針のむしろ
嘲の笑い声は止まり、しんっと静まり返った。
空気が凍る。
エラから醸し出される雰囲気があまりにも冷たくて、人々は黙り込んでしまった。
か弱く守らなくてはと思わせる女性は一体どこへやら。
エラは瞬き一つすることなく、オーロラをじっと見つめた。
「所作だなんだと偉そうに言っておきながら、あなたは他人のものを盗んでるなんて笑えないわ。そちらのほうがよほどいやらしいんじゃなくて……?」
「――だ、だから家族のものだって……!」
「家族であろうとも盗みは盗みよ? あなたは犯罪者なの。そんな人の話を、誰が信じるというの……?」
ふむ、とリリィは腕を組む。
エラの言葉はそのままそっくり返せるのだが、本人にその自覚はないらしい。
やはり怖い女だなと思う。
それに比べてオーロラはまだ素直だ。
御し易いともいう。
ならここで突き放すのはオーロラだろう。
――エラにはまだ、仲間だと思わせる必要がある。
「どうせ嫌がるリリィのものを無理やり奪ったんでしょう?」
「――そ、そんなことしてないわ! お姉さまがどうぞって……!」
「本当に? それまで嘘だったらあなたの発言を今後信じる人はいないわよ?」
エラの真剣な瞳にオーロラは後退りつつも、リリィを強く睨みつけてきた。
「――当たり前じゃない! そうよね、お姉さま!?」
余計なことを言うんじゃないとオーロラの目が語っている。
変なことを言ったらどうなるかわかっているな、と。
だが残念ながら今のリリィがオーロラを恐れることはない。
一番の目的はエラとマルクなのだから。
ゆえに瞳に涙を浮かべると、口元を軽く押さえた。
「……他のものなら我慢したわ。いつものことだもの。――でも、私が人からもらったものだからやめてってお願いしたのに……っ」
涙ってつらくなくても出せるのだなと、リリィは頰を伝うものを拭う。
「お母さまからも言われては……どうすることもできなくって……っ!」
ポロポロと涙をこぼしながら、リリィは隣にいるノアの胸に顔を押し付けた。
すると彼は心得たとばかりにリリィの体を抱きしめると、そっとその頭を撫でてくれる。
「――俺との仲が不仲だと散々馬鹿にし、ひどい扱いをしていたと聞く。……君からのプレゼントも、奪いとったんだろう」
「――」
リリィはノアの胸に抱かれながらも、ちらりと視線だけをエラへと向けた。
その瞬間、背筋がぞわりと震える。
エラは静かに両方の口端だけを上げていたのだ。
目元は笑ってはおらず、そのアンバランスさに彼女の狂気を感じた。
「――ほぅらね? だから言ったでしょう? ……あなたは嘘つきなのよ。嘘つきで泥棒で……いやしい女なのよ」
勝利が見えたのだろう。
エラはその狂気じみた表情のまま、オーロラの顔を覗き込む。
「あなたも習うべきじゃない? ……人のものを盗んじゃダメですっていう、道徳的なことを」
オーロラは顔をかっと赤らめると、目に涙を浮かべた。
周りはそんなオーロラを冷ややかな目で見つめる。
仮にも未来の皇太子妃になにをしているのだと口々に囁き合うその姿に、オーロラが強く唇を噛み締めた時だ。
「――なんの騒ぎなの!?」
母が慌ててやってくると、ボロボロと涙を流すオーロラを抱きしめた。
「お、お母さま! この人たちがあたしをいじめるの……!」
「なんなの!? 寄ってたかって私の娘を……!」
「娘さんがわたしを侮辱してきたんです」
「だからなんなの!? こんな……! かわいそうだと思わないの!?」
聞く耳持たないところはいつも通りだなと、威嚇する母を見てため息をつく。
母が出てきたことで面倒なことになりそうだ。
「妹さんはわたしからリリィへのプレゼントを奪ってたんです」
「だからなんなのよ! 姉のものを妹が使ってなにが悪いって言うの!?」
あ、見事に地雷を踏んでくれた。
リリィはそう思って今度こそノアの胸元から顔を上げた。
いきり立つ母へ周りが向ける視線は厳しい。
妹の横暴を母が許していると言っているようなものだからだ。
さらにそこに畳み掛けるように、エラが口を開いた。
「――あなたがつけているものも、わたしがリリィにあげたものだわ。そうでしょう? 親子揃って……リリィのものを奪っていたというの!?」
母は慌てて己の首元に光る宝石を手で隠したがもう遅い。
いや、むしろその行動のせいでエラからの追及が真実であると知らせてしまった。
やっと周りから向けられる冷たい視線に気づいたのだろう。
母はリリィに向かって指をさした。
「あれがもっと早く皇太子殿下のお心を掴んでいれば、こんなことにはならなかったわよ! あなたたちの誰もわからないでしょう!? できの悪い娘のせいで周りから笑われる日々。――可愛い娘に期待してなにが悪いのよ!?」
悪手に悪手を重ねる母に、リリィは小さくため息をついた。
彼女の言いたいことはわかるが、誰よりもつらかったのは他でもないリリアナだ。
それを慰めるでもなく責め立てて、さらにはリリアナの気持ちを知りながらも妹のオーロラを皇太子妃にしようとするその腹黒さ。
残念ながら今のリリィに、彼女を慰める心は一つもない。
これではしばらく、社交界で針のむしろ状態になるだろう。
少しは落ち着いてくれればいいのだがと思っていると、そんなリリィの肩をノアが優しく抱きしめた。
「聞き捨てならないな。――リリィはそんな扱いをされても家族だからとお前たちを庇っていたんだぞ? ……だというのにそんなことを言うなんて……!」
なんの話だとノアの横顔を見つめた。
こんな家族を庇うなんてしていないが、確かにそうしたほうが悲壮感が増えるだろう。
他人からの同情を買えるならと、リリィは軽く首を振った。
自分の中で想像するのはエラだ。
彼女ほど悲劇のヒロインが似合う女性はいないだろう。
だからこそ彼女のように、ずる賢く生きてやるのだ。
「ごめんなさいっ。私が……私が悪いの……っ!」
「リリィ。君は悪くない! 娘とはいえ未来の皇太子妃のものを盗むなど……。それ相応の処罰を心しておくんだな――!」
「そんな……!」
「行こう、リリィ。君をこんなところに置いておけない」
ノアに連れられて、リリィはその場を後にする。
人々の視線が突き刺さる中、オーロラや母からは責めるような目で睨まれた。
だがそんなこと少しも気にならなかった。
なぜならその時確かに見たのだ。
勝ち誇り恍惚に微笑むエラの顔を――。
それはとても恐ろしいものだった……。




