逃げる
孤児院の件はうまくいきそうだった。
子どもたちは純粋だが愚かではない。
己の明日が保証されていないことを、なんとなく理解しているのだろう。
だからこそある程度年齢のいった子どもたちは、必死に技術を学ぼうとしている。
その中でも意外だったのが、ノアの特技だ。
彼はなんてことない木から、関節の動く人形を作り上げてしまったのだ。
「言っただろう? 昔弟が生まれたら遊ぼうとおもちゃを用意したと。……その流れでたまに作っていたんだが、役立ちそうか?」
「――役立つもなにも……これは職人の域です」
「売れるか?」
「かなり高く……」
人形やおもちゃはあれど、こんなふうに自在に動かせてポーズをとらせられるものなんて早々ない。
どんな構造をしているのだとつぶさに観察していると、当の本人であるノアがふっと笑う。
「ならこれの技術をここの子どもたちに与えよう。俺には不要のものだしな」
「木なのに肌触りもいいですし、きっと貴族の子どもたちにも売れますよ」
「ならせいぜい高値で売ってやろう」
これはクレアの刺繍と合わせても、なかなかにいい収入源になるのではないだろうか?
男の子たちも夢中になってノアの手元を見ている。
なんとか未来の見通しが立ちそうだと微笑んだ時、孤児院の管理人であるバリーが険しい顔でやってきた。
「――殿下、リリィ様」
「どうかしたの?」
「それが……以前募金をとこられた男性が、またいらしているのですが……」
「それって……」
マルクのことだろうか?
バリーはあの時の状況を見ていたからか、とても気まずそうにしている。
「あの馬鹿男のことか?」
「……そのようです」
なにをしにきたのかと険しい顔をしていると、似たような顔をしたノアが一歩踏み出した。
「なら俺が叩き伏せてこよう」
「ちょ――っとお待ちください、殿下」
拳を握りながら歩き出したノアを慌てて止める。
こんなところで皇太子が伯爵を殴ったなんてことになれば、孤児院にも迷惑がかかるかもしれない。
子どもたちのためにも、殴りたい気持ちをグッと堪えてもらわなくては。
「話し合いをしましょう。……話し合いになれば、ですが」
人の話を聞かないマルクと会話が続くかは疑問だが。
止められたノアは片眉をグッと押し上げた。
「ならなかったら殴っていいか?」
「…………だめです。殿下の名に傷がつきます」
「そんなものどうでもいい。愛する女を守れないほうが名折れだ」
んぐっ、とリリィは息を詰めた。
こういうことをサラっと言ってくるところは、いまだに慣れない。
だがここで絆されてはダメだと、力強く首を振った。
「あんな男のせいで殿下に迷惑をかけてしまうなんて、私が嫌なんです」
「………………わかった。君の気持ちを尊重しよう。だがついていくぞ? あれと二人になんてさせられない」
「ありがとうございます。心強いです」
ノアが一緒にいてくれるのなら、マルクも下手なことはしないだろう。
そんなわけでノアとともにマルクの元へと向かえば、彼は孤児院の応接室に通されていた。
こじんまりとした部屋には、二人がけのソファが対面するように置かれている。
その間にはテーブルがあり、マルクは一人、出されたであろう紅茶を飲んでいた。
部屋にノアとともに入ると、マルクは少し驚いたような顔をした後、すぐに立ち上がり頭を下げた。
「殿下……! ご挨拶申し上げます」
「いらん。座れ」
「…………はい」
言われるがまま、気まずそうにソファに腰を下ろしたマルクと対面する形で、リリィとノアも隣同士で座った。
リリィは目の前にいるマルクを睨みつけるように、険しい顔で口を開く。
「なんのようですか……? あなたからの寄付なら不要です」
「いや……。寄付の件ではない。……受け取ってもらえないことはわかっている」
なら一体なんの用なのだ。
ここまできたということは用事があるということだろう。
なのでさっさと答えてさっさと帰ってくれ。
そんな雰囲気を醸し出せば、マルクは気まずそうに口を開いた。
「あの侍女の件で、話したいことがあって……」
「手短にお願いします」
「…………君に、お願いがあってきたんだ」
先を諭すような視線を向ければ、マルクはゆっくりと口を開いた。
「あの侍女は昔から虚言癖があって、俺たちも困っていたんだ。だから……」
虚言癖?
とリリィは首を傾げた。
確かに思い込みが激しくは激しいし嘘もつくが、少なくともエラとマルクに不利になる嘘はついていなかったように思う。
そもそもマルクもエラも、アメリアの言うことは信じてたはずだ。
だから彼女がリリィのことを悪く告げ口した時に、それを信じたのではなかったのか?
「あの侍女の言うことは信じないでほしい。……俺たちも困っているんだ。皇太子妃になる君に……あんなことをしたなんて」
困ったように笑うマルクの姿に、リリィは呆然とした。
これはつまり、彼は保身のためにアメリアを捨てたと言うことだ。
いや、それだけならまだわかっていた。
彼らがアメリアのために動くことはないと。
けれどこれは……。
「前妻についてもそうだ。……俺たちが彼女にそんなひどいことをするわけがない」
逃げたのだ、マルクは。
責任や義務。
そして……。
――リリィの苦しみからも……。




