地獄への片道切符
結局あのままマルクはほとんどエラの看病で顔を見せず、会えたのは別荘に行く三日前だった。
「やっとエラの体調もよくなったから、別荘には予定どおり行くことにする」
マルクはそれだけいうとまたしてもエラの元へと行ってしまった。
いくらエラが心配とはいえ、もう元気になったのならリリィのそばにいてくれてもいいのに……。
妊娠を知った時の喜びようはどこへ行ったのか。
まるで以前のように冷たくなってしまったマルクに絶望しつつも、あのころとは違う感情が芽生えていた。
もう昔のようにマルクを追いかけるつもりはない。
リリィにはこの子がいるのだ。
この子を無事産み育てる。
それが今リリィの一番したいことなのだから。
「さあ、靴下を編んでしまわないと」
今までなら去っていくマルクをうらめしく見つめていたが、すぐに目を離すと止めていた手を動かした。
男の子が女の子かわからないから、今はまだ真っ白な靴下しか編めない。
それでも楽しいし嬉しいと、腕を動かし続ける。
「……行く準備をしないとね」
別荘か、と気乗りしないがキリのいいところで編むのをやめ、荷物をまとめるため立ち上がった。
あんなに楽しみにしていたのに、マルクのあの様子を見るにきっといい気分で別荘に行くことはできないだろうなと思う。
結局彼はエラを優先するのだろうから、リリィは今以上に自分の体のことを気遣わなくてはならない。
「大丈夫。私が守ってあげるからね」
そんな不安を抱えながら荷造りをしていると、あっという間に三日後の出発する日となった。
侍女に荷物を預け、帽子をかぶって伯爵邸の入り口へと向かう。
そこでエラとマルクと合流して、別荘へと向かうわけだが……。
「…………」
足取りは正直重い。
できれば行きたくないなと思いながらも足を進め、馬車の前で待つ二人と顔を合わせた。
「義姉さま! お体は大丈夫?」
「大丈夫よ。エラこそ、体調はもう平気なの?」
あのお茶会の時、エラの様子は確かにおかしかった。
リリィが医師を頼んでも呆然としていていたし、あの日から長いこと寝込んでいたらしい。
だから今日の別荘は難しいと思っていたのだが、久しぶりに顔を合わせたエラは思ったよりも元気そうだった。
エラはリリィの腕に手を回すと、頰を赤らめて微笑む。
「ありがとうございます! でももう大丈夫です。今日から別荘ですから、楽しまないと!」
楽しそうなエラに誘われるがまま馬車に乗り込んだリリィは、クッションが多くおいてある椅子へと腰を下ろした。
「道中に眠くなったら寝るといい。これを」
「――ありがとう……」
マルクからブランケットを受けとりつつ驚いてしまった。
まさかそんな気遣いの言葉をかけられるとは思っていなかったのだ。
少しだけ心が浮かぶのを感じつつも、動き出す馬車の外を窓越しに見つめる。
「別荘ではボートに乗りたいわ。その上でサンドイッチを食べるの!」
「それで水に落ちて、風邪を引いたのはどこの誰だった?」
「もうそんなことしないわ!」
「どうだか……」
二人にしかわからない話をされるのは今に始まった事ではない。
それでも聞いているフリをしつつも、すぐに眠気に襲われてしまう。
ふわ……っと思わずあくびをしたリリィに気づき、エラが声をかけてきた。
「義姉さま? 眠いのでしたら寝てください! 今はお体が一番大切ですから」
「――そうね。……そうさせてもらうわ」
確かにわからない昔話を聞いているくらいなら、寝てしまったほうがいいだろう。
椅子に寝転がれば、エラが優しく膝掛けを体にかけてくれた。
「体を冷やしてはいけませんよ? クッションは足りてますか?」
「……大丈夫よ。ありがとう」
本当に優しい子だ。
こんな出会いかたでなければ、友だちになれたかもしれないのに……。
「もしよろしければ子守唄を歌ってもいいですか? お腹の子のためにも」
「――ええ。本当にありがとう」
そう言って歌い出したエラの声は、まるでカナリアのようだった。
優しくて可愛らしいその声で紡がれる歌の、なんと美しいことか。
子守唄だというのに思わず聞き入ってしまう。
リリィはそんな歌声を聞きながら目を閉じる。
「――……」
思っていたよりもこの別荘での暮らしは、よいものとなるかもしれない。
マルクもエラも気をつかってくれている。
今度こそこの旅を経て、二人とよい関係を気付けるかもしれない。
そんな思いでやってくる眠気に身を委ねようとした時だ。
ふと声がした。
「――もう少しだ。……もう少しだけ、我慢してくれ」
「……大丈夫よ」
なんの話だろうか?
エラとマルクの真剣な声を聞きつつも、リリィは眠りに落ちていった。
――この時彼らの悪意に気づいていれば、未来は変わったのだろうか?




