Blue Rose
ハァー、ため息が止まらない。悔しかった。情け無かった。
今日は野球の応援、秋のシーズン初戦。
新しいポジションをもらって、フォーメーションも振り付けも完璧。やる気満々だったのに。
今朝から、いつも以上に重い生理痛。激しい動きができないから急遽交代してもらった。
代わったメンバーに負担をかけて申し訳なかった。
私がポジションを奪ってしまった先輩の顔を見れなかった。
ドンマイと声をかけられてもツラかった。
試合に負けてしまったことにまで責任があるんじゃないかと落ち込んだ。
片付けだけでも頑張ろう、そう思っても力が入らなかった。
「何これ?」突然、真理恵が大声を上げた。
近くにいたメンバーも集まり、真理恵のスマホの画面を覗いて一緒に怒り出した。
「どうしたの?」と声をかけると「これ酷いとおもわない?」
差し出されたスマホにはツィッターの画面。
リンちゃん出たら、本気出す
呟いたのは渡辺大輔。今日のピッチャー。
去年、甲子園で活躍し、期待されて早稲田に入学。
一年生ながらもエースとしての活躍が期待されていた。
ところが練習嫌いでサボりがち。日頃何かとトラブルを起こしてきた。
今日の試合も途中までよかったのに七回に急に崩れて逆転負け。
それなのになんなの、この態度。私は怒りを抑えられなかった。
そのままスマホを掴むと、ベンチ裏に向かった。
ちょうど渡辺が出て来た。
「渡辺さん」呼びかけると、
「リンちゃん、負けちゃった僕を慰めてくれるの?」
うれしそうに寄って来た。
「これは何ですか?」
私はスマホの画面を突きつけた。
「だってリンちゃん、応援してくれないんだもん。
僕、途中でイヤになっちゃったんだ。」
渡辺のふざけた態度に、私の中で何かが切れた。
「いい加減にしてください!」
大声を出すと周りが静まり返った。
「みんな一生懸命、応援してるのに。
私が体調悪くて出れなかった分、必死でカバーしてくれたのに。
何ですか、その態度。
もっと真面目にやってください。」
私はそう言い残し、足早にその場を去った。悔しくて涙が出た。
翌日、真理恵が心配顔で「出ちゃったよ」と
学生サークルが作ったスポーツ新聞 ワセスポ を見せた。
早稲田内紛?チア林、エース渡辺に噛み付く
渡辺と私の写真が載っている。
「まずいかなぁ?」暗くなった。そこへ
「林涼音、こっちへ。」とキャプテンの玲さん
から呼び出された。いつもの玲さんなら、私のことを
リンとかリンちゃんと呼ぶ。ところが今日はフルネームで呼び捨て。
気が重くなった。
「涼音、あなたは自分がやったことどう思っている?」
中に入るなり、玲さんから厳しい声で聞かれた。
私は何も答えられなかった。
「あなたがしたことは許されることではありません。
なぜだかわかる?1つはあまりにも軽率こと。
学生とはいえ野球部員やチアは常に他の人の目にさらされています。
それなのに試合直後、大勢の人がいる中でチアが
野球部員をなじった。結果がどうなるかは簡単に予想できたはず。
これは軽率な行動といわざるをえません。」
玲さんは「わかった?」と言うように一呼吸おいた。
「もう1つは組織のルールを無視したこと。
今回のケース、本来であれば応援部として野球部に
抗議すべきこと。それをあなたが勝手に抗議したら、
応援部と野球部の関係にヒビが入ります。
私としても、このまま放ってはおけません。」
玲さんはもう一度、一呼吸おいた。
「 罰として部室のキャビネットに入っているバインダーを
全部整理するように。終わったら私に報告に来て。」
「はい」と返事をして、ジャージに着替えるとさっそく片づけに取り掛かった。
キャビネットの中のバインダーは順番がバラバラに入り、
背表紙が取れかかっているものも多かった。
それらを取り出し、ホコリを払い、軽く水拭き。
内容を確認し、タイトルを貼り換えていく。
順番を並び替えたり、分類を見直して、バインダーの編成を変えたり。
昼前から初めたのに、終わったら夕方になっていた。
別の部屋で待っていた玲さんに報告するとバインダーをいくつか
手に取り、チェックした。
「バインダーの中を見てどう思った。」
「これまでバインダーなんて関係ないって思っていたんですが、
ずっと前の先輩たちも私たちと同じだったんだな分かりました。
みんな同じように一生懸命応援してきたんだなって。」
「そうね。私もそう思う。
いつも落ち着いている、あなたが、あんなことをするなんて
驚いたんだけど、それだけ仲間への思いが強いのかなって。
あなただったら、ここにあるバインダーの意味を理解して
くれる、引き継いでくれるだろうと思ってお願いしました。
これから先、あなたが卒業するまでキャビネのこと頼むね。」
「分かりました。」
「グッド・ジョブ。お疲れ。」
肩をポンと叩かれた。
「今度から、文句言いに行くときは私を誘うの忘れないでね。」
更衣室には1年生のみんなが待っていた。
「お疲れ」「大変だったねぇ」とみんなが労ってくれた。
「そういえば渡辺の野郎、ザマーミロなんだよ。」と真理恵。
「今日の練習の後、罰としてグラウンド20周なんだって。
あいつ走るの嫌いで有名だから、練習させるってことかもね。」
時計を見ると4時過ぎ。今からいけばまだ間に合うな。
「私、東伏見に行ってくる。」
真理恵は驚いて止めようとしたけれど、私は振り切った。
グラウンドに着くと渡辺が一人で走っていた。
私も荷物を置いて一緒に走り出す。
「リンちゃん。どうしたの?」と渡辺。
「私も一緒に走ります。」
「いくら走るの嫌いな俺でも、女の子と同じペースは遅すぎるよ。」
「渡辺さんは自分のペースで走ってください。私はそれに合わせます。」
楽ではなかったが、このペースで10周ならなんとかなりそうだ。
黙々と走りつづけた。
残り2週となったとき、真理恵の姿が見えた。
私はジェスチャーで渡辺にスポーツドリンクを用意するようお願いすると、
真理恵は両手で大きな丸を作った。
それから2周、走り終えると渡辺は自分のタオルのそばに倒れるように座り込んだ。
「お疲れさまです。」私は立ったまま声をかける。
「リンちゃん、タフだなぁ。」息を切らした渡辺が呆れたように言う。
「私は10周だけですから。
それにチアはみんな、これくらい走れますよ。持久力は重要なんです。
試合の途中でバテて応援できないなんてわけにはいかないですからね。」
なるべく平気そうなフリをした。
「そのタオルの下に飲み物があるはずですよ。」
渡辺がタオルを持ち上げると、そこにはスポーツドリンクのペットボトル。
渡辺は蓋を開けゴクゴクと一気にのんだ。
「うめぇ。助かったよ。でもどうやったの?まだ冷たいぜ、これ。」
「さっきチアの友達が来たんで用意してもらったんです。」
それを聞いて渡辺は「この前のこと悪かったな。」とつぶやいた。
「いえ」私が答えて、しばらく二人とも黙っていた。
「借りを作っちゃったな。どうやって返せばいい?」
「一生懸命プレイしてください。私たちも一生懸命、応援します。」
「それだけじゃ普通のことだろ?」
「じゃあ、私たちが4年の春シーズン早慶戦、最終試合で勝利投手になってください。
チアとしてのラストゲームは勝って終わりたいですから。」
「スポドリ1本にしては要求が大き過ぎないか?」と渡辺。
「まさか自信がないってことじゃないでしょ?」と返すと
「分かったよ、リンちゃんには適わないな。」と笑った。
「なぁリンちゃん、俺と付き合わないか?」
「もう恋人がいるんですよ。」私は左手の指輪を見せた。
「それ本物だったのかぁ」そう言って、渡辺は地面に大の字になった。
荷物を置いたところには真理恵だけじゃなく他の一年生も待っていた。
「涼音、服持ってきたよ。待っててあげるから着替えてきな。」と真理恵。
そうか、私ジャージのまま、ここまで来たんだ。
服のことなんて、すっかり忘れてた。
「いいよ、面倒臭いからこのままで」というと
「何言ってるの、女の子なんだから、ちゃんとした服を着なさい。」
と怒られた。
「分かったよ、駅のトイレで着替えるからさ。もう帰ろう。」
そういうと、千尋や優が
「男っ前やな、リンちゃん。」「マリーが世話女房みたいだね。」
というのが聞こえたけど無視した。
あの事件以来、私にニックネームがついた。
ブルーローズ、青いバラ。
控え目だけど、なめてかかると痛い目に会うということだそうだ。
「涼音だからスズランでよかったんですけどね。」
と言ったら、
「バラと言われて文句いうなんて贅沢だね。」
と旦那様に笑われた。
その年のチアの忘年会、1年生の出し物は千尋と優が作、演出、主演の
「男っ前リンちゃん劇場:夕暮れの東伏見編」
みんなに大受けだった。
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ナレーション:
夕暮れ迫る、東伏見野球場
グランド20周の罰を受けた渡辺。
リンもそれに付きあって走っていた。
下手から渡辺とリン、ゆっくり走って入ってくる。
渡辺はフラフラ。舞台中央に置かれたタオルの側に座り込む。
リンはその隣で立った手足を伸ばし、足を回して軽い体操。
渡辺 : リンちゃん、付き合って貰って悪かったな。
俺の罰だっていうのに。
リン : あたしのことだったら気にすることはないよ。
ちょっと気が向いただけのことさ。
渡辺 : それにしてもリンちゃん、タフだな。
リン : チアなら、みんな、これくらい走れるさ。
そうそう、そのタオルの下、見てごらん。
飲み物があるはずだぜ。
渡辺、タオルの下にスポーツドリンクを見つけ驚き、すぐに飲む。
渡辺 : うまい。それに冷たい。
リン : 礼なら、あたしじゃなよ。マリーに言っとくれ。
いつも気の利くかわいい奴さ。
渡辺、ぐっと力を込めて
渡辺 : リンちゃん、俺と...
リン、渡辺を手で制する
リン : おっと、そこから先は言っちゃいけねぇよ。
リン、ゆっくり正面を向き、人差し指を立てた右手を振りながら
リン : 青いバラのトゲはちっとばかり痛いぜぇ。
マリー、あたしの服は持ってきただろうね。
マリー: あたぼうよ、リンちゃん。
リン : いつもありがとよ。今夜もたっぷり可愛がってやるぜ。
さぁ帰るよ。
リンとマリー、下手にはける
渡辺 : リンちゃん。
リンとマリーが去った方向に手を伸ばし倒れる
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みんなが大笑いする中、私は一人でムっとしていた。