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アーティスト的恋愛(小話)

勝手に小話恋愛エッセイ第三弾。

 勤務先から少し離れた駅前の、よくあるコーヒーショップの窓際に座った真由子は、通りの向こうから手を振りながら走ってくる友人を見つけ微笑んだ。


「真由ちゃん、お待たせ。はいこれチケット。今年もありがとうね」

「奏ちゃんこそ忙しいのにありがと。わ、今年はオーケストラなの? ベートーヴェン? 去年の室内楽もよかったけど、楽しみ〜」

「指揮の子が帰国したからね、一度合わせようかって」


 へえ、と手元のチラシを眺める。かなでは高校の同級生で、ピアノで音大に行き、卒業後の今は自宅で講師をしながら演奏活動をしている。華々しい国際コンクールなどに上位入賞こそないが、何よりもピアノが好きな彼女の演奏はとても彩り豊かで、舞台で聴ける機会を真由子はいつも楽しみにしていた。

 奏は音大や音楽活動を通じて出来た仲間と有志で、毎年クリスマス頃に小さなリサイタルを開いている。例年はピアノと弦楽四重奏などの室内楽が主だったが、今年はフルに近いオーケストラだ。気合が入っている。

 湯気の立つカプチーノに、奏はスティックの砂糖を二本入れると気まずそうに笑った。


「今、必死こいて練習中。やばいくらい糖分が足りないわ……」

「暗譜するの大変でしょう?」

「あ、暗譜は平気よ。白黒白黒だし」

「わけわからんわ、それ」


 相変わらずの物言いに笑ってしまう。真由子自身も子どものころの一時、ピアノを習っていた。ある程度弾けるまでにはなったものの、大変厳しい先生のレッスンがつらくて木曜日ごとに胃を痛くしていたのは懐かしくも苦い思い出だ。

 特に譜面を見ずに弾く暗譜はかなりプレッシャーのかかるものだった。楽しげに指を揺らし、白黒しろくろ〜と歌う奏にその悲愴さはない。純粋に練習がハードで疲れているのだろう。


「春にはうちの教室の発表会もするし。そっちの準備もあってね」

「そんなに忙しくしてると、また彼と別れたりしちゃうんだから」


 いつもの真由子の軽口に、途端、カップをガチャリと落とした奏に嫌な予感が過ぎる。俯いた口元から出てきたのはある意味予想通りの言葉だった。


「……別れた」

「マジかい」


 がばりと顔をあげると、テーブルのこちら側へと身を乗り出さんばかりに勢いよく話し始める奏。


「だってっ、なんなのよ、『俺とピアノとどっちが大事なんだ?』なんて! お前はどこの寂しんぼOLだっつーの、私は最初っからピアノ優先だって言ってるのにっ!それでいいって言ったくせに!」


 ああ、やっぱり、と真由子は軽く息を吐いた。この奏というひとは、本当にピアノが好きなのだ。明けても暮れても考えるのは音楽のことばかり。地方の自宅で教室を開き、少し小金がたまると東京やドイツにいる恩師の元へ足繁く通っている。時間ができればピアノ、お金が出来ればレッスンかリサイタル費用へと右から左。そこに「彼氏」の入る隙はあまり、いや、これっぽっちも無い。過去の恋人たちも皆これで離れていっている。


「なーにが『ピアノに一生懸命なキミが好きなんだ』よ、笑っちゃう、舌の根も乾かぬうちに。あああ腹立つわ!」

「いや、まあ、まさかここまでとは思わなかったんじゃない?」

「どっちが大事って、ピアノだねって言ったらハイごめんさよならよっ、バカにしてるわ!」


 奏は綺麗系の美人さんだ。髪をアップしてドレスを纏って鍵盤の前に座る姿は実に美しいと、同性ながら毎度見惚れてしまう。その指先から流れ出る華やかな音に魅了されて引き寄せられて……甘さの皆無な私生活に意気消沈して去っていく男の多いことよ。

 適齢期などとっくに過ぎた娘に彼女の両親は「あんたの旦那はピアノだからねぇ」と開き直って前向きだ。


「私がピアノと離れられるわけないじゃない……いいんだ、もう独身で。教室にたくさん子どもいるし」

「そっか」


 ぶちぶちと頬を膨らます奏は、可愛らしい。好きなことを仕事にして生きていける友人が、誇らしくて眩しくて、ほんの少しだけ切ない。


「いっそ同じピアニストとかは?」

「ええっ、同業者なんて勘弁だよ! ……オガちゃんのお姉ちゃんみたいになっても大変だし」

「ん? オガちゃんのお姉ちゃんって、音大の、ヨーロッパ行って向こうで結婚したひとだっけ」

「そうそう、同じ楽団員と国際結婚。でもねえ、今揉めてるの」

「なにかトラブル?」


 苦い顔で眉をひそめる奏につられて、つい声をひそめてしまう。


「お姉ちゃんと連絡取れなくなってさ、電話もメールも通じなくて。どうやらねえ、旦那が地下室から出してくれないみたい」

「はあ!?」

「いやさ、ちょっとセンシティブなところがあって、ついでに独占欲が強いっていうのは聞いていたんだけど。まあ、うちらみたいなのはみんな多かれ少なかれクセはあるのよね。それで、公演の時しか外出させてくれないみたいで、日本の家族との連絡もシャットアウトされちゃってて」


 何それ怖い。


「今度お母さんが向こうに行くって……会えるといいんだけど。私もヘルプ頼まれたんだけど、私ピアノ関係のドイツ語しか話せないからねえ、英語はダメなんだよな」

「……そっか…」


 演奏家の恋は難しいと、しょんぼりする奏を前に、真由子は黙って冷めたコーヒーを口に運ぶのだった。




リアルでは勘弁……。ドキドキ。

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