薄汚れた
伯爵家でおこなわれたパーティーは、たくさんの問題を起こして終わったようだ。
そもそものパーティーの内容もさることながら、エラとオーロラが起こした事件の噂は、瞬く間に広がっていった。
エラが庭師と密会していたことも。
それを否定しておきながらも、誰とも知らぬ男からの手紙につられて、密室へ向かったことも。
オーロラと取っ組み合いの喧嘩をしたことも。
その全てが噂になり、今や社交界での一番熱い話題となっている。
「――馬鹿な人」
エラはさぞや悔しいことだろう。
今ごろ屋敷で不貞腐れているかと思うと、少しだけ胸の奥がスッキリした気がする。
それにエラとマルクの関係に亀裂を入れられたのが一番大きい。
元より疑っていたであろうエラの浮気が、本当のもののように思えてきたのだろう。
あの時のマルクの表情もまた、とても気持ちのいいものだった。
因果応報とはまさにこのことだなと、布を深く被り顔を隠しながら思う。
「……ここね」
皇都の端にある貧困街。
こんなところに貴族令嬢であり、未来の皇太子妃がきているなんて知られればどうなるかわかったものではない。
だからこそ服装も隠せるほどの大きな汚い布をかぶってやってきた。
ここにどうしても用があったからだ。
今にも壊れそうな木造の小屋。
風と雨を防げるていどの、最低限の家だ。
残念ながらすきま風と雨漏りは防げそうにない。
こんなところに住んでいるのかと思うと、胸が締め付けられる思いだった。
「…………」
伯爵家でのパーティーで起きた事件。
胸がスカッとするようなできごとがあったけれど、どうしても気もそぞろになってしまったことは否定できない。
あの日聞いた話が、頭から離れなかったからだ。
伯爵家侍女であるアメリアが言っていた話。
妊娠したリリィを献身的に助けてくれた侍女、クレアがエラの指輪を盗んだと濡れ衣を着せられた話。
伯爵家から追放されては、次の仕事も見つからないだろう。
なぜならクレアは――左手の薬指をなくしているから。
明らかに訳ありな使用人を雇うものは少なく、今ここに住んでいるらしい。
雨風をしのげる程度の小屋で、その日暮らしをしていると情報が入った。
調べてくれたノアには感謝しかない。
「――よしっ」
ただリリィに優しくしただけで、こんな目に遭わされるなんて……。
彼女はリリィを恨んでいるだろうか?
あんな女に優しくしなければよかったと、後悔しているだろうか?
「……だとしても」
あの時優しくしてくれたことで救われた心はここにある。
彼女の優しさに救われたのだ。
――なら次は、こちらの番だろう。
救えるのなら救いたい。
たとえどれほど憎まれていようとも。
恩をちゃんと返したい。
そんな思いで、ボロボロの小屋の扉を叩いた。
「………………はい?」
か細い声が聞こえて、思わず一歩下がってしまった。
するとガチャリと音を立てて扉が開き、中から薄汚れた女性が一人出てきた。
「――」
その姿を見た瞬間、無意識にも息を飲み込んでいた。
ほんのりと赤く染まり健康的だった頰は痩せこけ、茶色く長い髪はボサボサ。
唇は乾燥し、爪はボロボロで汚れている。
風呂に入っていないのか異臭がした。
本当にこの人がクレアなのだろうか?
四、五十代と言われても納得してしまう容姿をしている。
濁り切った瞳でこちらを見つめてくる女性に、二の腕を強く握りしめた。
「…………なにかご用ですか……?」
「…………っ、あなた……伯爵家で侍女をしていた?」
「――っ! な、なんですか!? わ、私になんのようですか!?」
急に声を上げ、ガタガタと体を震わせたクレアは、慌てて扉を閉めようとする。
その時気づいたのだ。
彼女にとって、伯爵家の話をするというのは恐怖の対象なのだと。
当たり前だ。
濡れ衣を着せられ貶められ、さらには指までなくすことになるなんて……。
どれほど恐ろしいできごとだったことか。
トラウマとも言える出来事を思い出させてしまったことを申し訳なく思いつつも、閉じられそうになる扉を手で止めた。
「待って。私は伯爵家のものではないわ。――あなたの元主人、リリィ・マクラーレンからあなたのことを頼まれたのよ」
「――…………奥様から……?」
訝しげな顔を返される。
当たり前だ。
リリィに友人らしい友人はいない。
それをクレアが知っていたかはわからないが、どちらにしろ不審がられてもおかしくはない。
だがここで引くわけにはいかないのだと、扉の間に手を差し込んだ。
「お願い! 話を聞いてちょうだい。悪いようにはしないから……」
「…………」
クレアはしばし考えるようにしたあと、渋々といった様子で扉を開いてくれた。
「……奥様とはどういったご関係で……?」
「古い友人ってところかしら? ……私はリリアナ。リリィって呼ばれていてね? そこから仲良くなったのよ」
「……そう、で、すか」
不安そうな顔。
そんな顔をさせてしまうことを申し訳ないと思いつつも、案内されるがまま小屋の中に入る。
木製の今にも壊れそうなテーブルと椅子があり、床には薄汚れた布が二枚あるだけ。
こんなところに住んでいたのかと、リリィは眉間に皺を寄せた。
「……あなたを救いたい。だからこそ、少しだけ話をさせて欲しいの」
「…………わかりました」
こくりと頷いた女性の左手。
悲しいことに、そこに薬指は存在していなかった――。




