終わり
なにが起こった?
どうしてこうなっている?
リリィはポタポタとドレスに落ちる血を呆然と眺めた。
どうしていま、自分は血を吐いているのだろうか?
わけがわからないと顔を上げれば、目の前にいるエラはお腹を抱えて笑い出した。
「あはっ! 情けない姿。――ねぇ? わたしが用意した毒入りスープは美味しかったぁ?」
「ど――く?」
「そうよ。ここにきてからずーっと食べさせてたんだけれど、今日は特に濃くしたの! 美味しかったでしょう?」
もう、なに一つ理解ができなかった。
エラが言っている意味も、自分の体に起こっていることも。
あんなに楽しかったのに。
この別荘にきてから、毎日笑い合っていたというのに。
彼女はそれを嘲笑っていたというのか?
馬鹿な女だとリリィを見ていたと……?
なんでこんなことをするのだと、そう聞こうとしたその時だ。
「――っぐ……っう!」
お腹がズキっと激しい痛みを発した。
グラっと視界が揺れ、椅子から転げ落ちた。
芝生に手のひらをつき、上半身を軽く持ち上げる。
おかしい。
この痛みは普通ではない。
お腹を庇いつつもすがるような視線をマルクに向ける。
「ま、マルク……っ、お腹が……、変なの! あ……赤ちゃん……っ!」
たとえリリィのことをどうとも思っていなかったとしても、妊娠したとわかった時の喜びは本当だったはずだ。
子を思う親の心を信じてマルクに助けを求めるが、彼はただ冷めた目でリリィを見下すだけだった。
「――……マルク…………?」
足先がぴちゃんと湖の水に触れた。
冷たいそれに背筋を震わせていると、そんなリリィの周りをエラがくるくると回り始める。
「わたしね、体が弱いでしょう? ……だから赤ちゃんは難しいって言われていたの。けれどマルクは伯爵として、後継の子どもがいないとダメだって……」
エラは唇を尖らせると、人差し指を当てた。
「だからわたしの代わりに子どもを産んでくれる人が必要だったの。それがあなたよ?」
「…………なに、それ」
エラの話すこと全てが理解できない。
彼女の代わりに子どもを産む存在が必要だった?
一体彼女はなにを言っているんだ……?
「でもね、あなたが妊娠したってわかった時、本当に気分が悪かったの。どうして愛し合ってるわたしたちの間に赤ちゃんは来てくれないのに、愛されてもいないあなたの元にきたんだろうって……」
「……あなたたち、お互いのことは兄妹のようだって…………」
リリィの言葉に、エラは思い切り吹き出した。
「――ぷっ! あはは! そんな言葉本当に信じてたの? 令嬢って馬鹿しかいないの? マルクは女としてわたしを愛してくれているわ」
ああ、とリリィは静かに涙を流した。
体中の痛みに冷や汗が止まらない。
だらりと口から溢れる血のせいで、鼻の奥がツンと痛い。
毒が体に巡っているのだろう。
体が動かなくなっている。
それでもリリィは震える手でお腹を押さえつつ、強く唇を噛み締めた。
「そんなマルクが言ってくれたの。必要なら養子をとったっていいって。だから――あなた、いらないの!」
絶望とはこういうことを言うのだろうか?
リリィは息をするたびに喉が焼けつくのを感じつつも、ずっと黙っていたマルクを横目で見る。
確かに夫婦として歪な関係だったとしても、この子への愛だけは確かだと思っていたのに。
「……この子を、あいして……なかったの…………?」
「エラと共にいるのに必要だっただけだ。養子をとると決めたのなら、それは必要ない」
「育ててる間にあなたの顔がチラつくのも嫌でしょう? ならマルクの遠縁の子どもを引き取ったほうがいいわ!」
それはつまり、どちらにしてもリリィは子どもを産むまでの存在だったということだ。
「…………はは……っ」
なんて哀れなのだろうか?
こんな最後を迎えることになるなんて、思ってもいなかった。
これからはきっと幸せになれるのだと信じていた、少し前までの己を笑う。
こんな人たちでも愛してくれると思った。
愛せると思った。
けれどこの思いは一方通行で、決して交わることはない。
「……ばか、みたい……」
リリィは静かに目を閉じた。
そんな馬鹿な女には、こんな終わり方がお似合いだ。
もういい。
もう忘れたい。
全てを忘れて眠るように死んでしまおうと、そう思った時だ。
お腹が激しく痛み出した。
「――っ、ぅ……っ!」
その瞬間思い出したのだ。
この体はリリィ一人のものではないことを。
「――っ、そ、うね……っ」
リリィはいい。
馬鹿みたいに彼らを信じた代償を支払っただけのこと。
けれどお腹の子は違う。
この子を無事に産むと約束していたのに、こんなことに巻き込んでしまうなんて……。
リリィは最後の力を振り絞り、血に濡れた口元を歪ませた。
「恨んで恨んで……恨み抜いてやる。楽に死ねると思わないで……!」
「もう死んじゃう人間がなに言ってるの?」
そうだ。
リリィはもう助からないだろう。
そんなことは自分が一番よくわかっている。
でもだからこそ伝えるのだと、口端を強く上げた。
「許されると……思うなよ……っ」
「無駄口ばっかりでつまんなーい。もう消えちゃえ」
えい!
と、エラの足がリリィの肩を蹴る。
力の入っていない体はぐらりと揺らぎ、ドボンっと大きな音を立てて湖へと落ちていく。
水を吸ったドレスが重くて、リリィの体は湖の底へと誘われた。
「――……」
こんな終わりか。
こんな終わりを迎えさせてしまったのか。
「…………」
リリィはもう一度涙を流した。
ごめんねと、お腹の子どもにつぶやきながら……。