弟の手紙
悪魔の足音
⻆谷 春那
弟の手紙
姉さんへ
おかえりなさい。そして、ごめんなさい。僕はもう、家には戻れません。
ここまで育ててくれた姉さんには、本当に申し訳なく思っています。
ですが、もう帰る訳にはいかないのです。
どうか、自分の為に、生きて下さい。
そしてどうか、一人っ子に戻ってください。
僅かながら、今までのお礼です。
どうかそのお金で、美味しいご飯を食べて下さい。
僕のために使っていた分、お洒落を楽しんでください。
良い人に、出会ってください。
「パートナー」と言う意味だけでは、ありません。
友人や、会社の人。
誰でも良いです。
どうかそのお金で、良い補聴器を買ってください。
手術を、受けて下さい。
一週間前の事件は、多分僕のせいです。
姉さんも知っての通り、僕は九死に一生を得ました。
ですが、おかしな事とは思いませんか?
医者も、奇跡だと言っていました。
確かに現在の医療は、素晴らしいものでしょう。
しかし、だからと言って。
完全に、僕の心臓は、止まっていたのでしょう?
あの人から、聞きました。
随分と、怯えた様子でした。
どうやら、僕はずっと、あの日から、喉に違和感を感じて止まないのです。
糸の違和感だけでは、無いのです。
何か、喉にガムか何かでも、張り付いたような。
何と表現すれば、良いのでしょうか?
何か、自分の喉に、異物を感じるのです。
息をするたびに。
声を発すると、特に。
喉の、震わせる部分に。
何かを感じるのです。
何か、違う響きを感じるのです。
ただし僕の声は、変わらない響きを湛えているのです。
きっと、僕が生きていられる理由に関係しているのでしょうか?
いや、そうとしか思えません。
自分の体でも、分からない事はあります。
全て分かると豪語するのは、些か傲慢なのでは、無いのでしょうか?
どうして、世の中には悪人が蔓延るのでしょうか?
どうして、姉さんのような善人が、損をするのでしょうか?
どうして、栄えているのにも関わらず。
人から搾取するカス共が、後を絶えないのでしょうか。
姉さん、ごめんだけどどうやら僕は、人をやめたらしい。
一週間前のあの日の事は、とてもよく覚えています。
僕は、僕を襲った犯人を、知っていた。
後ろから切り付けられたとは言え、流石に無理がある事かとは思いました。
そう、嘘を吐いた。
僕は、警察に嘘を吐いたのです。
何故か。
姉さん、僕は、力に目覚めました。
それに、気付いたのです。
病室の、看護師さんの中や、医者との診察との中で。
僕は、一週間前にそれを悪用しました。
警察の聴取の際にも。
僕は、手に入れた力を、私情で使ってしまいました。
僕ら姉弟をずっと虐げてきたあの人を、どうしても許す事が、出来なかったのです。
僕の仮説は正しく、僕の力であの人は死にました。
そして、ゾッとしました。
これは、人が手に入れて良い力では、ないのです。
あまりにも、全知全能とも呼べる程強い力を、僕は手に入れてしまいました。
手術以降、僕の喉には、悪魔が棲みついています。
僕の声は僕の声であって、僕の声ではない。
悪魔の鳴き声なのです。
僕の喉の悪魔を、僕は御する事が出来ません。
僕が発した声は全て、悪魔の鳴き声になる。
「言霊」と言う言葉がありますが、それとも違う。
随分と、先送りにしてしまいました。
どうしても、言いたくなかった。
でも、言わなければならない。
一週間前のあの日、僕はあの人の所に行きました。
僕は言いました。
「両親を殺した証拠を用意しろ。」
「僕を殺しかけた確固たる証拠を用意しろ。」、と。
あの人は、すんなり従いました。
あぁ姉さん。
僕は、人を従わせる力を、手に入れてしまいました。
「死ね。」と言えば死ぬ。
そして、さらに。
誰も、僕の言葉を疑いもしない。
どんなに、突拍子もない言葉でも。
あの人を自殺させてから、僕は我に返りました。
感情のみで、動いてしまっていました。
しかし、それだけではないのです。
喉の悪魔は、人を従わせるのです。
それだけでなく、僕も誑かす。
当然です。
自分の声を一番聞いているのは、自分なのだから。
悪魔は、気付かない内に僕を蝕み、残虐な行為に手を染めさせるのです。
そして僕を、死なせはさせてくれないのです。
僕を必死に、生者に引き止めるのです。
僕はそんな訳で、姉さんから離れる決意をしました。
もう、今までの僕は、死んだ者と思ってください。
今これを書いている僕は生きていても、必ず悪魔に殺される。
もう、忘れて下さい。
きっと姉さんと一緒にいると、何か恐ろしい事をしてしまいそうで、怖い。
お元気で。
体には、気を付けて下さい。
貴女の、元弟より。
僕の、妄想なのかもしれない。
赤く染まっているのは喉ではなく、僕の手なのかもしれない。
悪魔など、存在しないのかもしれない。
全て、僕なのかもしれない。
貴女の耳が、既に死んでいて良かった。




