幸せを感じる
伯爵家が持つ別荘は片田舎にある。
広大な自然の中にぽつんと立つ白亜の建物は、青色の屋根が目立つ。
隣の家との距離も馬車で一時間ほどと、普段皇都で過ごす者たちにとってはその静寂が好ましく思うほどだ。
青々とした芝生、生い茂る木々。
そんな中に立つ伯爵家別荘にたどり着いたリリィは、早々に自身の部屋へと向かった。
「――風が気持ちいい……」
部屋の中はシンプルな装いながら、リリィが好きな落ち着いた雰囲気だ。
深緑のカーテンが素敵だと窓側に向かえば、優しい風が頬を撫でる。
ここで二週間ほど療養できるとあって、知らず知らずのうちに口端を上げた。
「あなたもここが気に入った?」
お腹の子に語りかける。
もちろんまだ聞こえてなんていないだろうけれど、話しかけるのは日々の日課になっていた。
よしよしとお腹を撫でていると、扉がコンコンと叩かれる。
「義姉さま! お荷物解けました?」
「ええ。一旦だけれど」
「ならボートに乗りましょう!」
楽しそうなエラに連れられて、リリィは池へとやってきた。
別荘の庭にあるその湖は大きくて深い。
落ちたらひとたまりもないな、なんて思いながらもボートの用意をするマルクと出会う。
「義姉さまを連れてきたわ!」
「――ああ」
小さなボートは二人乗りだ。
これはまた、一人岸で待つ形になるのだろう。
持ってきた本でも読んでいようかと考えた時、目の前に手が差し出された。
「――え?」
「足元気をつけて」
マルクから差し出された手にポカンとしていると、そんなリリィの肩をエラが掴む。
「わたしはその間に食事の準備でもしておくので、二人でのんびりしてくださいね!」
え、とリリィが驚いている間にマルクに手をとられ、ボートに乗せられる。
一体なにが起きているのだと呆然としていると、マルクとともに乗ったボートが動き始めた。
「…………エラはいいの?」
「言ってただろう? 食事の準備をしてくれてるんだ」
それはわかっているが、あのマルクがエラを放っておくなんてありえない。
なにが起きているのだと驚愕の瞳で見つめていれば、マルクはボートを漕ぐのをやめた。
「今までエラを優先してきてすまなかった。……子どものころからよく寝込んでいてな、生死をさまようことが何度もあった」
知っている。
だからこそ伯爵家の全員がエラの行動をつぶさに観察しているのだから。
「その度に不安に思っていた俺は……気づいたらエラを優先してしまっていた。それをエラ本人に言われて気がついたんだ。……君を不安にさせていたのでは、と」
「……マルク」
これは夢だろうか?
都合のいい夢を見ているだけなのではないか?
そう疑ってしまうほどに、今目の前にいるマルクの言葉が信じられなかった。
「お腹の子のためにも、これからは君とその子のために時間をとることにする。……だからどうか、俺を信じて欲しい」
リリィの目元からぽろりと涙が落ちた。
妊娠してから感情の起伏が激しくなっている気がする。
こんなことありえないと思いつつも、涙を止めることができないでいた。
するとそんなリリィの涙を、マルクが優しく拭ってくれる。
「すまない。君をそんなに傷つけていたなんて……」
「ち、違うの。……妊娠してから我慢ができなくて……っ」
「そうなのか。……人を育てるというのは、大変なことだな」
伯爵家にきてから涙を流した日は数知れず。
けれどこんなふうに拭われたのは初めてだった。
誰にも気づかれずに泣く日々。
それはもう終わったのだと、リリィは泣きながらも微笑んだ。
「嬉しいわ、マルク。一緒にこの子を育てていきましょう」
「――ああ。もちろんだ」
頭を撫でてくれる優しい手に、涙が止まることはない。
伯爵家にきてから本当につらい日々だった。
夫には愛されている感覚はなく、その夫は妹のような存在を溺愛している。
いっそエラがマルクの恋人だったら、表立って恨むこともできたのに。
妹に嫉妬するなんておかしな女だと周りからは思われていた。
自分がおかしいのか周りがおかしいのか。
わけがわからなくて、ずっと苦しかった。
だがそれももう終わったのだ。
これからは夫婦として、お腹の子を愛していける。
「寒くないか?」
「ええ……。大丈夫よ」
つなぎあった手のぬくもり。
その心地よさに微笑みつつ、マルクがボートを動かし始める。
湖の中心にあったボートは、ゆっくりと岸へ向かう。
この伯爵家別荘は、リリィにとって思い出の場所になった。
特にこの池は、忘れられない場所だ。
動くボートの上で、そっと手を湖につければ、指先に感じる水の感覚が気持ちよい。
「今日はごはん、食べられそう」
「――そうか。たくさん食べるといい」
マルクにそう言われて、リリィは深く頷いた。




