私の普通とあなたの普通
小学生の頃。
珍しくお使いの手伝いを請け負った兄が、ぷんすか怒りながらスーパーから帰宅しました。台所に入る早々に母に向かって盛大に抗議を始めます。
「母さん、これ『そぼろ』って言わないっ!」
兄の手にあるのは、B6サイズ位のパウチ袋に入ったピンク色の物体。そう、お弁当やちらし寿司なんかを鮮やかに彩る、その名も『桜でんぶ』……我が家では古来『そぼろ』と呼びならわしていたものでございます。
「見つからなくて、店員さんに『そぼろ、どこですか?』って聞いたら不思議な顔されて」
やむなく用途・色・形状を細かに説明する羽目になり『ああ、でんぶのことね!』とイイ笑顔で解決されたのだが、思春期に足を突っ込みかけた年齢の兄には耐え難い時間だったようでした。
「へえ、知らなかった。まあ、私は食べないから関係ないけど」
「お姉ちゃん、ご飯に甘いのかけるの好きじゃないもんねえ」
「お前ら、もう少し同情しろよ……」
よく覚えておけよ、と何の捨て台詞だか分からないものを妹二人に残して去った兄。普段からさっぱり家の手伝いをしませんでしたが、とうとう買い物も行かなくなったのは、きっとこれがきっかけではないだろうかと思われます。……ちっさい、いや、繊細だな、うん。
まあ、そんなわけで。
「だってお母さんが小さい時から、これを『そぼろ』って言っていたもの」と母が言う通り、今の今まで 桜でんぶ=そぼろ でございました。よく見ればパッケージに桜でんぶって大きく書いていますけど、あえて目に入らなかったようです。
一般のご家庭では、炒めたひき肉を甘辛く味付けしたものを『(肉)そぼろ』と言うそうですね。ちなみに我が家ではこちらは『ぽろぽろお肉』と呼んでいました……可愛いでしょ。そのまんまですけどね。
それでも「そぼろちょうだい」「……『桜でんぶ』な」
「ピンクのそぼろちょうだい」「だから、『でんぶ』な」みたいなやりとりがこの後も数年は続くのですが。
ちなみにわたしの育ったところではゴミは「投げる」とも言うのですが、標準語では「捨てる」だけなんですね。これも方言……なのでしょうか。
トウモロコシはトウキミって言いますし。さらに略してキミ、もう少し訛ってキビとも。
こういう広めローカルな事から各家庭独自のものまで、思い込みや刷り込み、というものはなかなかに手強いものです。まだ幼くて家族とともに地元にいるときでもこういった例はよくあると思いますが、例えば上京、例えば結婚。土地も年齢も違うと本当に思ってもみないところで、あれっ? となります。
三角スケールと雲形定規は家にあるもの。
シャーペンは0.3のF。
お米は30キロ米袋。
この辺は割と早い段階で「他とは違う」と気付いたのですが、誰かとルームシェアしたり結婚したりと、他人と暮らすようになるといろいろな違いをまざまざと感じます。
バスタオルは家族で共用か、個人か、そもそも必要か。
ジーンズの洗濯の頻度。
味噌汁の味噌は白か赤か合わせか、出汁は。
そういった小さい事に驚きながらも受け入れて暮らしていくことが、共同生活というものなのでしょう。
私の場合、真逆とも言える食生活の結婚相手でしたから最初はお互いに苦労しました。我が家は基本的に醤油ベースで辛めです。父が飲む人でしたので、おつまみ的意味合いもあったでしょう。どちらかといえば高血圧の家系です。
対して向こうの家は砂糖をよく使う。何にでも入ります、きんぴらにもポテトサラダにも。一番驚いたのは、お赤飯が甘いのです……小豆ではなく金時豆を使い、砂糖蜜をかけます。お菓子のようです。ええ、もちろん糖尿病の家系ですねえ。
実母も義母も料理は上手で、帰省して台所に立っても私などアシスタントの域を出ません。両家ともエンゲル係数が高かったですが、その意味合いはこれまた真逆です。
どっちがいいとか悪いとかではなくて。食べ物も暮らし方も、持ち寄って歩み寄ることを楽しめたらいいですね。
でもですね。我が実家はオープンでざっくばらん……まあ、ありていに言って雑な家庭でした。すごく仲が良いというわけではありませんが、どんな話も大きな声で堂々とするので秘密などありませんし、もちろんお互いの予定も筒抜けです。
ですが婚家はかなりの個人主義でマイペース、特にお義父さん。拒否権なしの旅行のお誘いを出発一時間前に宣言されるのには慣れましたが、この春、入院して手術もしていたのに緘口令を敷いて全部事後報告って、ちょっと寂しいですよう。心配されるのが照れくさかった、と恥ずかしそうに言っていましたが、もう。どんなツンデレですか。
少しゆるめに作った生地をスプーンでぽたりと油に落とす、まんまるい揚げドーナツ。
この家庭菓子の我が家での呼び名は「ぷっくりちゃん」正式名称だと信じて疑わなかったが、もちろん違う。
……目分量でざっくり作ったら、出来上がりに砂糖を振りかけてどうぞ。




