第1話 ~僕~
ママ……やっと見つけたよ、ママ……
東京都。23区を名乗るには少し畑が目立ちすぎる場所に、『福谷区』の総合病院がある。大きな中央病棟を仰ぐと、凸状の突起部分から放射状に伸びる渡り廊下を視認できる。その最南端の1本が私道を超えた先に、これまた無骨な正方形の産婦人科棟がある。
設計に携わったらしい著名な建築家は、この建築物を、輝かしい日本の未来になぞらえて『繁栄』と題した。だがベビーブームが終わりを告げてから既に久しく、今や剥き出しになった鉄筋が、隙間だらけになった現代日本の暗い未来を現しているようだった。
だが―――僕が気に入ったのは、何よりその薄暗さだった。そう、昭和時代に建てられたこの建物にプライバシー意識など片鱗もなく、僕はいとも簡単に病棟へと出入りすることができたのだ。
並木だけが取り残された旧街道と建物の間には、高校生が一人通り抜けられるだけの茂みがある。おそらく不法投棄されたであろうタイヤの束を足場に、僕は錆びたバルコニーへと飛び移る。網ガラスのはめ込まれた冷たい扉を手前に開くと、自分の居場所を突き当たりとした長い廊下が現れる。遠くには談笑する看護師のシルエットが見えるが、こちら側の未使用区画はクロスパーテーションで区切られており見つかることはない。すり足で廊下を進み、右手側3番目の扉に手をかけると、いとも簡単に分娩室に侵入することができた。
僕は、遮光カーテンに分断された青暗い部屋の中で全裸になると、持参したミルクパウダーを全身に纏う。余ったパウダーをオムツの前後に注ぎ込むと、僕は分娩台に横になり、以前この部屋で見つけたおしゃぶり(自宅で念入りに除菌したもの)を口にはめ込む。最後に、胎児のポーズ(妊娠月数7カ月目)を決めこんだ後、小声でこう呟いた。
『ITS SHOWTIME……』
◇◇◇
小中と馴染めなかった僕は、どこにいてもいじめられた。
担任は、学年替えの度に僕のクラスからいじめっ子を外してくれた。それでも毎年新しいクラスメンバーからいじめられた。結果として、学年が進むにつれて、全クラスに僕のいじめっ子が配分されるようになった。
5年ともなると『全クラス共通で僕をいじめる為の徒党』が結成された。彼らは教室の垣根を超え、同一の目標へと向かう強い絆で結ばれた。彼ら『友達』は、僕の身体にカッターナイフで落書きをしたり、僕を画鋲の椅子に座らせて楽しんだ。
こんな事が卒業まで続いたので、僕は『友達』の概念を感じる度に、いじめの記憶がフラッシュバックするようなった。仲の良さそうな男子グループとすれ違うだけで、焼いたカメムシの匂いやチョークの粉で一杯になった胃の感触が思い出されるのだ。医師の診断は受けてないが、PTSDとかいうやつだろう。
しかし、中学に入ってからは、ようやく僕の日常に平穏が戻ってきた。『一言も発さない』をモットーに日々を過ごし、トイレ飯を始めとする陰キャのナレッジスキルをあらかたマスターすることで、いじめられずに過ごすことができた。僕への陰口を何度か小耳に挟んだことはあったものの、一人勉学に勤しみ、良い成績を修め続けることで、直接手を出してくる人間はいなかった。そうして3年が過ぎ、都内有数の進学校に僕の受験番号を見つけた時、人生のマイナスポイントが、ようやくゼロになったと感じた。そして、これからはプラスに転じていくのだろう。そう考えていた。
高校の体育祭で、ゲロをぶちまけるまでは。
つづく




