冬の童話祭と絵本
いま、なろうの公式企画で「冬の童話祭」が開催されています。2017/1/17現在で531もの作品が出品されて、童話ジャンルが賑わっていますね。私も少しずつですが読ませていただいています。
童話や絵本、好きです。一口に「童話」と言っても幅広く、広義では「子どものために書かれた」話なのでしょうが、おとぎ話や寓話・伝説も含みますから、単純に子ども向けとは限らないようです。もちろん、大人が読んで面白いものもたくさんあります。
子どもの頃、叔母の一人はお年玉のかわりに本をくれる人でした。元気印の従兄弟たちは「本よりお金がいい」とか言っていましたが、叔母自身の好みと子どもたちの年齢や性格を照らし合わせて用意してくれるその一冊を、私は毎年楽しみにしていました。
ただ、三人兄妹で児童文学全集が二種類揃っているような、やたら本だけは多い家でしたから、どれが誰に贈られたものかなどすぐに混ざって分からなくなってしまうのですが。事務機器のキャビネットのような、子どもの背より高い本棚が一人一台、常にどれも満杯でした。
小さい頃は、かこさとしの本が多かったように思います。『はははのはなし』『からすのパンやさん』『こどものカレンダー』など、大好きでした。
他によく覚えている絵本は『なんでもぽい』(山中亘/こちら絶版のようですね。残念)『たべちゃうぞ』(木村泰子)『まっくろネリノ』(ヘルガ・ガルラー)など。
『モチモチの木』(斎藤隆介)『ABCの本』(安野光雅)あたりは、兄に贈られた本だったかもしれません。『はじめてのおるすばん』(しみずみちを)は妹にねだられて覚えるほどに読みました。
版元が何種類かある絵本(人魚姫とかの有名どころ)だと、いわさきちひろの絵のものを選ぶことが多いようでした。叔母が好きだったのでしょう。
いわさきちひろの透明感のある水彩画や鉛筆の繊細な線はとても絵本向きですね。今はそのよさがわかりますが、子どもの頃は実は少し苦手でした。みんな同じ顔に見えるのと裸っぽいのが不満だったようです。
いわさきちひろが絵を寄せた本で、昔から一番好きなものは『赤い蝋燭と人魚』(小川未明)
内容はご存知の方も多いでしょうから割愛します(青空文庫でも読めるようです)。ウィキペディアによると「人間に潜むエゴイズムと異形の者が抱く怨念をテーマとした作品」とありますが……エゴと怨念ですか……さて、受け取り方は人それぞれですね。
文章の美しさ、話の切なさ。淡々と紡がれる文章の下に滔々と流れる情緒。海鳴りと、最後には雨音が耳の奥に響くようなこのお話が私は今もとても好きです。私はこの本、こればっかりは他の誰でもない、いわさきちひろのこの絵でよかったなあと思うのです。
貰う本は絵本からだんだん字が増えて童話になり読み物になり。中学に上がった年に、そろそろ自分で選びたいでしょう、と図書券に変わった時はほんのり寂しく思ったものです。
「絵本」も「童話」も、基本は同じだと思っています。言葉は身近かつ簡易に美しく、節回しはあくまでシンプル。読んで情景が目に浮かぶ的確な文章。優しく、そして時に残酷なストーリーは現実と乖離していても許されますが、示される主題にブレがあってはいけない……書き手にとって、なんて高いハードルでしょうか。
「冬の童話祭」に私も初めての童話を一作書いて参加しています。最初に企画が発表された時、公式プロローグと設定に心惹かれたものの、参加するつもりはありませんでした。自分の思う「童話」を書くのは難しそうでしたから。それにせっかくなので、書くのなら子どもに向けて書いてみたかったのです。
読み手として楽しませてもらおう、そう思って頭の片隅に置いたまま、忘れた頃にふっとお話が降ってきました。わあっと一気に書いて、なんども読み直して手を入れて。どうにか形になって参加できましたが、理想は遠く、これが今の精一杯です。
自分でか、読んでもらってか。小学生くらいの子どもが眠る前に楽しめる、優しいお話になっていればいいなあと思います。
子どもの頃に好きだった絵本『12の月たち』(スラブ民話) 先日、図書館で見かけてわくわく手に取ったら、あれれ、こういうのだったかなあと。苺が、もっと目立っていたような気がしたのですが……。どこまでも食いしん坊な自分にびっくりです。
話自体は懐かしく思い出しながら楽しみました。古典に多い、いわゆる『ざまあ』話です。待雪草に憧れました。




