魔法少女☆壊す
にぎやかな街の大通りに集まった人々の間を、一台の赤いオープンカーがゆっくりと走る。パレードだ。車が通りやすいように道を開けた人々は、皆笑顔で旗を振っている。
オープンカーに運転手はいない。人工知能の自動操縦だ。車に乗っているのは、一人の少女だった。大きなリボンと華やかなフリルで飾られた、紫を基調としたミニドレスは、彼女の戦闘服である。
「がんばれー! バレット☆パープルー!」
最前列に並んだ幼い子どもたちが、声を揃えて叫ぶ。後部座席に立っている少女は、はじけるような笑顔で応えた。
魔法少女バレット☆パープル。それがこの街のヒーローの名だ。少女が決めポーズを見せると、人々は老若男女問わず沸き立つ。
「待っててね、みんな! 私が平和を取り戻――」
そのとき。
ビルの上から落ちてきた漆黒の影が、バレット☆パープルの首を刈り取った。
「す」
笑顔の首が、ぽーんと軽やかに空を飛んで、レンガ敷きの地面に叩きつけられた。切断面から歯車がこぼれる。
頭部を失った少女の体が、仰向けに倒れた。重く硬い衝突音とともに、首から金属部品を撒き散らす。
「魔法少女、解体」
車のボンネットの上にしゃがみ、一対のダガーを握った腕を交差させていた男が、静かに立ち上がった。ネズミ色のトレンチコートの裾が風になびく。
目を見開いて固まっている子どもたちに、冷めた視線を投げる。目をそらし、苦虫を噛み潰したような顔でチッ、と舌打ちすると、もう一度子どもたちを見下ろした。
「夢を壊して悪いな。こんな腐れた世の中にゃ、魔法もサンタもねぇんだよ」
――20xx年。無人戦闘機が普及し、戦争は機械の仕事になった。
魔法少女とは、少女型の機械兵士を指す言葉だ。とある平和主義者は、彼女たちを歩く核兵器だと批判する。
そんな一騎当千の戦乙女たちを、ひたすら壊す者がいた。
☆
乾いた荒野を、一台のオンボロ車が走っていた。泥のこびりついた太いタイヤが砂煙を巻き上げる。
飛行も可能な自動車が一般的な現代では珍しい、地面しか走れない旧型車だ。運転席に座っているのは、ネズミ色のトレンチコートを羽織った男。助手席には、ハートや宝石が散りばめられた可愛らしいオルゴールが乗っていた。
そして後部座席には、ウサギっぽい小動物のぬいぐるみが、シートベルトにくくりつけられている。
車の振動に合わせてガタガタ揺れていたオルゴールのフタが、急に開いた。両腕でフタを持ち上げ、オルゴールの中から顔をのぞかせたのは、緑のミニドレスをまとった妖精――エリンだ。
「ねぇ、チャミィ」
「その名は捨てた」
エリンに話しかけられた運転手は、突っぱねるように答えた。
「……トリガー」
「うん?」
トリガー。男はそう名乗っていた。
「こんな旅に、意味はあるのかしら」
フロントガラスの外の景色を眺めながら、エリンは言う。
車の外の風景は全く代わり映えしない。
草の一本も生えない大地に、壊れた無人戦闘機が野ざらしになっている。ここはかつての激戦区だ。
「無いことはねぇだろ。各国が保有する魔法少女は、それ一つで国を滅ぼしうる兵器だ。一歩間違えば、ある日いきなり魔法みたいに消えちまう国が出るかもしれん」
トリガーは言いながら、運転席の窓ガラスに目を向けた。
数十メートル先に、巨大なクレーターがあった。まるで神様が大きなスプーンで地表を削り取ったような。
それはおそらく、魔法少女の爪痕だ。
「この世界が狂ったのは俺のせいだ。責任取らせてくれよ、女王様」
トリガーは、できるだけ重苦しさを取っ払って言ったつもりだった。けれどエリンの表情は曇ったままだ。
「バレット☆レインボーのための復讐なの?」
そう問われ、トリガーはあまり面白くなさそうに小さく笑う。
「復讐なんて、アイツが喜ぶわけねぇ。これは尻拭いさ」
フロントガラスを見つめて車を走らせるトリガーを、エリンは心配そうに見上げた。
「チャミィ……変わってしまったわね。レインボーといた頃のあなたは……」
「昔話はよせ。老けるぞ」
トリガーは手だけを伸ばし、女児向けデザインのオルゴールのフタを閉めた。ハンドルを握り、荒野を行く。
「レインボー。俺とお前はずっとバディだチャミ」
自分で呟いた言葉を、自嘲気味に笑う。
「お前のことを思い出すと、いつも語尾が戻っちまうよ」
☆
――高層ビルが立ち並ぶ要塞都市ザベラに、けたたましいサイレンが響き渡る。
地響きを立てて都市が沈み始めた。国民の居住区が地下シェルターに格納され、ビル群に偽装した固定砲台だけが地表に残される。
ザベラ地下に作られた軍事司令室は、張り詰めた空気に満たされていた。
縦一列にずらりと並べられたデスクで、軍服姿の男女が必死にキーボードを叩いている。部屋前方の壁一面はスクリーンに覆われており、それぞれの画面がザベラ各所の監視カメラに同期していた。
立派な軍服を着た中年の司令官が、鬼気迫る面持ちでモニターを睨んでいる。
「五時方向に敵影! サイ型怪人です!」
司令室の中に鋭い声が飛ぶ。敵の姿をとらえたモニターが拡大された。
それは巨大な鉄塊であった。巨大、という言葉では済まされないかもしれない。高層ビルの半分ほどの背丈はある、サイ型の怪物だ。鋼鉄製の外殻で陽光を跳ね返し、ギラギラと輝きながら、サイは一直線に突進してくる。
まるっきりサイなのでもはや怪人の”人”の要素が皆無であるが、こまけぇこたぁいいんだよ!
「固定砲台、迎撃可能! 目標は射程圏内!」
「撃ーッ!」
迎撃準備完了の合図に間髪入れず、司令官が叫んだ。
高層ビルに似せて作られた固定砲台が、一斉にレーザー光線を放つ。
轟。
銀色の巨躯が光の雨に打たれる。
しかし、その頑強な四肢を止めるには至らない。
サイは強い。もともと強いサイをさらに強くしたのだから、当然の結果である。
「ダメです! 効いていません!」
オペレーターが絶望的な声を出した。
天変地異のような地鳴りを連れて、サイが迫る。
サイは、その額から生える凶悪なツノを誇示するかのように、頭をわずかに下向け。固定砲台の一つにその矛先を向けた。
突進。
すさまじい衝撃を受け止めた建造物全体が揺らぐ。ツノが深々と壁面をえぐり取った。
一瞬の静寂ののち、固定砲台が爆裂する。渦を巻き天に昇る炎の赤、赤。空の青さが蜃気楼で歪む。
大蛇のごとく踊り狂う大火炎さえ踏みつぶし、無傷のサイは悠然と現れる。
「チッ……小癪なアストレムめ。やはりアレを使うしかないか。第六エリア、魔法少女射出用意!」
「ステッキ、機体ともに安定! 射出用意完了しました!」
「よし、皆さんご一緒に! せーのっ!」
司令官は薙ぎ払うように腕を振った。数十人規模のオペレーターたちがマイクの音量を大にする。
「助けてー! バレット☆ピンクー!」
人々の叫びが、サイレンの代わりに都市にこだました。
ビル群の隙間を走る直線道路の中央に、ゆっくりと四角い穴が空いた。台座がせりあがってくる。
そこには、一人の少女が立っていた。
跳ねるピンクのツインテール。ゆめかわいいセーラー服。
「また現れたわね、メチャアーク! みんなの国をめちゃくちゃにしようだなんて、許さないんだからっ!」
少女はビシッとサイを指差し、女児向けデザインの魔法のステッキをくるくる回した。
「へーん……しんっ☆」
不思議な光が少女のセーラー服を包む。させるかとばかりにサイが炎を吐いたが、不思議なバリアが変身途中の少女を守った。
「マジカルシールド、正常起動!」
地下の司令室で、オペレーターが叫ぶ。少女を包んでいた不思議な光がはじけた。
ピンクが基調の、リボンとフリルたっぷりな衣装。それが彼女のユニフォームだ。
「悪を撃ち抜く正義の弾丸、バレット☆ピンク!」
サイがバレット☆ピンクに猛突進を仕掛けた。
対する少女は、笑みを浮かべて、大きなリボンに隠された胸部装甲を展開させた。
未成熟な胸の奥から突き出したのは、黒光りする砲身だ。
光が収束する。
「主砲充填率百パーセント! いくわよ、キラキラ☆ビーーームっ!」
キィンッ。
砲身の奥が、白く光った。
――刹那。
暴力的な光線。
ビル型固定砲台のそれよりも遥かに太く、強く、鋭い光が、サイの眉間を紙のように貫いた。
後ろの山さえ消し飛んだのは、確かに魔法と呼べるかもしれない。
サイが内側から爆発した。ピンクのツインテールが暴れ狂う風になびく。
「対象削除! 排熱完了後、お家に帰るわっ☆」
可憐に微笑むバレット☆ピンクの背中が開き、ドラゴンの鼻息のごとき熱風が噴き出す。
――魔法少女バレット☆ピンク。またの名を、人型自律国防戦闘機。
それは、人類が生み出した最カワ最強の兵器である。
「敵の消滅を確認! やりました!」
司令室の中が沸き立った。同僚たちをよそに、司令官の隣に座っていたオペレーターは、一人だけ浮かない顔をしている。
「おかしいな……」
「どうした?」
司令官が尋ねると、オペレーターは顔を上げた。
「あの怪人、敵国アストレムの機体じゃありませんでした」
「……つまり、第三者からの攻撃だと?」
モニターに異変があった。
「!」
「司令!」
――まだ終わっていなかった。
サイ型怪人から脱出したトリガーが、バレット☆ピンクの背後に立っていた。
「派手にやりやがる。まさに要塞だな」
軽く笑い、ダガーを少女の細い首筋に当てる。
彼の狙いはバレット☆ピンクの主砲をやり過ごすこと。凶悪極まりないレーザー光線だが、一度撃ってしまえば、放熱が終わるまでは再充填できない。
その隙を叩いた。
「国盗りに興味はない。ただ、お前を壊しに来た」
その両目には、静かな炎が燃えていた。
刃を引こうとしたとき、トリガーはあることに気づく。
「待て……それは、」
彼が見たのは、バレット☆ピンクが握っているものだった。
プラスチックで複製を作って販売したらクリスマスにものすごく売れそうな、かわいい魔法少女ステッキだ。
「プリンセス☆レインボーステッキ……!」
それが、彼の胸を激しく掻き乱した。
「駆逐せよ、バレット☆ピンク!」
司令室から、司令官の命令が下る。
「がっ!」
腹部に衝撃を受け、トリガーは後方に弾き飛ばされた。宙返りで体勢を整えて着地する。かかとと摩擦した地面が砂煙を上げた。
「なぜ……なぜ、貴様がそれを……」
平静も戦意も奪われていた。ステッキを映す瞳が揺れる。
「それはレインボーのステッキだ!!」
忘れるはずがない。見間違えるはずがない。
バレット☆ピンクが構えたのは、バレット☆レインボーの武器だった。
「対象補足。アップルパイにしてあげる☆」
ぺろりと舌を出してウインクしたバレット☆ピンク。開いた右目の瞳が光る。目からビームだ。
「く!」
トリガーは素早く横に跳んだ。
間一髪で頭部への命中は避ける。しかし、左腕が肩から切断された。
想像を絶する激痛。トリガーは歯を食いしばって傷口を押さえた。青白い火花が飛び散り、機械部品がこぼれる。ぼとりと落ちた腕の断面からも、焼き切れた配線や歯車がのぞいていた。
バレット☆ピンクは、今度は左目を開いてさらにウインクした。レーザーでの二段攻撃。
一度外したものは、二度と外さない。それが学習機能を備えた魔法少女だ。
これ以上の戦闘継続は不可能。そう判断したトリガーは、左腕を拾い、空中に飛び上がった。
「きらりん☆マジックマジカル!」
残った右手を天にかざし、叫ぶ。
次の瞬間、ポンッと白い煙が上がり、トリガーの姿が消えた。
標的ロストの信号が、バレット☆ピンクから司令室のモニターへと送られる。
「消えた……」
モニターを見つめていたオペレーターたちが、目を丸くした。
「魔法……?」
「魔法なんてあるもんか! ワープだ!」
ワープだとしたら、まだ痕跡が残っているはずだ。オペレーターたちは、トリガーが消えた地点を全力で解析する。しかし何の手がかりも見つからない。
「感情も、痛覚もあった。妙なアンドロイドだ」
腕組みしてモニターを睨む司令官は、ボソリと呟いた。
――静けさを取り戻した地表で、バレット☆ピンクはただ一人で立っていた。瓦礫の破片が残る地面を歩き、しゃがむ。
そこには一輪の花が咲いていた。すぐ近くで激しい戦闘が起きたが、この花は難を逃れたようだ。
「よかったね」
バレット☆ピンクは首を傾けて、嬉しそうに笑った。
☆
真っ青な空に浮かんだ太陽が、ポカポカと暖かい。優しい風が彼の頬を撫でる。
みずみずしく光る野原の中にできた花畑の中で、レインボーが笑っている。
「うふふ、チャミィ。こっちにおいで」
彼は、チャミィと呼ばれていた。
腰ほどの高さの花の群れをかき分け、レインボーのそばに駆け寄る。花畑の中に座っているレインボーは、にこにこ笑いながらチャミィを待っていた。
「はいっ!」
頭の上にシロツメクサの冠を乗せられた。チャミィは冠を落とさないように手で支えながら、照れくさそうにレインボーを見上げる。
レインボーはチャミィを軽々と抱き上げると、膝の上に座らせた。
チャミィとレインボーは、空の上をゆったり流れる綿菓子のような雲を、しばらく眺めていた。
何も言葉は交わさない。けれどチャミィは十分すぎるくらい幸せだった。
「レインボー」
「なに? チャミィ」
チャミィが呼ぶと、レインボーが下を向いて、彼と視線を合わせた。
「おれと結婚してチャミ」
「結婚」がどういうものなのか、チャミィは詳しく知らない。でも、
「結婚したら、ずっと一緒にいられるって聞いたチャミ」
もしもそれが本当なら、きっとこの上なく嬉しいだろう。
レインボーは驚いた顔で黙り込んでいた。
「いや……?」
不安になったチャミィは、おずおずと尋ねる。
「かわいいな〜、チャミィは」
抱きしめられた。シロツメクサの冠が落ちないよう、チャミィは一生懸命それを押さえる。
「いやじゃないよ。ずーっと一緒だよ」
ずーっと一緒。
ずーっと一緒。
ずーっと……。
――オンボロ車の運転席で目が覚めた。
窓の外には、黄色く乾いた荒野が広がっている。
覚醒するなり激痛が蘇ってきて、トリガーは顔を歪めた。肩の断面からパチパチと青白い火花が散る。どうやら、ここに逃げてくるなり、痛みで気を失ったらしい。
「チャミィ! しっかり!」
「だからその名で呼ぶなって……」
助手席に置いた女児向けデザインのオルゴールから、エリンが身を乗り出す。
「機械の体だから血は出ないし死にもしねぇ。猛烈に痛いだけだ。腕一本切り落とされたくらいに痛い」
「うなされてたわよ」
「快眠だったらおかしいだろ」
「レインボーのこと……」
トリガーがうっとうしそうな視線を向けると、エリンはそこで言葉を切った。
「ああ、そうさ。全然忘れられねぇ。そのせいで、バレット☆ピンクも仕留め損ねる始末。クソ」
右手の握り拳でハンドルを叩く。車が揺れた。
「忘れなくていいのよ、きっと」
「………………」
トリガーはドアについているハンドルを回して、車の窓を開けた。箱からタバコを一本くわえ、火をつける。
「バレット☆ピンクが、プリンセス☆レインボーステッキを持っていた」
「!」
エリンが驚いて口元を両手で押さえた。
「この星に隕石が落ちてきたとき、女神様がレインボーに渡した武器だ」
「覚えていますとも。レインボーはあのステッキで大魔法を使って隕石を砕き、この世界を救ったわ」
「――そして、ハッピーパワーの枯渇で死んだ」
魔法の原動力、ハッピーパワー。
未成年の少女だけが持つ、なんかすごいパワーである。
「レインボーは戦争に駆り出されて、たくさんのものを壊して、幸せを感じられなくなっていたわ。そんなボロボロの状態で、隕石を消すほどの大魔法を使ったから……」
「そんな顔すんな、女王様。あんたは悪くねぇ。レインボーだって、そんなことは承知の上だったろう。それでもアイツは戦ったんだ」
トリガーはタバコを持った手を運転席の窓ガラスから外に出し、フロントガラスを睨んだ。
「それなのに。隕石の衝突を逃れた愚かな人間どもは、魔法少女こそ最強だと結論づけた。各国の軍はこぞって、少女の形をした最悪の機械兵を作り上げた。そして始まったんだ。この、世界規模での魔法少女大戦が」
エリンが悲しそうに目を伏せる。
「俺が……俺が、普通の少女だったレインボーに、魔法なんかを与えたから。すべてが、そこから狂い始めた」
「チャミィ……」
「魔法少女はもういない。唯一の人間の魔法少女だったバレット☆レインボーは、いなくなった。魔法はこの世界から消え去って、機械仕掛けの偶像だけが残った」
トリガーはタバコをくわえて吸い込み、わざわざ開けた窓から顔を出して煙を吐いた。そうしないとエリンが文句を言うのだ。
タバコを持った手を車外に出したまま、運転席に背中を預け、天井を見上げる。
「俺の魔法少女は、バレット☆レインボーだけだ」
車内に静寂が満ちた。
半分ほどの長さになったタバコから、真っ白な灰がポトリと落ちる。
「喋りすぎたな」
トリガーは車から灰皿を引き出し、そこに吸い殻を入れた。そして後部座席からパソコンのキーボードを取り、膝に乗せる。
「何するの?」
「ザベラのコンピュータをハッキングして、バレット☆ピンクの情報を引き出す」
トリガーはそう言って、エリンと目を合わせた。
「女王様。パソコンの使い方、分かるか?」
「無茶言わないで。妖精にパソコンなんて必要ないでしょ」
トリガーはキーボード型パソコンの取り扱い説明書(今どき珍しい紙媒体)を片手に、渋い顔をしてパソコンとにらめっこした。
「まずは電源ボタンを押して……えぇと……」
「ちゃんとハッキングできるの? 逆にハッキングされない?」
「心配するな。電気屋イチオシのウイルス対策ソフトを導入済みだ」
パソコンが起動した。キーボードの上に仮想ディスプレイが出現する。
トリガーは、ホーム画面下のタスクバーに並んでいるアプリケーションの中から、インターネットブラウザのマークを選んでつついた。
人差し指でぎこちなくキーボードを押す。検索欄に「ばれっとぴんく 弱点」と地道に打ち込み、検索した。
0件 見つかりました。
「さすがに機密情報のガードは硬いか」
「これ、ハッキングできてる?」
「よくわからん。電気屋には悪いが、魔法で調べた方が早い」
「ね」
エリンがオルゴールから飛び出した。
「マジカル☆くるくる☆ルルルルル!」
呪文を唱えると、仮想ディスプレイが突如暗くなり、白い仮面が浮かび上がる。
「鏡の精霊! ディスプレイでも呼び出せるのか……」
「鏡(拡大解釈)の精霊よ。ダークウェブの精霊と呼んでもいいわ」
「助かった、女王様」
「いいのよん」
エリンは胸を張り、フンスと鼻息を吐き出した。
「鏡よ鏡。我に知恵を与え給え」
トリガーが重々しく唱えると、白い仮面がふっと消えた。真っ黒な画面に、緑の文字が浮かび上がる。
「……!」
「何が書いてあるの?」
「アストレムと交戦中のザベラが、なぜバレット☆ピンクを使ってアストレムに侵攻しないのか」
「なんで?」
「それは、バレット☆ピンクの人工知能がロボット三原則に忠実だからだ。この制限がある限り、バレット☆ピンクは国防以外の役割を果たせない」
第一条。ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
第二条。ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。
第三条。ロボットは第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己を守らなければならない。
この三つの鎖によってロボットの行動は制限される。だからバレット☆ピンクは、他国に攻め入ること――つまり、人に危害を及ぼすことを拒否する。
しかし。彼女が自身の意思でなく、人によって操作されたならば。
「じゃあ、その制限を突破したらどうなる?」
それは、人が銃を機械兵に持ち替えたことに他ならない。
エリンの表情がこわばる。
「ザベラはバレット☆ピンクを暴走させて、ロボット三原則を破らせるつもりだ」
「そんなことになったら、バレット☆ピンクが大量殺戮兵器になっちゃう!」
仮想ディスプレイから緑の文字列が消え、ぼんやりと白い仮面が現れた。
「させるか。魔法少女は愛と正義のヒーローだ。そんな解釈違いの魔法少女は、俺が壊す」
そう言い放ったトリガーは、顔を歪めて呻いた。焼き断たれた肩を押さえる。
「この体は、もう駄目か……」
トリガーはキーボードを助手席に置き、運転席から車外に出た。
ふらつきながら向かったのは、車のトランク。そこを開けると、中には裸の男性型アンドロイドが横たわっていた。トリガーとそっくり――どころか、全く同じボディだ。まぶたを固く閉じており、ピクリともしない。電源が切れている。
トリガーは目を閉じて、それに触れた。彼が突然崩れ落ちると同時に、眠っていたアンドロイドが起き上がる。トランクから両足を地面に下ろし、準備運動のように肩や首をぐるぐる回した。
「移れた?」
「ああ」
アンドロイド――新しいボディを手に入れたトリガーは、前のボディから脱がせた服をその身にまとう。ネズミ色のトレンチコートは前を開けるのがこだわりだ。
すっかり元気になって運転席に戻ってきたトリガーを、エリンが横目でじろりと眺める。
「壊れた部分を直してみようとは思わないの?」
「俺は服を選ばない。破れたらそれまでさ」
「機械オンチなだけでしょ」
呆れた口調でエリンが言うが、トリガーは聞こえないふりだ。
「で、どうやってバレット☆ピンクを壊すの?」
オルゴールの上に腰かけたエリンを見下ろして、トリガーは意味ありげに微笑んだ。そして、助手席に置いていたキーボードを、もう一度膝に乗せる。立ち上がった仮想ディスプレイに、白い仮面が現れた。
「鏡よ鏡。取り寄せたいものがある」
仮面が薄れていく。真っ暗だった背景が急に明るくなった。表示されたのは、大手ショッピングサイトである。
「仕事を選ばねぇな」
トリガーは鏡の精霊の仕事ぶりに感心しながら、とある商品を買い物カゴに入れた。
☆
――壁のない城塞都市、ザベラ。たった一機の魔法少女の鉄壁の守護によって、この都市は”城塞都市”と呼ばれている。その外観は、画一的な高層ビルが集まった大都市だ。
ザベラの中心には、ひときわ巨大なビルがそびえていた。自動ドアの脇に箱型の機械が取り付けられている。このビルに出入りする人たちは皆、それにIDカードを当てて、自動ドアの鍵を開けていた。
「トリガー……大丈夫なの?」
ビルのそばの植え込みの中に、トリガーとエリンはいた。
「本当に服を選ばないわね」
茂みから顔を出してビルの自動ドアを観察していたエリンが、ちらりとトリガーを見下ろす。
そこには、彼がネットでポチった円盤型のお掃除ロボットがあった。中身はトリガーだ。
「タイムリミットは二時間よ。二時間以内にバレット☆ピンクに接触して。さもなければ――」
エリンが言葉を切る。トリガーは沈黙して、その先を待った。
「バッテリー切れで、自動的に充電台に戻ってしまう」
それはおそらく、この機体の本能だ。たとえトリガーの意識が入っているとしても、おそらくあらがえない。
トリガーは返事をする代わりに、青色のランプを点滅させた。薄くて丸いボディの下で、四つのブラシが回転する。
お掃除開始だ。
「行ってらっしゃい、魔法少女ブレイカー。大勢の人の命があなたにかかっているわ」
エリンに見送られ、トリガーは植え込みを飛び出した。自動ドアへ一直線に進んでいく。
「………………遅っ!!」
背後でエリンが叫ぶ。せっかちなヤツだ。
人間なら徒歩一分の道のりを五分かけて、自動ドアの前に到着したトリガーは、堅牢なガラスの壁を前に沈黙した。
ちょうどそこにやってきた男が、トリガーに気づいて「お、」と立ち止まる。トリガーは自動ドアにごつんとぶつかってみせた。ちょっと痛い。
「なんだ? お前、外に出てきちゃったのか?」
男は迷い犬にでも話しかけるように言いながら、カードリーダーにIDをかざした。自動ドアが開く。トリガーはすかさずその隙間に飛び込んだ。
「がんばれよー」
職員の男は、そのお掃除ロボットの正体が魔法少女ブレイカーだとはつゆ知らず。
トリガーは怪しまれない程度に床のホコリを吸い取りながら、エレベーターホールに向かった。バレット☆ピンクの格納庫は地下十階のどこかにあるはずだ。
エレベーターホールで待ち構えていたトリガーは、空いたエレベーターに飛び込もうとした。
「こら、危ないぞ」
背後から、ひょいと持ち上げられる。親切な職員からの思わぬ妨害。エレベーターのドアが遠ざかる。
「マジカル☆くるくる☆ルルルルルー!」
どこかから不思議な声が聞こえた。
バシャッ!
お掃除ロボットをエレベーターから離そうとしていた職員は、怪訝な視線をエレベーターの中に向けた。エレベーターの隅に、オレンジジュースがぶちまけられている。
「うわ、ひどいな~。誰だよ」
(女王様……!)
彼女が作ってくれたチャンスを無駄にはできない。トリガーは全力で四つのブラシを回転させた。
「お前……掃除、してくれるのか?」
猛烈な勢いでブラシを回転させ、エアーを吸い込むお掃除ロボットを、職員はある種の尊敬のまなざしで見下ろした。トリガーは強くうなずく代わりにランプを点滅させる。
「……わかった。頼むぞ、ル〇バ」
職員がしゃがみ、トリガーの背中を押すように手を離す。ようやく拘束が解けた。トリガーは、閉まりかけたドアの隙間に滑り込む。
あとは行き先ボタンを押すだけだ。
限界まで出力を高めた、エアーの逆噴射。吸い込み口から、ゴミと一緒にゲームセンターのメダルが吐き出される。当たったら痛そうな勢いで飛んだメダルは、エレベーターの操作パネルのボタンを正確に点灯させた。ジュースとゴミで散らかり放題になった箱が、下降を始める。
『地下十階でございます』
電子音声だけのエレベーターガールが告げる。エレベーターが停止し、ドアが開いた。トリガーはブラシとエアーを正常起動させ、何食わぬ顔で(顔は無い)エレベーターから降りる。
地上階のフロアとはうって変わって、ひっそりと静かな廊下だ。装飾のたぐいは皆無で、特徴のない白い通路が左右に伸びている。人通りはまばらだ。
バッテリーの残量は86パーセント。多少のアクシデントはあったが、ここまでは順調だ。あとはこのフロアのどこかにある、バレット☆ピンクの格納庫を探すだけ。
正確な座標がわからなければ、転移の魔法は使えない。鏡の精霊に尋ねても、バレット☆ピンクの居所は教えてくれなかった。ザベラが魔力でさえ跳ね返す強力な妨害電波でも出しているのか、単にわからなかったのか――それとも。
トリガーが彼女を壊しに行くと知っていたから、教えたくなかったのか。
――バッテリー残量18パーセント。いくつか怪しい部屋は見つけたものの、部屋に入るためのキーが入手できず、まだバレット☆ピンクの格納庫は見つからない。バッテリーが残り10パーセントを切れば、本能で充電台へ戻ってしまう。
やみくもに探し続けるのは無謀だ。トリガーは廊下の端に寄り、沈黙した。
すると、しばらくして、見覚えのある人物が廊下を通りかかった。
他の軍人より立派な軍服を着た中年の男。ザベラ軍司令官である。
彼は白衣を着た二、三人の男と何やら話しながら、トリガーの横を通り過ぎていった。様子を見る限り、今日のランチに何を食べるかを話し合っていたわけではなかろう。彼についていけば、きっとバレット☆ピンクに会える。そう直感したトリガーは、通路を掃除しながら、慎重に彼らを尾行した。
「バレット☆ピンクの様子はどうだ?」
「人工知能の調整は終了しています」
「安全性を考慮してロボット三原則を適用したが、近々アストレムとの決着をつける。背に腹はかえられん」
一手遅かった。すでにバレット☆ピンクのシステムは書き換えられてしまっていた。だが、今さら何を嘆いても遅い。なるようになるさ。
廊下の奥の突き当たった場所に、その部屋はあった。「関係者以外立入禁止」のホログラムが扉の両脇に浮かび上がっている。司令官たちは扉横のカードリーダーにIDカードを当て、スライドした扉の奥へ消えていく。トリガーは残り少ない力を振り絞り、閉まる扉の中に滑り込んだ。
金属の壁、金属の床。趣味のものどころか家具さえ無く。第二次性徴途中の少女の部屋としては、ひどく寒々しい空間だった。電気信号の規則的な音だけが空気に響く。
「……なんだコレは」
後ろでゴツゴツと音がしたので振り返った司令官は、閉じた扉にひたすら激突するお掃除ロボットに気づいた。バッテリー切れの赤いランプが光っている。
「基地内で使っている、お掃除ロボットですね……」
「こんなものにかまっている時間はない」
一行は部屋の奥へと歩を進めた。手術台に似た固そうなベッドに、ゆめかわセーラー服姿のバレット☆ピンクが腰かけている。
「調子はどうかね? バレット」
「しれいさん……? 私、なんだかぼーっとして……」
司令官が声をかけると、バレット☆ピンクは緩慢な動作で彼に目を向けた。司令官はそんな彼女にお構いなしで話し始める。
「バレット。明日の夜明けに、アストレム侵攻作戦を開始する」
「え……?」
「お前は生まれ変わった。我々の勝利の女神に。我らがザベラを世界の頂点に導くための、至高の兵器に」
バレット☆ピンクは明らかに動揺していた。すぐに回答を出せる人工知能を有しているはずの彼女が、数秒遅れて首を横に振る。
「でも……そんなこと、したくない……」
司令官が技術班を睨む。さては失敗したんじゃなかろうなと咎めるような目つきだ。
「問題ありません。命令すれば、その通りに動きます。機械なのですから」
技術班は淡々と言った。
「マジカル☆くるくる☆ルルルルルー!」
閉じた扉に体当たりを繰り返すお掃除ロボットの真上、天井すれすれに、パッとエリンが現れた。
トリガーから送信された位置情報をたどってきたのだ。
「トリガー!」
エリンが腕を振り下ろす。彼女に続いて空中に現れたのは、男性型アンドロイドのボディだ。車の後部座席に座らせていた、ウサギっぽいぬいぐるみを、背中にくくりつけている。
自由落下したアンドロイドがお掃除ロボットに覆いかぶさった途端、トリガーの意識はお掃除ロボットからアンドロイドに乗り移った。
「魔法少女壊すッッ!!」
物音に気づいた司令官たちが振り返るより速く、トリガーは床を蹴った。両手の内にダガーが出現する。
宙返りで頭上を飛び越えた彼を視界にとらえ、司令官が怒りをあらわにした。
「貴様……あのときのアンドロイド!」
「バレット☆ピンク、覚悟!」
トリガーの振り下ろした二つの切っ先が、バレット☆ピンクの喉笛に迫る。
ダガーが蒸発した。
レーザー光線を至近距離で受けたダガーは、破片すら残さず消滅したのだ。
部屋が裂けていた。壁を、床を、一本の細い線が溶かしている。まるで太いマジックで線を引いたように。
すべて、バレット☆ピンクの目から出たビームの仕業であった。
「変身してないのに……私、どうなって……」
異常に出力が向上している。バレット☆ピンクは両手を見下ろし、呆然と声を漏らす。
トリガーは、その場にいた人間たちをかばって、床に伏せていた。
「素晴らしい! ザベラ万歳!」
司令官が床に倒れたまま歓喜する。寝台の横に置いてあったプリンセス☆レインボーステッキを、バレット☆ピンクが手に取ろうとする。
バチンッ!
ステッキが彼女の手を弾いて、床に転がった。ステッキに拒絶されたのだ。
「いや!」
バレット☆ピンクは何もかもを振り払うように跳躍した。天井を突き破り、幾重にも重なったフロアを貫通し、地上を目指している。
「待て、バレット☆ピンク!」
ガバッと起き上がったトリガーは、床に転がったままのステッキを拾い、すかさず彼女を追った。十階分も飛べないのでエレベーターを使うしかない。トリガーは上向きの矢印ボタンを連打しながら、なかなか来ないエレベーターを待った。
地上に出たバレット☆ピンクは、全身の穴という穴からビームを撒き散らしながら街を徘徊していた。敵と味方の判別がつかず、暴走する力を止めることもできない。
「どうして……こんなことに……」
守っていたはずの人々が、彼女を見て逃げていく。
無人の車が放置された道路の真ん中を歩くバレット☆ピンクは、道端に咲いている花を見つけた。それは、以前のトリガーとの戦いで、運よく難を逃れた花である。
燃え盛る車の炎が、花びらを焦がす。
「危ない……!」
バレット☆ピンクは慌てて花に手を伸ばした。
刹那、彼女の手のひらから放たれたビームが、花を蒸発させる。それどころか、炎上していた車を吹き飛ばし、アスファルトを削り取った。
「あ――」
守るために作られたのに、何も守れない。もはや彼女は、地上最強の破壊兵器でしかないのだ。
思考回路がショートした。
顔より少し高い位置にかざされた手のひらから、細い光線が飛び出す。それはザベラの国土さえ超えて、雲に穴を開け、青空を貫いた。腕が振り回されると、光線がバレット☆ピンクを中心にして一周した。ビル群が真っ二つになり、砂城のごとく崩壊する。
それは、少女の形をした嵐だった。
トリガーとエリンがビルから出てくる頃には、大都市ザベラは廃墟の様相と化していた。
あちこちから火の手が上がっている。民間人と戦争はほぼ無縁になったはずなのに、さながら戦場のド真ん中だ。非常事態を知らせるサイレンと人々の悲鳴とが混ざり合い、トリガーの感覚回路をぐわんぐわんと揺さぶる。
ウサギっぽいぬいぐるみを抱きしめたエリンが、横目でトリガーをうかがった。
「どうするの? いくらあなたでも、さすがに逃げた方がいいんじゃない? 戦争ばっかりしてる救いようのない世界なんかもう見限って、実家に帰――」
「駄目だ」
エリンを遮って、トリガーはきっぱりと言った。彼の両目は迷いなく、ただ前だけを見据えている。
「ここはレインボーが命をかけて守った世界だから。どんなカスでも、どんなクズでも、レインボーが救うべきだと思って救った人間だから。俺は、彼女の選択を信じるチャミ」
レインボーを使い潰した人間たちを憎んだ。無力なふりをして彼女を助けてくれなかった人間たちを恨んだ。
――第一条。ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
トリガーが機械の体を使うのは、自らをロボット三原則で縛るためだ。そうでもしないと、彼女が守った人間たちを傷つけてしまいそうで。
だが今からすることは、三原則に従って仕方なく、なのではない。レインボーの誇りのために、自らの意思をもって動くのだ。……彼は無言でそう主張していた。
エリンは苦笑しながら、「あらそう。知ーらない」と弾んだ声で楽しそうに答える。
「レインボー。俺とお前でもういっぺん、世界を救ってやろう」
トリガーは、魔法少女ステッキを構えた。
「変身!!」
不思議な光がトリガーを包んで弾ける。
白を基調にしたミニドレスをまとったトリガーが、顔を上げた。カチューシャのウサ耳が揺れる。たくましい腹筋がむき出しだ。
「……わーお」
エリンが眉間にシワを寄せて目を細め、なんともいえない苦い反応をした。
トリガーが前傾姿勢で地を蹴った。マンションの壁を駆け上がり、わずか数秒で屋上に到達する。数十メートル先、ビルとビルに挟まれた通りから、ピンク色のビームが撃ちあがった。
「そこまでだ、バレット☆ピンク」
建物から建物へと飛び移ってきたトリガーは、淡々と破壊活動をしていたバレット☆ピンクの前に着地した。
「愛と魔法と奇跡の弾丸――バレット☆トリガー」
名乗りとともにポーズを決める。至極真剣な顔である。
魔法少女の力を宿したトリガーを、バレット☆ピンクが補足する。
「標的発見。削除します」
バレット☆ピンクが消えた。否、間合いを詰められた。速い。視線でさえ動きが捉えられない。
繰り出される連撃を紙一重でかわし、あるいは受け流す。しかし体がついていかない。もともと戦闘用に開発された彼女と量産型機であるトリガーのボディでは、あまりに性能差が大きかった。
かわしきれなかった蹴りが鼻先に迫る。とっさに両腕を交差させ、受けた。
吹き飛ばされる。まるで塵のようだった。
トリガーはすさまじい速度でビルの壁面に激突した。全身を粉々に砕かれる衝撃と、痛み。円状に陥没したコンクリートの中心で、壊れた人形のように、首を傾けたまま沈黙する。
胸を張れるような戦いはしていないが、トリガーも戦士のはしくれだ。しかもこの体は演算機能を備えた機械である。勝負に勝てるかどうかくらい、計算できる。
――そもそも、魔法”少女”じゃないし――
「がんばえー! ばえっと☆といがー!」
場違いに明るい、舌足らずな声。トリガーは、激突したビルのお向かいにあるマンションの窓に、うつろな眼差しを向けた。一人の女児が、そこから身を乗り出して、彼を見つめていた。
がんばえ、がんばえと繰り返す幼女。映画館の入場者特典でもらえそうなペンライトを振っている。
逃げ惑うばかりだった人々の中で、その声を聞いた一人が足を止める。二人、三人。そして彼らは、たった一人で戦っている女装戦士の存在に気づいた。
「がんばれ! バレット☆トリガー!」
「がんばれー!」
女児の声に、誰かの声が重なって。それにまた誰かが声を重ねる。やがて、サイレンの音さえかき消すような応援になった。
トリガーは、ふっと笑う。
立たなきゃいけないんだよな。――なぁ、レインボー。
がれきの中から、よろめきながら立ち上がる。プリンセス☆レインボーステッキがほのかに熱を帯びている。見れば、ステッキの先端についているハート型のジュエルが、人々の声援に答えるように淡く光っていた。
トリガーはステッキを真上に放った。くるくると回転したそれは、巨大な純白の砲身となって落ちてきた。両腕でその砲身を抱える。
「かかってきな、お嬢さん。魔法を見せてやるよ」
渋い声で言い放ち、狙いを定めた。瞳の奥に鋭い光が宿る。
対峙するバレット☆ピンクの胸元から、主砲が展開した。
二つの光が収束する。
一瞬の静寂。
そして激突。
過剰暴走した光の嵐が、トリガーのまっすぐな光線とせめぎ合う。トリガーのかかとがアスファルトを削って後ろへ滑る。負荷に耐えきれなくなった全身から火花が散った。
それでも。
砲身だけは離さず、全力で叫ぶ。
「きらりん☆マジックマジカル――!!」
――夢のような光の奔流の中で、バレット☆ピンクは感動していた。
マホウ。まほう。魔法。
なんてきれいな虹色の光。
どれだけ学習を重ねても、あんなに美しいレーザービームは出せないだろう。
でも、私は――
ビームを出したいわけじゃない。
何かを壊したいわけじゃ、ない。
きっと私は、もっと、優しい女の子になりたかった。
☆
わずか数時間にして瓦礫だらけになった街で、人々は立ち尽くしていた。
バレット☆ピンクが、砕けたコンクリートの山にもたれかかって座り込み、ぐったりとうなだれている。ピンクのツインテールはめちゃくちゃに乱れ、ボディの破損箇所から白く細い煙が立ちのぼっていた。
「なんでお前がバレット☆レインボーのステッキを持てたか、わかるか?」
バレット☆ピンクと同じくらいボロボロになったトリガーが、もはや配線だけで胴につながっている足を引きずりながら彼女に近づく。白い衣装はネズミ色のトレンチコートに戻っていた。ボタンを閉めないのがこだわりだ。
「お前は、レインボーに選ばれたんだ」
バレット☆ピンクの前にたどり着いたトリガーは、そう言って目を閉じた。糸が切れたように地面へと崩れ落ちる。
――代わりに動き出したのは、エリンが抱えていたウサギっぽいぬいぐるみだった。
それがトリガーの本体なのだ。
本当の姿に戻った彼は、ぽふんと地面に着地する。バレット☆ピンクがゆっくりと顔を上げて、彼を見つめた。
「……かわいい」
「おれはチャミィ。妖精の国からやってきたチャミ」
トリガーはそう言って、ただの量産型アンドロイドに戻った端末の手から、プリンセス☆レインボーステッキを取った。
そして、バレット☆ピンクに向き合う。
「人工知能バレット☆ピンク。キミには選択する権利があるチャミ。世界は汚いし、つらいことばかりだし、魔法なんか信じない人間ばかりだけど……それでも、魔法少女になるチャミ?」
バレット☆ピンクは泣きそうな顔をして、きゅ、と唇を結んだ。
トリガーは静かにたたずんで、彼女の答えを待っている。
「私は――魔法少女になりたい」
絞り出すような声で紡がれたそれが、バレット☆ピンクの結論だった。
「それならコレは、キミのものチャミ」
プリンセス☆レインボーステッキが、バレット☆ピンクに手渡された。
バレット☆ピンクはトリガーに戸惑いの視線を向ける。トリガーは力強くうなずいた。
バレット☆ピンクが、ステッキを振った。
不思議な光がバレット☆ピンクを包み込み、空へと駆け上がる。
光が弾けると、そこには、翼を広げた少女がいた。まるで翼を持ったお姫様のようなフリフリの衣装に、女児が大喜びである。
「バレット☆ピンク、最終回形態……」
エリンが呟く。
新しい力を手に入れたバレット☆ピンクは、驚いた顔で自分の頬に触れた。
「あれ? 私……人間になってる?」
「まぁ、魔法だからな。そういうこともあるチャミ」
人工知能だったバレット☆ピンクなら、考えすぎて故障していたかもしれないが。ピュアなハートを備えた人間の少女になった彼女にとっては、それで十分すぎる説明だった。
トリガーはバレット☆ピンクに背を向けた。
「がんばれ。魔法少女バレット☆ピンク」
もふもふの手を小さくあげてやる。渋い声の応援を受けて、バレット☆ピンクは微笑んだ。
「さよなら、妖精さん」
バレット☆ピンクがステッキを振ると、不思議なキラキラが降ってきて、壊れた街がみるみるうちに元通りになっていった。魔法も奇跡もあったのだ。
真っ白な翼を大きく動かし、新しい魔法少女が飛び去っていく。助けを求める誰かを救いに行ったのだろう。
「魔法少女は壊すんじゃなかったの?」
「久しぶりに仕事をしただけチャミ、女王様。おれの本業はスカウトマンだチャミ」
エリンにそっけなく答え、トリガーが歩いていく。
「かわいい~!」
「ぐえっ」
しかし、横から走ってきた女児にタックルされ、思いっきり抱きしめられた。
「ママー、この子うちで飼おうよ! ちゃんとエサやりするから!」
「ベタベタするなチャミ。ヤケドするぜ」
「すごーい! 喋ったー!」
「チッ……」
ガキは嫌いだ。
女児に頬擦りされながら、トリガーはやれやれと頭を振った。