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未だ無彩

作者: 碓氷なつれ

「鈍色」「水色」の前日譚です。そちらを読んでから読むことをおすすめします。

「尾花さん、一目見た時から好きでした! 俺と付き合ってください‼」

「ごめんなさーい」

「そ、そんな……」

 振り向きもせずに颯爽と校舎裏を去りながら、はぁ、と溜息をひとつこぼす。これで何度目だろうか。入学してから三ヶ月も経っていないのに、私はこうしてクラス、学年問わず男子から告白されては振り、を繰り返していた。巷では進学校と呼ばれている高校にたまたま合格してしまったアホの子の私は、勉強が得意で真面目な子たちと違って少し派手だから、きっと目立ってしまっているんだろう。

「一華、今日もまたコクられてたの? 多すぎない? 何回目よ」

「五回目か六回目かな、クラスの佐々木くんと、高橋くんと、隣のクラスの出川くんと、先輩の……」

「ああ、わかった、もういい、もういい」

 高校の近くのハンバーガー店に着いた私と恵海は、注文したシェイクとポテトを口にしながら早速学校の愚痴を繰り広げていた。恵海とは小学校が同じで、高校に入った時に偶然再会し、またこうしてよく遊ぶようになった。彼女は私よりもずっと頭がよかったからもっと上の高校に行けたと思うのだけれど、「賢いところはみんなお堅そうで嫌」と少し偏差値が下のうちに入ったらしい。私からすれば、うちの高校も十分真面目過ぎるのだけれど。

「一華、かわいいもんね。うちのクラスじゃ頭一つ抜けてるよ」

「そんなことないって、ただちょっと化粧してたり服装が派手だったりするから目立ってるだけ、そんなこと言ったら恵海だってかわいいじゃん」

「でた、そういうところが、モテるんだよ。でも、そんなに振りまくってちゃ男たちもかわいそうじゃない? ほら、今日はどんな相手だったのよ」

「あー、誰だっけ。三年生の藤原さんだっけな」

 うろ覚えの名前を口にすると、恵海はえっ、と素っ頓狂な声を上げて親指と中指で持ち上げるようにして口に運んでいたポテトの束をぽろぽろと落とした。こういうオーバーリアクションなところは話していて退屈しない。一度にポテトをつまみすぎだとは思うけれど。

「うそ、三年の藤原ってめっちゃモテるって話だよ。うわー、それを断っちゃうんだ、まじか。あんた、高望みしすぎじゃない? うちの高校じゃあれよりいい男いないって」

「そんなんじゃないよ、ただ、あんまりタイプじゃないっていうか……」

「もしかして、気になる人でもいるの? クラスの男子とか?」

 身を乗り出して訊ねる恵海。クラスの男子の顔を頭の中にずらりと並べてみる。ううん、誰も彼も地味すぎるか派手すぎるかで、いまいちピンとこない。

「全然。名前もわからない人もいる」

「それはさすがにひどいって。誰か同中のやついたっけな、えっと、山岡、高野、佐々木……、は振られたんだっけ。あとは糸杉とか……」

「え、糸杉くんって三中なの?」

「そうだよ。てか糸杉のことは覚えてるんだ。意外」

 糸杉縁。彼のことを覚えていた理由はなんてことはない、席が近いからだ。私の右斜め前の席に座る彼は、おそらく天然だろう緩い巻き髪といつも眠そうな顔が印象的な、私の中では地味すぎる側に配置されている男子だ。ううん、糸杉くんか。少し考えてみるが、

「いや、糸杉くんはないね」

「そりゃそうだ、ないよね。変わってるんだよね、あいつ。私も別に仲がいいわけじゃないんだけど、なんか家が金持ちとかで、めちゃくちゃでかい犬を飼ってるらしい。あとは、絵が結構うまい。二年の時に同じクラスだったんだけど、休み時間はずっと教室の隅で本読んでてさ。一回何読んでるの~って聞いたら、ストーカーが裸で泳ぎたいと思う本、とか答えてさ。芸術家気質っていうのかね、変だよ、あいつは」

 ふうん、と適当に相槌を打つ。そうか、ぱっと見地味で普通な彼は、実は変な奴なのか。覚えておこう。にしてもだ。

「恵海、詳しいね。恵海のほうこそ気になってるんじゃないの?」

「一華、私はね。ゴシップが大好きなんだ。これくらいの情報量なら、三中の人間全員分出せるよ。佐々木たちの話も聞かせてあげようか」

「遠慮しときまーす」

 ふふ、と笑って私もポテトをつまむ。ううんしょっぱい。ここのポテトはいつも塩が効きすぎているから、塩分過多で死なないようにMサイズを二人で半分ずつ食べる。初めて来たときに、こんなにしょっぱいのは飲み物をたくさん売るためだ、と思いついた話を恵海にしたら、おなかを抱えて大笑いされた。面白いこと思いつくね、あんたは。そういって涙を拭う恵海の笑顔が私は大好きだ。

 クラスの友達のことも嫌いではないのだけれど、なんというか、すごく不安定な感じがした。一生懸命大人に近づこうと背伸びをしているような、それでいてまだまだ子どもでいたくて隙あらば甘えてやろうとしているような、そんな。それに引き換え、恵海はいつも自然体だ。大人と子どもの真ん中にしっかり両足をつけて立っている。ちゃんと自分がある感じがして、私はそんな姿に少し憧れている。きっと私はまだ子ども寄りの心をしているから、恵海のことをお姉さんのような気持ちで見ているんだと思う。

「そろそろ帰ろっか。あ~、課題やりたくないなあ。どうせ受験で使わない世界史の穴埋めをして将来なんの役に立つのさ」

「わかる。しかも教科書の丸写しみたいな課題だしね。めんどくさい」

 そんな愚痴をこぼしながら、私と恵海は店の前で別れる。小学校は同じだけれど、恵海は学区の外から通っていたから、家は反対方向なのだ。

 大通りを外れ、長い長い河川敷を一人歩く。高校から家までは少し離れているけれど、私はこの河川敷の景色が大好きなのであえて自転車に乗らず歩いて通っていた。都会と田舎のちょうど真ん中みたいな風景。広いけれど流れは穏やかな川。時々キャッチボールをする小学生や、何が釣れるのかもわからないけれど熱心に釣りにいそしむおじさんなんかもいる。悪いことなんて何にもないような穏やかな空気感が私の足を軽くしてくれる。今日は帰ったら何をしようかな。音楽でも聴きながら、読みかけの本を読んじゃって、それから課題をやろう。そうしよう。

 課題は後回しにしようと鉄の意志で決めていると、正面からキャンキャン、という犬の鳴き声が聞こえてきた。ドタバタと不格好に短い脚で駆けてくる茶色の犬と、その犬に引っ張られるようにして小走りで走る男子。あれはまさか、件の糸杉くんではないか。

 茶色い犬は私の足元までドタバタ駆け寄ってくると、真っ黒なつぶらな瞳で私を見上げ、キャンとひとつ鳴いた。犬種は多分ミニチュアダックスフンドだろうか。

「こら、ヒロシ。だめだろ、突然走り出したら。どうもすみません……、あれ?」

 デニムにスウェット姿の糸杉くんも、どうやら私がクラスメイトであることに気が付いたようだ。一瞬露骨に難しい顔になった。酷い話もあったもんだ、変な奴のくせに。

「えっと、同じクラスの、なんだっけ、オバマさん?」

「惜しい! 尾花です、こんにちは糸杉くん。ワンちゃんの散歩?」

「ああ、ごめん、うん。この道好きでね、よく散歩で通るんだ」

「そうなんだ、私もよく通るんだけど、初めて会ったね」

「うち、当番制で散歩してるから、週に二回しか僕は散歩に出ないんだ。だからかもね」

 しきりに足元を走り回る姿を見かねてか、しゃがみこんだ糸杉くんはそのまま犬を抱え上げた。おお、暴れる、暴れる。

「糸杉くんの家のワンちゃんはもっと大きいって聞いたことあるんだけど、この子は小さいね」

「誰が言ってたの、それ? うちにはヒロシしかいないよ。あ、この子、ヒロシっていうんだ。母さんが好きな俳優から名前をつけたんだ」

 名前を呼ばれたヒロシがまた高い声で鳴いた。どうやら恵海が言っていた話とは様子が違うらしい。まったく、ゴシップ好きがあきれてしまう、と思ったけれど、ゴシップならむしろ正しいかもしれない。

「実は恵海から聞いたんだ。ほら、三中の。糸杉くんも本よく読むってほんと?」

「うん、結構読むよ。も、ってことは尾花さんもなんだ。少し意外かも。どんなの読むの?」

「意外ってなによ、こう見えても文学少女で通ってたんだよ、私。今読んでるのは川端康成とか……」

「お、さらに意外。面白いよね。『みづうみ』っていうストーカーみたいな人が出てくる長編が好きでさ」

「へえ、今度読んでみようかな。じゃあ、私、向こうだから。じゃあね、糸杉くん」

「うん、ごめんね。ほら、ヒロシもあいさつしなさい。じゃあ、また明日」

 そういって糸杉くんはヒロシを抱えたまま歩いて行ってしまった。犬の散歩はもういいのだろうか。

 彼とちゃんと話したのは初めてだけれど、私が思っていたのとも、それに恵海に聞いた話ともだいぶ印象が違ったな、と思った。もっと暗いイメージだったけれど、話してみるともっと朗らかで、それでいてきちんと落ち着きがあった。恵海に聞いた話も、変な奴要素は大体間違っていたみたいだし。一体どこで大型犬にすり替わってしまったのだろうか、ヒロシは。

 そのまま日が暮れる前に急いで家に帰り、夕飯を食べ、たっぷり時間をかけて小説を読み切った私は、お風呂から上がるとそのまま布団に入ってしまった。課題は明日の朝、学校でやれば間に合うだろう。今日読み切ったばかりの小説の余韻に浸りながらまどろむ。そういえば、今日聞いた川端康成の本の名前は何だったろうか。うっかり忘れてしまった。困ったな……。

 なんだか妙に気になって目が覚めてしまった。糸杉くん。佐々木も高野も山……田……だっけ……? もどうでもよくなるほど、彼のことが気になり始めていた。変な奴ではなかったけれど、なんだか不思議な印象だった。眠そうな顔。くるりと巻かれた頭髪。少し寂しげな目元。リードを掴む細く白い指。……明日学校に行ったら、彼に本のタイトルを聞いてみよう。それくらいなら、急に話しかけても不自然じゃないはずだ。湧き上がる感情に付けられる名前も知らないままに、私は頭から毛布をかぶり、両の瞼を閉じた。


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