片想い
私たちが4年になった年の六大学野球、春のシリーズ。
慶応と早稲田は優勝争いを続け、早慶戦で優勝が決まることになった。
試合前日、渡辺に会った。顔は何度か合わせていたが話をしたのは、
あの日の東伏見で以来だ。
「よぉ、リンちゃん。あの時の約束、明日果たすぜ。」
「楽しみにしてます。頑張って応援しますからね。」
「あの日から毎日走ってるのに、一度も来ないんだもんな。
冷たいよなぁ」
「でもそのおかげでしょ、下半身が安定してるの。」
「まぁそうかもな。なぁ完投で勝ったら、俺とデートしてくれよ。」
「なんでデートなんですか?」
「約束は勝利投手なんだから、完投したら
それくらいオマケしてくれてもいいだろ?」
「ウーン、じゃあコーヒー飲むだけならいいですよ。」
「ケチ臭いなぁ。まあいいや。コーヒー楽しみにしてるよ。」
そして最終戦、渡辺は最初から飛ばした。
慶応も譲らず、スコアボードにはゼロが並ぶ。
渡辺は疲れを見せつつも粘って得点を与えない。
ついに7回、早稲田はダブルプレー崩れの間に1点先制。
渡辺はここからさらに勢いを増す。
圧巻は9回。三者連続三振で完封勝利。
渡辺は雄叫びをあげ、私達チアはラストゲームの勝利と優勝を
全員で抱き合って喜んだ。
その次の日曜日午後1時、吉祥寺駅南口改札にスポーツウェアを着た、
やけに大きな男が立っていた。
「渡辺さん」声を掛けたら、「おう」と返事した。
「じゃあ井の頭公園のスタバですから」と行こうとしたら
「リンちゃん、どこだよ?人が多すぎて分かんないよ。」と大声を出した。
慌ててそばに戻った。
「大きな声は止めてください。恥ずかしいじゃないですか。」
「そんなこと言ったって、俺、吉祥寺、初めてなんだぜ。」
「もぅしょうがないな。」手を引っ張って歩いた。
「ヘヘヘ、作戦成功。デートなんだから手ぐらい握ってもらわないとな。」
「ワザとだったんですか?」
「吉祥寺が初めてなのは本当さ。
あとデートなんだから敬語は止めてくれよ。
まるで俺がセクハラ親父みたいにじゃないか。」
ある意味、その通りでしょと思ったけど口にはしなかった。
「はいはい、じゃあ渡辺君、こっちよ。」
渡辺の手を握り、公園通りを人を縫いながらスターバックスまで歩いた。
「何にする?買ってくるよ。」
「じゃあアイス・アメリカーノのグランデ11本。」
「はぁ~?」
「コーヒー飲み終わるまで付き合ってくれるんだろ?
だったら今日の夜12時まで1時間1本ずつ。」
「あのねぇ、私5時から用事があるの。」
「なんだよ。たった4時間かよ。」
「コーヒー一杯で4時間なら長すぎるくらいでしょ。まったく。」
自分用にキャラメル・マキアートのトール、渡辺には
アイス・アメリカーノを、それでもと思ってヴェンティを買った。
「5時からは旦那様とデート?」
「デートっていうか晩御飯の用意。
でもなんで旦那様って言い方、知ってるの?」
「チアの忘年会でやっただろ?堂島に見せてもらった。
それにリンちゃんが井の頭公園で男と腕組んで歩いてるって、
野球部でも何人も見てるんだぜ。そんなの見たくないから、
吉祥寺に来たことなかったんだけどさ。」
そう言って一口飲んだ。
「それにしても晩御飯の支度なんて、まるで奥さんだな。旦那様とは長いの?」
「大学に入る前からだからね。知り合ってから6年。恋人になってからは5年。」
「知り合った年数なら、やっぱり俺のほうが長いや。」
「何言ってるの?私が大学に入る前なんて知らないでしょ?」
「中学の時のあだ名も『リンちゃん』だっただろ? 鈴木さん。」
「なんで昔の名前知ってるの?」
「本当に俺に関心がないんだなぁ。
リンちゃんと俺、同じ中学なんだぜ。俺のほうが2つ下だけど。
初めて会ったのは、俺は野球部入りたてでボールを拾いしてたときだった。
リンちゃん、中学の時、バスケやってただろ。
その日は外でランニングだったんだと思うよ。何人かで固まってた。
その中でリンちゃん、転校生だったから一人だけ別の色のジャージだった。
ボールがそっちに転がってったんだ。
俺が走って行ったら、リンちゃんニッコリ笑って『頑張れよ、小僧』って
ボールを拾って渡してくれたんだ。それで一目惚れ。
あの時のショートカットのリンちゃんかわいかったなぁ。
だから俺の場合、リンちゃんのリンは林じゃなくて鈴なんだぜ。」
「ウソ...。」
「そう言われると思ったよ。でも持ち歩いてるんだな、お宝写真。
先輩に泣きついてもらった卒業アルバムのリンちゃんの個人写真と
女子バス部の集合写真。」
渡辺は定期入れから大分痛んだ私の中学時代の写真を取り出した。
「告白したくても二年先輩だから、どうしたらいいのか分からないしさ。
『甲子園に出たら、デートしてもらえるんじゃないか』
って、思い切り不純な動機で野球がんばったわけよ。
でも俺が高校でレギュラーになる前にリンちゃん、姿を消しちまった。
それでも甲子園で有名になれば、見てもらえるかもしれないって思い込んで、
高校3年までやったんだ。でもどこにいるのか全然わからない。
だから大学で野球なんて、やる気がなかったんだよな。
そしたらビックリ。早稲田でリンちゃんと運命の再会。
ピッチャーとチア、しかも今度は同級生。
これはやったぜと思ったのに、『いい加減にしてください!』だもんな。
それから4年間、最終戦で投げられるようにってがんばってきたワケよ。
つくづくバカだなって自分でも思うけど、しゃーないわな。」
「最初に言ってくれればよかったのに。」
「言えるわけないだろ。あの家からリンちゃんが泣きながら飛び出して
走っていくのを何人も見てたんだぜ。よほど酷いことされたんだろうって
あの辺じゃあ評判だったんだから。」
「そうか、そうだったんだ。」
二人ともしばらく何も言えなかった。
「プロ目指すの?」と私。
「目指すっていうより、日本球界が放っておいてはくれないよ。」
「そう、良かったね。」
「さらに上を目指すけどね。」
「メジャーってこと?」
「ここまで来たら上を目指さないとな。まずはドラフト見てなって。
リンちゃんは卒業したらどうするの?」
「編集の仕事したいって思ってる。出版社を受けるつもり。」
「てっきり結婚するんだと思ってた。」
「結婚するまで3年働く約束なの。それまでは恋人のまま。」
「じゃあまだ俺にもチャンスあるのか。」
「待つだけ無駄よ。他をあたったほうがいい。」
「他にって言われても、他の女なんて気になったことないからなぁ。」
渡辺が時計を見た。
「まだ1時間ある。井の頭公園名物のボート乗ろうぜ。」
渡辺がボートの噂を知らないのか、知っていてあえて乗ろうとしているのか聞けなかった。
私たちは無言でスワンボートに乗った。
黙々と漕ぎつづけ、何周も池を周りつづけた。
まるであの日の東伏見のように。
ボートを返したら、もう5時だった。
「じゃあ」と言いかけた渡辺の手を握ると、そのまま吉祥寺駅まで手をつないで歩いた。
「駅に帰るまでがデートだよ。」って。渡辺の顔は見れなかった。
改札の前まで来た。
「じゃあ、本当にこれで。」と言う渡辺に、私はうつむいたまま
「ちょっと小さくなって」つぶやいた。
よく聞こえなかったのか、渡辺が顔を近づけた。
私は首に手を回し、唇を彼の唇に押し付けた。
「約束は完投だったのに、完封してくれたから、これはオマケ。
長い間、ありがとう。でもこれでもう私のことは忘れて。
あなたを好きになることはない。」
私は振り向かず、一直線に歩いて去った。唇をかみしめた。
井の頭の家についたのは6時過ぎ。旦那様が心配顏で待っていた。
その顔を見たら申し訳無くって、玄関から先に上がれなかった。
「私、許していただけるまで、ここから先に進めません。」
旦那様はちょっと困った顔をした。
「じゃあ歩きながら話そうか?」
私は渡辺のことをゆっくり説明した。
「フェアリーは、その人のこと好きなの?」
「そんなのじゃあないんです。でも長い間、ずっと好きでいてくれたのに、
私、何もしてあげられなくって、彼のことかわいそうになって。」
「それでキス?」
私はうなずいた。
「まぁフェアリーの気持ちも分からなくもないよ。
でも僕としては愉快ではないな。」
「怒りますよね。」
「そりゃまあね。罰としてしばらくはキス無し。
それで許してあげるよ。」
申し訳なさと、寂しさと、でも他にどうしようもなかったっていう
気持ちが葛藤していた。
そのまま5分ほど歩いただろうか、林の中で、突然旦那様が私を
抱きしめた。そして額、右目、左目、鼻と順にキスしてくれた。
さらに右頬、左頬...あれ?口に来ない。目を開けたら、旦那様は
ニッコリ笑って、ゆっくり唇を味わうようなキスをしてくれた。
「はい、キス無し期間終了。元気だしな。」
私は旦那様の背中に抱きついた。
「片想いって、されるほうも切ないんですね。」
その年の忘年会。千尋と優は四年連続のお芝居ネタ。
「最後の男前リンちゃん劇場 別れの吉祥寺編」
----
舞台中央にリンちゃんと渡辺
渡辺 : 俺、これまでずっとリンちゃんのことだけを...
リン、渡辺を手で制して、低い声で
リン : 前にもいったはずだぜ。私に惚れるとケガするよ。
渡辺 : でも、この気持ち止められないんだ。
リン、渡辺に一歩ずつ、近づく
右手で渡辺の顔をゆっくり自分のほうに向かせる。
そして顔を渡辺に近づける。
突然、右手で渡辺を平手打ち。渡辺、倒れる。
渡辺 : 何するんだよ、リンちゃん。
リン : いい加減、目を覚ましな。
私があんたを好きになることはない。
自分にお似合いのかわいい女を探すんだな。
じゃあな。あばよ!
渡辺 : リンちゃん!
渡辺、リンの方向に手を伸ばしたまま動かない
リン、振り向かずに下手に歩き出す。
リン、歩きながらポケットからケータイを取り出し、
高く甘い声で話し出す。
リン : あっ旦那様、涼音ですぅ。
晩御飯と私、どっちを先に食べたいですかぁ。
もぅいやん、旦那様。エッチなんだからぁ。
渡辺、ずっこけて倒れる
リン、クネクネしながら歩き続ける
----
みんなが笑う中、私は涙を誤魔化すのに必死だった。