社畜という名の病
料理はどれも、今まで食べたことのない味だった。
しかし、どれも、今まで食べたことないくらいに美味しかった。
異世界の食材とは一体どのようなものなのだろうか、と気になり、骨付き肉を摘み上げ、「これは何の肉?」とピンク色の少女に尋ねると、意外なことに、
「豚」
と、現実世界でもお馴染みの名前が返ってきた。
まさかと思い、そのほかの食材についてもいちいち確認してみると、やはり「レタス」だとか「トマト」だとか「米」だとか、俺もよく知っているものばかりなのである。
それなのになぜ今まで食べたことない味に感じたのだろうか。
調理法や味付け、香辛料が違うのだろうか。
それとも、久々に誰かと食べる料理なので、格段と美味しく感じているのだろうか。
食材の名前を訊くついでに、というわけではないが、今まで聞きそびれていた姉妹の名前も尋ねてみた。
姉――水色の少女は、クラリスといい、妹――ピンク色の少女はシャナというとのことだ。
そして、二人は双子なのだという。どおりで似ているわけである。
食事中も常に二人は言い争っていたが、決して仲が悪いようには見えない。むしろ「喧嘩するほど仲が良い」というのがよく当てはまっているだろう。
俺は、クラリスに何度も「バカ」と罵られたが、少しも悪い気はしない。
とにかく、クラリスとシャナと囲む食卓は最高だった。
「俺は何をすれば良い?」
テーブルの上の皿が全て空になると、俺はパッと立ち上がった。
シャナは明らかに戸惑った表情で、俺の顔を見上げる。
「……え? 何をすれば良い……って、何のこと?」
「化け物から助けてもらった上に、こんなに美味しいご飯をご馳走になっちゃって、俺が何もしないわけにはいかないだろ。親切に報いなきゃ」
俺は至極当然のことを言ったつもりだったが、シャナの戸惑った表情は変わらない。
「言っておくけど、料理を作ったのは私たち姉妹じゃない。私たちのパパとママ」
クラリスに指摘されるまでもなく、そのことには気付いていた。おそらく、今俺らがいる部屋とは別の階に厨房があり、姉妹は、そこから次々と料理を運んできていただけなのである。
「皿洗いだってパパとママがやってくれる」
「クラリス、俺は皿洗いなんかじゃこの恩に報いることはできないと思ってる」
「じゃあ、何をしようとしてるの?」
「そうだな……」
たとえば――
「この家の執事としてしばらく働くとか」
「冗談やめて」と、クラリスとシャナが声を揃えて言う。
「親切は親切として素直に受ければ良いんだよ。私たちは何も見返りを求めてないよ」
「そういうわけにはいかないよ。シャナ」
「どうして?」
「それだと落ち着かないんだ」
「キミアキ、それはどういうことだ? 君は働いていないと落ち着かないタイプなのか?」
クラリスの指摘はあまりにも鋭かった。俺は無意識のうちに、仕事を求めていたのである。
「キミアキはやっぱりバカだ。働く奴は全員バカだ」
なんだその極論は、と今度ばかりは俺も少しムッとしたが、意外なことに、シャナもクラリスに同調した。
「仕事は身体に毒。働くなんてただの自殺行為」
まさか、この世界では、働くことが美徳とされていないのだろうか。異世界に来て最大のカルチャーショックである。
「キミアキにとって『幸福』って何?」
「働くこと」
シャナの質問に即答している俺がいた。
「完全に病気だね」とシャナ。
「だからこんなに不健康そうな見た目なのか」とクラリス。
「キミアキが元の世界ではどういう風に生きてたのかは知らないけど、こっちの世界では働くのは禁止」
「つまり、シャナは俺に死ねと言いたいのか?」
「全然言ってないよ? キミアキは働いてないと死ぬの?」
俺は頷く。
常に泳ぎ続けていないと呼吸ができないマグロのように、俺は常に働き続けていないと死んでしまうのである。
「シャナの言うとおり、キミアキはバカを通り越してただの病気。治療が必要だな」
「治療?」
「ああ」
社畜に有効な治療方法などあるのだろうか――
「やっぱりキミアキには皿洗いをやってもらおう」
「はい! 喜んで!」
「ただし、それは決して『仕事』じゃない。『楽しみ』として行うんだ」
「……え?」
「楽しみ」として皿洗いをする、とはどういうことだろうか。先ほどの「喜んで!」は、仕事をもらえたことへの喜びを示すものであり、仕事をすること自体への喜びを示すものではない。
仕事は辛いからこそ仕事なのだ。本来的に誰もやりたくないことだからこそ、仕事には価値がある。
「……仕事を楽しむって一体どういうこと?」
「だから、仕事じゃないって言ってるだろ」
クラリスの大きなため息には、百回分くらいの「バカ」が込もっていた。
「仕事中毒なキミアキのための治療法――それはスローライフだ。ゆったりとした暮らしの中で、キミアキには生きること自体の楽しさを知らなきゃいけない」