価値観
廊下を早歩きで進んでいると庭が目に入った。
小さな池があって魚が泳いでいるようだ。
(鯉かな?まさかアヤカシ……なわけないか)
そうは思いつつ庭に下りて池に近づく。私が寄っても鯉達は逃げもせずむしろ集まってきた。
餌でももらえると思っているのだろうか。
「ごめんね。餌は持ってないの…………ん?」
視界の隅で何かが動いたような気がした。池全体を見る
ために姿勢を正す。
「誰かいるんですか?」
声を出してみたが当然反応はない。相変わらず鯉達がヒレを動かしているだけだ。
(気のせいか……)
少しガッカリした。散策に戻ろうと池に背を向ける。
すると何かが水から出てきたような音がして、水飛沫が
服にかかる。
「居るッス~!」
「…………………………」
いきなりの事に頭がついていけず立ち尽くした。
池から飛び出して来たのは河童だったのだ。
「あ、君がユウカっスか?」
「……う、うん」
「池で水浴びしてたら近づいて来たんで、慌てて潜ったっスよ。寧々子姐さんから聞いてはいたッスけど」
「ね、寧々子さん⁉」
知っている名前が出てきて思わず尋ねる。彼は嬉しそうに大きく頷いた。
「寧々子姐さんッス。ユウカの事すごく褒めてたッスよ。名前まで当ててくれたって」
「そ、そうなんだ……」
「オイラはキュウスケって名前っス。ユウカの事聞いて
から会ってみたくてウズウズしてたッス」
キュウスケと名乗った河童はどうやら「ッス」が口癖のようだ。私達の世界ではお調子者が使うイメージがあるが
彼もそうなのだろうか。
「でもなんで隠れたの?」
「飛び出していっても良かったッスけど
もし腰抜かしたらいけないと思って」
「あー、自分で言うのもなんだけど
私、よほどの事がない限り腰抜けないと思うから
大丈夫だよ」
「なんだオイラの心配し過ぎッスね」
そう言って恥ずかしそうに頭を掻いた。
もちろんお皿に触れないように。
「ところで、キュウスケ君は尻子玉って取る?」
尻子玉とは名前の通りお尻辺りにあると言われている架空の臓器の事だ。河童は人間からそれを取って生きてるという説もある。彼はポカンとしたあとすぐに笑顔になった。
「取らないッスよー。だって取ったら二度と遊べなくなるじゃないッスか」
「そうなんだ……」
「胡瓜くれるか相撲とってくれるとか、遊んでくれたら
充分ッス」
「優しいんだね」
私がそう言うと彼は一瞬表情を曇らせた。見間違いかもしれないが悲しそうに見えた。
思わず眺めていると彼は慌てたように口を開く。
「そ、そういえばユウカは何してるッスか?」
「んー、散歩かな。『拠点』の中なら安心かなって」
「ヘー。……あっ、オイラ用事思い出したっス。じゃあ」
彼は少し焦った様子で池に飛び込んだ。すぐに上から
覗き込んでみたが姿は見えなかった。
「池に流し口なんてなさそうだけど。河童特有の能力?」
水が溜まっている所なら自由に行き来できるのだろうか。気にはなるが最後の彼の様子が頭に引っかかった。尻子玉に関する事で何かあったのだろう。
悪い事をしたわけではないのに申し訳ない気持ちになる。
「戻ろう……」
一気に気分が下がってしまった。居間を出てからあまり
時間は経っていないと思うが、他を見て回る気分には
なれない。
「ただいま戻りました」
「おかえり、ユウカ。ちょうどご飯ができた所よ」
居間に戻るとお盆を持ったヒョウカさんが出迎えてくれた。
玄米と汁物が文机の上に綺麗に並べられている。
どちらも湯気が立ち上っていて美味しそうだ。
「ヒョウカさんが作ったんですか?」
「そうよ。当番制なんだけど今日は偶々私だったわ」
「てっきり冷たい食べ物ばかり……」
言っている途中で悪寒がはしった。ヒョウカさんから冷気が放出している。
「嫌なら下げるわ」
「い、いえ、いただきます!失礼な事言ってすみません
でした!」
慌てて文机の前に座って箸を取る。彼女の機嫌も直った
ようで冷気は消えていた。
(雪女は冷たい物を好むって図鑑に書いてあったからつい口に出しちゃった。さすがに失礼だったよね……。
もしかしたら温かい物が好きなのかもしれないし)
心の中で反省しながら食べ物を口に運ぶ。玄米なんて私達の世界ではなかなか食べないし、汁物も不思議な味で
感動した。
「ごちそうさまでした!美味しかったです!」
「それは良かったわ。口に合うかどうか心配してたのよ」
「そうだったんですか?」
彼女は全くそんな素振りを見せなかったので驚いた。
「ええ。アヤカシ界の食物は変わった物が多いから」
「例えば何がありますか?」
「……言うのはやめておくわ」
「えぇっ」
(聞きたかった……。食欲が無くなるようなゲテモノ?あったとしてもヒョウカさんは入れなさそうだけど。
……待った、今ならアヤカシ達の食事について聞くチャンス
では⁉)
なかなか生で聞ける情報ではない。そもそも出回っている本も推測で書かれているのだから。
私が想像していたアヤカシのイメージとはだいぶ違うが
それでも知りたい。
話題を変えられたら聞くタイミングを逃してしまう。
私は急いで尋ねた。
「ヒョウカさん達は1日3食とるんですか?」
「食事は皆自由よ。しばらく何も口にしないアヤカシ達も居るし。
私は必ず一食はとるようにしてるわ。私以外も毎日とる
アヤカシ達が居るから当番制にしてるのよ。
そこまで量も多くないし」
「そうなんですね!」
「……やっぱり変わってるわね、ユウカ」
そう言ってヒョウカさんが微笑む。
でもどこか悲しそうだ。
「え」
「なんでもないわ。それより他にする事はある?」
「えっと……」
言葉に詰まる。お風呂に入る事と寝る事ぐらいしか
思い浮かばない。
(寝るのは早すぎる。となるとお風呂か。
アヤカシってお風呂入るのかな?)
「お風呂ってありますか?私は毎日入っているん
ですけど……」
「村の端に大勢で入れるのがあるわ。でも気まぐれで
やってるから入れるかどうかは分からないわよ」
(気まぐれ⁉)
銭湯も食事のように当番制なのだろうか。
「案内お願いします」
「嫌……と言いたい所だけど開いてるか確かめに行くだけ
行くわ」
ヒョウカさんが大きなため息をつきながら言った。
やっぱり熱い所は苦手のようだ。
「あ、ありがとうございます」
お辞儀をして顔を上げると彼女はすでに玄関へ
向かっていた。