喧嘩
あとはまっているだけでよかった。
美味しくもないワインを喉に流しつつ、横目でエラの動きを探る。
彼女は幾多の男性と踊り、楽しそうに話をしていた。
男性側がなにかを囁き、エラが男性の腕に触れる。
親しげな様子。
それを少し離れたところから黙って見つめるマルクの表情は険しい。
その構図がまるで、少し前までの自分を見ているようだった。
エラしか見ないマルクを、悲しげに見つめるリリィ。
マルクに昔の自分が重なって、ふと瞳を伏せた。
――馬鹿な人。
自分だけを見てほしいと願っても、そんなものは叶わない。
願いは脆くも崩れ去るのだ。
――お前たちが私に、したように。
「リリィ。どうした? 気分でも悪いのか?」
ぱちり。
瞼を上げたリリィは、目の前で心配そうにしているノアをその瞳にうつした。
「…………」
いつからだろうか?
ノアの顔を見ると、ほっと息がつけるようになったのは。
無意識にも体から力が抜けて笑みを浮かべた。
「大丈夫です。ご心配をおかけしました」
「無理はするなよ? 帰ったってかまわないんだから……」
心配されるというのはむず痒いとともに嬉しくもある。
はじめは変人で、リリアナに対しても無感情な冷たい人だと思ったのに。
今では彼の隣が一番居心地がいいのだから、人生なにがあるか分かったものではない。
「早く帰りたいんですか?」
なんだかそれが嬉しくて、ノアの腕に抱きつきながら意地悪な顔をしてみせた。
するとノアも似たような表情をして、リリィの手を握ってくれる。
「――ああ、とても。はやく二人っきりになりたい」
「……私もです」
くすぐったを感じながらも頷いた時、会場がざわめき始めていることに気づいた。
人々がこそこそとなにかを話していることに気づいて、リリィはハッとする。
急ぎエラの姿を探すが、会場内のどこにもいない。
先ほどまで楽しそうに男性たちに囲まれていたというのに。
ということはつまり……。
「――殿下。はじまったようです」
「……みたいだな」
そばにいるからか。
はたまた共犯者だからか。
二人は似たような表情で笑う。
それがまるで花が咲くような華やかさで、周りが頰を赤くしつつ見つめてくる。
だが残念ながら当の本人たちは、あざけりのつもりで笑っているのだ。
そんないいものではないのに、見目がいいからか羨望の眼差しを受ける。
とはいえちょうどいい。
ここにリリィとノアがいたという証拠が必要だからだ。
会場中の人々がその証拠になるのなら、見られるのも致し方なしとノアと顔を合わせる。
彼と身を寄せ合っていると騒ぎはどんどん大きくなっていき、リリィの耳にも騒ぎの内容が届くようになる。
「……伯爵夫人が……部屋で……」
「庭師……ふたりっきり……」
「それって…………」
普段なら耳障りな噂話も、今だけは心地よい。
同じようにノアにも聞こえていたのか、くすりと笑う。
「どうやらうまくいったようだな?」
「……そのようですね。――見に行きますか?」
「もちろん。この楽しいイベントを見逃すなんてそんなのもったいないだろう」
楽しいことはとことん楽しまなくては。
ノアと腕を組みながら騒ぎのほうへと向かう。
ざわめきは大きく、どんどん強くなっていく。
その中心へとつくころには、なにが起きているのかだいたい理解できた。
どうやらエラが男性と密室にいるところを、オーロラが目撃したらしい。
さらにはそこに数人の令嬢を連れて行ったため、言い逃れできない状況となっているようだ。
そしてその相手がエラのことを好きだという噂の庭師だったとオーロラが暴露したことにより、自体はさらに大きくなったらしい。
「違うわ! わたしがこんな男を相手にするわけないじゃない!」
「その庭師と密室で二人っきりだったことは間違いないでしょう……? やっぱり庶民の出ではそういうところ、はしたないのねぇ」
「――っ、この……っ!」
ここぞとばかりにオーロラはエラを攻撃している。
どうやらエラは騒ぎを聞きつけやってきたマルクに言い訳をしているらしい。
だがマルクの表情は固く、床に座り込んでいるエラを黙って見つめている。
「……あの男、助けもしないのか?」
「――ずっと不安だったんでしょう。エラを愛しているけれど、そのエラが男性と楽しそうに話している姿を何度も見ている。……浮気しているかもしれないと、疑っていたのでしょう」
「それが今回の件で真実かもしれないと思い、狼狽えていると? は! 自分もやったことなのに、よくあそこまで被害者ヅラできるものだな」
ノアが代弁してくれたので、落ち着いてことの成り行きを見守ることができそうだと頷いた。
「違うの! 誰かから手紙をもらって……。この部屋にきたら、あの男がいて……! ――わたしは被害者よ!」
なるほど。
オーロラが誰かに扮して手紙を送り、エラをこの部屋におびき寄せたようだ。
焚き付けた庭師をここに置いて。
エラに会えた庭師はきっと詰め寄ったことだろう。
なぜ自分がリリィと浮気したなんてことになっているのだと。
それに対してエラがなんて答えたかは知らないが、乱れた服装の彼女を見ればなんとなくわかる。
もちろん未遂のうちにオーロラが人を引き連れ部屋にやってきたようだが、どちらにしろ夫以外の男性と部屋に二人っきりでいたのだ。
淑女としてあるまじきことだろう。
「……誰からの手紙だと思ったんだ? こんな人気のない部屋に俺に黙ってやってくるような相手なのか?」
「そ――それは……っ」
「…………」
エラは顔を真っ青にして黙り込む。
まさかこんなことでエラとマルクの仲に亀裂を入れられるとは思わなかった。
リリィを殺してまで愛を貫いたはずなのに、なんて陳腐なのかと笑えてくる。
「普段から浮気してるから、あんな手紙につられてやってきたのよねぇ? 恥ずかしい〜。――あんたのほうがよほどいやらしい女じゃない」
「……あなたのしわざね? あなたがこんなこと、したんでしょう!?」
「なんの話ぃ? 証拠もないのに疑うのやめてくださぁい」
くすくすと楽しそうに笑うオーロラの横顔を見ながら、次は悔しそうなエラの顔を見つめる。
唇を噛み締めオーロラを睨みつけるエラの姿に、静かに細く笑んだ。
「――巻き込まれる前に去りましょうか?」
「最後までこの喜劇を見ないでいいのか?」
「ここから先は見苦しいだけですよ。――エラが認めるはずがありませんから。あとはただ言い訳を繰り返すだけです」
「……確かに。そんなものを見続けてやる必要はないな」
リリィとノアは踵を返した。
ここに止まって下手に巻き込まれたくはない。
だが最後にと後ろを振り返り、エラを見つめた。
「マルク! 信じてちょうだい! わたしは!」
「見苦しぃ〜! 伯爵様? 奥様の素行調査をしたほうがいいと思いますよ? もっといろいろなこと、出てくると思います〜」
「――あなたは黙ってて!」
エラは立ち上がると、オーロラの頭に掴み掛かった。
「きゃあ! なにすんのよ!?」
「あんたが変なことするから!」
「エラ! やめろ!」
エラとオーロラ。
二人で取っ組み合いをしはじめ、それをマルクが止めに入る。
そこまで見て、リリィはすぐに前を向いた。
「――見るに耐えないな」
「……そうですね」




