本性
別荘に来てからの日々は、本当に楽しく穏やかなものだった。
マルクは約束どおりリリィのそばにいてくれるし、エラもまた気をつかってくれる。
それに申し訳ないとは思いつつも、なに不自由なく別荘での療養を謳歌させてもらっていた。
「今日もちゃんとご飯が食べれてよかったわね。あなたに栄養があげられるもの」
気持ち的なものなのか、食事も少ないながらもきちんととることができている。
空気がいいからだろうか?
いっそ生まれるまでここで生活したほうがいいかもしれない、なんて思ってしまう。
今も風通しのいい庭で一人子どもの手袋を編んでいるが、靴下も手袋もこれで編み終わってしまう。
次はブランケットでも編もうかな、なんて考えているとエラがやってきた。
「義姉さま! 外で一緒にお食事はいかが? カモの親子がきているようなの! だから一緒に見ませんか?」
「ええ、行くわ」
リリィは手袋を置くと帽子をかぶり立ち上がった。
いつもどおり腕に抱きついてくるエラとともに湖のそばまで向かえば、そこにはテーブルや椅子がマルクの手によって用意されている。
その上には軽食であるサンドイッチやクッキー、さらにはリリィ用にといつも通り野菜たっぷりのスープが置かれていた。
「寒くないか? ブランケットは……?」
「日差しが暖かいから大丈夫よ」
「体を冷やしてはダメよ! わたしのだけれどブランケットをどうぞ」
礼を言いながらエラからブランケットを受けとり膝に乗せた。
エラの話のとおり、湖にはカモの親子がいる。
その可愛らしい姿を見ながら食事を嗜みつつ会話を楽しむ。
まさかこの二人とこんなに仲良くなれるとは思わなかった。
「可愛いですね! 小さくて」
「ええ。必死にお母さんについて行こうとしてて……可愛らしい」
自分の元に生まれてくる子どもも、あんなふうに後をついてきてくれたりするのだろうか?
そう考えると愛おしさが胸に溢れてきて、リリィはそっとお腹を撫でた。
医師の説明では順調に大きくなっているらしいこの成長を喜んでいると、ふと体に違和感を覚える。
またしてもつわりかな?
とスープを飲むためにと手に持っていたスプーンを置く。
「――義姉さま? どうかなさいました?」
「え? いいえ、なんでもないわ」
「そうですか? ならほら! スープ飲んでください。栄養たっぷりなんですよ」
嬉しそうなエラに諭されて、リリィはしぶしぶスプーンを持ちスープを口に運ぶ。
黄金色の美しいスープだが、今日はやけに味が濃く感じる。
やはり胸のあたりがモヤモヤした。
これはよろしくないなと思い、リリィが立ちあがろうとした時だ。
その肩を後ろからエラが掴む。
「ねえ? 義姉さま? どうしてわたしが義姉さまと呼ぶかご存じ?」
「――え? えっと……それは……」
なんの質問だろうか?
なにが聞きたいのかいまいちわからなかったが、吐き気が込み上げてくるのを耐えつつ答えた。
「あなたがマルクの妹のような存在だから……?」
特に義姉と呼ばれることに疑問は持たなかったが、なにか特別な理由があるのだろうか?
そんなあやふやな答えを告げれば、リリィの肩を掴むエラの指に力がこもる。
「ぃ――!」
長く美しい爪がリリィの肩に食い込む。
慌ててその手を振り払おうとするが、それよりも早くエラの唇が耳元へとやってきた。
そして彼女はそっと告げる。
「――あなた、名前なんていうの?」
「――…………え?」
バッと勢いよく振り返れば、エラはリリィから二歩ほど距離をとる。
そして驚愕するリリィの顔を見て、まるで無邪気な子どものように笑うのだ。
「わたしあなたの名前知らないの。だから義姉さまって呼んでたのよ? 気づかなかった?」
「……どういう…………」
「ねえ、マルク? あなたのお嫁さんの名前はなんていうの?」
今度は真正面に座るマルクを見る。
彼は斜め上に視線をあげたと思ったら、顎に手を当て首を傾げた。
「ミリィ……? いや、リナリーだったか?」
「…………」
「嫌だマルク! お嫁さんの名前くらい、あなたは覚えておかないと! ――わたしは興味ないけれど」
ドクリ、と心臓が嫌な音を立てた。
一体なにが起きている?
彼らはなにを、言っているんだ……?
「なにを……じょ、冗談はやめてちょうだい」
「冗談……? あなた、わたしたちから一度だって名前で呼ばれたことあった?」
「――…………」
過去の記憶を探るけれど、言われてみればそんな思い出はない。
マルクからはいつだって【君】と呼ばれていたし、エラからは出会った時から【義姉さま】と呼ばれていた。
彼らから名前を呼ばれた記憶が、一度だって存在しないのだ。
「…………うそよ。そんなの……――っ!」
絶望に打ちひしがれていた時、強い痛みが体を走る。
それは喉かはたまたお腹か。
もしかしたら心臓だったかも知れない。
どこかはわからないけれど、リリィは無意識にもお腹を庇うように手を置いた。
「――、な、なに……?」
強い痛みに体は強張り冷や汗が止まらない。
自身の体になにが起きているのだと慌てたその時だ。
「――ゴフッ」
口からダラリと、血が流れた。




