うそをつくひと
森の奥に住む少年と、彼に会いに来る気障な魔法使いの話です。
※この作品はBLです
魔法使いは言った。
「この話は知っているか。偉大なる王の妹君の話だ。妹君はまるで物語のような呪いをかけられたお姫様だった」
この国の王が持つ、最も素晴らしい財の一つだと評される魔法使いは、尊大に物語を語り始めた。
僕はその質問に答えなかった。
僕が返事をしようがしまいが、レンはいつも勝手に僕が知らない色んな話を始めたし、僕が答えを返さないことに彼は慣れきっていた。
質問の答えの代わりに、今日僕の家に来てからずっと饒舌に口を動かし続けていたレンが喉の渇きを訴えるので「なんで僕がこんなことを」と悪態つきながら、茶を淹れる準備を始める。
人里離れた森の奥にひっそりと暮らす僕の元へ尋ねてくるのは、レンくらいだ。
僕の住む家には七年前に亡くなった母が仕掛けた霧隠れの魔法が残っているにも関わらず、レンはこの家の場所を見失ったことがない。
三年前にレンが初めてこの家を訪れた時、「こんな魔法まで使って隠されていたのがちっぽけなルビーだったとはな」と驚きに見開かれた僕の瞳の色を赤い宝石に例えて、僕を絶句させた。
レンは思ったことを素直に口にすることに躊躇いがなく、想像力が豊で考えることが大げさな人間だった。
二度とここには来るなと言う僕の言葉には全く耳を貸さずに、レンは「俺の宝石に会いに来た」と言ってたびたび僕の元を訪れるようになった。
そんな言葉を向けられると、自分がとても希少な存在で、他の者の手に触れられないように秘匿された宝物のように錯覚してしまう。
レンが王都から持ってくる茶葉や菓子を楽しみにしていた気持ちが、土産などなくてもレンが来ることを楽しみにする気持ちにすり替わったのは一体いつからだろう。
母が亡くなって数年、すっかり慣れ切った一人での生活が寂しいものだと思い出させたのはレンだった。
レンは僕の気など知らずに、気まぐれで僕に会いに来ているだけにちがいなかったけれど、構わなかった。僕の気持ちを伝えることは一生ないのだから、多くを求めようとは思わない。
思いとは裏腹に無言でコップを机に叩きつけるようにして茶を出してやると、レンは僕を見上げた。夜の色をした瞳が僕を見つめていた。
「ありがとう。で、呪いをかけられたお姫様の話は知っているか?」
僕は答えた。
「……知らないな」
「そうか。じゃあ今日も俺がお前の知らない物語を聞かせてやろう。その前に俺に好きって言ってくれないか」
また突拍子もないことを言い出した。
なんでも、レンの魔力の源は人々から与えられる愛なのだという。性格はともかく、顔だけは素晴らしいものを持つレンは無差別に笑顔を振りまき、人々から愛されることで年々魔法使いとしての力を高めているようだった。
もう十分な魔力を蓄えているだろうに、何故かレンはまだ魔力を集めたがって、僕にすら話をする対価に愛を求めてくる。
王都にいる熱狂的なレンの信奉者なら躊躇いもなく好きだと言えるのだろうが、あいにく僕は愛の安売りをするような素直さがない。僕は机を挟んでレンと向かい合って椅子に座った。
「嫌いだ」
僕の声は、感情が抜け落ちた平淡な声をしていた。あまりにも冷たく聞こえたかもしれない。もっとマシな、べつの言い方があったのかもしれない。焦りはあったが、どうしようもなかった。
レンは「俺は好きだよ」とにやにやと意地の悪い笑みを浮かべている。まるで僕の本心など見透かしているとでも言いたげな態度に、背中を嫌な汗が滑り落ちた。
レンはいつも僕のことを好きだと言う。
最初の頃の僕は「僕も好きだよ」とやはり平淡な声で答えていた気がする。今と比べれば随分と気の利いた言葉に思えるが、その頃のレンはいつも不満そうだった。むしろ、嫌いだと答えている今の方がレンは嬉しそうだ。
「お前、素直じゃないな」
肩を竦めたレンは、ずずっと下品な音をたてて茶をすすった。
心なしかレンの声は、弾んでいるような気がした。
何がそんなに楽しいのだろうか。僕と一緒にいて楽しいのだろうか。そうであればどんなにいいことか。
自分が非常にわかりづらくて面倒な態度をとっていることはよく理解している。
毛嫌いするような態度ばかり向け続ければ、レンはいつしかこの家には寄り付かなくなってしまうだろう。そうなれば、レンしか話し相手のいない僕は、また一人になるのだ。そう考えると寂しい。情けないことに、僕はレンの存在を切望していた。
「まあいい、素直にならないなら素直にしてみせるまでだ。王の妹君の話をしよう。王の妹君は、悪い魔女に嘘つきになる呪いをかけられていたらしい。本当のことを言えなくなる呪いだ」
「その話は信憑性の欠片もない噂話だ」
その話のオチは知っている。
これは口の悪さが災いして、国内外問わずに問題を起こしていた王の妹君の印象を少しでもよくするために城の人間が流した噂話だと誰もが馬鹿にしている話だった。
信じているやつなんて誰もいない。僕は内心ため息をついた。
「まあまあ、いいから聞け。妹君は騎士団長のことが好きで、密かに逢瀬を交わしていたんだ。騎士団長も家柄はいいし、実績だけはあったから二人の結婚はもう間近ってところだったらしい。ところが、悪い魔女も騎士団長のことが好きだったんだ」
僕はレンの茶がすっかり飲み干されていたので、空のコップにおかわりを注いでやる。レンは話を中断しなかったが、視線で礼を伝えてきたので僕も頷いて応じた。
「仲睦まじい二人に嫉妬した悪い魔女は、怒りのままに妹君に本当のことが言えなくなる呪いをかけた。妹君は呪いのせいで騎士団長に対して『好き』と言えなくなった。嘘の言葉しか言えなくなった」
続きを聞きたいとも思わない。
妹君が呪いに気が付いたのはよりにもよって、和平交渉を交わしたばかりの国との会食の場だった。思ってもいない発言を連発する妹君に場の空気は凍り付いた。
幸いにも相手国の方が屈辱を呑み込んで、穏便に済ませようと努めた為、大事には至らなかったものの、城に帰ってから王は妹君の頬を打ったという。
床に倒れこむ妹君に駆け寄ったのは騎士団長だけだった。あわや戦争に発展してもおかしくない事態に妹君を庇う人間など、騎士団長しかいなかった。
妹君はその騎士団長にすら「私、そんなに変なことを言ったかしら? あんなに怒らなくてもいいじゃない」と言い放ったのだという。本当は「私、どうかしていたわ。みんな怒って当然よ……」と言おうとしたのに。
ついには騎士団長すら妹君を見放した。
文字ならば本当のことが伝えられることに気が付いた妹君は、現状を説明する手紙を王の元まで届けようとしたものの、受け取ってもらうことすらできなかった。
「黙っていないで、まずは自分の言葉で語ってみろ」
そう言われてしまえばどうしようもない。
何度試しても、ひどい偽りの言葉しか吐けない妹に王は呆れて目も合わさなくなった。
呪いをうけて三か月目。一度は愛した女への最後の情けだと、騎士団長は妹君を外に逃がす手助けをした。過激な言動で反感を買い続け、いつ誰かに命を狙われてもおかしくない状況まできていた。
妹君が騎士団長の子を腹に宿していることに気が付いたのは、彼と別れてからだった。その子は、妹君が真実を語ることができた最後の夜に授かった命だった。
「素直に言葉を伝えられないなんて、まるでお前みたいだな」
レンの何気ない言葉を笑おうとしたけれど、うまくいかずに笑顔が引きつってしまう。
もっと別の、楽しい話をしてほしかった。
レンが呪文を詠唱する柔らかく歌うような声が好きだ。勝手に人の家に意味の分からない魔法陣を書いて魔法を使い出す身勝手さすら愛おしい。
こんなにも寂しい話を聞かされるくらいなら、魔法が失敗したことを一人で笑っている声を聴いている方がよかった。そんな要望を言ったことはない。言えるはずもなかった。
「話の続きは?」
続きなど待ってもいないのに、僕はそう口走っていた。
まともな続きなんてあるものか。この物語に幸福な終わりなどありはしない。
真実を語ることができない女が、産んだ子どもをまともに愛せるだろうか?
優しい言葉をかけてやれるだろうか?
森の奥に引きこもって生活をしていても、こっそり近くの村に遊びに行くようになった子どもは、彼女が発する言葉の意味を知ってしまう。
文字で語る言葉が真実だと訴えられても信じられなくなる。口で本当のことを言ってほしいとこのうえなく理不尽な願いをぶつけるようになる。
子どもは、母の抱えていた苦しみを知るのに十二年を要した。それは彼女が死んで、寄る辺をなくしたその呪いが子どもへと受け継がれた時だった。
「続きはあるさ」
立ち上がったレンは机越しに俺の頬に手を添えていた。
軽く顎を持ち上げるようにして、上を向かせられる。机に乗り上げたレンの行儀の悪さを注意しようとした時、ゆっくりとレンの顔が近付いてきて、レンの唇が僕の唇に押し付けられた。
「その呪いは、愛する者のくちづけによって解かれるそうだ」
「………」
何故だ。
何故知っているんだ。
「正確には愛するもののくちづけと膨大な魔力ときちんと手順を踏んだ解除術式……」
「レンッ」
ぐらりと揺らいだレンと体が机の上から転げ落ちる。反射的にレンの体を受け止めたが、支えきれずに僕が下敷きになる形で、二人で床に倒れこんだ。
僕は周囲が青白く発光していることに気が付いた。床に描かれた魔法陣だ。レンが僕の家にやってくる度に落書きをしていた意味を理解し、息を呑む。
慌ててレンの顔を覗き込むと顔面は蒼白で、白目の部分が充血して真っ赤だった。とても正常な状態ではない。
「レン、様子がおかしい。大丈夫か、しっかりしろ」
「ああ、やっぱり……。お前はほんとは素直で優しい子なんだろうなって思ってた」
「魔力の消費のしすぎか!? クソっ」
魔法使いにとって魔力は生命力の源だときく。それが枯渇状態にあるから、急激にレンの具合が悪くなったのだろう。レンの魔力の源は……と考え、僕は思いつく。
「レン、僕と子作りしよう」
「お前、頭おかしいよ……」
レンの魔力の源は他者から与えられる愛だ。ならばやることは一つしかない。
善は急げだと服を脱ぎだした僕を、レンはふらふらになりながら押しとどめた。
だがろくに力も入っていない男の抵抗に負けるほど僕もやわじゃない。一歩間違えれば、魔力がなくなってレンが死んでしまうところだった。いや、今すぐにでも死んでしまうかもしれない。
「拒んでいる場合か。今すぐ僕とするんだ。それが僕の愛の証明になる」
「ばかっ、やめろ、ばかっ」
このままレンが死んでしまうと考えるだけで恐ろしかった。
強引にレンの体を床に押し付け、服を脱がそうとする。しかし王都の魔法使いだけが着用することを許された変わった作りの服の脱がし方がわからず、まごついているうちに形勢が逆転されてしまう。
僕を投げ飛ばすようにして退けたレンは、再び抑え込まれる前にと僕の体の上に馬乗りになった。
「よく見ろ、もう治っているだろっ」
抵抗される前にと僕の腕を床に縫い付けたレンの瞳はもう元通りの色をしていた。蒼白だった肌の色はすっかり元通りになり、とっくみあいをしたせいか赤みがさしている。
「なんで……っ」
「愛の証明というやつだろう」
言った瞬間に、レンは自分の言葉に顔を赤くした。
何を言っているのかと呆然とレンの瞳を眺めていた僕は、ようやく合点がいく。今この場で、レンに魔力の源を与える人間なんて俺しかいない。
「ずっと変だと思っていた。お前は悪態ばかりつくのに、ここにくると俺の魔力は馬鹿みたい溢れだすから」
淡々と証拠が突きつけられ、羞恥心が抑えきれず全力で暴れて、レンの下から抜け出そうとする僕をレンは朗らかな声で笑った。僕の好きな声だ。
「なあ、俺はお前を愛してる。お前はどうだ?」
くそっ、くそっ。レンのやつ全部知っていたのか。
じゃあ僕の盛大な告白も、レンは気付いていたということか。なんだよそれ、ひどすぎるぞと言おうとして、それができなかった。
「僕の声をきいてくれていたの」
尋ねる声がみっともないほどに震えていて、ぼろぼろと、涙が溢れて止まらなくなった。
悲しいのか嬉しいのかわからないままに、かあさん、と口走った僕のことをレンは笑ったりはしなかった。
全身を大きく震わせて泣き崩れる僕をレンは黙って抱きしめて、僕の口から真実が語られるのを待っていた。