「太一とヘッド」
武一に聴覚過敏の話を聞いてからヘッドに近づかないようにしていた。
リレーが終わった後もクラスの連中と健闘を讃えあったがヘッドにだけは近寄らなかった。フォークダンスの時も先攻で入っていたヘッドを避けて適当にやり過ごした。今日はもうヘッドと話せない気がした。そう思って決めた。いや、話さないとダメだ。今日、話さないともう話せない気がした。普段出来ない事が夜祭の空気が後押ししてくれた。クラスでのミーティングを終えて、武道場にやってきた後クラスの連中と話をしていて、ふと周りを見た時にはもうヘッドはいなかった。
武道場に来るまでは大体どこにいるかは把握していて、武道場で合流した他のクラスの奴と盛り上がって話している内にヘッドを見失った。男子の馬鹿乗りなんていつでも出来るのに夜という事もあってつい悪ノリしてしまった。男同士で騒げるのも今の内だが夜祭のヘッドに絡めるのは今しかない。これからも話す機会はあると思う。けど、夜祭で絡む事が重要な気がした。ヘッドはドコにいるのか。クラスの女子と楽しそうに話でもしてるのか、それともこんな時でも1人でいるんだろうか。俺は立ち上がると、少し早歩きになってヘッドを探した。
いつからか武道場の中央には甲田を囲うようにして生徒が集まっていて、武道場を一周してもヘッドは見当たらなかったのでその集団を見てみると、集団の端っこに座っているヘッドを見つけた。甲田の話に耳を傾けながら時々隣に座っている女子と話をしている。ヘッドの後ろに廻って少し離れた所に腰を降ろした。ヘッドと話しているのは同じクラスの女子で、確かこの子が咲ちゃんという子だと思う。後ろから2人の様子を見ながら話しかけるタイミングを待った。少ししてその咲ちゃんがヘッドに何か言って立ち上がった。そのまま歩いて行って別の輪に入っていくのが見えたので、俺は座ったまま体を寄せた。ヘッドは急に隣に座った奴には興味がないようで、ヘッドは前を向いたまま俺の方を見ようともしなかった。それがいかにもヘッドらしくて可笑しかった。
「白石」
声を掛けるとようやくヘッドは俺の方を向いた。少し驚いたのか、ヘッドはぽかんと口を開けて俺の顔を見た。
「甲田の話?」
「うん」
ヘッドは他の女子と同じようにラフな格好で膝にはタオルを置いていた。他の子と違うのは長袖の上着を羽織ってる事だろう。白石以外で長袖を着てる女子は見当たらなかった。あとは珍しく眼鏡をかけていて、その代わりヘッドホンは付けていなかった。俺は耳を促すようにして「大丈夫なの?」と聞いてみた。ヘッドは黙ったまま頷いて膝のタオルで口元を隠した。ヘッドは俺が耳の事を知っている事について何も聞いて来なかった。少し虫の居所が悪くなって、変な勇気が出てしまった。
「俺が耳の事知ってるの不思議に思わないんだ?」
ヘッドは少し驚いた顔をした。
「元々知ってると思ってた?」
割と詰め寄る感じだったと思う。ぶんぶんと首を振るヘッドは何か言っているようだったが、小さくて聴き取れなかった。でも困っている事はわかった。
「いや、責めてるんじゃなくてさ。あのさ、何で言わないの耳の事」
ヘッドは耳に障害があって、その為にヘッドホンをしている。
「好きなんだ。休み時間の教室」
俺の質問の意図をヘッドはすぐに理解した。
「それで気ぃ遣ってるって事? みんなが騒げないからって」
「それもある」
「でもさ、言わないとみんな好き勝手やるだけじゃん?」
ヘッドに遠慮しなくなったのは、ただの好奇心が興味に変わったからだろう。今なら会話に困っても気まずい事はない、聞きたい事が山ほど出てくる。ヘッドは少し俯きながらも、それでも少しずつ答えてくれた。
「休み時間は、たくさん音が聴こえるから。話し声とか、足音とか、椅子を引く音とか本当にたくさん。1つ1つは大した事ないんだけど、そういうのが重なると頭の中がブワーってなるの」
音の種類が幾つあるかなんて考えた事なかった。休み時間が授業中よりは騒がしくなるのは当然だけど、授業が終わった後の開放感が誰かの苦痛になってるなんて考えもしなかった。ヘッドはただ黙って耳を塞ぎ、受け入れていた。
「嫌じゃなかったの?」
ヘッドは少し笑いながら首を振った。
「みんな楽しそうだし。本当は私も混じってみんなと話したいから」
「なんで? やればいいじゃん。何でやんないの?」
「私、話すの得意じゃないし。みんなの邪魔すると悪いから」
「なんで? なんでだよ? 誰に気ぃ遣ってんの? みんなヘッドの事知らないぜ?」
「そうかな? 知りたいと思うかな?」
「思うよ。お前、謎なんだよ。わかんないんだよ。なんで絡んでこないの? なんでいっつもヘッドホンしてんの? 聴覚過敏とか知らねーし。初めて聞いたし。なんで言わないんだよ? 言えばいいじゃん。俺ら、お前のこと何も知らないぜ」
「ごめん」
「いや。違う。違う違う。全然違う。別に責めてるんじゃなくて。なんかすげえ勿体なくて。せっかくさ、同じ学校でさ、面白くてさ、楽しくてさ。なのに何も知らないって勿体ないじゃん?」
何も言えない。何もうまく伝えられない。うまく言う必要はないけど、伝えたい。
何を伝えたいのか。伝わってるのか。自分でもわからなかったけど、俺はヘッドに聞いて欲しかった。
「簡単に言ったらもっと絡みたいんだよ。普通に話したりさ。放課後ちょっと残ったりさ。なんかそういうの。そういう事したいんだ」
「うん。うん」
「あー本当頭悪いわ俺。何も言えない。伝えられない。もっとさ、こうガッついて来いよ。三月みたいにさ、お前らふざけんなよって感じでキレ気味にさ、もっと絡んで来いよ」
「うん」
「本当か? 言ってる意味わかってんの? 出来んの?」
「わかる。けど出来ない」
「なんだよそれ?」
「ごめん」
「いや、そうじゃなくてさ。謝るとかそういう事じゃなくてさ」
「うん。ごめん」
これも夜祭のせいか。俺1人だけ酔っ払ってるみたいだ。言いたい事言って、好きな子を困惑させて。けど何でか、意図していた展開とは全然違うけど居心地は悪くなかった。楽しかった。ヘッドと話せた事が幸せだった。深呼吸しようと思って、ふーっと息を吐くと少し落ち着いた。
「そういや進学とかどうすんだっけ?」
「あ、えっと大学。阿里佐和女子とか」
「アリ女かよ。なんだよ接点なくなんじゃん。いや、それは別にいいんだけど。白石さ、大学行っても連絡して来いよ。俺も連絡するから」
「え? うん」
「女子大なら合コンしよう。俺もどこ行くかわかんないけど誰か探しとくから」
「え、うん」
「本当? 出来んの?」
「わかんない」
「ウソ。いい、ゴメン。合コンとかどうでもいい。けど卒業しても連絡取ろう。今からじゃ白石の事わかんないし。これ決まりな」
「うん」
それまで白石の連絡先なんて知らなくて。初めて成功したナンパみたいな感じで連絡先を交換した。今日に限って、なんでこんなに強引なのかは自分でもわからなかった。後で思い出したら発狂してしまいそうだ。
「そういやなんでメガネしてるの?」
「あ、えっと普段はコンタクトしてるから」
「そうなんだ」
「うん」
メガネを掛けたヘッドはいつもより幼く見えた。じっと見てた訳じゃないけど俺の視線に気づいたヘッドはタオルで顔を隠した。
「今、メイクしてないから・・・」
そばかすと小さなニキビ。教室でのヘッドを少し思い出した。
「あんまり見ないで」
「ごめん」
体育座りのまま、膝に置いていたタオルでヘッドは顔を隠した。こんな可愛い生き物がこの世界にいる事が信じられなかった。すぐには言葉が出てこなくて、少し居心地が悪くなって。好きな子の隣に座ってるような。その感じが自分でも不思議だった。全く話してる内容は聞いてなかったけど、甲田の低い声が気まずい空気を埋めてくれた。今日に限っての強引さはまだ残っていて、まだヘッドとの会話は終わらなかった。
「でもさ、何でヘッドホンみたいな大きいの付けてんの? 余計目立つじゃん。何か言われるだろうしさ。そしたら気づかれるじゃん?」
白石は両手をヘッドホンに見立てて耳にあてた。
「コレしてなかったらヘッドじゃなくなるでしょ?」
割とすっとぼけた顔で、さらっと言った。
「それ、本気で言ってる?」
ヘッドはクスクスと笑った後、こう言った。
「最初は目立たないように小さいの付けてたんだよ、イヤホンみたいな。けどそれ無くした事あって。で、急いでたし、しょうがないから小学生の頃使ってた大きいの付けていって。そしたらみんなに凄い見られて。それで恥ずかしくて。で、もう絶対付けていかないって決めて、無くしてたイヤーマフも見つかったし。けどちょっとして何か私の事を話してるの聞いた時があって、最初気づかなかったんだけど、大きいの付けてた時の事言ってると思って。で、その時私の事をヘッドって言ってて。最初何でだろうと思ってたけど、ああコレの事言ってたんだって気づいて。私ね、大きいの付けていったの一回だけなの。なのにいつの間にか、あだ名みたいになってて。何かそれが可笑しくて。恥ずかしかったけど、ちょっと嬉しいっていうか」
言われて見れば俺が知ってるヘッドは、もうヘッドとして認識している時だった。というかそれがなかったら知らなかったかもしれない。
「変だよね?自分でも思うもん。変だなって」
「確かにヘッドホンしてない時の白石は知らないかも」
「それからかな。ヘッドバンド式のイヤーマフして学校に行きだしたの。その時もさ、本当は凄く恥ずかしくて」
白石はまた笑った。
「普通なんだよ。ちょっと気をつけてれば普通に生活できるし。私がそうすればいいだけだから。それなのに、みんなに押し付けるってさ」
身体の内側が熱くなった。ヘッドって、こんな顔するんだ。ここが2人だけの空間なら抱きしめていたかもしれない。それからヘッドが学校の先生になりたいという話を聞いた。
「全然イメージにないっていうか、正直驚いたけどさ。でもなれると思うよ。白石なら絶対いい先生になれると思う」
「本当?」と照れながら聞くヘッドは最高に可愛かった。
「でも、嬉しい」
話しているヘッドはずっと楽しそうで、それも夜祭の空気がそうさせるのか。それはわからなかったけど、そういう話をずっとしていたいと思った。
気づいたらヘッドと普通に話せるようになっていて、それが自分でも不思議だった。話せたからと言って何か変わる訳じゃないが、もうヘッドの肩を強く叩く事はないし、教室で馬鹿みたいに騒ぐ事もない。かと言って大人しくしてるかと言ったらそうでもない。ヘッドが好きだという教室の、その中の1人として、その場所に居たいと思った。ヘッドは大人なんだと思う。女の子なんだと思う。俺の好きなその子は華奢で、か弱くて、隣にいるだけで少し緊張した。




