だから――――少し休憩してもいいのよ? 体と心を十分に休ませて、それからまた走りましょう。これからは私も一緒に戦うわ」

「お義母様……」

「差しあたっては、ジュリアーヌ様ね? さっそく調査に入りましょう」


 キャロラインはクロエを見上げ目を瞬かせて。そして次の瞬間、花が綻ぶように笑った。


♢ ♢


 夜もとっぷりと更けるころ、デリッポ子爵邸の周りを、武装した兵たちが囲む。玄関ポーチへと真っすぐと進みゆくのは、王宮騎士団精鋭十数名。

 その先頭を行くのは、ゾルフェレス伯爵アレキサンダーである。


「こんな夜更けに、何事ですか⁈ これは……アレキサンダー様と騎士の皆さま……只今主を起こして参ります。少々お待ちくださいませ」

 真夜中の訪問など、明らかに尋常ではない。

 動揺を抑えつつ家令が恭しく頭を下げたが、騎士が力強く言い放つ。


「その必要はない! まかり通らせてもらう! これは、王命である!」


 ばばーん、と音が鳴りそうなほどの威光を放ち、王からの書状がお目見えする。と、家令は慌てて屋敷の奥へと駆けていく。

 上官の指示でその後を追いかける騎士数名。

 アレクと残りの騎士たちは、事前の調査により判明していた問題の場所へ。


 子爵家当主の執務室を蹴破ると、真っすぐ奥の部屋へと進み、壁を叩いて該当する場所を確認。ぱかり、と左右に開く壁。

 「開け、ゴマ」状態である。


「あったぞ! 階段だ!」

 地下に続く階段を下りれば、そこには通路の左右に設けられた大きな堅牢が見えた。

 奥にもいくつもあるようだ。すすり泣く声も複数聞こえてくる。

「なんて酷い……」

 アレクは牢の中にいた子どもたちを目にして、言葉を詰まらせた。


 服はボロボロでやせ細り、目からは生気が失われている。


「ゾルフェレス伯。解錠が完了しました」

「ありがとう」

 諜報部隊の一人が全ての牢を解錠してくれた。アレクはそのうちの一つに入り、一番小さな子を抱き上げる。

 そして、その子のあまりの軽さに涙した。


「おじちゃんは……いたくしない? ぼくらのこと、ぶたない?」

 その牢に八人ばかりいた中で、おそらく一番年長の子がアレクに恐る恐るといった感じで近づいてくる。

「ああ。僕は、騎士の人たちと一緒に、君たちを助けに来たんだ。――――今まで、辛かったな」

 片手に幼子を抱き。

 もう片方の手で、近寄ってきたその子の頭を撫でる。


 すると、その子は堰を切ったように泣き始めた。幼子らしくない、抑えた嗚咽。声を我慢している様子が切なくて、アレクは片腕でその子を引き寄せ、抱きしめた。


「わあああああああん」

「「わあああああああん」」

 その子がリーダーだったのだろう。

 年長の子が大声を上げて泣いたのをみたとたんに、他の子も大音量で泣き始めた。


 そんな牢の様子が、他にも数か所で見られたという。

 

 子どもたちを毛布でくるみ、役目を終えた騎士や兵士たちが馬車まで抱えていく。あの子たちはこれから、王家により貸切られた宿へと運ばれ、風呂に入れられ、温かな食事もとることだろう。

 アレクは安堵のため息をついた。


「女性たちが奥の部屋にいました。薬が抜けるまでは、王都の治療院で療養してもらうことになるでしょう」

「ああ。これでもう言い逃れできないな」

「しっかり裁いてもらいましょう!」

 王宮の第三騎士団長がそう言って、獰猛な表情で笑った。


♢ ♢ 


 デリッポ子爵邸に突入する、ひと月前。

 愛する妻と娘から、アレクは気になることを耳にした。


 仲の良い二人は、最近連れ立って貴族家の茶会へ参加することが増えていたのだが、彼女たちが訪れた貴族家で、気になる光景を目にしたらしい。


「お父様あのね、サリーちゃんの家の家令さん、なんか変なんです。壁をあけて、中に入っていくの。お友達が小さい子の悲鳴みたいなのを聞いたっていうし」

「私も婦人会のみなさまから、変な噂をきいたの。隣国で数年前、麻薬の売人が捕縛されたでしょう? そのときにうまく逃げた人たちが、どうやらうちの国で商売をしているらしいの。低位貴族家のどこかが、その流通に協力しているらしいのよ」

「この前読んだ小説ね、地下牢があって、そこに違法取引された動物たちが閉じ込められているお話だったの。変な薬をかがされて、意識を奪ってから捕獲するのよ? ねえ、お父様。サリーちゃんのお家、大丈夫よね?」


 「サリーちゃん」の母親であるジュリアーヌは、アレクの母方の従姉である。

 そして、娘の言う「サリーちゃんのお家」は「低位貴族」であるデリッポ子爵家であり、数年前からきな臭い噂があった。しかもアレクのもつ情報網から、資金繰りに困っているということもすでに掴んでいた。

 

 いくつもの符合する要因に、アレクは眉間にシワを寄せざるを得なかった。


「今だから言うが……クロエとの結婚式の当日、ジュリアーヌから援助を請われたんだ。返済の見込みがなさそうだったから断ったけれど」

 デリッポ子爵家はジュリアーヌが嫁いだ当初はまだ景気が良かったが、散財が過ぎて斜陽貴族家に成り下がった。

 それなのに、ジュリアーヌたちは生活を見直すこともなく、相も変わらずドレスに宝飾品、夜の社交や先の見えない投資に湯水のように金を使っていた。

 親戚のよしみで、アレク個人の資産からいくら貸そうかともいったんは考えたが、馬鹿らしくなってやめた。ましてやゾルフェレス伯爵領の領民が支払った税金を、あぶく銭として使わせる気はなかったので、その場で断ったのだ。


「だいたいあいつは、『お祝いが言いたくて』を口実に客間にふんぞり返っていたんだよ? そしてふたを開けてみれば、借金の申し出って、まったく! あ、ごめんね。子どもに聞かせる話ではなかったね。クロエも、嫌な話をしてすまない」

 昔からジュリアーヌとは、そりが合わないのだ。

 心配気にこちらを見つめていた妻と娘に謝罪するアレク。


「ううん、大丈夫よ。話してくれて、むしろ嬉しいわ」

「お父様も大変だったのね。でもおばさまがそんな感じの方なら、ますます心配ね」


 あの夫婦の身勝手さを思い出すたびに、腹が立ってくるから考えないようにしていたが、たしかに捨て置いていい問題ではない。

 もし本当に犯罪に加担していたら、大変なことだ。ジュリアーヌは我が伯爵家の血縁者なのだから。


♢ ♢


 念のために、と言いながら。専門の調査業者を複数頼み、内部まで詳細に調べさせると。出るわ出るわ、犯罪の証拠が。


 アレクは「公にした方がいい」と判断し、かつての恩師を頼って法務大臣につなぎを取ってもらった。

 そうして今回の逮捕劇に相成った。


 王宮から届いた事後の報告書を、アレクは執務室にて読む。自分が目を通した後に、刺激が大きい部分を除いて、妻と娘にあらましを伝えるつもりだった。


 騎士団による厳しい尋問により発覚した事実は、衝撃的だった。


 結果から言えば、デリッポ子爵家は、麻薬の流通には手をだしてはいなかった。

 けれど、売人に屋敷の地下という「場所」を提供し、商品の一時保管先になっていたことで、「貸倉庫代」という名目でまとまった金をうけとっていた。

 商品は、どこぞから攫ってこられた年頃の美人女性たちである。


 隣国から流れ着いた売人たちはこの国に根付き、新たな商売――――人身売買を始めていた。

 麻薬で意思を奪って対象者を監禁し、各国に売りさばいていたのだ。

 

 デリッポ子爵家地下室の奥には広い部屋が造られていたそうだ。

 

 そこは貴族の使う部屋の様に豪華で、集められた女性たちはきれいな服を着せられ、側にお世話係もいた。食事の世話も一日三食、きちんとされていたらしい。

 

 その部屋に踏み込んだ当初、騎士たちはその部屋にいる女性たちの異様さに顔をしかめたという。

 

 捕り物の喧騒など何も聞こえていないかのように平然としていて、宙を見つめている者が数名。その者たち以外は、緊迫した雰囲気の中、それを感じ取ることもなくゆっくり近寄ってきては、親し気に肉体を寄せてくる。

 騎士たちは大いに困惑したらしい。

 

 後の調べで、彼女たちに使われた薬は、服用した者の思考を奪い、苦痛も恐怖も取り除き、快楽のみを求める類のものだということが判明した。

 

 親戚の倫理観の乏しさに、心底がっかりする。

 そんな犯罪に加担していたとは。

 


「じゃあ、あの子たちは……?」

 アレクが報告書に目を通し、眉間にシワをきざんだところで、目に止まった一文。

――――子どもたちは、女性たちの実子だと思われる

「はあ⁈」

 憤りが声の大きさに現れてしまった。


 つまり、見目の良い女性をあえて子どもと一緒にいるときに攫い、子を盾にして言うことをきかせていた、ということだ。女性たちには食事に薬を混ぜて食べさせ、次第に意識をあやふやにさせ、意のままにあやつる。


「子どもたちは、あんなに痩せて……クソ野郎どもが!」


 続く文章に、たまらず紙を握りつぶす。

――――見目の良い子は、既に売られた。残った子は弱らせ、死に至らしめる手はずだった


 手紙には、「国の法律を適用することにより、デリッポ子爵家当主と夫人、地下の存在を知り隠ぺいに関わった使用人数名は刑に処するが、その他の連座制はとらない」ことと「貴殿の協力に感謝する。後日褒章を――」と続き、最後に王からの署名もあった。


 本来なら、それはアレクにとって喜ばしいことに違いない。従姉のしでかしがゾルフェレス伯爵家には波及せず、率先して捕縛に協力したことで褒章まで得られるのだから。

 

 だが、アレクの胸に湧き上がったのは喜びどころか、やり場のない哀しみと怒りだった。

 

 思い浮かべるのは、歳を経るほどにどんどん卑しい女になっていった従姉のこと。

 

 図々しかったって、金遣いが荒かったって。そこまで墜ちているとは思いたくなかった。

 ジュリアーヌだって実娘のサリーのことを、目に入れても痛くないほどに可愛がっていたはずなのに。

 それなのに、あの女性たちをみて、何も感じなかったというのか。

 どうして子を使って脅すことなどできたのだろうか。

 やせ細ったあの子たちを目にしていたはずなのに。


 今回女性たちに使われたのは、強い薬だという。子の命を護るために、相手のいいなりになった母たちが、愛する子のことを思い出すことができるのは、いったいいつになるのだろう。


 そのことを想えば、やりきれなかった。


♢ ♢


「お父様、大丈夫かな……」

 執務室から漏れ聞こえた慟哭。

 父の声だと気づいた聡い娘は、表情を曇らせた。


「きっと辛いわよね。アレクは優しい人だから」

 義娘の肩を抱いて、引き寄せる。キャロラインはクロエに身を寄あずけ、「うん」と弱弱しくうなずいた。


 クロエがキャロラインのノートをのぞき込んだ、あの日。

 義娘が自分のみた夢をなぞって、起こりうることを書き留めていた中に、ジュリアーヌの名があった。

 ジュリアーヌはかつて、この伯爵家に養女に入る可能性があった人物だ。この国では男女ともに相続権がある。


 伯爵家夫妻――アレクのご両親――は長い間子どもを授からなかった。そのため、親戚筋から養子をとる話が進んでいた。その話が浮上して数年後、アレクが生まれたのだ。

 両親は手放しで喜んだ。が、面白くないのは子爵家の方である。

 

 ゾルフェレス伯爵の血筋は多産ではない。そのため、母方から養子を迎える可能性が高かっただけなのだが、ジュリアーヌ本人は「決まっていた自分の居場所を奪われた」と曲解しているところがあったらしい。

 これは、古くからこの家に仕えてくれている使用人たちから語られた話だ。


 だから恥ずかしげもなく、ジュリアーヌは借金の打診に来られたわけだ。元々自分のものになる予定だったのだから、という感覚が大きかったのかもしれない。


 あのまま何も対策をとらなければ、ジュリアーヌたちの罪はアレクになすりつけていた可能性が高かった。

 現に、子爵家夫妻が準備していた偽装書類には、アレクの名があった。あの地下の客室は、アレクが指示し作らせたことになっていたのである。

 その事実を、クロエが依頼していた調査会社の人間が掴んでいたので、潜入して書類を盗ませ、先んじて処分させておいた。


 その者たちと入れ違いで、アレクの依頼した調査人たちが子爵邸に潜入し、更なる証拠をつかんだ。

 そして、今回の捕縛騒動に踏み切ったわけだ。


 アレクは暗澹たる想いを抱えただろうが、結果を見れば、これが最善だったと思いたい。

 

 オリビアは、父親のことを想って悲し気に眉尻を下げる娘の肩を抱く。


「キャロラインはわがまま娘ではなく、聡明で質素倹約令嬢だし。領地は温和なアレクと可愛いキャロラインのおかげで潤ってる。今回、ジュリアーヌも捕まったわ。我が家の没落の原因、何もなくなったじゃない?」

 私は、義娘の心配事を指折り数えたあとで、パッと両手をひらいて笑った。

「アレクのことは、私たちが幸せにしていけばいいわ! 問題なーし!」

 わざとらしいくらい、明るく振舞う私。

 すると、空中に高く広げた私の手をとって、自分の手とつないだキャロラインが、私をクリクリの瞳で見上げた。


「お義母様が、お義母様だったからよ」

「ん? どういうことかしら?」

「私、お義母様が来ることは夢で分かっていたの。けれど、私やお父様、この領地にとって、いい人かどうか、他の人たちみたいに視えなかったの」


 夢の内容の範囲では、クロエが没落原因の一つになるかどうかの判断がつかなかったらしい。だから、クロエに実際会うまではとても警戒していたという。


「でも、お義母様がここに来てくれて、この屋敷の空気が軽くなって。お父様も幸せそう。使用人のみんなもお義母様のこと、慕っているのよ? 女性としての品と愛がある人だって。私とお父様の心を護っているって」

 クロエは「あら」と言いながら、高い評価が照れくさくて頬を手でおおった。

「嫌な人だったら、徹底的に戦わなければって思っていたから、本当に良かった!」


 キャロラインがそんなことを小声でつぶやいたとき、クロエの頭の中に女神さまと会った時のことが急速に思い出されていく。


 そう、クロエが知りたかった「だから義娘を大事に――」の前の部分である。


『これからあなたが生まれ変わる男爵家は、貧乏なの。典型的な貧乏子だくさんの家庭』

『はぁ』

『そこでまずあなたは、変人どもに囲まれるわ。あなたの家族、とっても個性的なの。でも愛は大きいから。そこで、修業を積んでね』

『はぁ?』

『あなたはそのうち娘と出会うわ。あなたが生んだ子ではないけれど、その子が家を救うカギだから』

『どういうことですか?』

『前妻の子なのよ。ああ、もちろんあなたの子も産まれるわ。両方大事にしてやって。特殊な能力があるの。変わったタイプの子だけれど、あなたは育ってくる過程で兄弟に鍛えられるから、大丈夫でしょう』

『そうですか……何か分からないけれど、私が自分の幸せのためにできることってありますか?』 

『ないわよ』

『え⁈』

『あなたには、どうすることもできません』

『えええ⁈』

『大恋愛で結婚するだろうけれど、すべては義理の娘次第ってことね。じゃ! がんばってねぇ』



 思い出してクロエはがっくりと項垂れた。女神様、いい加減也……。


 でも。

 クロエは自分に身を寄せ、安心しきっている義娘を眺める。可愛らしさに美しさを加え始めた愛娘は、顔を上げ、幸せそうに笑っている。

 クロエが今幸せなのは、彼女がこの家の不安要因を一つ一つ潰し、没落を未然に防ごうとして頑張ってくれていたおかげだ。


 クロエは愛しい子どもを思いっきり抱きしめた。

 女神さまの言っていたキャロラインの特殊能力は、未来視かそれともやり直しの記憶持ちか。くすり、と笑ったクロエにキャロラインも頬を寄せ、二人で笑いあっていると。


 ダン! という衝撃音とともに、倒れこむようにして入室してきた何か。

 

 息をひそめて、音がした方向を凝視する二人。


「ねえねー! まー!」

 我が家のはいはいの上級者、エドワードだった。彼は、大好きな姉と親しんでいる母を視界にとらえ、満面の笑みで片手を上げる。

 その後ろからケイランドがついてきている。


「エドワード様はときおり壁や布に鼻をくんくん、とさせて迷いなくこちらへ一直線でございました。坊ちゃまは、アレク様の愛情深さとキャロ様のスペシャル感を彷彿とさせますなぁ」


 家令兼じいやは、孫を見るような愛し気な視線をエドワードに向けている。


 『――――特殊な能力があるの』

 女神さまが言っていたあれは、キャロラインのことを指していると思っていたが。もしかして……エドワード、お前もか?


 母の困惑をよそに、姉弟はキャッキャと手をつなぎ、仲良く遊んでいる。そこにまだ少し目が赤いアレクが顔を出して、子どもたちの無邪気な戯れに頬を綻ばせた。


 まあ、いいや。

 この幸せを、私はずっとそばで見守っていこう。


 クロエはそのときした静かな決意の通り、その後も義娘のノートをもとに不安要素を排除し続けた。

 時には「けんきゅう室」にて義娘と密談しながら。


 

 ――その数十年後。


 成長したキャロラインは、適切な領地運営を行う聡明な女伯爵として民から慕われ、人の良い好青年と結婚して子どもを二人もうけ、仲睦まじく暮らした。

 アレキサンダーとクロエ夫妻は、キャロラインに伯爵位を譲った後、領地にて穏やかな日々を過ごした。

 そしてエドワードは、騎士団の特務部隊に所属し、およそ人類とは思えないするどい嗅覚で数々の難事件を解決に導いた。

 彼は、好きな人がどこにいても必ず探し当てる特殊性と、愛した女性を隅々までマーキングしようとする癖により、出会いと別れを繰り返す恋多き男性として名を馳せた。

 が、元来の人懐っこい性格と父譲りの美貌と愛情深さでついに運命の人と出会い、その女性と結ばれて幸せな人生を送ったという。

 

 付け加えておくが、ゾルフェレス伯爵家はもちろん没落することはなかった。


個人的に「エドワード、お前もか」のフレーズが気に入っています。

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犬系の何かが異能になってませんかね〈息子のアレコレ
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