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寄生命体つのばやし 改訂版  作者: GoodSunGGgaming


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森蘭丸と明智光秀と信長 恋のバミューダトライアングル 上杉との軋轢 時空警察編

森蘭丸という美男子がいた。


明智光秀と恋仲になり二人は愛し合っていた。


そんなおり信長は蘭丸をじぶんの小性としてあつかうことにしたのだ。


明智はめらめらと怒りの炎をたくわえており、のちに本能寺をせめる要因となった。


この恋の三角関係をのちにきづいたウツロと深井が恋のバミューダトライアングルとなづけている。


信長は美男子をめでることで戦国の世のストレスのはけくちとしていた。


蘭丸は使者としての活躍も見られ、天正7年(1579年)「四月十八日 塩河伯耆守へ銀子百枚遣はされ候、御使森乱、中西権兵衛相副へ下され、過分忝きの由候なり」、天正8年(1580年)「正月廿六日、森乱御使にて、濃州岐阜御土蔵に、先年、鳥目一万六干貫入れおかれ侯」などの例がある。また、母の妙向尼は織田信長と石山本願寺との争い(石山合戦)の和睦成立に奔走した際に、成利を通じて情報を得て信長と直談判をしたとされる。


従来は信長と協力関係にあった関東管領の上杉謙信との関係が悪化する。謙信は天正4年4月から石山本願寺との和睦交渉を開始し、5月に講和を成立させ、信長との対立を明らかにした。謙信や石山本願寺のみならず、毛利輝元・波多野秀治・雑賀衆などが反信長に同調し、結託した。


天王寺砦の戦いののち、佐久間信盛ら織田軍は石山本願寺を水陸から包囲し、物資を入れぬよう経済的に封鎖した。ところが、7月13日、毛利輝元が石山本願寺の要請を受けて派遣した毛利水軍など700 - 800隻程度が、本願寺の援軍として大阪湾木津川河口に現れた。


静かな水面がゆれてあれるころ大軍がおしよせてきた。


信長にとってこれはよきしていたが、数と練兵度合いが算段をうわまわっていたのだ。


『屈強ぞ!』


『との封鎖した関所がおとされそうです!』


『くっ足に受けた弾丸の傷が疼く。ふんばりがきかぬわ一時撤退する!』



この戦いで織田水軍は敗れ、毛利軍により石山本願寺に兵糧・弾薬が運び込まれた(第一次木津川口の戦い。


7月12日、淡路島の岩屋を出発した毛利水軍は、泉州の貝塚に渡り、紀州の雑賀衆と同意して、13日、堺津から木津河口に進んだところ、井楼を組みあげた数艘の大船とそれを囲む警護船200余艘の織田水軍と接触、戦闘が開始された。戦いは13日から14日の早朝にかけておこなわれ、毛利水軍が織田勢を破り、大船をすべて焼き崩す戦果をあげ、織田勢に包囲された本願寺に兵糧を入れることに成功した。


『いゃぁーなんぎでしたぞ!織田の水軍はなかなかのきょうどをもっていた。費用がかさみもうしたので追加で請求いたす』


敵城を包囲中の織田主力部隊が、敵の大集団に、外側から封鎖を強行突破をされた希有の例であるため、信長に強烈な打撃を与えたとされている。



明智の嫉妬はれきしうごかすことになる。



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