滅茶苦茶に修行したら、人間辞めてました。
私の名は孤牙。「孤牙 太陽」という。今日は私の生まれた日だ。
…いや、”この世界に来た日”とでも言うべきか。とにかく、誕生日だというのに正確な年齢を覚えてはいない。
…おそらくは、180から190歳だろう。
私はどうやら、異世界転生というものに遭遇したらしい。まあ、今となっては幸運だったのか、それとも不幸だったのか、よく分からないのだが、それなりに満足する人生を送っている。
私は、前世では他人の為によく尽くしてきた。その反動だろう。今の人生は、自分の為に費やそうと考えたのだ。そしてその考えは、「修行」という形で現実となった。
何故修行なのかと問われれば、私も今となってはよく分かってはいない。ただ、転生したての私は「漫画とかアニメで見るようなバカみたいな修行を積みまくって、強くなってみよう!」などと意味の分からんことを考え出す程度には若かったのだ。そして、若かったが故に、修行を積み、一歩、また一歩と強くなることができた。
初めは毎日が困難の連続だった。私が転生したのは大自然のど真ん中で、人など見つかりもしなかったから、食料は全て自力で調達した。獣を狩り、体を鍛え、そしてよく眠る。これをひたすらに繰り返したものだ。そのうち、私は大きな獣を仕留められるようになっていった。それまでは石の槍なんかを使っていた獲物が、気付けば素手で殺せるようになっていた。
…初めて素手で獣を殺した時、私は自然に敬意を抱いた。手にべっとりとついた血液を目にして、この大自然の秩序、摂理に畏怖したのだ。前世の記憶から、只の習慣として行っていた「いただきます」という言葉に心を込めるようになった。それからのことだ。私は自分でも驚くほどに強さを増していった。風のように走り、巨大な岩をも素手で破壊することが出来るようになった。同時に、この自然を取り巻く命の流れを肌で感じられるようになった。命の循環を眺めれば眺めるほど、私は自然と一体となっていった。
気がつけば、修行を始めて160年が経っていた。肉体の老化は殆ど止まってしまい、外見は50歳程度のものになっていた。私は呼吸により大地の息吹を感じ、滝に打たれて命の循環を感じ取れた。自分を中心に、三つ先の山まで、どのような獣が居るのかが分かるようになった。
私は「力」を感じることができるようになったのだ。
…私はこの場所を去ろうと思う。
私はヒトとしての領域を逸脱し、生物としての領域を踏み越えつつある。最近は獣たちが生贄を選別し、私の前に差し出すようになってしまった。これでは自然の循環が正しく機能しない。私は自然にとって害をなす存在となってしまったのだ。
私は今日から、ただひたすらに歩くこととなるだろう。目的はある。私は、私がこの世界に転生した理由を探しに行く。理由などなくとも、自ら創り出す。でなければ、私が命の循環を破壊してまで手に入れた「強さ」は、何の為にあるのだ。
どこに私の求める答があるかなど分からないが、私はこの広大な自然に旅に出る。
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俺の人生は26歳で幕を閉じた。
なんてことはない、平凡な人生だった。
他人と少しだけ違う所があるとすれば、一生涯を自分以外のために費やしたところか。
俺は自己評価が低かった。
俺はあの日、公園にいた。昨日まで青かった空が灰色に染まっていた。いつだったか、平日の昼を少し過ぎたころ、母の訃報を聞いた。恋人もいなかった俺にとって、病気がちな母に毎日病院まで会いに行くのは、生きるという行為に等しかった。
俺は誰かに依存していなければ、呼吸するだけの只のごみだから、その時は母の役に立っていなければならなかった。そうすることでしか、自分を保てなかったんだ。
…俺は、生きる理由を喪ったのだ。
病院から出た時には夜が明けていた。葬儀が終わり無気力になった俺は、徐々に会社に行かなくなった。
会社をサボっては公園のベンチに座り、自動販売機で買ったコーヒーを一口飲んだ。その後、それは決まって、冷え切るまで俺の手を温めてくれた。
俺はあの日、公園にいたんだ。家の近所の、子供の気配を感じなくなった、寂しげな公園に。
「無気力だな」
公園に誰も居ないので、俺は自分に話しかけてみる。
「そうだな、無気力だ。やる気もないし、やりたいことも無い。」
俺が話しかけてきたので、面倒だが答えてやる。
ちょっとした遊び心ってやつだ。
それ以上会話が続かなかったので、俺は生きているうちにやりたいことを頭にまとめてみる。
・高級レストランで恋人と食事に行く
・京都に一週間ほど旅行に行く
・温泉旅館を貸し切る
・ピアノを弾けるようになる
・空手とか合気道とかの達人になる
…どれも金か時間がかかるものばかりだ。これではやる気が湧かない。
一つ目に至っては恋人を作るところから始まるじゃないか。
そんなことをしているうちに、三つの人影が公園に入って来た。ほとんどの場合、この公園は近道として使われるから、今までは人影など気にも留めていなかったのだが、珍しく親子が入ってきたから自然と目に留まった。
長い黒髪の女の子が一人と、夫婦らしき金髪の大人が二人。
気持ちの沈んでいた俺にとって、それは微笑ましい光景であるはずだった。
俺は表情を緩め、それまでの人生を見つめ直し、立ち上がって歩き出すはずだったのだ。
しかし、そうはならなかった。二人の大人は楽しげな表情だが、どうにも女の子は何かに怯えているようだった。
不審だ。
何かがおかしい。
根拠は無いが、確かにそう思った。
公道の手前まで来ると、母親らしき人物が少女に何かを囁き、そのまま男と共に消えた。
少女の顔は強張っていた。
俺は少女に声をかけてみようと思い立ち上がった。その瞬間、とんでもないことが起きた。
少女が、道路に向かって走り出したのだ。
トラックが迫っている。アレにぶつかれば、あの子は必ず死ぬ。
俺は即座に道路に向かって走り出した。何年もの間全力で走ったことは無かったが、自分でも信じられないほどの速さで走った。トラックのクラクションが耳を貫く。俺は手を伸ばしたが、届かない。車が急ブレーキしたときの、甲高い音が迫っている。このままでは無理だ、あの少女を救えない!
呼吸が止まる。世界が白と灰色で彩られていくのをこの目で見た。俺は少女を胸に抱えて、精一杯強く抱きしめ、瞼をぎゅっと閉じた。
痛みを伴わない凄まじい衝撃の中に、俺の意識は消えた。
「…ここ、は」
瞼の上から瞳を刺してくる日の光に目が覚めた。周囲を見渡せば、なんとも神秘的な光景が広がっている。
「おぉ…」
切り立った岩山と、緑豊かな森林が共存する大自然が目に飛び込んできた。木々の高さは、ざっと見て平均20メートルはある。
「なんだここは…俺はどうなったんだ?」
記憶が曖昧だが、確かに少女をかばってトラックに轢かれたはずだ。夢にしてはあまりにもリアルだった。
しかし、周りを見れば大自然。もはや理解不能だ。
「これは…転生ってやつか?漫画やらラノベやらで最近流行っている?」
状況的にはそうとしか考えられない。
「いやしかしな…あれはフィクションであってな…現実に起こるわけが」
起こっている。バッチリ異世界転生である。これが現実なら、俺はどんな陰謀に巻き込まれているのか分かったものではない。
「えぇ…」
急な、本当に急すぎる出来事だ。あまりにも飛躍している。それともあれは長い夢だったのか?それにしては、夢の中以外の記憶が全くない。
「これはもう、諦めるしかないか」
認めよう。これは異世界転生だ。
俺は異世界に転生したようだ。はははははははははは
はぁ…
清々しい空気が、俺の頬を撫でて慰めてくれた。
見渡す限り、岩。森。山。そして川。
「タイトルは異世界サバイバル日記で決定だな」
空元気で自分を元気づける。ようやく立ち直れそうだった俺は、あっけなく死んだ。
空は、雲一つない晴天だった。