言いがかり
シャナ――私がトマトの苗に水をあげていると、母が畑までやってきて、私を呼びつけた。
母によると、私と同い年くらいの女性が旅館に訪問してきて、私と話したいと言っているそうだ。
その女性の名前は、ユグナというそうだ――聞き覚えのない名前である。
私と面識のない女性が、当然やってきて、一体私に何の用があるのだろうか――
その女性は、旅館のロビーにある長椅子に掛けていた。やはり見覚えのないブロンズ髪の女性だった。
「こんにちは。私のこと呼びましたか?」
「ええ」
「どこかでお会いしたことありましたっけ?」
「いいえ」
ユグナは、はっきりとそう答えた。
私は、ユグナと肩を並べるようにして、長椅子に腰掛けた。背中側にある窓は開け放たれており、爽やかな春風が、二人の長髪を撫でつける。
「私に何の用ですか?」
しばらくの沈黙の後、ユグナは答える。
「私の父のことです」
「あなたのお父さん? あなたのお父さんと私は知り合いなんですか?」
「おそらく」
「お父さんのお名前は?」
「ガロアといいます」
「……聞き覚えはありませんが」
「おそらく偽名を名乗っていたんだと思います。父はそういう人ですから」
一体どういう人なのだろうか。偽名を使わなければならない状況というものに、少なくとも私は出会したことがない。
「どういう偽名を名乗ってたんですか?」
「分かりません」
「お父さんの写真は?」
「ありません」
ならば、本当に私がユグナの父と知り合いなのかどうかは確かめようがないではないか。
「私はどこであなたのお父さんと知り合ったのですか?」
「この旅館です」
「とすると、あなたのお父さんはこの旅館の宿泊客ですか?」
「はい。泊まったのは比較的最近だと思います。数週間前だと思います」
ようやくユグナの父と私との接点が見えた。
とはいえ、旅館に泊まった時期が「数週間前だと思う」というのはあまりにも漠然としている。
それに――
「主に旅館の切り盛りをしているのは、私ではなく、私の両親です。私はたまに手伝っているくらいで、宿泊客の方とはあまり関わりがなくて」
「そうなんですか!?」
ユグナが驚嘆の声を上げる。
そんなことすらも知らないで、どうしてユグナは私を名指しで呼びつけたのだろうか。
「ですので、お父さんのことが知りたいなら、私の父か母に訊いてください」
私が、長椅子から立ち上がり、踵を返しかけたところで、「ちょっと待ってください」とユグナが呼び止める。
「私はシャナさんに訊きたいんです」
「何をですか?」
「父の行方です」
「行方?」
どうやらユグナの父は行方不明ということらしい。
「父は、行方を眩ます直前、ここの宿に泊まっています。それは事実なんです」
「この旅館に泊まったのを最後に消息を絶ったんですか」
「ええ、そうです」とユグナは頷いた。
「警察には通報しましたか?」
「はい。とっくに」
「お父さんが行方不明とは大変お気の毒ですが、あなたのお父さんの居場所について私には心当たりはありません。おそらく私の両親にも……」
「あなたの双子のお姉さんには?」
「……はい。姉にも心当たりはないはずです」
ユグナは、なぜ私に双子の姉がいることを知っているのだろうか?
そもそもなぜ私の名前を知っていたのだろうか?
旅館に泊まったというお父さんから聞いた――ということはないだろう。ユグナの話によれば、ユグナのお父さんは旅館に泊まった直後に行方を眩ませているのである。
ユグナの情報源がどこにあるのかが気になったが、それを探りたい気持ちよりも、早く話を切り上げたい気持ちの方が勝っていた。
私は、「お役に立てずごめんなさい」と頭を下げた後、いよいよその場を立ち去ろうと、ユグナに背を向けた。
私の後ろ髪を引いたのは、ユグナの衝撃的な一言だった。
「私、父はあなたたち家族に殺されたのではないかと思ってるんです」
私たち家族がユグナの父を殺した?
そんなの――
「とんだ言いがかりです!」
私は、振り返るとともに、大声を上げた。
「私たちの家族が人殺し!? そんなわけありません!」
ユグナは、私の顔をじっと見上げながら、「どうしてそんなに興奮してるんですか?」と憮然と問う。
「当たり前じゃないですか! 人殺しだなんて言われたら、当然、誰だって怒ります!」
「私の父を殺してないならば、冷静に否定すれば良いんじゃないですか?」
「クッ……」
私は唇を噛み締める。
ユグナは、私が躍起になって否定したことが、人殺しの証拠だとでも言いたいのだろうか。
そんなの無茶苦茶な論法である――
そもそも、私は人を殺したことなんて一度もない。そんな当たり前のこと、私自身が一番分かっている。
それに、お姉ちゃんだって、私の両親だって、人殺しなんてしたことはないはずだ。私の家族は皆、穏やかな生活を愛しているのである。どんな状況に追い込まれようとも、人殺しなんてするはずがない。
「とにかく、あなたのお父さんの失踪と、私たちの家族とは一切関係ありません! あなたのお父さんが数週間前にこの旅館に泊まったあとに行方を眩ませたのは、偶然です!」
冷静さを装おうとしたのだが、どうしても声量は大きくなってしまう。
そのことでさらに嫌疑を強めた、というわけではないかもしれないが、ユグナは、私にこう言い放つ。
「警察には、あなたたち家族を見張るように言います。悪く思わないでください。私は父の行方を知りたいだけなんです」