秋の田の2
「あの…さっき言ってた中大兄皇子と中臣鎌足が起こした変事って…
蘇我入鹿を殺しちゃった事ですよね…?」
歌子は話題を変えようと小町にたずねた。
「そうさ。
当時蘇我一族の力は大きかった。娘達を天皇や皇子の嫁にし、その子どもが天皇になることで外戚(母方の親戚)として力を振るったのさ。
そのさなか、天皇に対し謀反を企てたとして入鹿の首を取った。」
「謀反を企てたって…本当だったんですか?」
「本当に企てていたかは怪しいと言われておる。
当時の日本は氏族の連合国家のようなものでその頂点に天皇が存在していたに過ぎない。
それに先程言った通り自分たちが天皇に成り代わらなくても、外戚として影から天皇を操ることはできるからな。」
「じゃあ、なんでそんなことを…?」
「日本書紀によれば、聖徳太子(厩戸皇子)の息子である山背大兄皇子の所に入鹿が攻め入り、自害に追い込んだことが発端だとされている。
彼は次期天皇候補だった。
ちなみに山背大兄皇子の母は入鹿の兄妹になる。
つまり山背大兄皇子は自分の叔父に当たる蘇我入鹿に滅ぼされたということになる。」
「自分のおじさんにですか!?」
「古来よりこうした権力を賭けた親族間の殺し合いは非常に多い。
ただ、藤原氏の『家伝(大職冠伝)』によれば山背大兄皇子に攻め行ったのは『蘇我入鹿、他の諸皇子と謀りて』の記載がある。
つまり入鹿以外に他の皇子達も関与していると記載されている。」
「えぇ皇子が…?天皇側も関わっていたということですよね。一体誰が?」
「日本書紀では、中大兄皇子の母の兄弟である軽皇子(のちの考徳天皇)と記されているが、近年の研究では中大兄皇子の弟である大海人皇子(のちの天武天皇)ではないかという意見もある。」
「中大兄皇子と近い関係の人達ですね…それなのに入鹿は殺されてしまうんですね。」
「ああ。以降も中大兄皇子は
天皇による中央集権国家を築くことを目標に、謀反を企てた容疑のある人間を粛清していくのだ。」
ここで小町がその中大兄皇子である天智天皇の和歌を詠んだ。
「秋の田の かりほの庵のとまをあらみ 我が衣手は露にぬれつつ」
低く抑揚のある美しい歌声に歌子はしばらく聞き惚れた。
「これは、農民が雨の降る中で夜なべをして田んぼの番をしているが、粗末な仮小屋なので着物の袖が雨で濡れているという情景を詠んでいて、
秋のわびしさと農民の苦労に心を寄せていることが読み取れる」
「えぇ…?冷酷だと思ったけど…実は優しい人…?」
「ところがな、これ実際は天智天皇の作では無い」
「そうなんですか!?」
「万葉集にある『秋田刈る仮いほを作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける』というよみ人しらずの歌がいつしか形を変えて伝わったそうだ。
後撰集に『題しらず 天智天皇御製』として選ばれたことから、それ以後天皇の歌とされてきた」
「はあ…適当だなぁ…」
「この歌は天智天皇がきっとこのようなお気持ちであったに違いない、天智天皇が歌ったにふさわしいと思い、何者かが選んだのさ。
または…そのように他の者に見えるよう選んだかもしれぬな…
ちなみに後撰集は村上天皇の下命の元、源順・大中臣能宣・清原元輔・坂上望城・紀時文たちが中心となって編纂し、藤原伊尹が統括しておる。
まあ、ここにない他の者の意見を取り入れた可能性もあるがの。」
「ひええ…」
「政というのは、いつの時代も様々な人々の策略が入り混じっている。
だが天智天皇が平安の天皇の祖となり、約400年も続く平安時代の基礎となったのは揺るがない事実さ。
そしてそれは現代にも多分に影響している。
我らは皆、好む好まざるを別として、古代より敷かれし歴史という長い敷物の上に、生まれた時から立っているのさ」
参考文献
一冊でわかる百人一首(吉海直人監修)成美堂出版
天智と持統(遠山美都男)講談社現代新書
謎の豪族 蘇我氏(水谷千秋)文春新書
大海人皇子の陰謀(堀越博)郁朋社