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旦那様の本

「ふぁー、疲れた。」

真理恵が更衣室のベンチに突っ伏した。

「涼音ぇ、マッサージ。」

「何言ってんの」と背中をポンと叩く、

「いいじゃん、いいじゃん。

涼音のマッサージ、気持ちいいんだもん。」

真理恵は横になったままだ。

「真理恵、今日ウチに来るの?」

「晩のオカズは何?」

「豚肉があるから、生姜焼きにでもしようかな。」

「冷奴もつけてね。」

「じゃあ帰りに西友寄ってくよ。」

「泊まってもいい?」

「いいけど。お布団、出すの手伝ってよ。」

「一緒にベッドで寝ればいいじゃん。」

「狭くてやだよ。」

「大丈夫、大丈夫。私が抱っこしてあげるよ。」


聞いた千尋がニヤニヤしている。

「まるで夫婦か恋人の会話やな。そんなんゆうてるから、

マリリンは付き合ってるって言われるんやで。」

優が重ねる

「この前も2chに書かれたんだよ。ホラ」


手にしたタブレットには「早稲田のマリリンってどうよ」というスレッドが

表示されていた。


いつも2人で手をつないで歩いてた

毎日、同じ電車で通学している

一緒の部屋で暮らしてるらしい



などと書かれている。半分はその通りだけど半分は誤解や妄想。

でも取っている授業もほとんど同じだし、家も同じ方向。

ほとんど一緒にいるし、手を握ったり、身体を寄せあうことも少なくない。

それじゃあ付き合っていると思われても仕方がないか。

読み進めていくと、こんなものがあった。


マリーがタチかな?リンちゃん大人しいし。

いやいや、リンちゃん男っ前だからタチに違いない。


「ねぇタチって何?」

聞いたことがない単語だった。

「簡単に言えば女同士でアレするときの男役のほう。」

優が教えてくれた。

私は思わずつぶやいた。

「やだなぁ。こんなの旦那様に見られたらどうしよ。」



「エッ?」私の一言に、周り全員が固まった。


しまったと思ったとたん、みんなから質問攻め。

「旦那様って結婚してたの?」

「旦那様ってどんな人?」

「その指輪もしかして本気なの?」


私は恥ずかしいやら、うるさいやらで何も答えることができなかった。

「ハイハイハイ、皆さん落ち着いて。」

見かねた真理恵が割って入ってくれた。

「そんなに一度に聞かれたら涼音が答えられないでしょ。

私が知ってることだったら答えてあげるよ。」

「マリーはリンちゃんの旦那様って知ってるの?」と優。

「ウン、会ったのは1回だけだけどね。

旦那様は涼音の恋人、泣いちゃうくらい大好きな婚約者様」

「学生なの?」

「イラストレーターだって」

「どんな人?」

「中肉中背、ちょっと太り気味。年の割には若く見えるよ。」

「『年の割に』って、年上なの?」

「今、41だっけ?」真理恵の問いかけに、私がうなづくと

エーッと、みんなが叫んだ。

「20歳も違うやん。一体どこで知り合ったん?」

真理恵が私の方を向いた。

「私、高校卒業して1年間フリーターだったんだ。

その時、家政婦をやった家の一つだったんだ。」


私は慎重に少しずつ嘘をついた。全てを知られたくなかった。


「そこで押し倒されたとか?」

「バカなこと言わないで。旦那様は真面目で誠実な人なんだから。

私のほうが先に好きになったの。」

耳の先まで熱くなった。

「リアルにモジモジする人、初めて見た。」

優がそんなこと言ったけど、どうにも止められない。

「私はそのまま一緒に暮らしたかったんだけど、

旦那様に大学を出て、三年働きなさいって言われて。

それで今は恋人ってことなんだ。」

「左手の指輪は?」

「結婚指輪の先取り。つながっているという印。」

「リンちゃん、なんて呼ばれてるの?やっぱり涼音?」

「それがさ」真理恵が割り込んできた。

「フェアリーなんだよ。涼音は愛する旦那様の可愛い妖精ちゃんなの。」

みんなからヒューヒュー言われて、恥ずかしくて顔が上げられなかった。

「だって苗字で呼ぶのは似合わないし、名前を呼んだら馴れ馴れしいし、

あだ名で呼ぼうって旦那様が…」

「モジモジどころか、クネクネになっとるで」千尋が呆れたように言う。

「ちなみにフェアリーって呼んでいいのは旦那だけよ。

私がふざけてフェアリーって呼んだら、ねじ伏せられたんだから。

良い子は真似しちゃだめだよ。」

「写真はないの?」

「私が持ってるのは恥ずかしいから見せたくないなぁ。

そうそう最近、この本が出ました。著者近影で顔が載ってるよ。」

私は旦那様の本「心の中の井の頭」を取り出した。

みんなで本を回して、著者近影ばかりをじっと見ている。

「優しそうな顔してるね」と褒められて嬉しくなった。

「こういう人が好みなのか」という声には、

ちょっと頭にきたけど。

「中身も見てね。とてもいいんだから。

生協でも売ってるからちゃんと買ってよね。」

あまり期待しないで言ってみた。


数日後、生協でアルバイトをしているクラスメートから声を掛けられた。

「この本の紹介、書いてくれない?」

手には旦那様の本とPOP用のボール紙。

このところ急に売れているのだという。

最初はチアの子達が買いにきて、そのうち「リンちゃんが好きな本」

という話が流れて、私のファンも買っていくらしい。

生協は私の推薦文を店内に飾るのだという。

ボール紙は受け取ったものの、あまり気が進まなかった。


「母さんはどう思う?」

「そりゃあんた、ガツンとインパクトがあるほうがいいんじゃない?

『私が処女を捧げた人の処女作です』とか?」

ガハハと笑った。

「それだったら、林涼音だけじゃなくて林智美でも同じか。

いっそ連名でいくか?」

さらに大きく笑った。

「あーもーふざけないで。旦那様がどう思うのか気になるのに。」

「どうって?」

「私のせいで本が売れるなんて、嫌じゃないかなって。」

「アイツもプロなんだし、気にしないと思うけどね。

気になるんなら、隆文に確かめればいいじゃん。

どうせ会いに行きたいんだろ?」


旦那様に聞いたら、あっさり了解された。

「フェアリーが推薦してくれるなんて嬉しいな。」

と喜んだ。

「嫌じゃないですか?」

「その本を作るのに沢山の人が関わっているんだ。

僕の本のために、みんな頑張ってくれた。

その人達のためにも、まずは売れないと申し訳ないからね。」

と微笑んだ。


「ところでフェアリーはどう思ったの?面白かった?」

「うまく言えないですけど、ページが変わるたびに

優しい音楽が流れてくる、そんな気がしました。

それにまた旦那様と一緒に散歩したいなって楽しみになりました。

いくつかのページは私も一緒に見た風景のはずなんです。

でも旦那様にはこんな風に映ってたんだ。

こんなに美しいかったんだって驚きました。

母さんがいいこと言ってんですよ。

『自分が見たときよりも新鮮でみずみずしい』って。

なるほどと思いましたけど、私にはそんな言葉うまく

出てきません。」

「良かったよ。だれよりもフェアリーが気に入ってくれて。

フェアリーが感じた通り、推薦してくれるとと嬉しいな。」


結局、私はボール紙にこう書いて生協に置いてきた:


ページをめくるたびに優しい音楽が聞こえてきます。

井の頭公園をゆっくり散歩したくなりました。


後から自分の名前、林涼音にひっかけてるみたいだと気がついた。

でも思った通りだから仕方ないと、そのままにした。


その後、旦那様の本は大学以外でもそこそこ話題になった。

何よりブックスルーエに吉祥寺本として並べられていたのは嬉しかった。

私も何冊かサインを頼まれた。なんか違う気もしたけど、

旦那様のためになるかなと引き受けた。

それでも生協の書評誌から持ちかけられた

「作者と対談しませんか」という話は丁重にお断りした。

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