「新田さん」その2
新田さんが僕に気を遣ってくれるのは転校生だからというのが理由じゃなく、本当は僕に気があるんだと思う。
と、考える程大胆な思考を持ってない僕は、新田さんの特性には気づいていた。
ある日、古典の先生が教室に入って来た時、チャックが開いてるのに気づいた新田さんはすぐにその先生に声を掛けた。普通ならクスクスと笑って隣の子と共有するか、黙っているのが僕達世代の普通の気がする。別に言わなくても気づくだろうし。で、ようやく気づいた教師が慌ててチャックを締めるのを見てクスクス笑うのだ。
「あ、先生。チャック開いてるよ」
「おう、悪いな新田」
前を歩いてる人が何か落とすと真っ先に声をかけるのが新田さん。電車に乗ってくるお年寄り。泣いている子供。何か気づいた事があればほっとけない。捨てられた子犬の前を素通り出来ない。普通の人なら少し躊躇ったり出遅れたりするところ。そのいつでも先にいる。それが新田さん。新田さんの気さくさは少し変わっていて。けどそれが心地よかった。
廊下に張り出されていたミスコンのポスターを見ていると、結城さんの所に『聖母』とキャッチコピーが付けられているのを見て、聖母とは少し違うけど新田さんにもお母さんみたいな雰囲気があるなと思った。その事を透君に言うと「そうか?」と言って首を捻った。
「新田って面倒見良さそうに見えるけど、3人兄弟の末っ子でさ。上に兄貴が2人いるらしいぜ」
面倒見がいい事と末っ子である事の関連性はイマイチわからなかったけど、お母さんキャラだけど実は末っ子である、と透君は言いたかったんだと思う。けど考えてみて、新田さんに弟や妹がいるより、お兄さん2人に可愛がられている新田さんの方が想像しやすかった。きっとお兄さん達とは少し歳が離れていて、小さい頃から可愛いがられていたんだろうなと勝手に想像したりもした。可愛がられてきた新田さんは、その事をよく知ってるんだと思う。
新田さんを『にいでん』と呼ぶのは新田さんを知っている証でもある。
そんな事を考えていると新田さんの名前を呼ぶのにちょっとした躊躇が出て来てしまう。寧ろ知らない体で『にったさん』と呼んでみようかと思う事もあった。でも、もし僕が『にった』と呼んだら新田さんはどう思うんだろう? 思い返してみると、僕は新田さんにその名前の読み方を聞いた事はなくて、周りが言ってるのを聞いて一方的に知っているだけだ。初めて声を掛けられた時も名前を言われた記憶はない。だからもし僕が新田さんを『にったさん』と呼んだとしても不思議じゃない。僕は転校生な訳だし。けど少しショックを受けたりするんだろうか? でもショックを受けるという事は、新田さんは自分の名前を当然知ってるものだと思っているという事で。ただでさえ間違えやすい名前なのに当然誰でも知ってる筈だと。新田さんはそんな図々しい人には見えない。もし僕が間違えて呼んだとしても聴き流すかやんわりと訂正するくらいだろう。もしかしたら、以前のように軽快に突っ込んでくれるかもしれない。僕はその頃の新田さんを知らない。
僕はそれを試したくなった。僕はまだ新田さんを名前で呼んだ事がなかった。
そう思ってから、割とすぐにその機会はやって来た。
「にったさん」
移動教室から教室に戻る時だった。新田さんが忘れ物をして、それに気づいた僕は新田さんを名前で呼んだ。後ろから声を掛けて、その時始めて新田さんの名前を呼んだ。「にった」と呼んだ筈なのに新田さんはすぐに反応した。振り返った新田さんは笑っていた。
「ありがとう」
それだけだった。
新田さんの反応を見て思ったのは『にいでん』という呼び名は学校にいれば自然と耳にするし、授業中に指される時、休み時間の会話でも。特に新田さんは友達が多いので名前を呼ばれる事が多い。それでも尚『にった』と呼ぶのは故意でしかない。新田さんがどう思ったかは、その反応を見てわかった。些細な好奇心から僕はまんまと嫌われてしまった。
新田さんとの間に少し距離が出来てしまって暫く経った頃、咄嗟に新田さんの名前を呼んだ事がある。その時はちゃんと「にいでんさん」と呼んだ。口に出すつもりはなくて、けど思わず声に出てしまった。くるっと振り返った新田さんはその時も笑顔で「にったでいいよ」と言った。
新田さんは僕には訂正さえしてくれなかった。
まあ、これが転校生の宿命か。別にこういう事は始めてじゃないのでショックはない。それでも少し落ち込んでしまうのは相手が新田さんだったからだと思う。これが違う誰かなら、そんな風には思わなかったと思う。
「あそこにいるのって大門?」
「ううん。新田さん」
新田さんと大門さんは後ろ姿がよく似ていて、遠くから見ると見分けがつかない。それでも僕がすぐに新田さんだとわかるのには理由があって。新田さんの後ろ姿は、後ろ姿だけを見ても楽しそうに見えた。




