晴れて国外追放にされたので魅了を解除してあげてから出て行きました
「……ロッド公爵令嬢、ここが国境になります……」
声からも戸惑いが伝わる。
出された命令を実行するしかない騎士は心底申し訳なさそうに豪華な馬車から支えもなく降りてきた令嬢を見て言った。
ロッド公爵令嬢と呼ばれた女性はきらびやかな豪華なドレスと宝石を身に着けたままの姿で真っ暗な森の中に足を下ろした。
全くその場所に似つかわしくない、いるべきでは無い姿で人里離れた森の中で凛と立つロッド公爵令嬢ことリネットは、自分をここまで運んできてくれた騎士達に完璧なカーテシーをしてお礼を述べる。
「ここまで運んで来て下さった事に感謝いたします」
そう言って何事もなさそうに微笑んだ令嬢に騎士の方が心底戸惑う。
「……この先は隣国への国境も遠い、隣国と我が国の狭間の土地となります。我らはこの先へは行けません。
…………本当に行かれるのですか?」
騎士としては間違っているが、人として言わずには居られなかったのだろう言葉を口にした騎士に、令嬢は少しだけ驚いた目をして直ぐに柔らかくその目を細めて微笑んだ。
「わたくしは第一王子殿下より国外追放を言い渡された身です。その命に従うまで。
皆様もどうか、この身はお気になさらずにお仕事にお戻りくださいませ」
そう言って頭を下げる令嬢にそれ以上何も言えなくなった騎士たちは、乗ってきた馬車に乗り込んで後ろ髪を引かれながらもその場に令嬢だけを残して来た道を戻って行った。
そろそろ夜が明けるのだろう。
白んできた空の下で場違いな姿をした令嬢が誰もいなくなった森の中で笑う。
「これでやっと自由だわ」
伸びをする様に上に伸ばした両腕を左右に大きく広げたリネットは心底楽しそうな笑顔で来た道の先に目を向けた。
「さようなら、私が生まれた国。
私を自由にしてくれたお礼に『魅了』が今後この国には効かないようにしてあげるね」
そう嬉しそうに呟いたリネットが手を振ると小さな光がサラリと舞った。
ニコリとリネットが笑い、くるりとその場で踊るように回る。
揺れる空気だけを残して、リネットは消えた。
* * *
朝の王城。
昨日学園を卒業して今日から成人として扱われる事となる第一王子であるギルベルト・カロ・セイダムは、目覚めたベッドの上で昨日の事を思い出して呆然としていた。
長男の学園の卒業の日に傍で祝ってやれない事を悲しんでくれた両親が他国の王族の結婚式に呼ばれて両親共々居ない好機を逃がすまいと、学園の卒業パーティーで自分の婚約者だったリネット・ロッド公爵令嬢に婚約破棄を突きつけた。
彼女は自分の妹を、後妻の連れ子……義妹だからと邪険にし、彼女の存在が邪魔だからと毒殺までしようとした。直ぐに解毒薬を飲む事が出来た義妹は後遺症も無く無事だったが、その悪行を許す事など出来る訳も無く、リネットに罪を突きつけて裁きを下した。
卒業パーティーという今後を担う貴族たちが居る場所で、次期王妃だと持て囃されて自分の立場を勘違いしたリネットの行った過ちを暴露し裁く事で、婚約破棄が如何に間違っていない、必要な行為かを皆に知ってもらい、皆からの目に晒される事でリネット自身にも己の間違いに気付いてもらう。あれは必要な行為だった。
卒業パーティーで騒ぎを起した事を国王付きの臣下たちに諌められたが、自分の事しか考えられないような悪女を王妃にする訳にはいかなかったのだと伝えれば皆理解してくれた。
両親にはリネットは好きじゃないと伝えていた。公爵家との繋がりは彼女の義妹、心優しき私の華、フリーネ・ロッド公爵令嬢が居るから何も問題ない。悪女の姉から聖女の様な美しく優しい義妹に次期王妃が変わっただけだ。何が問題になるというのだ。何も問題ない。
何も。
何も……。
…………本当に何も問題が無いのか…………?
* * *
「ギル様。大変でしたわね。
……わたくし、お姉様が居なくなってやっと安らかに眠る事が出来たのですよ。
これも全てギル様のおかげです。ありがとうございます。
わたくしが出来るお礼なんて、クッキーを作る事しか出来ませんが……ギル様の事を思って心から作りましたの。
どうぞ召し上がって下さいな……」
恥ずかしそうに頬を染めたフリーネ・ロッドが微笑みながら差し出したクッキーをギルベルトは1枚食べた。
「……いつものように美味しいよ」
「ふふ♪ ありがとうございます」
照れ笑いするフリーネは可愛い。
ギルベルトは今までと変わらずにフリーネを見ていた筈だった。
追放した元婚約者の義妹であるフリーネ・ロッド。義姉に虐げられ、殺されそうになったギルベルトの最愛の女性。婚約者よりも好きになってしまった心優しき聖女の様な女性。
彼女を泣かせる義姉であるリネットが許せなかった。自分の婚約者がこんな心が狭く悪質な事に嫌悪した。いくら婚約が政略であってもこんな女を伴侶にしたくなかった。リネットなんかよりフリーネと一緒になりたいと思った。だけど両親である国王や王妃はそれを許さなかった。
庶子であるフリーネは駄目だと言われた。同じ公爵家の令嬢なのにそんな些細な事でリネットなんかを大事な息子と結婚させようとする親に失望もした。そんな事を言っている内にフリーネがリネットに殺されそうになった。親の承諾を待っている時間は無い。親以外の味方をつけて、リネットを追い出す事でフリーネを自分の婚約者として世間に認めさせようと思った。
全てが上手く行った。
悪女であるリネットは居なくなった。
両親が帰ってきたらフリーネを紹介して正式な婚約者としてもらう。
何も問題ない。
何も間違ってない。
だけど何かがおかしい……
自分の前で微笑んでいるフリーネに卒業式の日にまで感じていた、常に側に置いて触れていたいと願うほどの渇望を一切感じていない。自分の何も揺るぐ事の無い平静とした心情に、ギルベルトは静かに混乱していた。
* * *
国に帰ってきた国王は怒り、王妃はショックを受けて倒れた。
国王は直ぐにリネットを保護する為に騎士隊を動かし、騒動の元となった第一王子とその側近、そして騒動の中心人物となるフリーネを呼び出した。
「いつお前に人を裁く権限を持たせた」
「…………」
「私には国王として発言力がある。
しかしその息子に同じ権力があるとは知らなかった。
いつからだ?
いつから“ただの息子”に人を裁く権限が与えられた?」
国王の静かな怒りに王子は何も言えなかった。
王座の前に跪き、項垂れるように頭を下げた王子とその一歩後ろで同じように跪かされていた第一王子の側近たち3名とフリーネも、全員が微動だに出来ずに床を見つめていた。
「お前の婚約者であるリネット嬢は依然行方知れずだ。
隣国で着ていた服や宝飾品を売った事までは分かっている。冒険者ギルドにそれらしい年若い女性が同じ頃に登録した事も分かってはいるが、それがリネット嬢かまでは分かっていない」
「リネットが冒険者に?」
「……まだ本人かまでは確認が取れていない。しかし国から出され身分を示す物が何もない者が冒険者登録する事は珍しい事ではない」
「こ、公爵令嬢が冒険者など出来る訳がない……っ!」
「……出来る出来ないの話ではない。
何もかもがなくなった者が“生きる為”に冒険者になるしかなかったのならばおかしな事ではないだろう」
「っ、…………」
国王の目ははっきりと『お前のせいでな』と言っていて、ギルベルトは何も言えなくなった。
「は、発言をお許し下さい!!」
空気を読まずにフリーネが声を上げた。国王は息子を見ていた目をフリーネに向け、ため息と共に「許可する」と告げた。
「あ、義姉は昔からわたくしにツラく当たって……遂にわたくしを殺そうとしました! ギル様はそんなわたくしの身を案じて行動を起こして下さったのです! 義妹を……人を殺そうとした人です! そんな人が危険に晒されたとしても、それは自業自得……仕方の無い事だと思います!
罪を犯した人が悪いのです!
それなのに、そのせいでギル様が責められるのはおかしいと思います!」
フリーネは震えながらも国王に反論した。あんな義姉のせいでギルベルトが責められるなんて我慢出来なかった。
フリーネはチラリとギルベルトを見た。ギルベルトが自分を称賛する目で見てくれていると思ったからだ。でもギルベルトはフリーネを横目にも見てはいなかった。ギルベルトだけじゃない。フリーネの横にいる側近たちの誰一人としてフリーネを見てはいなかった。その事にフリーネは違和感を感じる。だけどそれが何なのかまでは分からない。
「その“罪”とやらだがな……」
国王は王座の肘置きに肘を突いて頬杖を突き姿勢を崩した。空いた手で控えていた人物を手招きする。
「不審な点を指摘する者が居るのだ」
「……」
国王の手招きで隣室で控えていたロッド公爵が王の横まで歩いてくる。公爵の顔を見てフリーネは安堵の表情を浮かべたが、父の顔が暗く眉間に深いシワが刻まれている事に違和感を覚え、すぐさま不安に瞳を揺らした。
そんなフリーネに視線を向けたロッド公爵は、今まで見せた事のない疑心に満ちた瞳でフリーネを射抜く。
「フリーネ……。
お前がリネットに毒殺されそうになった茶会はリネットが開いたと言ったな?」
「は、はい!そうです!」
父が何を聞きたいのか分からなかったが、フリーネは両手を胸の前で組んで瞳にうっすらと涙を浮かべて縋るような面持ちで父を見た。
「お、お義姉様がわたくしと仲直りがしたいからと、お庭にお茶の席を用意して下さって……お断りするなんて出来なくて、わ、わたくしお義姉様が怖かったけど、メイドのみんなも居てくれるから……って思って、お義姉様が待ってる席に行ったんです……。でも、お義姉様はまだ来ておられなくて……、メイドが少し遅れるから先にお茶だけ飲んでいてって、お義姉様が言ったと言ってわたくしにお茶を出してくれたんです……。わたくし、冷ましちゃいけないと思って……、お義姉様が先に飲んでいてと言ったのだから、飲まなくちゃって、お茶を飲んだんです………そしたら………」
話の途中から顔を青褪めさせ、胸の前で組んでいた手を自分の体を抱くように体に回したフリーネが、思い出した恐怖に怯えるように小刻みに震える。
今までなら、そんなフリーネの様子を見たらギルベルトも側近たちも直ぐにフリーネに駆け寄ってその肩を抱きしめてくれていたはずなのに、今は誰一人として動きはしない。それどころか、見なくても感じる冷たい視線に、フリーネは密かに混乱した。
「……お茶の席はリネットが用意したんだね?」
フリーネを気遣う言葉もなくロッド公爵は質問する。
「……はい……そうです……」
何故そんな事を聞かれているのか分からない。
フリーネは不安げな顔で父を見た。
目が合ったロッド公爵は沈痛な面持ちでフリーネを見ていた。
「……リネットには指示を聞いてくれる侍女が二人しかいない。その侍女二人がそんなお茶の席は用意していないと言っているんだ」
「……え?」
「メイドたちはリネットを嫌がってほとんど近づかない……リネットの事はその二人だけが世話をしていたようなものだ。それなのにそのお茶の席はメイドが用意して何名かのメイドが側に居たんだね?
……リネット付きの侍女すら知らなかったそのお茶会を、リネットはどうやって開いたんだろうね……?」
ロッド公爵は優しく問いかける。
しかしフリーネには自分が責められているようにしか聞こえなかった。
「そ、そんなの知りません! お義姉様が密かにメイドたちを脅して用意させたんですわ! お義姉様はメイドたちも怯えさせていましたし! お義姉様に逆らえる者などあの邸にはおりませんわ!」
怯えた表情から一転、焦りの表情を見せて言い訳するように話すフリーネに国王は訝しむ視線を送る。
しかしロッド公爵を見ているフリーネは気づかない。
「お、お父様!? わたくしはお義姉様に殺されかけたのですよ!? なぜ今更そんな事を言い出すのですか!?」
遂に泣き出したフリーネにロッド公爵は悲しげに顔を歪めて目を閉じた。
「……お前が毒を飲まされ、その毒の解毒薬をお前の母であるセリーが直ぐに飲ませる事が出来てお前は無事に難を逃れた……。当時はその事を心から喜び、大切なフリーネを殺そうとしたリネットを憎んだ……。
だが今、冷静になって思い返してみると、お茶の席を用意出来た事、その席にはリネットを嫌っているメイドしかいなかった事、その場にリネット本人は居なかった事、セリーが直ぐに解毒薬を用意出来た事……全てに違和感が残るんだよ……。
騒ぎの時、私はリネットが嘘を言っていると思ってまともに話を聞かなかったがリネットはこう言っていたんだ。
『わたくしは知りません。この家に居場所の無いわたくしに、何が出来ると言うのですか?』と。
居場所が無いなどと訳の分からない事を言って話をはぐらかし、罪を隠蔽しようとしているのだと思ったが、もしリネットの言葉が事実なのだとしたら……お茶の席を用意したのは誰なんだろうな……」
濃い疑いの色を浮かべた目でロッド公爵に見つめられたフリーネは顔を青くしてただただ否定するように首を横に振った。
「そ、そんな事知りません! わたくしは毒を飲まされたのです! あのお茶の席にはお義姉様から呼ばれたから行ったのです! 信じてください! こんな風に疑われる事こそお義姉様の策略ですわ! それ程にわたくしはお義姉様に憎まれていたのですね!? ただ母が違うというだけで同じ父の血を引いているのにっ! お義姉様は自分だけが裁かれるのを良しとせず、わたくしをも嘘の罪を着せて皆から嫌われるようにしているのです!! わたくしは何もしていないのにっ!!
あぁ! ギル様助けて! わたくし怖いのっ!!」
自分の体を抱きしめて悲痛に泣きじゃくる顔でフリーネはギルベルトを見る。彼が直ぐに抱きしめてくれると疑いもなくフリーネはギルベルトを見た。
しかしギルベルトはフリーネを見もしなかった。
ただ俯き、一点を見つめているギルベルトにフリーネは驚き目を見開く。その目から数滴の涙が流れた後、止まった事を国王は静かに見ていた。
「ぎ、ギル様……?」
おずおずとフリーネがギルベルトに声をかける。
しかしギルベルトはフリーネを見ない。
フリーネは横にいる側近たちを見た。
皆、卒業式の日までフリーネを囲んで楽しく笑いあい、フリーネを愛おしそうに見てくれていた男たちだ。
侯爵令息のマムリム。騎士団総長の息子のクリオン。辺境伯の息子のゼゼオ。
三人ともフリーネを守ると誓ってくれた男たちだ。ギルベルトの妻になった後もずっと側にいるよと声をかけてくれたのに……。
その全員が、今一番助けを求めている時に見向きもしてくれない。その事にフリーネは心底驚愕していた。
「……数日前に突如として異変が起きた」
国王は静かに話し出した。
「必要な時に必要な薬を使う。それが人道に反していたとしても、それが国の為になるのであれば必要な処置として許される」
「……?」
フリーネは国王が何を言い出したのか分からなかった。
「悪事を働く者、害になる者、将来災いになる事……、それらを事前に知る事や行動を把握する事も民を守る我らの仕事だ。
その為ならば世に禁止されている物も使おう……」
「っ……!」
国王の言葉にフリーネの顔が僅かに引きつる。それを国王も公爵も見ていた。
「フリーネ・ロッド。
『魅了薬』を知っているな?」
「っ!!!」
「「「「…………」」」」
国王の言葉にフリーネは傍目にも分かる程に体を強張らせた。悲鳴は上げなかったが、自分で我慢したというより『声も出ないほど驚いた』という方が正しいだろう。それほどにフリーネは全身で反応した。
それを気配で感じ取ったギルベルトたちは、卒業式の日以降違和感を感じて薄々気付き始めていた事が当たっていたのだと確信した。
「み、ミリョウヤク……? そ、それはなんですか?
わ、わたくし何の事か…………」
顔を青褪めさせ、唇を震わせながらなんとか否定したフリーネが、周りに救いを求めるように視線を彷徨わせるが、あの日守ると誓ってくれた男たちは誰一人としてフリーネと目を合わせてはくれなかった。
「……セリーが私によくお茶を入れてくれた」
公爵は静かに語り出す。
「政略結婚だからと妻を疎かにして、自分を傍目も気にせず慕ってくれる女性に安らぎを求めた……。
セリーから向けられる隠さない好意を信じきり、疲れが取れると言われて出されたお茶を飲んでいた。
……魅了薬は蜂蜜に似た見た目と、甘い味が特徴の様だね。
セリーの出してくれるお茶は甘く……心も体も解してくれる気がしたよ………
君たちもそうじゃなかったかい?」
公爵の問いかけにギルベルトとその側近たちが顔を上げた。
その顔は全員血の気が失せて死人の様だった。
「はい。……フリーネのくれるクッキーはとても甘く、気持ちが楽になりました」
「……何度も食べたくなり……」
「っ、フリーネから貰えて嬉しかった」
「あの甘さだけは苦にならずに食べられました」
4人の男たちはそれぞれに呟いた。
それにフリーネは困惑するように胸の前で祈るように手を握る。
「っ!! ……知りません! わたくしは知りません!!
魅了薬なんてわたくし使ってません! 甘いのは砂糖ですわ! それにただの蜂蜜!! そうです! ただの蜂蜜を使っていただけです!!」
頭を振って否定するフリーネに公爵はポケットから取り出した瓶を見せる。
「っっ!?!」
黄色い液体の入った瓶は光に当たり輝いている様にも見えた。
「フリーネの部屋から持ってきた物だよ。鑑定の結果、魅了薬で間違いないと言われた」
「知りません!! そんなの知りません!!」
「……セリーの部屋からも同じ物が見つかったよ。そして毒入りの瓶もね」
「っ!! っ……お、お義姉様ですわ!? お義姉様がわたくしとお母様の部屋に隠して行ったのです!! わたくしたちは嵌められたのですわ!! 信じてくださいお父様!!」
叫びにも近いフリーネの言葉に公爵はただ悲しそうに眉を下げただけだった。
「邸の皆に話を聞いた。
……フリーネを支持していた者は皆、フリーネが手作りした物を食べた事があると言った」
「っ!!」
「元はリネット付きの者たちも、フリーネに作り過ぎたから食べてと言われて出された物をその場で食べて、その後なんだかリネットが嫌になって持ち場を変えてもらったと言っていた。リネット付きの侍女二人は、フリーネから何度か物を渡されそうになったが、リネットから注意されていたから断っていたと言っていた。……二人とも、違和感を感じていたそうだ。突然フリーネの方が良いと言い出した同僚に何かあると警戒していたと言っていたよ」
「……そんなの酷いわ……わたくしはただみんなにお菓子を食べて貰いたかっただけなのに……」
両手で顔を覆って泣き出したフリーネを慰める者は誰も居ない。
「お義姉様が……お義姉様がみんなに嘘を言わせているのよ……わたくしは何もしていないわ……全部ぜんぶお義姉様が仕組んだ事よ……」
フリーネが何を言おうとも、『お菓子を作ったのがフリーネ』であり、『お菓子を配ったのがフリーネ』である過去が変わる事は無い。
仲の良い姉妹であれば『一緒に作った』と言って姉のせいにも出来ただろうが、お菓子をフリーネが一人で作った事は邸の全ての者が知っていたし、だからこそ、皆安心してお菓子を口に出来ていたのだ。今更『義姉が』と言われても誰も信じる事は出来ないだろう。
『フリーネが一人で手作りしたお菓子』だからこそみんなが口にしていたのだから。
「……私も、リネットに会いに行った公爵家でフリーネにクッキーを貰いました……」
ギルベルトが口を開いた。
「っ! ギル様っ、わたくしっ!!」
「私は、リネットの妹だからと、フリーネに貰った物を疑いもせずに口にしました。リネットから毒見もせずに物を食べるなどと言われましたが、公爵家の、それも妹が作った物を疑うようなリネットに不快感を抱いた事を覚えています」
「……私は学園で、ギルベルト様と親しくしているフリーネ様から貰った物を無下にするのは気が引けて、クッキー1枚だけならと思い食べました。その後は、むしろ次はいつ貰えるのだろうかと楽しみに思っていました……」
「同じく」「俺も」
「み、みんなに喜んでもらいたくて作ったの!! お義姉様がそんな変な物を仕込んでいるなんて知らなかったのよっ!! 信じて!! わたくしは何もしてないの!!」
「魅了薬はな……」
「っ!!」
国王の声にフリーネは涙まみれの顔でそちらを見た。
国王は頬杖を突いたままフリーネを見下ろしていた。
「魅了薬は、魅了させたい者が薬を口にした者の目を見ていないと効力を発揮しないのだ」
「っ!!」
「義姉が義姉がと言っているが、周囲の者が皆義妹の虜になる事が、リネットに何の得があるんだ?」
呆れを含んだ声で国王に言われて、フリーネは一瞬口を噤む。
「あ……、あねは……、あねはきっとこうなる事を見越して、っ、こんな事をしたのですわ……わ、わたくしを嵌めて……こ、こんな風に酷い目に遭わせる為に………」
唇を震わせてフリーネはまた涙をポロポロと流して悔しそうに呟いた。
「酷い目というが。
国外追放にされてドレスのままで何もない国境へと放置され、一人で生きねばならなくなったリネットの方が酷い目に遭ってはいないか? 彼女は生まれながらの公爵令嬢だぞ?」
「っ!!」
「「…………」」
国王の言葉に、フリーネは唇を噛みしめ、ギルベルトと公爵は悲痛に顔を歪めた。
「お前も同じ目に遭わせようか?」
国王が脅すようにフリーネに語りかける。
フリーネは瞬時に顔を青ざめさせて頭を振った。
「嫌ですっ!! 嫌っ!! そんなの無理です! 死んでしまいますっ!! ギルっ!! ギル様助けてっ!! 嫌よ!! わたくし国外追放なんて嫌ぁっっ!!」
フリーネは泣き叫んだ。
その様子に国王ははっきりと呆れ果てて溜め息を吐いた。
「自分がそんなに嫌がる事を義姉にはさせたのか……」
「あ………」
「お前はずっと自分の事ばかりだな。
全てを義姉に擦り付けて自分は被害者になりきる。お前の言い分を信じるのはお前から魅了薬入りの菓子を貰った者だけだ。
……それも何故かあの日より効果が無くなったようだがな……」
不可解な出来事に訝しがる国王にフリーネは驚愕した顔を向ける。
「な、なんで……、なんで効果が無くなったんですか? なんで突然……?」
フリーネは驚きの余り気づかない。
この場で『魅了薬の効果』を気にするのは、魅了薬に関わった者だけだと……。
「……それを私達も探っている最中だ」
呆れながらも国王はフリーネに答えた。『効かなくなった』事だけははっきりしている。しかしそれ以外は何も分かっていない。
「……突然なんておかしいじゃないですか……? あ、……お義姉様が居なくなってからおかしくなったんですよね……? お義姉様が居た時までは変わらなかったんですよね……? なら……ならやっぱりお義姉様のせいじゃないですか……、お義姉様が何かしてたんですよ……だからお義姉様が居なくなった途端に効力が無くなったんですよ……! ほら、……ほらやっぱりお義姉様のせいだ…っ! お義姉様が居なくなってからおかしくなったんですから、お義姉様が悪いんですよ!! ね、ほら! 全部繋がった!!
国王様! 全部お義姉様のせいなんですよ! お義姉様が悪いんです!!」
嬉々として義姉が悪いと言い出したフリーネはもはや狂気だった。
卒業式の次の日、リネットが国外追放された日から魅了薬の効力が無くなったのは事実だが、その原因がリネットかどうかなど調べる事も出来ない。まずそんな事が出来るかどうかすら分かっていない。
魔法のあるこの世界で、出来る事も出来ない事もまだ全て判明している訳ではない。
だが、『リネットが生まれる遙か昔から魅了薬は存在していた』のに『リネットが居なくなってから魅了薬の効果が無くなったから、魅了薬の効果はリネットが起こしていた』などとは誰も思わないだろう。むしろリネットが居なくなったと同時期に『魅了薬の効力が無くなった』と考える方が自然だ。フリーネの様に『リネットが』と紐付けるのには無理があり過ぎる。リネットにそこまでの力があれば易々と国外追放などにはされないだろう。
抵抗も出来ずに突然国外に放り出された無力な令嬢に、何が出来るというのだろうか……。
フリーネがリネットのせいにすればする程にフリーネへの疑惑が増すだけだった。
「や、やっぱり、国外追放じゃ甘かったんだわ……」
人差し指の爪を噛みながら呟いたフリーネの言葉にその場にいた全員が訝しむ。
「こ、国外なんかに出したから駄目だったんですわ! ちゃんと罪を償わせないと!! こ、国王様!! お義姉様を探しましょ?! 探して見つけて、ちゃんと処罰しないと!!」
フリーネが言い出した言葉に国王だけではなくその場にいた全員が困惑する。
「処罰……? 処罰とは“国外追放”だったんだろう?」
「生きて終わる罰を与えたのが甘かったのです!! 義姉は悪女です! 生きてる間はこちらに危害が来るのです! 処刑しないと! 首を刎ねて殺さないと!! ギル様! 国王様!! 悪女に罰を!! お義姉様の首を刎ねるのです!!」
「……我が身可愛さにそこまで考えるか……」
口元にうっすらと笑みを浮かべながらそんな事を言うフリーネに国王は顔をしかめて嫌悪を示した。
既に処罰した者を探し出して更に重い刑で罰しようなどと、まともな考えではない。
静かに話を聞いていたギルベルトたちも初めて見るフリーネの姿に青褪め慄いた。
これが自分たちが守っていた少女なのか?
こんな女の為に……
ギルベルトとその側近たちは自分たちが信じていたものが偽りであったと悟り、しでかした事の重さに絶望した。
「………私の罪です」
ポツリと溢れるように公爵が言った。
「……こんな者を……こんな者たちを公爵家に入れ……野放しにしてしまった私の過ちです……私が……愛人など……セリーなどと親しくしなければ全ては起こらなかった……」
「……そうだな……妻以外の女と懇意になったのはお前の落ち度だ。
だが今更それを言って何になる? 起こってしまった事は何も変わらない……」
「…………失礼を。馬鹿な事を申しました」
「……謝るのであれば、亡くなったリネットの母に向けて謝罪しろ」
「そう………ですね………」
項垂れて、威厳などなくなってしまった公爵を横目に見た国王は、一度その目を閉じると、しっかり前を見てその目を開き、王座から立ち上がった。
「フリーネを地下牢に。
その母セリーと共に魅了薬の入手経路や毒の事を全て吐かせろ。
ギルベルトは自室での謹慎を」
「国王陛下」
悲鳴を上げるフリーネに構う事なくギルベルトは跪き頭を下げたままで父を呼んだ。
その臣下としての呼び方に国王は悲しい気持ちになった。
「……なんだ」
「私は北の塔へ行きます」
ギルベルトがきっぱりと言い切った言葉に国王は眉間にシワを寄せた。
北の塔は王族の中でも人殺しなどの罪を犯した者が入る場所だった。当然、塔の中の部屋は王族が入るような場所では無い。ギルベルトもそんな事など当然知っている。知っていて行くと言うのだ。
ギルベルトは既にリネットが亡くなっていると思っているのかもしれない。死んでいなくても公爵令嬢としての生き方しか知らないリネットがまともに生きていられるとは国王も思ってはいなかった。ギルベルトが望む事も分かる気がした……。
「……分かった。
ギルベルトを北の塔に。
他の者は家での謹慎を言い渡す。
魅了薬で操られていたとしてもお前たちのしでかした事は子供の過ちとして処理出来る事では無い。
沙汰が下るまで己がしでかした事の重大さを考え続けよ」
「嫌よ! おかしいわよ!! わたくしは何もしてないわ!! 全部お義姉様が悪いのよ!! みんなはわたくしが好きだっただけよ!!みんなに嫌われてるお義姉様が悪いのよ!! わたくしは公爵令嬢なのよ! 第一王子であるギルベルト様の婚約者に相応しいのはわたくしだわ!! お義姉様なんかわたくしの踏み台でしかないのよ!! 愛されてるわたくしに醜く嫉妬したお義姉様が全部しでかした事なんだから!! わたくしは悪くないわ!! 魅了薬だってお義姉様が使ったのよ!! わたくしは被害者よ!! なんでこんな酷い事するのよ!! 助けて!! 助けてよギルベルト!! ねぇ! マムリム! クリオン! ゼゼオ! わたくしを守るって言ってたじゃない!! 守ってよ! 助けてよ!! わたくしを愛してるんでしょ!!! 助けてよみんなぁ!!!!」
騎士に両腕を取られ、どれだけもがいても逃げられないフリーネが泣き叫びながら連れられていく。
その姿をギルベルトも マムリムもクリオンもゼゼオも無感情な瞳で見送っていた。
あんなに四六時中頭から離れなかったフリーネの事が、いっときも離れたくなくて全てが自分の物になればいいのにと願ったフリーネの事が、フリーネを虐げるリネットなど野盗に嬲られ殺されてしまえばいいと思わせていたフリーネの事が、今は全く真っ白な紙の様に、何も、何も、何も彼女に対して思う事が無いどうでもいい存在となっていた……。
何一つ心を動かさない、むしろ嫌悪を感じるその言動に、ギルベルトたちの心は更に更に絶望へと落ちていく。
魅了薬のせいだと、フリーネのせいだと思えたら良かったのに。ギルベルトたちの心はそこまで落ちぶれてはいなかった。
一人の令嬢を死に追いやった。もしかしたら死ぬよりも辛い目に遭っているかもしれない……そんな目に自分たちが遭わせたのだ……。
その罪の重さにギルベルトたちの心は既に押しつぶされそうだった。
* * *
フリーネが罪を認めなくても証拠や証言が続々と集まってくる。
魅了が切れた人々は自分が感じた違和感から過去を振り返り、何故あんな事をしたのか、何故あの時はそんな選択をしてしまったのか自問自答し、そしてそれが魅了されていたのであれば理解出来ると結論付けたのだった。
学園でリネットと友人だったのに後から出会ったフリーネを選びリネットから離れた人たちも『フリーネが魅了を使っていた』という噂を耳にすると全員が怒りに顔を歪めた。
ロッド公爵家のメイドが全員口を揃えたかのようにフリーネが毒を飲んだ時のお茶の席を準備させたのはセリーの指示でありフリーネ自身も知っていたと話した事から、殺人未遂が冤罪であったと確定した。
リネットが無実の罪で国外追放に処されたと全ての人が知る事になったが、依然としてリネットの行方は分からなかった。
フリーネとその母セリーは重犯罪者として公爵家から絶縁されたのち、平民として絞首刑に処された。
リネットを思う人たちからは刑が軽いのではないかという声が上がったが、王族を汚した者を生かしておく事は出来ないと、斬首刑よりは苦痛の伴う絞首刑が選ばれた。
フリーネとセリーが、命だけは助けてくれと懇願していた事も理由の一つだった。罪人の希望を聞き、その者たちを生かす為に金をかける事など誰もしたくない。生を望む者に死を。
リネットを想う者の中には『死にたくなる程に痛めつければいいのに』と思う者もいたが、さすがにそれを口に出す事はなかった。
自分の幸せの為に生きたフリーネはその母と共に最後は誰からも愛されずに恨まれ惨めに汚れきった姿で死んだ。
その話を聞いた第一王子であるギルベルトは自ら望んで毒杯を飲んだ。父と母の説得は届かなかった。
表舞台に出ずに後宮で密やかに生きればよい。次期国王となる弟を手助けしてやってくれと願う声も、国に混乱を起こさない為にも第二王子が何の障害も無く次期国王になる為にも自分の存在は邪魔になると、ギルベルトは自分を助ける声を退けた。
魅了され、無実の婚約者を国外追放にした愚鈍な王子は要らないのだ。誰よりもギルベルト自身が自分のような王子の存在が許せなかった。
第一王子ギルベルト・カロ・セイダムは病死としてその幕を閉じた。
ロッド公爵は早々に爵位を親族に譲り隠居した。
前妻であるリネットの母の墓の前で首を剣で掻き切って死んでいるのが見つかっている。
ギルベルトの側近であったマムリム、クリオン、ゼゼオは廃嫡され、それぞれの領地にて生涯軟禁される事になった。無論生涯独身である。都合よく使われ死ぬ運命となったが、誰一人として逃げ出す事など無かった。
* * * *
国外追放されたリネットは、服を変え、髪を切り、名前を変えて冒険者となった。
リネットは転生者だった。
母が死んだショックがきっかけで前世を思い出していた。
そして父が後妻を家に呼び、義妹が出来た事により、リネットはこの世界がもしかしたら何かの物語の舞台になるのかもしれないと思った。
王子の婚約者の姉と見た目が良い義妹。手作りお菓子を配ってどんどん味方を増やしていく義妹。早々に義妹に絆される婚約者の王子。
なんか知ってる感じだな、とリネットは思ったがリネットの前世は某週刊誌だけを読み、情報はネットで回ってきたものを見る程度のものだったので、自分が転生したこの世界がゲームの世界なのか小説の世界なのかはたまた別の媒体なのか全く見当もつかなかった。
だけどリネットにとってそんな事はどうでも良かった。
別に婚約者の王子に惚れている訳でもない。最愛の母は死に、後妻にのめり込んでいる父に期待する事もない。
何よりリネットは魔法が使えた。
これが転生チートだろうかとリネットは思った。魔法で想像した事が何でも出来ると知った。
途端にリネットは公爵令嬢でいる事が嫌になった。
どうせ家には居場所は無いに等しい。さっさと出て行ってやろうかと思ったが何やら義妹が裏でやっている。この世界がもし物語の世界なら何か起こるのではないか?
この世界が話題で聞いた事のある悪役令嬢ものであるならば、このまま待っていたら勝手に追放してもらえるのではないか?その方が探される心配もなく自由になるのでは?と、リネットは様子を見る事にした。
魔法で遠くの声を聞き、もし死刑とか害のある刑になるのならさっさと消えようと思っていたリネットだったが、聞こえてきた話は国外追放だった。それならば茶番に乗ってやっても問題ないだろうとリネットは静観した。
学園の卒業パーティーにて想像通りの断罪劇が繰り広げられ、極悪非道な義姉として会場を追い出された。
乱暴にされる事もなく馬車に乗せられ一晩中運ばれて明け方頃に国境に着いた。
国外追放という名の実質死刑と変わらない処罰にリネットは内心ちょっと笑ってしまった。普通の令嬢がいきなり追放されて生きていける訳が無い。なんて非道な人達だろうか。
それにしても、あの人たちはこの後どうするのだろうか? 相当困る事になるのではないか? その困っているところを自分は見る事が出来ないのだと、リネットは少しだけ後ろ髪が引かれる思いだった。
それに仕返しもしたい。
あの義妹の好き勝手にさせたままなのも不快。私は別に聖人じゃないのよ?
という事で、義妹が頼りまくっていた魅了の効果を無くした。
公爵や王子たちには感謝されたい気分だった。
リネットは鼻歌交じりに魔法で転移して苦もなく隣国へと渡った。
隣国で冒険者となり身分を得たリネットは名を新しく『ミク』とした。前世の名前でもなんでもない。ただ前世で好きだったから次の名前に拝借しただけの名前だった。
魔法が使えるので生活にも何も困る事は無い。異次元空間に異次元収納、転移魔法に念動力。願えば何でも出来る魔法でリネット改めミクは世界中を旅して好きに生きた。
生まれた国で自分を追い出した人たちに何が起こったのかも知らずに……。
知ったところでミクは「そうなんだ。貴族って大変だよね〜」くらいの事しか言わないだろう。自分に優しかった侍女たちの事は気になるが、それ以外の事はミクになったリネットにとっては気にしたいと思う程の思い入れなどないのだ。
魅了薬で操られていたから冷遇してしまっていたと言われたところで、冷遇されていた方は『そうだったのね。分かった。あなたも本心じゃなかったのね。許すわ』なんてならないだろう。傷付いた心がそう簡単に割り切れるものではない。その時リネットが感じていた孤独や心痛が無かった事にはならないのだから……。
自由を手に入れたミクが生まれた国に帰る事は二度と無かった。
[完]
※無詠唱で思い描くままに魔法が使えるのはリネットだけです。
※リネットがもっと早くに魅了の効果を消していたら誰も死ぬ事はなかったかもしれませんが、それをリネットがして上げる程の愛情は貰っていません。リネット的に後腐れなく放逐される方法を取り、序にウザい義妹の悪事を出来ないようにしてやったら結果がアレになっただけです。リネットの責任ではありません。悪い事する方が悪いと思います。