第四話:森の呪い
秀治と香奈枝は、洋館の長い廊下を必死で走った。
背後からは、雛子の軽やかな足音と、樺山の低いうなり声が追いかけてくる。
廊下の壁には、剥がれかけた肖像画が並び、その目が二人を追うように動く。
秀治は香奈枝の手を強く握り、叫ぶ。
「出口だ! ガレージまで行けば車がある!」
だが、館の構造は昨日と異なっていた。階段は途中で途切れ、ドアは別の部屋に繋がる。まるで迷宮だ。
香奈枝が息を切らせながら言う。
「秀治、この館…生きてるみたい!」
秀治は歯を食いしばる。
「そんなわけない! なんとか脱出するぞ!」
二人はガレージに辿り着いた。
だが、車のタイヤはパンクし、ガソリンタンクは空だった。
「くそっ、こんな…!」
秀治が拳を叩きつけると、雛子の声が背後から響く。
「逃げても無駄ですよ。この森は、逃がしません。」
振り返ると、彼女はガレージの入り口に立っていた。メイド服は汚れ一つなく、笑顔は変わらない。
秀治は工具箱からレンチを手にし、香奈枝を庇う。
「近づくな! お前たち、なんなんだ!?」
雛子は首を傾げ、答えた。
「この森は、血を求めるんです。昔からそう。朽岩の民は、それを捧げて生きてきた。」
彼女の言葉に、秀治は思い出す。駐在所の警察官が言ったこと――山津波で集落は壊滅した。
だがその前に、朽岩には何かがあったのではないか。
香奈枝が震える声で問う。
「美奈たち…あなたたちが殺したの?」
雛子は笑った。
「殺す? いいえ、彼らは自ら選んだんです。この館に留まることを。」
樺山がゆっくり近づき、続ける。
「石崎様、あなたのお祖父さまも知っていました。この館の秘密を。」
秀治の頭に、祖父の記憶がよみがえる。
厳格で口数の少ない老人。子供の頃、祖父が
「朽岩には行くな」
と繰り返していたことを思い出した。あれは、警告だったのか。
秀治は叫ぶ。
「祖父が何を!? 教えてくれ!」
樺山は目を細め、答えた。
「彼は森と契約しました。血を捧げ、館を守ることを。」
雛子が一歩踏み出す。
「あなたも、その血を継いでいる。森はあなたを待っていました。」
彼女の手には、いつの間にか古びたナイフが握られている。
秀治は香奈枝を背に、叫ぶ。
「俺たちは逃げる! こんな呪い、関係ない!」
二人はガレージを飛び出し、森へ走った。
だが、木々はまるで意志を持つように枝を伸ばし、足元を絡め取る。香奈枝が転び、秀治が手を差し伸べた。
「立て、香奈枝!」
彼女は涙目で頷き、二人は再び走る。
だが、森の奥からは、低い唸り声が響く。まるで獣のような、だが人間ではない何かの声が。