第二話:夜の無人駅
秀治は闇に沈む山道を走り続けた。
ヘッドライトが照らすのは、曲がりくねった道と、両側に迫る黒い木々だけ。
無人駅までの道のりは、予想以上に長く感じられた。ラジオは雑音ばかりで、携帯は圏外。助手席に置いた香奈枝からのメッセージが、頭にちらつく。
「事故で車が壊れた。列車で行く。」
彼女の声はいつも落ち着いているが、どこか不安げだった。
無人駅に着くと、ホームには香奈枝が1人で佇んでいた。長い黒髪と、控えめな笑顔が彼女らしい。
香奈枝は秀治の幼馴染で、大学時代も同じサークルだった。おとなしい性格だが、芯は強い。彼女が持つ小さな旅行鞄が、ホームの薄暗い灯りに照らされている。
「遅くなってごめん。」
香奈枝が頭を下げた。秀治は笑って手を振る。
「いいよ。で、車はどうしたんだ?」
香奈枝は少し目を伏せた。
「急にエンジンが止まって…車検直後なのに。原因がわからないって修理の人が言ってた。」
秀治は首を傾げる。
「変な話だな。まあ、乗れよ。洋館に戻ろう。」
車に乗り込む二人。
秀治はアクセルを踏むが、なぜか胸のざわめきが消えない。香奈枝は助手席で窓の外を見ながら、ぽつりと呟く。
「美奈、楽しそうだった? パーティ。」
秀治はハンドルを握りながら答える。
「ああ、いつもの調子で盛り上がってるよ。なんで?」
香奈枝は一瞬言葉を詰まらせ、
「いや、なんでも」
と誤魔化した。
道を戻る途中、秀治は異変に気づいた。
トンネルが見つからない。あの古びたトンネルを抜けて朽岩に入ったはずなのに、道はただの山道が続くばかり。
地図を確認するが、目印が合わない。
「おかしいな…。」
秀治が呟くと、香奈枝が不安げに言う。
「本当にこの道で合ってる?」
秀治は強がって笑う。
「大丈夫だよ。もうすぐ着く。」
だが、時間が経つにつれ、状況は悪化した。携帯は依然として圏外。ガソリンメーターの針が徐々に下がっていく。
香奈枝が口を開く。
「美奈のこと…正直、ちょっと気になるんだ。」
秀治は眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
香奈枝は慎重に言葉を選ぶ。
「あのコ、秀治のお金目当てなんじゃないかって…噂で聞いたの。」
秀治の声が硬くなる。
「なんでそんなこと言うんだ? 人の悪口はよくないぞ。」
香奈枝は慌てて謝る。
「ごめん、余計なこと言った。」
秀治はハンドルを握りしめる。
「俺は美奈を信じる。」
香奈枝は小さく頷き、
「それがいいと思う」
と呟いた。
だが、彼女の目は複雑な光を帯びていた。
夜が深まる中、道は依然として見つからない。秀治は焦りを隠せない。
「このままじゃガソリンが…。一旦、街に戻ろう。」
香奈枝は反対せず、静かに頷いた。
街の明かりが見えたとき、秀治はようやく息をついた。
ビジネスホテルにチェックインする二人。
香奈枝が突然、顔を上げた。
「秀治、私…ずっと言えなかったけど、好きだった。」彼女の声は震えていた。「だから今夜は、一緒の部屋でもいいよね?」
秀治は一瞬、言葉を失う。
香奈枝の真剣な目。
だが、彼は首を振った。
「うれしいけど…もう遅いよ。…部屋は別屋にしよう。」
香奈枝は小さく笑い、
「そうだね」とだけ言った。
翌朝、秀治は駐在所で朽岩への道を尋ねた。
年配の警察官が怪訝な顔で答える。
「朽岩? あそこは10年前に山津波で壊滅した。誰も住んでねえよ。」
秀治は耳を疑う。
「そんなバカな! 昨日、俺はそこにいたんだ!」
警察官は地図を広げ、道を教えてくれたが、どこか冷ややかな目だった。
香奈枝と車を走らせ、トンネルを目指す。だが、秀治の頭には、雛子の言葉が響いていた。
「そのままお帰りになった方がいいですよ。」
あの笑顔の裏に、何があったのか。